【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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40 訓練の日々

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 紫紺と一緒ならよく眠れる。
 落ち込み気味なときでも隣に紫紺がいてくれるだけで、アロイヴの安眠は約束されていた。
 今も、ふわふわと心地よい眠気がアロイヴを眠りの世界に誘おうとしている。それに少しだけ抗いながら、アロイヴは隣で先に寝息を立てている紫紺の横顔を見つめた。

 ――こんな風に落ち着くのは、魔力が繋がってるおかげだって、サクサハが言ってたっけ。

 ユマモナの花の効果で、今もまだアロイヴと紫紺の魔力は繋がりやすい状態だった。常に繋がっているわけではないが、近くにいると二人の魔力は自然と繋がってしまうらしい。
 魔力は、精神の乱れに影響されやすい。
 逆に魔力が安定していれば、精神も安定しやすくなるという話だった。
 サクサハ曰く、紫紺の魔力は大樹の幹のようにどっしり安定しているのだそうだ。そんな紫紺の魔力と繋がることで、細く揺らぎやすいアロイヴの魔力も安定し、精神的にも落ち着くのだろうというのが医術師であるフィリの見解だった。
 紫紺がアロイヴの転移酔いを治せたのも、その効果の一つのようだ。

 ――キスする必要は、あったのかな。

 あのときのことを思い出すと、今もまだ恥ずかしくなってしまう。
 キスの前に優しく頬を撫でてきた紫紺の手つきや、こちらを窺うように覗き込んできた穏やかな深い紫色の瞳。
 触れ合うまでは恥ずかしくて逃げ出したいのに、いざ唇同士が触れたら、どうやっても止まれなかった。アロイヴも夢中で紫紺の舌に自分の舌を絡めてしまったほどだ。

「ん……っ」

 気持ちよさを思い出した身体が、ふるりと震えた。
 漏れてしまった声を誤魔化すようにシーツに顔をうずめると、そこから香った紫紺の甘い匂いに、身体がさらに熱を持つ。
 とくとくと脈打ち始めたのはへその辺り――紫紺と魔力で繋がっている場所だ。

「……ぁ、ッ」

 そこから紫紺の魔力が流れ込んでくるのがわかる。
 全身が一気にあたたかくなり、アロイヴは急激な眠気に襲われた。
 この眠気には、どうやっても抗えない。

「イヴ、――」

 遠くで紫紺の声が聞こえた気がしたが、意識を留めることは叶わなかった。


   ◆


 毎日訓練ばかりをしているわけにはいかない。
 二人分の生活費を稼ぐためには、ギルドで定期的に依頼をこなす必要があった。
 午前中に探索者の仕事を済ませて、午後の時間はなるべく勉強に充てる。今は身体を動かす訓練より、本を読んで知識を蓄える時間のほうを多く取るようにしていた。

「ちゃんと学んでいるようだな」

 カルカヤに戦い方を学び始めてから、あっという間に一か月が経っていた。
 忙しい人なので、こうして直接会って教わるのはまだ四度目だが、そのたび新しく知ることがたくさんある。カルカヤの教え方は、アロイヴによく合っているようだった。

「この本、すごくわかりやすかったです」
「ボクが選んだ本だからな。一冊読んだだけで、魔獣について詳しくなれただろう?」
「はい。こっちの魔法の本もすごく面白かったです」

 カルカヤから借りた本は魔獣の本だけではなく、魔法について書かれている本もあった。
 難しい専門書ではなく、楽しんで学べる本を選んでくれたのは、魔法に対して苦手意識を持つアロイヴを思ってくれてのことだろう。苦手だと話したわけではないのに、カルカヤの洞察力は本当に鋭い。

「人間の子供向けに書かれたものだが、魔法の基礎についてしっかり書かれているいい本だろう? ボクはこの著者が気に入っているんだ」
「書いてる人も人間ですよね?」
「そうだよ。とんだ魔法馬鹿だが、そこがいいんだ」

 ――知り合いなのかな?

 アロイヴとも人間の町で出会ったカルカヤだ。他に人間の知り合いがいてもおかしくはない。
 情報収集も兼ねているのだろうが、カルカヤは人間と関わるのが好きなようだった。

「じゃあ、今日は魔法を教えようか」
「え……」
「なんだ。少しは興味が湧いたんじゃないのか?」
「興味はありますけど……やっぱり、ちょっと」

 これまでどれだけ教えてもらってもできなかったことへの苦手意識は、そう簡単に拭えるものではなかった。
 不安に眉根を寄せたアロイヴを見て、カルカヤはなぜか愉しそうに笑っている。

「ところで、キミの魔力の系統はなんだ?」
「系統……?」
「魔力には系統があると、その本にも書いてあっただろう」
「あ、はい。生まれ持った魔力の系統によって、うまく扱える魔法が異なるんですよね?」
「そうだ。まさかとは思うが、あの二人……魔力の系統も確認せずに、キミに魔法を教えたのか?」
「…………」

 そのとおりだが、頷くのには少し勇気が必要だった。
 こちらを見るカルカヤが軽蔑するような表情を浮かべていたからだ。今も呆れたように溜め息をついている。

「だから、天才というのは嫌いなんだ。いや……あの二人はただの馬鹿か? 耄碌したのか? ああはなりたくないものだな」

 カルカヤの口から、フィリとサクサハを罵倒する言葉が次々と飛び出してくる。
 アロイヴは何も聞いていない振りをした。

「……まあいい。じゃあ、これに手をかざしてくれるか?」

 カルカヤはすぐに切り替えると、腰にぶら下げたポーチから手のひらに乗るぐらいの小さな機械を取り出した。カルカヤのポーチも、アロイヴが持っているのと同じ収納の魔道具のようだ。
 取り出した機械には、台座の上に小指の先ほどの魔石がついている――おそらくは、これも魔道具なのだろう。

「これが魔力の系統を調べる魔道具ですか?」
「ああ。前に魔石の鑑定鏡を見せただろう? あれと似た仕組みでな、系統の鑑定に特化したものだ」
「そういえば、あの鑑定鏡もカルカヤさんが作ったんですか?」
「いや、違う。あれはボクへの貢ぎ物だ」

 ふふん、と笑ったカルカヤだが、それ以上は教えてくれそうになかった。「ほら、早くしろ」と急かされ、アロイヴは魔術具の魔石に手をかざす。

「変わった系統の魔力だな。攻撃魔法がうまく扱えないのは納得だ。キミは防御特化らしい」
「防御ですか?」
「試してみたほうが早い。魔力操作はできるんだったな。手のひらに魔力を集中して――そう。自分を守るイメージをしながら、手のひらを前に出してみろ」

 ――自分を守るイメージ……壁とか、そんな感じかな?

 言われたとおり、イメージしながら手のひらを前に向ける。
 パシッと高い音が響いた。
 アロイヴの目の前に透明な壁が現れる。

「え……」
「一度で成功するとはな」
「これが、防御魔法?」

 魔法が成功したことに戸惑うアロイヴをよそに、カルカヤはその強度を確かめているようだった。
 コツコツと拳をぶつけた後、前置きもなく、壁に向かって炎の攻撃魔法を放つ。

「わ……っ!」
「悪くないな。これなら使えそうだ」

 そう言いながら、次々に魔法をぶつけてくる。手加減も容赦も全くない。
 壁に細かいヒビが入り始めたのに気づいて、アロイヴは防御魔法を新たに展開した。このまま、訓練に突入する可能性が高いと気づいたからだ。
 カルカヤの訓練はいつも唐突に始まる。

「ほう。やる気があるのはいいことだ」
「……っ」

 不穏な笑みを浮かべるカルカヤに、アロイヴは今日も寒気を覚えた。




 突然始まった防御魔法の訓練は、アロイヴの魔力が空っぽになるまで続けられた。その場からほとんど動かずに攻撃を受け続けただけなのに、体力まで底をついてしまっている。
 カルカヤに渡された魔力回復薬をちみちみと飲みながら、アロイヴは壁にもたれて座り込んでいた。

「魔法だけでなく、物理にも有効とはな」
「……紫紺の攻撃だと、二回が限界でしたけど」
「狐くんは攻撃は規格外だからな。二度も耐えられたなら上出来だ」

 強度の確認は、カルカヤの魔法攻撃だけでなく紫紺の物理攻撃でも行われた。
 防御魔法があるといっても紫紺の本気の一撃を正面で受けるのは恐怖でしかなかったが、限界を知れたので結果的にはよかったのだろう。

「課題はまだあるが、この辺りの魔獣を相手にするなら問題ないだろう。弱体化の魔道具とも組み合わせれば、そのうち、キミだけでも魔獣を狩れるんじゃないか?」
「……そんな冒険をするつもりはないですけど」
「だろうな。それでも戦い方を知っておくに越したことはないだろう?」

 確かにカルカヤの言うとおりだ。
 戦い方を身につけておかないと、いざというときに動けない。基本は紫紺と連携で戦うとしても、自分一人で戦う場面が絶対ないとはいえないのだから必要なことだ。

「頑張ります」
「そうしてくれ。狐くんは命を懸けてでもキミを守るだろうが、キミがそれを望まないのなら、そう願う相応の力をつけることだ」

 こくり、と頷く。
 アロイヴの真剣な表情を見て、カルカヤは満足そうに笑った。

「これなら、あとはサクサハに任せても平気かな」
「え……どうしたんですか、急に」
「気になる依頼が入ったんだ。他に任せるより、ボクが行ったほうがよさそうな内容でね。しばらく街を離れることになりそうなんだ」

 カルカヤはそう言うと、パチンと指を鳴らした。
 三人の周りを囲うようにドーム状の半透明の壁が現れる。防御魔法で出した壁に似ているが、それより厚みがない。

「音を遮断する魔法だ。今回の依頼はキミにも関係があることだから、少し話しておこうと思ってね」
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