46 / 68
46 小さな獣と黒い影
しおりを挟む紫紺の様子がおかしくなった日から、数日が経っていた。
治療は毎日行っているものの、まだ紫紺の意識は正常な状態ではない。今も従魔術は解除できていないままだった。
アロイヴはずっと従魔術を展開している状態なので、毎食後の魔力回復薬が欠かせない。薬は前にカルカヤに売ってもらったものがあったので困ることはなかったが、薬はあまりおいしくなく、続けて飲みたいと思える代物ではなかった。
とはいえ、文句は言っていられない。
紫紺への治療行為は、紫紺の魔力を一度アロイヴの身体に流してから戻すというものだった。
例えるなら、汚れた水を綺麗にする浄水器のような役割をアロイヴが行うということだ。
魔素の毒素は魔獣にとっては問題となる成分だが、人間には全く害がないことが確認されている。どれだけ治療を行なってもアロイヴの身体に異変が起こることはなかったが、アロイヴはこの治療が少し苦手だった。
「紫紺、今日も始めよっか」
話しかけても、紫紺の反応が薄いのは寂しい。
それでも全く反応がないということではなく、アロイヴが呼ぶと紫紺は必ず目を合わせてくれた。
治療は就寝前に行うことにしている。
時間がかかるので、眠っている間にしてしまうのが一番効率がいいのだ。
それでも、この治療がアロイヴを複雑な気持ちにさせることには変わらなかったが、これは紫紺を治すために必要なことだ。
それもアロイヴにしかできない――今はやるしかなかった。
「じゃあ、紫紺。裸になって」
アロイヴの言葉に従って、紫紺はすぐに裸になった。アロイヴも着ていたものを脱ぐ。
そう。この治療はお互いの肌同士をなるべく多く触れ合わせる必要があった。
そのためには、体勢も重要になってくる。
「紫紺、いつもみたいに仰向けになって……うん。それじゃあ、乗るよ?」
アロイヴは仰向けに寝転がった紫紺の上に跨った。
鍛えられた腹の上に座り、そのまま上半身をそっと前に倒す。紫紺の首元に顔を埋めるように、ぴたりと身体を密着させた。
「ん…………はぁ」
紫紺はアロイヴより体温が高い。
じんわりと移ってくる紫紺の体温はとても心地がよかった。どれだけ我慢しようとしても、いつも声が出てしまう。
それに、こうして直接肌を触れ合わせる行為は、治療とわかっていてもドキドキするものだ。
――あ、来る。
「ぁあ……ッ」
触れているところから、紫紺の魔力が流れ込んできた。
これが始まれば、あとはもう寝ていてもいいのだが、こんな状態で眠れるわけがない。
紫紺の魔力はアロイヴに快楽に似た感覚を与える。紫紺もそれは同じなのか、いつも熱のこもった視線をアロイヴに向けていた。
「紫紺……キス、して」
転移酔いのときと同じく、キスも治療のうちだ。
でも、こうやって自分からねだるのはやっぱり慣れない。
でも、従魔術の支配下にある紫紺はアロイヴが言わないと動けないのだ。恥ずかしがっている場合ではない。
「ん、ぁ……ンっ」
これは治療なのに、こうして気持ちよくなってしまう自分が嫌だった。
毎晩同じ行為を繰り返しているのに、この感覚は慣れるどころか、身体がいい場所や行為を覚えてしまうだけで逆効果だ。
「紫紺、もっと……ッ」
無意識に「もっと欲しい」とねだってしまう。
今日の治療も快楽に溺れ続けることになりそうだった。
◇
きゅう、と獣のか細い鳴き声が聞こえた。
アロイヴは意識を取り戻す。すぐに鳴き声の主を探した。
そこは、知らない森の中だった。
アロイヴが今まで行ったことのあるどこの森とも植生が違う。黒い土に深い紫色の木々、どこか毒々しい色合いの森の中、アロイヴは一人きりだった。
「紫紺……?」
いつも隣にいるはずの紫紺の姿は見当たらなかった。
アロイヴが名前を呼んでも、現れる様子はない。
「さっきの……声」
先ほど聞こえた獣の声。
それは小さい獣の姿のときの、紫紺の声に似ていなかっただろうか。
「紫紺!!」
急に心配になり、名前を呼びながら、声の聞こえたほうに駆け出す。
そこで違和感に気づいた。
「……僕の身体、透けてる?」
アロイヴの身体は実態ではなかった。
そしてすぐに気がつく。これは夢なのだと。
その証拠に、生い茂る木々にアロイヴが触れることはできなかった。おかげで障害物も関係なく、まっすぐ声の下に駆けつけることができる。
「……っ、紫紺!」
声の主はすぐに見つかった。
開けた空間の真ん中で、ぽつんと転がる小さな黒い獣がいる――やはり、紫紺だ。
紫紺はひどく弱っているように見えた。
「どうして、紫紺……っ、あ」
触れようとしたアロイヴの手は、紫紺の体をすり抜けてしまった。これは夢だと気づいたはずなのに、アロイヴは紫紺に触れられないことに慌てる。
きゅうきゅうとか細い声で泣き続ける紫紺は、今にも死んでしまうのではないかと思うぐらいに弱りきっていた。
それなのに、何もできないなんて。
「夢なら、早く覚めて……お願いだから」
こんな光景、夢であっても見たくない。
アロイヴは必死に目を覚めようとしたが、夢から抜け出す方法はわからなかった。
その間にも、紫紺の声はだんだん小さく、弱々しくなっていく。
『なぜ――』
突然、後ろから声が聞こえた。
感情のこもらない低い男性の声だ。
振り返ると、少し離れたところに黒いローブを纏った人が立っていた。
フードを目深に被っているので顔は見えない。
唯一、ローブの袖口から覗く真っ白な指がアロイヴと同じように透けているのだけはわかった。
その動きはゆらゆらとどこか不安定で、まるで幽霊のようだ。
「誰……?」
『なぜ、そこまでして――』
黒いローブの男に、アロイヴの声は届いていないようだった。
姿も見えていないのかもしれない。
なぜ、と何度も独り言のように呟きながら、こちらに近づいてくる。
男は、アロイヴのすぐ横を通り過ぎた。
その瞬間にも、男の顔を見ることは叶わない。
指先が見えていなければ、ローブの中は何もいないのではないかと錯覚してしまうぐらい、ローブの中に人の気配は感じられなかった。
男はゆったりとした足取りで、地面に倒れる紫紺に近づく。
『……なぜだ』
そう話しかけながら、紫紺の体に向かって手を伸ばした。
その姿がまるで死神のように見えて――アロイヴは触れられないことも忘れて、自分も紫紺に向かって慌てて手を伸ばす。
その手が、ローブの人物の手と触れた。
「え……っ」
一瞬、何かが流れ込んできた気がした。
そして、自分からも何かが流れ出たような感覚も。
ローブの人物の顔が動く。あちらにアロイヴのことは見えていないはずなのに、それは明らかにこちらに気づいたような動きだった。
『――――』
何を言われたのか、わからなかった。
ただ、空気の振動は感じた。
身体を強い風が吹き抜けたような感覚がしたのと同時に、その場から弾き飛ばされる――そこで、目が覚めた。
◇
「っ、紫紺!」
目を覚ましたアロイヴは、真っ先に紫紺の名前を呼んだ。
こちらを見上げている紫の瞳と目が合って、ほっと安堵の息を漏らす。
「よかった……やっぱり、夢だよね?」
弱りきった紫紺なんて見たくない。
あんなのは、ただの夢だ。
すぐに忘れたいと思うのに、ついさっきまで見ていた光景が目に焼きついて離れない。つらそうに鳴く紫紺の声が、ずっと耳に残っていた。
「紫紺、抱きしめて……お願い。痛いぐらいでもいいから」
早くあんな夢忘れたい。
生きている紫紺のぬくもりで上書きしたい。
紫紺に命じながら、アロイヴも紫紺の身体に力いっぱいに抱きつく。今日はこのまま、ずっと紫紺から離れたくない。
離れられる気がしなかった。
202
お気に入りに追加
651
あなたにおすすめの小説
【完結】もふもふ獣人転生
*
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。
ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。
本編完結しました!
おまけをちょこちょこ更新しています。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
婚約破棄された悪役令息は従者に溺愛される
田中
BL
BLゲームの悪役令息であるリアン・ヒスコックに転生してしまった俺は、婚約者である第二王子から断罪されるのを待っていた!
なぜなら断罪が領地で療養という軽い処置だから。
婚約破棄をされたリアンは従者のテオと共に領地の屋敷で暮らすことになるが何気ないリアンの一言で、テオがリアンにぐいぐい迫ってきてーー?!
従者×悪役令息
魔力ゼロの無能オメガのはずが嫁ぎ先の氷狼騎士団長に執着溺愛されて逃げられません!
松原硝子
BL
これは魔法とバース性のある異世界でのおはなし――。
15歳の魔力&バース判定で、神官から「魔力のほとんどないオメガ」と言い渡されたエリス・ラムズデール。
その途端、それまで可愛がってくれた両親や兄弟から「無能」「家の恥」と罵られて使用人のように扱われ、虐げられる生活を送ることに。
そんな中、エリスが21歳を迎える年に隣国の軍事大国ベリンガム帝国のヴァンダービルト公爵家の令息とアイルズベリー王国のラムズデール家の婚姻の話が持ち上がる。
だがヴァンダービルト公爵家の令息レヴィはベリンガム帝国の軍事のトップにしてその冷酷さと恐ろしいほどの頭脳から常勝の氷の狼と恐れられる騎士団長。しかもレヴィは戦場や公的な場でも常に顔をマスクで覆っているため、「傷で顔が崩れている」「二目と見ることができないほど醜い」という恐ろしい噂の持ち主だった。
そんな恐ろしい相手に子どもを嫁がせるわけにはいかない。ラムズデール公爵夫妻は無能のオメガであるエリスを差し出すことに決める。
「自分の使い道があるなら嬉しい」と考え、婚姻を大人しく受け入れたエリスだが、ベリンガム帝国へ嫁ぐ1週間前に階段から転げ落ち、前世――23年前に大陸の大戦で命を落とした帝国の第五王子、アラン・ベリンガムとしての記憶――を取り戻す。
前世では戦いに明け暮れ、今世では虐げられて生きてきたエリスは前世の祖国で平和でのんびりした幸せな人生を手に入れることを目標にする。
だが結婚相手のレヴィには驚きの秘密があった――!?
「きみとの結婚は数年で解消する。俺には心に決めた人がいるから」
初めて顔を合わせた日にレヴィにそう言い渡されたエリスは彼の「心に決めた人」を知り、自分の正体を知られてはいけないと誓うのだが……!?
銀髪×碧眼(33歳)の超絶美形の執着騎士団長に気が強いけど鈍感なピンク髪×蜂蜜色の目(20歳)が執着されて溺愛されるお話です。
身代わりになって推しの思い出の中で永遠になりたいんです!
冨士原のもち
BL
桜舞う王立学院の入学式、ヤマトはカイユー王子を見てここが前世でやったゲームの世界だと気付く。ヤマトが一番好きなキャラであるカイユー王子は、ゲーム内では非業の死を遂げる。
「そうだ!カイユーを助けて死んだら、忘れられない恩人として永遠になれるんじゃないか?」
前世の死に際のせいで人間不信と恋愛不信を拗らせていたヤマトは、推しの心の中で永遠になるために身代わりになろうと決意した。しかし、カイユー王子はゲームの時の印象と違っていて……
演技チャラ男攻め×美人人間不信受け
※最終的にはハッピーエンドです
※何かしら地雷のある方にはお勧めしません
※ムーンライトノベルズにも投稿しています
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした
ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!!
CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる