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52 広がる不安
しおりを挟む探索者ギルドが襲撃されてから、半月近くが経っていた。
あのとき、ヴェアグロネズが放った攻撃魔法によって大怪我を負ったアロイヴだったが、その傷は紫紺の治癒能力のおかげで痕すら残っていない。
身体は自由に動かせるようになっていたが、まだ街に戻る気にはなれなかった。
今は紫紺と二人、森で生活を送っている。
「すぐそこの魔樹まで、水の実を採りにいくだけだから大丈夫だって」
「イヴ」
「わかったよ。一緒に行こ」
あれだけ酷い怪我を負ったせいか、どこに行くときも紫紺はアロイヴから離れようとしなかった。
二人が暮らす洞穴から見えている場所にある魔樹にすら、一人で向かうことを許してくれない。
でも、アロイヴも別にそれを嫌とは思っていなかった。
「……紫紺のそれ、消えそうにないね」
手を繋いで歩きながら、アロイヴは紫紺の顔を見上げる。視線を向けたのは、紫紺の首から頬にかけて走る黒いひび割れのような痣だ。
前に気づいたときは胸と腹にしかなかったそれが、首を伝い、顔にまで広がってきていた。
「痛くないんだよね?」
アロイヴの問いに、紫紺は迷う様子なく頷く。
心配しすぎだと言わんばかりに眉を下げて笑いながら、ぽんぽんとアロイヴの頭を撫でた。
――紫紺は大丈夫だっていうけど……でも、やっぱり気になる。
紫紺の身体に浮かび上がる痣は広がっただけでなく、色も濃くなっていた。
特に最初からある腹の部分の痣は溝のように凹んでいて、紫紺の身体を蝕む毒のようにしか見えない。
それがアロイヴには、ひどく恐ろしくてたまらなかった。
――この痣、なんなんだろう。
街に戻れば調べる手段はいくらでもある。だが今はまだ戻りたくなかった。
そもそも、アロイヴは今自分がどこにいるのかもよくわかっていない。探索者ギルドで攻撃を受けて気を失った後、次に目覚めたときにはこの森の洞穴の中にいた。
――でも……僕はこの森を知ってる。
紫紺がもいでくれた水の実を受け取りながら、アロイヴは周囲を見回す。実際に来たのはこれが初めてだが、アロイヴはこの森に見覚えがあった。
真っ黒な地面に不気味な紫色の木々が生い茂るその景色は、アロイヴが夢で何度も見た森と同じ色合いだ。
ここは夢で見たあの森で間違いなかった。
アロイヴが今、この場所にいるのは偶然なのだろうか。夢の中で死にかけていた小さな影狐が紫紺ではないことは確認していたが、それでも不安は拭いきれていなかった。
何もかも、不安要素ばかりだ。
確かめなければいけないことはたくさんあるのに、まだ現実に目を向ける気にはなれなかった。
◇
通信の魔道具を通じて、カルカヤから連絡が入ったのはそれから数日後のことだった。
直接会って話したいと言われ、断れるわけがない。
カルカヤは連絡から一時間も経たないうちに、アロイヴたちの暮らす洞穴の前に現れた。
「また、変わった場所を住まいに選んだものだな」
カルカヤはそう言いながら、ずかずかと洞穴の中に入ってきた。
隣り合って座るアロイヴと紫紺の前に、どかりと腰を下ろす。
「直接会うのは、どのくらいぶりだ?」
「……カルカヤさん」
「罪悪感に押し潰されそうな顔だな。無事だと教えてやったのに、どうしてそんな顔をしているんだ?」
「だって……僕の、せいで」
この森にいる間、アロイヴはずっと考えていた。
どうしてこんなことになってしまったのか。サクサハを巻き込んでしまったのは、自分のせいではないのかと。
それに、カルカヤにもまだ情報を渡せていないままだ。教会の目的が〈勇者召喚〉であると――魔族にとって重要となるその情報を、アロイヴは誰にも告げられずにいた。
――僕は、いつも自分のことばっかりだ。
この情報を早くカルカヤに渡していれば、今回の襲撃だって防げたかもしれない。サクサハがあんな大怪我を負わずに済んだかもしれないのに……アロイヴは過ちから何も学べていない。
いつも自分のことばかりを優先して、誰かを犠牲にしてから気づく。
いつだって、気づくのが遅すぎるのだ。
「今回のことを自分のせいだと思っているのか? キミは自分を悪者にしすぎだぞ」
「だって……」
「キミはただ巻き込まれただけだろう。それなのに、すべて自分のせいだと思い込んでどうする」
「でも……僕は、カルカヤさんに言わなきゃいけないことだって、黙ってて」
巻き込まれただけなんかじゃない。
知ったことを早い段階でカルカヤに話していれば結果は変わったかもしれない。
それなのに、そうしないと決めたのはアロイヴだ。自分は悪くないなんて言うつもりはない。
「キミが黙っていたことというのは、教会の目的が〈勇者召喚〉だということか?」
「え……どうして、それを」
「予想はついていたさ。キミに翻訳を頼んだのは答え合わせのつもりだったんだ。ボクも答えを知らなかったわけじゃない」
「……答え、合わせ」
「ああ。だからキミに責任はないというのは、慰めではなく事実だよ。まあ、下手を打ったとすればボクのほうだな。ヴェアグロネズがあそこまで感情で動く馬鹿だったとは……少しは想定しておくべきだった」
すまない、と逆にカルカヤから謝られてしまった。
「弟を助けてくれたことも感謝している。ギルドから誰も犠牲者が出なかったのも、キミと狐くんのおかげだ」
「僕と紫紺のおかげ? どういうことですか?」
サクサハのことは助けようとしたが、それ以外に何かをした記憶はない。
聞き返したアロイヴに、カルカヤが「ああ」と頷く。
「あの場にいた全員を守ってくれたのは、狐くんの防御魔法だった。おそらく、今まで溜め込んだキミの魔力を使ってやったんだろうな」
「僕の魔力を使って、紫紺がみんなを守ったってこと?」
「そうだ。これはボクの想像だが、狐くんはキミを悲しませたくなかったんだろう。誰かを失って、キミが自分を責めることは容易に想像がつくからな」
「……紫紺」
アロイヴは紫紺のほうを振り返り、衝動的に抱きついていた。
まさか、紫紺がそこまで考えて動いてくれていたなんて――ぐっと胸が熱くなる。
「その上でキミのことを守り、こんな場所まで転移するなんてな……普通ではあり得ない力だ」
そのカルカヤの呟きは、感極まっているアロイヴの耳には届かなかった。
◇
「街に戻れって言われなかったね」
カルカヤは話だけをして帰っていった。
アロイヴを連れ帰るために来たのだと思ったのに、そういうわけではなかったらしい。
迎えが必要なら連絡してこいとだけ言い残し、あっさりと帰ってしまった。
――そういえば……二人はなんの話をしてたんだろう。
カルカヤは帰る直前、紫紺と二人きりで話をしていた。
紫紺は全く気乗りしない様子だったが、カルカヤから何かを耳打ちされ、話を聞く気になったようだった。二人が話していたのは五分にも満たない時間だったが、あの後から紫紺の様子がいつもと違う気がする。
こうしてアロイヴを脚の間に座らせ、後ろから抱きかかえる体勢はいつもどおりだったが、どうにも紫紺の溜め息が多い気がするのだ。
何か考えごとでもしているのか、アロイヴが話しかけても反応が薄いのも気になった。
――どうしたんだろう。
何を言われたのか気になったが、話せない紫紺から聞き出すのは難しい。
それに、カルカヤがわざわざアロイヴに聞かせなかった内容だ。紫紺が簡単に教えてくれるとも思えなかった。
――教会に関すること? それとも……生贄についてのこと、とか?
カルカヤと勇者召喚について話はしたが、生贄のことには一切触れなかった。
教会の目的に気づいたカルカヤが、それに気づいてないとは思えない。アロイヴの心情を察して、話さなかったとしか考えられなかった。
その話を紫紺としたのかもしれない。
――どうしても、悪い想像ばっかりしちゃうな。
そうじゃないかもしれないのに。
アロイヴの頭の中は、よくない想像でいっぱいだった。
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