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45 従魔術
しおりを挟む「紫紺……落ち着いて」
獲物を見据える目つきでこちらを見下ろす紫紺は、どう見ても普通の状態ではなかった。
恐ろしさで震えは止まらないが、アロイヴはなんとか気持ちを奮い立たせて、なるべく静かな声色で紫紺に語りかける。
だが、変化はなかった。
紫紺の瞳孔が妖しげな金色に煌めいている。喉から聞こえる威嚇音と口元に覗く鋭い牙が、こちらへの敵意を示していた。
紫紺の手には、これまで魔獣を容赦なく屠ってきた漆黒の双剣が握られている。
その刃はアロイヴの首に突きつけられていた。
――迂闊に動くのは、危険だ。
なぜ紫紺がこんな風になってしまったのか、理由はわからない。
今となって思えば、少し前から様子はおかしかった気はするが……それでも、特に気に留めるほどではなかったのに。
――いや……そんなことより、今はこの状況をどうにかしないと。
このままでは、最悪の結果もあり得る。
――そのためには、まず。
アロイヴは、サクサハの立っているほうを見た。サクサハもこちらの様子を伺っていたらしく、二人の視線が絡む。
アロイヴはサクサハに向かって、首をわずかに横に振った。これで伝わるか心配だったが、サクサハはすぐに頷いてくれた。
今は迂闊に動かないほうがいいと、サクサハもわかっていたらしい。アロイヴが今すぐに手助けを必要としていないことも察してくれている気がした。
それでも、アロイヴが本当に危険になれば、サクサハは即行動に移すだろう。
――でも、そうはならない。
アロイヴは紫紺に視線を戻した。
紫紺のことは信じている。
鋭く刺さる敵意を向けられて怖くないわけがなかったが、紫紺が自分を害することは絶対にあり得なかった。
根拠だってある。
――僕を本気で殺すつもりなら、一瞬でできたはずだ。僕がまだ生きてるのは、紫紺にそうする気がないか……やりたくないと思ってるからだ。
とはいえ、向けられている殺意が本物であることに変わりはなかった。
――……どうしよう。
この状況を打開する方法はあるだろうか。
アロイヴは必死で考えを巡らせる。
一度でも判断を誤れば、大変なことになってしまうのは想像に難くない。
――状態異常の玉は、無効化の腕輪をつけてる紫紺には効果がないからだめだ。転移玉で僕がここから逃げるのも違うだろうし……かといって、正面から戦っても勝てるわけがない。
正直、手詰まりに思える。
それでも、アロイヴは諦めたくなかった。
次第に大きくなる紫紺の唸り声に焦りを覚えながらも、これまで学んだことの中にヒントはないか、必死に考えを巡らせる。
――もしかして、あれなら……使える?
一つ、思いついたことがあった。
この方法ならば誰も傷を負うことなく、紫紺を止められるかもしれない。
――でも、初めてで……ちゃんとできるかな。
アロイヴにあるのは知識だけだ。
一度も試したことのない方法を、練習もなしにやってうまくいくのだろうか。
――やるしか、ない。
すぐに決断したのは、武器を持つ紫紺の手が震えていることに気づいたからだった。
紫紺も必死で自分と戦っている。その限界が近いのかもしれない。
やるなら、今しかなかった。
「…………」
アロイヴはゆっくりとした動作で、自分の胸に手を当てた。
その下にあるのは、紫紺が刻んだ従魔印だ。
印に向かって魔力を流す。
そこから肺に魔力を行き渡らせるイメージをしながら、吸い込んだ息に魔力を乗せた。
「――〈紫紺、武器をしまって。僕の上から退くんだ〉」
アロイヴの言葉を聞いて、紫紺はすぐに動いた。
魔法で作り出した漆黒の双剣を消し、アロイヴの上から退く。その表情からは、先ほどまでの険しさが消えていた。
「……うまく、いった?」
アロイヴが使ったのは、従魔の契約を結んだ主だけが使える、相手を従わせる魔法だった。
従魔術書に書かれていた方法だ。
実際に使うことはないと思いながらも、やり方だけは頭に入れておいてよかった。
「紫紺」
「まだ近づかんとき」
「……サクサハ」
無表情で立ち尽くす紫紺に近づこうとしたアロイヴを、駆け寄ってきたサクサハが短く制止した。
サクサハは代わりに紫紺の前に立つと、魔法を使って紫紺の身体を調べ始める。すぐに何かわかったのか、魔力を収めて、小さく溜め息をこぼした。
「完全に油断しとったわ。ちょっと考えたらわかることやのに……」
サクサハは悔しそうに呟きながら、こちらを振り返る。アロイヴは紫紺とサクサハの顔を交互に見つめた。
「どうして紫紺がおかしくなったのか……サクサハには原因がわかったの?」
「魔素の影響や。さっき確認したから間違いない。狐くんも魔獣やって知っとったのに……他の魔獣に異変があった段階ですぐに気づくべきやったわ」
「魔素の、影響……」
言われてみれば納得だった。
最近、魔素の量が増えているせいで魔獣の生態に異常が起こっている。
アロイヴもそれは聞いて知っていたのに、紫紺の異常行動と魔獣の異変が関係があるとは微塵も思っていなかった。
「紫紺、治るんだよね……?」
「大丈夫やで。狐くんはロイと魔力が繋がっとるからな。二人の間で魔力を循環させれてば、魔素の持つ有害な成分は消せるはずや」
「よかった……」
アロイヴは気が抜けて、思わずその場に座り込んでしまった。
もし、このまま紫紺が元に戻らなかったら――アロイヴには、それが一番怖かったからだ。
「にしても、さっきのすごかったやん。あれが従魔術なん?」
「うん、そう。本に書いてあったとおりにやっただけだけど……うまくいってよかった」
「初めて使たん?」
「紫紺に使う必要はなかったし、これからも絶対に必要はないと思ってたんだけど……」
アロイヴは紫紺を見た。
従魔術で命令したアロイヴの言葉を守っている紫紺は、感情がないみたいに無表情だ。
先ほどまでのような獰猛な姿も見たくなかったが、今の表情をあまり見ていたいものではない。
「これ……今、解くのはまずいよね?」
「せやな。魔素の影響を取り除くまでは、このままのほうがええやろな。さっきだって、狐くんが暴れ出すんは時間の問題やったしな。よう耐えたと思うわ」
「あれってやっぱり、紫紺が頑張って耐えてたから、僕は助かったんだよね?」
「せやと思うよ。ほら、そんな泣きそうな顔せんときって。全員、なんともなかってんから」
眉を下げて笑ったサクサハが、アロイヴの頭を撫でた。
アロイヴもここで泣くまいと必死で涙を堪えていたが、そのときの紫紺の気持ちを想像するだけで目頭が熱くなってくる。
口元を押さえて下を向くと、あふれた涙が頬を伝った。
「……ごめん。泣くつもりなんか」
「ええよ……っと」
サクサハが不自然に体勢を崩す。
頭を撫でていた手が離れ、代わりに誰かがアロイヴの肩を支えていた。
「……え、紫紺?」
「あはは。そんな状態でもロイのことは譲れへんのか。さすがやな、狐くん」
紫紺だった。
従魔術に縛れた状態で表情はないままだが、アロイヴを守ろうとする腕の力強さはいつもと変わらない。
そのあたたかさもだ。
「紫紺……すぐに気づいてあげられなくて、ごめんね」
こつん、と額同士が優しく触れ合う。
こんなときでもアロイヴを気遣い、大丈夫だと言ってくれているみたいだった。
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