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50 秘密の代償

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 ――何か、爆発した?

 状況がようやくわかってきたのは、部屋を揺らすほどの轟音が鳴り止んで、しばらくしてからのことだった。
 室内には、いまだ土煙が充満している。

 ――いったい、何が。

 紫紺の腕の中、アロイヴから見える範囲だけでわかることは少なかった。ただ、薄暗かった室内にどこからか光が差し込んでいることに気がつく。
 土煙のせいで光がどちらから差し込んでいるかはわからなかったが、間違いなく、音がする前よりも部屋が明るくなっていた。
 その理由を探ろうとしたときだった。

「……っ」

 遠くから、ガラッと何かが崩れる音が聞こえた。
 アロイヴは緊張に息を詰まらせながら、音の聞こえたほうに意識を向ける。

 ――誰かが、こっちに向かってきてる……?

 かすかだが、足音が聞こえた気がする。
 紫紺はそちらを警戒している様子だった。明らかに味方に対する反応ではない。
 怖くなって紫紺の服を掴むと、気づいた紫紺がこちらを見た。
 アロイヴと視線を合わせて、ふっと目元を緩める。落ち着かせるようにアロイヴの肩に優しく触れた。
 しかし、警戒を解くことはしない。

 ――よくない状況ってことだよね?

 でもこんなときだからこそ、まずは落ち着けといいたいのかもしれない。冷静さを欠いて、判断を誤るのは悪手でしかないからだ。
 これはアロイヴが探索者として依頼をこなしてきた中で学んだことでもあった。
 アロイヴは、紫紺の腕の中で何度か深呼吸を繰り返す。

 ――まずは、今の状況を正確に知らないと。

 ちょうど、室内に充満していた土煙も落ち着いてきていた。
 アロイヴは部屋の中を見回す。
 防御魔法で爆風を防いだアロイヴたちとは違い、棚や机に置いてあった物はあちこちに吹き飛ばされ、室内は荒れ放題だった。
 この部屋に来たのは二度目なので、元の状態をあまり正確には覚えていない。わかるのは、カルカヤが通信に使っていた魔道具が完全に壊れてしまっていることぐらいだ。

 ――腕輪を使えば、連絡は取れるかもしれないけど。

 だが、アロイヴたちに危険を知らせてくれたカルカヤが今どういう状況なのかわからない。軽率な行動は控えるべきだろう。
 そこから、さらに視線を動かす。

「……ッ!」

 自分たちの入ってきた扉を見て、アロイヴは小さく息を呑んだ。
 分厚く頑丈そうに見えた扉が、外からの圧力で大きくひしゃげていたからだ。光が差し込んでいたのは、この隙間からだったらしい。

 ――え、待って……扉の外には、サクサハがいたのに。

 その廊下で何かあったのだと気づいて、アロイヴは全身の震えが止まらなくなった。
 
 ――サクサハは無事、だよね……?

 無事だと思いたい。
 でも、嫌な予感しかしなかった。
 これだけの緊急事態だというのに、サクサハがこの場にいないことがまずおかしい。真っ先に部屋に飛び込んできそうなものなのに。
 もし、そうできない理由があるのだとしたら。

 ――だめだ、落ち着け……落ち着かないと。

 嫌な考えばかりが巡り、アロイヴの心臓は苦しいぐらいに激しく鼓動していた。
 それなのに、水をかぶった後のように全身が冷たい。震えは収まりそうにない。

「……イヴ」

 紫紺が小声でアロイヴを呼んだ。
 姿消しの術に加えて、消音の術も使っているのだろう。これなら多少声を出しても、誰かに気づかれることはない。
 それでも、アロイヴは声を出せなかった。
 心配そうにこちらを見つめる紫紺に向かって、ふるふると弱々しく首を横に振る。感情が昂ぶって涙があふれてしまいそうだったが、それだけはなんとか堪えた。

「…………」

 アロイヴがどうしてそんな顔をしているのか、紫紺は気づいている様子だった。
 一度、扉のほうに視線を向ける。
 その後、横目でアロイヴを見て、ゆっくりと首を横に振った。

 ――嘘だ……そんな。

 紫紺は、アロイヴよりも周囲の気配を読むのに長けている。その紫紺が首を横に振るということは、サクサハは――。

 ――だめだ。この目で確かめてもないのに、決めつけたりしちゃ。

 最悪の想像を振り払う。
 爪が食い込むほど拳を強く握って、震えを抑え込んだ。

「……様子を、見にいこう」

 紫紺はアロイヴの意見に賛成できないのか、一歩も動こうとしなかった。
 紫紺が動いてくれなければ、アロイヴも動くことができない。紫紺から離れてしまうと、姿隠しの術が解けてしまうからだ。

「紫紺、お願い……サクサハが心配なんだ」

 危険は承知の上だった。
 自分だけでなく、紫紺を危険に晒してしまうこともわかっている。それでも、サクサハの状態を確認しておきたい。

「…………」

 アロイヴの懇願を、紫紺は渋々ながら了承してくれた。
 指を絡めて手を繋ぎ、足の踏み場の少ない部屋の中を音を立てないように慎重に移動する。
 ゆっくりと扉に近づいた。

「……っ、サクサハ」

 扉の隙間からオレンジ色の髪が見えた。
 でも、それよりもサクサハの全身を染めている色がある。
 深い赤色――血の色だ。

「うそ……サクサ、っ」

 もう一度、名前を呼ぼうとした瞬間、紫紺がアロイヴの口を手で塞いだ。
 消音の術は使ったままのはずなのに、どうして――そう思ったときだった。

「存外、呆気ない。アレに弱体化されたとは聞いていたが、これほどとは」

 扉の外、すぐ近くから声が聞こえた。
 紫紺が口を押さえていてくれなければ、悲鳴を上げてしまっていたかもしれない。
 その低く不気味な声色には聞き覚えがあった。

「手加減すべきだったな。一撃で仕留めてしまうとは――つまらん」

 相手はサクサハの髪を引っ掴みながら、話しかけていた。血まみれで脱力したままのサクサハは目も開けない。
 扉の隙間から、相手の横顔が見えた。

 ――こいつは……あのとき、屋敷にメンネを迎えにきた高位魔族。

 廊下にいたのは、ヴェアグロネズだった。
 特徴的な大きな角も青黒い肌も鋭い牙も、あのとき見たのと同じだ。この顔を忘れるはずがない。
 それにヴェアグロネズは、カルカヤが一番警戒していた相手でもあった。
 まさか、その本人がここに現れるなんて。

 ――こっちには、気づいてない……?

 ヴェアグロネズがアロイヴたちがすぐ傍にいることに気づいていなかった。
 紫紺の術は、七将であるヴェアグロネズにも有効らしい。

「しかし貴様といい、貴様の兄といい……何故、我の邪魔ばかりをする」

 ヴェアグロネズの独白は続いていた。
 早くここから離れるべきなのはわかっていたが、ヴェアグロネズの言葉の続きが気になって動けない。
 それは紫紺も同じだった。

「アレを王と認めるわけにはいかんのだ。アレは我らを弱体化させる毒だ。今はアレを屠る力が必要なのだと何故わからん」

 ――アレって……魔王のこと? 魔王を倒す力って、勇者のことだよね?

 ヴェアグロネズが、魔王を殺すための力を欲しているのは間違いなかった。
 それは勇者のことだろう。
 カルカヤは、教会の裏でヴェアグロネズが怪しい動きをしていると言っていたが、それがまさか自分の力だけでは倒せない魔王を、勇者の力を使って倒すためだったなんて。

「――玉座には、相応しい者が他にいる」

 それは自分だと言いたいのかもしれない。
 ヴェアグロネズはそこまで言って気が済んだのか、掴んでいたサクサハの髪から手を離した。
 床に投げ出されたサクサハの身体からは、今も血が流れ出している。痛々しい光景だったが、アロイヴは目を逸さなかった。
 小さな違和感を覚えたからだ。

 ――魔力が、動いてる……?

 サクサハの身体の周りに、わずかな魔力の動きを感じた。触れていたヴェアグロネズも気づかないほどのごくごく微量な魔力の動きだ。
 アロイヴがそれに気づけたのは、カルカヤのおかげだった。

『魔獣には死んだふりがうまいやつがいるんだ。極薄い魔力の壁を作って、死んだように見せかけるんだよ。そして、相手が油断した隙に反撃をする――ちなみに、ボクもよく使う手だ』

 ――サクサハは、まだ生きてる。

 しかし重症なのは間違いないらしく、ヴェアグロネズに反撃する力は残っていない様子だった。
 死んだように見せかけ、ヴェアグロネズが立ち去るのを待っているのだろう。

 ――……でも、間に合わないかもしれない。

 ヴェアグロネズが、この場から大人しく立ち去らない可能性だってある。
 弱っていくサクサハをただ見ているなんて、アロイヴにはできなかった。

「紫紺」

 名前を呼ぶ前から、紫紺はアロイヴのことを見ていたらしい。
 目を合わせて、こくりと頷く。

「……巻き込んで、ごめんね」

 小さく呟いて、アロイヴがポーチから取り出したのは〈転移玉〉だった。
 それを握って、紫紺と一緒に扉の隙間から廊下に出る。

「サクサハを、フィリさんの元に――」

 魔力を込めた転移玉をサクサハの身体に押し当てた。
 アロイヴの魔力の動きに気づいたヴェアグロネズがこちらを見たが、紫紺の術のおかげでまだ見つかっていない。

「……なっ」

 サクサハの身体が突然消えたことに、ヴェアグロネズは少なからず驚いていた。
 しかし驚愕に目を見開いたのは一瞬で、次の瞬間にはこちらに向かって攻撃魔法を繰り出す。おそらくこれが、サクサハを吹き飛ばした魔法だろう。
 防御する間もない。

「イヴ……!!」

 紫紺が名前を呼んでいる。
 でも、うまく返事はできなかった。
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