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48 ひび割れ
しおりを挟むギルドを出たものの、すぐに部屋に戻る気にはなれなかった。
街を見てまわる気にもなれず、アロイヴは特に行き先も決めずに、西門からレサシュアの街を出る。
もちろん、紫紺も一緒だ。
「依頼を受けずに街の外に出るの、初めてだね」
目的もなく街を出たことは、これまで一度もなかった。
空いている時間は部屋で過ごすことが多かったし、買い物以外に出掛ける場所といえば、探索者ギルドか図書館ぐらいしかなかったからだ。
レサシュアの街に暮らし始めてもう数か月が経つのに、アロイヴの行動範囲は全く広がっていなかった。
交友関係も同じだ。
元々人見知りしてしまう性格なのか、一番顔を合わせるギルド職員ですら、依頼について少し話す程度でしかない。
今この街にいる親しい人物といえば、サクサハぐらいだ。
「湖まで行ってもいい?」
なんとなく、開けた景色が見たかった。
東門から出ればすぐに草原が広がっていたが、そちらは探索者が多くいる。あまり落ち着ける場所とはいえなかった。
今いる西門方面にも魔獣討伐に向かう探索者はいるものの、森林地帯が多いこちら側は木が生い茂っているのもあって、草原ほど人の姿が視界に入らない。
特に湖周辺は、魔獣があまり出没しないこともあって、探索者と遭遇する確率はかなり低かった。
「イヴ」
「あ、いいよ。歩きたい気分なんだ」
抱いて運ぼうとしてくれる紫紺の申し出を断る。
代わりに紫紺の手をぎゅっと握った。
「手、繋いでていいよね?」
湖までは、森林地帯を突っ切る必要がある。
アロイヴの足でも三十分かからない距離だが、魔物の危険が全くないわけではなかった。
紫紺は双剣使いだ。
片手を塞ぐというのはあまりいいことではない気がしたが、今は紫紺の体温を感じていたい。
「わ……っ」
ぽふん、と紫紺の手がアロイヴの頭に乗った。
掻き回すように撫でる仕草は、アロイヴが獣姿の紫紺によくやるものだ。
「あはは。くすぐったい」
ついでに、耳の周りをこしょこしょとくすぐられる。
そうやって少しでもアロイヴの気を紛らわそうとしてくれる紫紺の優しさが、今のアロイヴにはとても嬉しかった。
「無事到着……と言いたいところだけど、あんまり無事じゃないね」
湖には到着したものの、二人は泥だらけだった。
魔獣との戦闘があったわけじゃない。
湖の少し手前で、泥浴びをしている桃森獏の家族と遭遇したのだ。
桃森獏は特に危険な魔獣ではない。それどころか臆病な性格で、人を見れば即座に逃げ出してしまうぐらい弱い魔獣だった。
「……驚かせちゃって、悪かったなぁ」
二人が泥だらけなのは、そんな桃森獏を驚かせてしまったせいだった。
泥浴びをしている最中だったので、二人のほうに泥を撒き散らしながら逃げていったのだ。
紫紺が咄嗟に守ってくれたおかげでアロイヴの汚れはそれほどではなかったが、紫紺の背中はびっくりするぐらい泥まみれだった。
「水浴びしてこっか。替えの服はポーチの中にあったはず」
そんな目的で湖に来たわけではなかったが、汚れを落とすのにこれほど適した場所はない。
アロイヴは念のため、守りの結界を二人の周囲に展開した。汚れた服をポーチに収納して、一気に裸になる。
紫紺は服のまま、水の中に入っていった。
――そういえば紫紺の服って、どういう仕組みなんだろ……獣でいう毛皮なのかな?
紫紺が裸になれるのは確認済みだが、服は脱ぐというより消すと表現するほうが的確だった。
アロイヴがポーチに服を収納して脱衣するときとよく似ている。魔力で作った剣のように、自由にオンオフできるようだ。
紫紺は水中に潜って服についた汚れを落とした後、服を消して裸になる。
こちらを振り返ると、まだ水に入れていなかったアロイヴに向かって手招きした。
「あれ、紫紺。それ……どうしたの?」
近づいたアロイヴの目に留まったのは、紫紺の身体にある黒いひび割れのような痣だった。
胸から腹にかけて、稲妻のように枝分かれした模様が浮かび上がっている。
「前はなかったよね? どこかで怪我した、とか……?」
治療で何度も紫紺の裸は見ていたが、こんな痣を見た覚えはなかった。
わかりやすい場所にある目立つ痣だ。
部屋を薄暗くしていたとはいえ、あれだけ身体を密着させておいて見逃すはずがない。
――でも、紫紺はいつも僕と一緒にいたんだから、怪我にも気づかないはずないんだけどな。
最後の治療を終えてから今日まで、紫紺と離れた時間はなかったはずだ。
それなのに、いつの間にこんなことに。
「これ、痛い?」
アロイヴの質問に、紫紺は首を横に振った。
おそるおそる触れてみたが、痣の部分に凹凸などはなく、ただ色が変わっているだけのようだ。
だが、ひび割れのような痣は見ているだけで心配になる。真っ黒い色のせいか、どこか不気味さもあった。
「痛くなったりしたら、すぐに言ってね」
気になったが、これがなんなのかすぐに確かめる方法はない。
医術師であるフィリに聞けば何かわかるかもしれないが、アロイヴからフィリに連絡を取る手段はなかった。
「サクサハに会えたら、フィリさんに連絡取れないか聞いてみよう」
もしかしたら、これも魔素のせいかもしれない。
毒素はすべて取り除いたはずだが、アロイヴが紫紺にした治療はこれまでに前例がない方法だ。万が一ということがある。
「イヴ」
心配が尽きないアロイヴとは対照的に、本人はあまり気にしていない様子だった。
痣に触れているアロイヴの手に指を絡め、目を覗き込むように顔を近づけてくる。
唇同士が触れ合う。
触れた唇から流れ込んでくる紫紺の魔力に、不安な気持ちが落ち着いていくのがわかった。
◇
しばらく森を散策し、日が沈み切る前には部屋に戻った。
昼は軽くしか食べていなかったので、帰ってすぐ早めの夕食を済ませる。まだ寝るには早すぎる時間だったが、就寝準備を終わらせ、アロイヴはベッドの上にいた。
獣姿になった紫紺にもたれて座る――いつも読書するときの体勢だ。
だが、アロイヴの手元に本は一冊もなかった。
――勇気が出ないな。
カルカヤから預かった本は、まだポーチに入れたままだった。
翻訳を頼まれたのだから一度は開いてみるべきなのだろうが、何が書いてあるのか想像もつかないだけに怖い。
「カルカヤさん……『伝えるべきだと思ったことを、教えてくれればいい』なんて言ってたけど……」
あれはどういう意味だったのだろう。
そんなことを言われたせいで、余計に怖く思えるのかもしれない。
「紫紺は……どうしたらいいと思う?」
獣姿の紫紺に話しかける。
目を瞑っていたのに、アロイヴが話しかけると紫紺はすぐにぱちりと瞼を開くと、顔を上げてこちらを見た。
きゅうきゅうと鼻を鳴らしながら、指輪型へ変化させている収納ポーチに鼻を擦り寄せる。
――これは、出してみろって言ってるのかな。
なんとなくだが、そんな気がする。
まだ気は進まなかったが、いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。
アロイヴは紫紺に向かって一つ頷いてから、収納ポーチを変化させ、中の本を取り出した。
「……『神の教え』、かぁ」
そのタイトルだけは、ポーチにしまう前にも確認していた。
ずっしりと重いその本を手に取り、アロイヴはおそるおそるページを捲る。
「…………これっ、て」
そう呟いたアロイヴの指先は小刻みに震えていた。
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