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43 黒い魔剣
しおりを挟む「魔獣、本当に増えてるね」
採取依頼しか受注していないアロイヴにもわかるほど、魔獣の数に変化が起こっていた。
サクサハから魔獣が増えていると聞いたときはそこまで変化を感じていなかったのに、最近では目に見えて魔獣の数が増えてきている。それも大物ばかりだ。
逆に、小さな魔獣を見かけなくなっていた。
魔素の影響で、生態系が狂い始めているのかもしれない。
「この魔獣も、この辺りが縄張りじゃないはずなのに……それに、なんだか様子もおかしかったし」
アロイヴは足下に転がる魔獣の死体を見下ろす。
さっき倒したばかりの〈青炎虎〉と呼ばれている魔獣だ。名前のとおり、虎によく似ている。
青炎虎の縄張りは、今アロイヴたちがいる森ではなく、森を抜けた先にある岩場だと聞いていたのに、まさかこんな森の浅い部分で遭遇するとは思わなかった。
強さはそれほどではなかったので苦戦せずに倒せたものの、遭遇するなり、いきなり飛びかかってきたのには驚いた。
反射的に展開した防御魔法のおかげで、鋭い爪の餌食となるのは避けられたが、その瞬間のことを思い出すと、ひゅっと胸の辺りが冷たくなる。
だらだらと涎を垂らし、呼吸を荒げ、血走った目でこちらを睨みつける魔獣の様子は明らかに異常だった。
そんな魔獣にいきなり襲われたのだから、恐怖を覚えないわけがない。
「この青炎虎、図鑑で見たサイズよりも大きいし……これも魔素の影響なのかな」
手だけでもアロイヴの顔ほどの大きさがあるこの青炎虎は、普通のサイズではなかった。
魔獣の数が増えているのもそうだが、様子がおかしかったり、体が普通より大きかったりと、個体の異常が多いのがどうも気になる。
アロイヴには、それらにも魔素が影響しているとしか思えなかった。
「イヴ」
「あ、ごめん。次はそっちだね」
今は倒した青炎虎から素材を採取しているところだ。自分から手伝うと言ったのに、考え込んで手が止まってしまっていた。
魔獣の素材はギルドで換金できる。
青炎虎なら魔力を通しやすい爪や牙、炎に強い毛皮などが買い取り対象だ。
紫紺に任せておいたほうが早く終わる作業だが、刃物の扱いに慣れるためにアロイヴもできるだけ手伝うことにしていた。
血の臭いで気持ち悪くなってしまわないよう、顔の周りに防御魔法を展開させてから紫紺の横に立つ。
「……やっぱり、この感触は慣れないなぁ」
解体用のナイフをポーチから取り出して、早速作業に取りかかる。
臭いを遮断していても、手から伝わってくる肉を切る感触は何も変わらない。アロイヴはまだ慣れそうにない不快感に顔を歪めながら、ナイフの刃を魔獣の手の部分に突き刺した。
「結構、硬いな……」
カルカヤが勧めてくれたナイフでも、なかなか刃が通らない。
このナイフは魔剣だ。魔力を流せば切れ味が上がるものなのに、それでも魔獣の肉は硬くてなかなか刃が入っていかない。
――紫紺はあんなに軽々傷つけてたのに。
腕力の差だろうか。
横で魔獣の体を押さえてくれている紫紺の腕へ視線を向ける――ほんの少し、気が散った瞬間だった。
「あ――ッ」
ナイフを持つ手がぶれた。
青炎虎の爪を剥ぐため、力いっぱい突き立てようとした刃先が硬い爪に当たって滑る。勢いがついたまま、ナイフの鋭い刃先がアロイヴの太腿に向かってきた。
――っ、刺さる!
思わず、目をぎゅっと瞑る。
「痛ッ……く、ない」
衝撃も痛みも、何も襲ってこなかった。
おそるおそる目を開けると、刺さる寸前で止まっているナイフの刃先が見える。
紫紺の手が、アロイヴの手首を掴んでいた。
「イヴ……」
耳元で紫紺の声がした。
心配するような響きの中に、呆れたような響きが混ざって聞こえたのは気のせいだろうか。
「う……ごめん」
謝ったのに、紫紺にナイフを取り上げられてしまった。自分の不注意で危うく大怪我するところだったので、「返して」とも言えない。
返してもらったところで、またすぐに同じ作業ができるとも思えなかった。
「びっくりした……」
まだ手が震えている。
無意識に、さっきナイフが刺さりそうになった太腿に指先を滑らせていた。
紫紺が止めてくれなければ、ここに深々とナイフが突き刺さっていただろう。想像しただけで、背筋にぞくりと寒気が走る。
「イーヴ」
あっという間に魔獣の素材を採取し終えた紫紺が、呆然と立ち尽くすアロイヴに下に戻ってきた。
甘えたような声でアロイヴを呼びながら、ぴとりと身体を寄せてくる。いつものように褒めてほしくてそうしているのかと思ったが、今日の紫紺は違った。
大きな手で、わしゃわしゃとアロイヴの頭を撫でてくる。反対の手を腰に回し、腕の中にアロイヴを抱き寄せた。
ぽんぽんと背中を優しく叩く仕草は、子供をあやす親のようだ。
「もしかして……慰めてくれてるの?」
アロイヴの問いに、紫紺はこくりと頷いた。
穏やかに目を細めて笑って、もう一度、アロイヴの頭を撫でる。
「ごめん……今度から気をつけるね。さっきは助けてくれてありがとう」
言い忘れていた礼を言って、アロイヴからも紫紺の身体に抱きつく。触れ合ったところから感じる紫紺の鼓動のおかげで、気分が落ち着くのがわかった。
◇
夕食後、アロイヴは机に向かって今日の反省点を書き出していた。
紫紺は許してくれたが、大失敗をやらかしてしまったことに変わりはない。今回は完全に自分の不注意だったが、失敗を悔やみ続けるよりも、繰り返さないようそこから学ぶほうが大事だ。
「刃物を持っているときに気を散らさないって……当たり前のことだけど」
あのときの自分はどれだけ気が緩んでいたのだろう。
ノートに今日の反省を書き終えたアロイヴは、ポーチからナイフを取り出した。今日使ったものだ。
ナイフを鞘から抜き、魔力を流してみる。
青白く発光する刀身を眺めていると、食器を片付け終えた紫紺がこちらに近づいてきた。
「食器、片付けてくれてありがとう」
紫紺は首をふるふると横に振り、アロイヴの隣に立つ。おもむろにナイフを握るアロイヴの手に、自分の手を重ねた。
手の甲に紫紺の魔力を感じる。
「え、ちょっと……これ」
刀身の色が変わっていた。
黒に染まったその刃の色には見覚えがある。紫紺がいつも使っている双剣と全く同じ色だ。
「……紫紺の魔力の色だよね、これ」
紫紺が手を離しても、刃の色は元に戻らなかった。
一時的に魔力を流しただけではなく、大量の魔力を魔剣に注ぎ入れたらしい。
「……でも、これじゃ僕には使えないんじゃ」
魔剣というのは、魔力を注いだ者にしか使えない特殊な武器だ。紫紺の魔力に染まったナイフはもう紫紺にしか使えない。
アロイヴのその呟きに、紫紺は首を横に振った。
机の上に置いてあったアロイヴのノートを手に取ると、ぱらぱらとページを捲る。それはさっきまでアロイヴが反省を綴っていたノートとは別のノート――これまで読んだ本の内容で気になったことを書き留めてある、いわゆる勉強ノートだ。
紫紺が目当ての箇所を見つけ、そこを指差した。
「『主は従魔の魔力を扱うことが可能』……って、これ」
それは前に従魔術について書かれた本を読んだときに、気になって書き留めた内容の一つだった。
ここでいう〈主〉とは、従魔の契約印が刻まれた相手――紫紺にとって、アロイヴを指している。
「もしかして……僕には、紫紺の魔力が宿った魔剣が使えるってこと?」
紫紺が頷く。
アロイヴは慌ててポーチから食材として買ってあった魔獣の肉を取り出した。
その肉に、そっとナイフの刃を当てる。
「え、嘘……すごい切れ味」
驚くほどの切れ味の変化に目を丸くした。
「本当にすごいよ、これ! あ、でも……もし、今日みたいな失敗をしたときに危ないんじゃ」
今日と同じ失敗を二度とするつもりはないが、もしうっかり手を滑らせてしまった場合、このナイフの切れ味だと大怪我をしてしまうのではないだろうか。
――ナイフを使うときは防御魔法を使うとか? いや……効率悪すぎだよね。
あれこれ考えていたときだった。
紫紺が素早い動作でアロイヴの手からナイフを奪う。一瞬も躊躇うことなく、自分の手の甲にそのナイフを突き立てた。
「うわぁっ!! 何してるの、紫紺!」
慌てるアロイヴとは対照的に、紫紺は顔色ひとつ変えていない。
涼しい表情でナイフを抜き取ると、手の甲をアロイヴに見せつけた。
「……どうして、なんともないの?」
間違いなく刺さっていたはずなのに、そこに傷はなかった。血も出ていない。
「え……手品?」
紫紺は首を横に振る。
今度はアロイヴにナイフを握らせると、刃の先端に指先を当てた。ナイフの刃は指先に刺さっているようにしか見えないのに、紫紺の指に傷はつかない。
「もしかして……」
アロイヴも同じように指先を刃に近づける。触れようとしてみたが、ナイフの刃がアロイヴの指に触れることはなかった。
確かにそこにあるのに、どうやっても触れない。
「これ……僕たちには触れない刃ってこと?」
信じられない現象に、アロイヴは口をぽかんと開いたまま、目をぱちぱちと何度も瞬かせた。
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