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35 サクサハの兄
しおりを挟む外観から想像はついていたが、探索者ギルドの中はかなりの広さがあった。
入ってすぐのロビーは、大勢の探索者たちで賑わっている。ここで依頼の受注や報告を行っているらしい。
アロイヴは入り口近くで足を止め、キョロキョロと辺りを見回した。
ここからどうすべきか迷っていると、中央にあるカウンター横に立っていた魔族がアロイヴのほうに近づいてくる。
見上げるほどに背が高い、褐色肌に浮かび上がる鱗が特徴的な魔族の男だった。名札らしきものを身につけているところを見ると、どうやらギルド職員のようだ。
男はすぐ近くに立つと、じっとアロイヴを見下ろした。
「こっちだ」
短くそう言うと、男はすぐに踵を返して歩き始めた。
――今の、僕に言ったんだよね?
動く壁のような背中を、慌てて追いかける。
男は中央のカウンターの横を通り過ぎると、ロビーの右奥にある階段へと向かった。そこから三階へ上がり、長い廊下の突き当たりまで進む。
立派な両開きの扉の前で、ぴたりと足を止めた。
「ここだ。入れ」
男はまたしてもぶっきらぼうにそう言うと、役目を終えたとばかりにあっさりと立ち去ってしまう。あまりにあっという間の出来事に、お礼を言う暇さえなかった。
アロイヴは、目の前の扉と隣に立つ紫紺の顔を交互に見つめる。
「……入って、いいんだよね?」
紫紺はその問いに頷くと、緊張で動けないアロイヴの代わりに応接室の扉を叩いた。
すぐに中から、「どうぞ」と若い男性の声が返ってくる。
「失礼します……」
片側の扉をそろそろと押して、隙間からそっと部屋の中を覗く。正面奥の窓辺に腰掛けている人影が見えた。
部屋の中には、その人しかいないようだ。
燃えるような赤髪の青年だった。
頭の高い位置で一つに束ねた髪が立派なたてがみのようだ。額にサクサハと同じ、白い二本の角が生えている。サクサハのものより長く、少し内側に曲がった角だ。
人間でいうと二十代前半ぐらいだろうか。
人好きのする顔立ちは、サクサハと似ている気がした。
――この人が、サクサハのお兄さん?
「やあ、少年。また会ったな」
「?」
視線に気づいた青年から、いきなり声を掛けられた。
にこやかな表情で親しげに話しかけられ、アロイヴは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「そんなところで立ち止まってないで、早く入ってきなよ。せっかく入れたお茶が冷めちまうだろ」
「あっ、はい」
念のため、紫紺が相手を警戒していないことを確認してから部屋の中へと入った。
中央にあるテーブルのところまでくると、用意されていたお茶から立ちのぼる甘やかな香りがアロイヴの鼻をくすぐる。紫紺もその匂いが気になるのか、すんすんと鼻を鳴らした。
「前に見たときより、いい顔つきになったな」
青年は近づいてくるなり、そう言った。
目を細め、観察するようにアロイヴの全身を眺めている。
――どこかで会ったっけ?
青年の口ぶりからして初対面ではないようだ。
しかし、アロイヴにこの青年と会った記憶はない。
――ここまで印象の強いの人、一度見たら忘れないと思うんだけど。
失礼にならないようにチラチラと青年を見るが、やはり思い当たる人物はいなかった。
アロイヴは首を傾げる。
「あの……どこかでお会いしましたか?」
「なんだ。わかっていないのか」
「え、っと……?」
やはり、どこかで会ったことがあるらしい。
「性別が違うだけで、そんなにわからないものか? それ以外に大きく変えたところはないんだけどな」
「性別? ……あっ!!」
思わず、大きな声が出てしまった。
性別が違う相手なら、一人だけ思い当たる人物がいる。その人も彼と同じ、燃えるような赤い髪をしていた。
「もしかして……カルカヤ、さん?」
思いついた名前を口にしたものの、正直なところ自信はなかった。
なんせ、二人の共通点は髪の色ぐらいのものだ。
だが、その答えに青年がにたりと笑う。
「正解だよ。まさか、こっちの姿でも会うことになるとはね」
「女の人だと思ってたのに」
「化けるのが特技でね。うまいもんだろう?」
特技というレベルは遥かに超えていた。
髪色以外の共通点を見つけるほうが難しい。
「本当に……?」
「信じられないか? 今、ここであの姿になっても構わないが」
「いえ、そういうわけじゃなくて」
信じられないのではなく、混乱しているだけだった。ふるふると首を横に振るアロイヴを見て、青年は愉快そうに笑っている。
屋敷を出て初めて立ち寄ったナルカの町で魔石を売った道具屋の女主人――それがカルカヤだ。
――確かに、話し方と仕草は似てる……かな?
本人がカルカヤで間違いないと言っているのに、まだそんなことを考えてしまう。
頭の整理がうまくついていなかった。
「改めて自己紹介しておこうか。ボクはサクサハの兄、カルカヤだ。探索者ギルドの長をしている。たまに道具屋の店主もな」
「――アロイヴです。こっちは紫紺」
「ロイと呼ばせてもらうよ。この街ではそう名乗るんだろう? そっちの彼は少年の従魔だと聞いたが……確かに、呼べないみたいだな」
「え?」
「なんでもない、こちらの話だ。ふーん……強いというのは間違いなさそうだな。あの魔石の魔物を仕留めたのも彼なんだろ?」
アロイヴが売った魔石に紫紺が関係していると、カルカヤはすぐに気づいたようだ。
別に黙っている必要はない。アロイヴが頷くと「やっぱりな」と言って笑った。
「うちで探索者として仕事をするのは問題ないだろう。むしろ、こちらからお願いしたいぐらいだ。彼ほどの戦力は貴重だからな。それに――」
「?」
ずっと紫紺を観察していたカルカヤが、今度はアロイヴのほうを見た。
瞳に魔力が宿っている。
サクサハと同じ、魔力を〈視る〉力だろうか。
「純粋に、興味深いというのもある」
「……興味、ですか?」
「ああ。ボクは興味でしか動く気がないんだよ。だから、せいぜい楽しませてほしいところだね」
そう言ってカルカヤは不敵な笑みを浮かべる。
手に持っていた〈探索者証〉と書かれた二枚のカードをアロイヴに差し出し、「頼んだよ」ともう一度、念を押すように言った。
◆
「なんや。ロイは兄貴と面識あったんか」
応接室を出てロビーに下りると、待っていたサクサハが駆け寄ってきた。アロイヴから話を聞いて、驚いた表情を浮かべている。
サクサハも、カルカヤから何も聞かされていなかったらしい。
「人間の女の人だと思い込んでたけど」
「兄貴は化けるの上手いからなぁ。しっかし、人間の町でまだそんなことやっとったんやな。今の立場になってからは、大人しくしとんやと思とったのに」
どうやら、元々そういう性格のようだ。
興味でしか動かないと言っていたし、人間の町で人間のフリをしていたのも、そんなカルカヤの楽しみの一つなのかもしれない。
「情報収集も兼ねとんかもしれんけど」
「どういうこと?」
「ロイを追っとる連中のこと調べたんも兄貴やねん。面白そうなことを下に任せんのは嫌なんやって。ほんま、難儀な性格やろ?」
カルカヤらしい気がする。
ちょっと得体の知れなさは残るものの、悪い人ではなさそうだった。紫紺も警戒していなかったし、何よりナルカの町ではアロイヴの力になってくれた人なのだから、疑うところがない。
「何はともあれ、無事に探索者になれてよかったやん」
「うん。サクサハもいろいろ助けてくれてありがとう。フィリさんにも直接お礼言いたかったけど……」
ここにフィリの姿はなかった。
サクサハによると、急用ができて王都の自宅に戻ってしまったらしい。
「フィリも残念がっとったで。大事な患者の急変やなかったから、ギリギリまでおろうとしたんちゃう?」
「間に合ったかな?」
「平気やと思うで。あいつ、あれでも七将の一人やからな。やるときはやるやろし」
「七将?」
「魔王直属の七人の将軍のことやな。オレも昔はその一人やってんで」
「え……ぇえええ!?」
ロビーに響いたアロイヴの叫びに、何事かと周りの視線が集まっていた。
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