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33 呼べない名前

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 ――やはり、前のときと似ている。

 フィリは、目の前で起きていることを冷静に観察していた。
 思い出していたのは、前にアロイヴが魔力暴走を起こしかけたとき――ユマモナの花を使って、従魔の青年がアロイヴを救ったときのことだ。

「なあ、フィリ。お前が前に見た現象って、これとおんなじか?」

 隣からサクサハが話しかけてきた。
 どうやら、サクサハも同じことを考えていたらしい。

「全く同じかどうかはわかりませんが、似ていると思います」
「やっぱ、そうか」

 サクサハにも、前に起こった現象については説明してあった。あのとき、フィリが真っ先に頼ったのがサクサハだったからだ。
 フィリは医術と薬草については詳しいが、魔力について詳しい知識を持つのはサクサハのほうだ。過去に秘匿されたユマモナの効能について教えてくれたのも、このサクサハだった。
 サクサハはこんな子供のような見た目だが、実は五百年以上を生きるフィリよりも長命の魔族なのだ。

「貴方には、どう見えているんですか?」

 サクサハには魔力を見る力がある。〈魔視〉と呼ばれる能力だ。
 魔族の中でも額に白角を持つサクサハの一族に発現しやすい能力だったが、その中でもサクサハの魔視は、ずば抜けて高い精度を誇っていた。

 ――サクサハには、私には見えない何かが見えているはずだ。

 それを示すように、サクサハはずっとアロイヴたちから視線を逸らさない。
 瞳の色が鮮やかに揺らめいているように見えるのは、瞳に魔力を集中している証拠だ。

「おもろいことになっとるで」
「面白いこととは?」
「ロイの反応見てわからん? あの行為がどういうもんか」

 ――アロイヴ様の反応?

 フィリはアロイヴの表情を注視した。
 とろりと蕩けた目元に、紅潮した頬。
 何度も交わした接吻のせいで、緩んだ口元はどちらのものかわからない唾液で濡れている。

「……あれは」
「どう見ても性交やろ。肉体同士で触れ合っとるんは唇だけやけど、魔力は完全に交わっとる。こんなん見たんは初めてや」
「せ、性交!?」
「なんや、初心うぶな反応するやん。相変わらず、相手おらんのか?」
「今はそんな話、関係ないでしょう!」

 思わず声が大きくなってしまった。
 しかし、交合とは――それがただの喩えだということはわかっているが、そう言われるとそんな風にしか見えない。

「しかも、狐くんはロイの魔力を喰っとるな」
「……! それは禁忌では!?」
「せやな。魔王の贄に手ぇ出すなんて、普通の魔獣やったら、ペロッと味見しただけで消滅してまうぐらいの禁忌や。それやのに、なんで狐くんは平気なんやろな」
「……彼が、アロイヴ様の従魔だからでしょうか?」
「オレもその可能性を考えへんかったわけやないけど――ほんまにそうなんか?」

 独り言のように呟いたサクサハの顔には、怪訝な表情が浮かんでいた。
 フィリも思いついた仮説を口にしてみたものの、それが正解とは到底思えない。

「ところで、フィリ。一つ確認しときたいねんけど」
「なんでしょう?」
「お前、あの狐くんの名前呼べるか?」
「……いいえ」
「それが答えなんかもな」

 魔族にとって、名前を呼べない存在。
 それは重要な意味を持つ。
 
 ――だが、そんなことがあり得るのか? 魔獣が、次の王になる資格を持つなんてことが。

 その問いを口にすることすら恐ろしく、フィリは口を噤んだまま、眉間に深い皺を刻んだ。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「……この方法しかないの?」
「せやなぁ。ロイさえ頑張ってくれたら、五日が一日に短縮できんねんけど」

 魔法の練習に付き合ってもらったときもそうだったが、サクサハの要求はかなり容赦がない。
 選択肢を与えてくれているようで、実際には「はい」か「イエス」しか答えがなかったりする。
 要するに、今のアロイヴには頷くことしか許されていないのだ。

「無理はなさらないでくださいね、アロイヴ様」

 フィリはそう言ってくれるが、その言葉に甘えてばかりもいられない。

「わかった……やる」
「よし。ほんじゃ、一回跳ぶごとに狐くんにちゃんと診てもらうんやで」
「え、二回ごとでいいんじゃ」
「なんでやねん。次からは長距離跳ぶって言うたやろ。絶対、一回で酔うてまうって」
「う…………わかった」

 ――転移魔法一回につき、紫紺とキス一回……か。

 キスだと考えるからいけないのだ。
 あれは転移酔いの治療……なんて、そんな都合よく考えられるわけがなかった。
 あの行為が少しでもつらかったり、苦しかったりしてくれれば、そう考えられたかもしれないが……紫紺の治療は、いつも気持ちよすぎるのが問題なのだ。

 ――それとも、僕が変なのかな。

 本当はつらかったり苦しかったりする治療を、気持ちいいと感じてしまっているのだとしたら……その可能性が全くないとはいいきれない。

「お口に合いませんでしたか? アロイヴ様」
「あ、いえ。すごく美味しいです」

 今は夕食の途中だった。
 紫紺のおかげで転移酔いは治ったものの、今日は大事をとって、この場所で一晩を過ごすことになったのだ。山の稜線で一泊するなんて、前世でも経験のないことだった。
 サクサハの張った結界が透明なテントのような役割を果たしてくれているおかげで、森で野宿したときより快適に過ごせている。
 それに、何より景色が最高だった。
 写真集でしか見たことのないような自然の作り出した美しい光景に、アロイヴは何度も視線を奪われてしまっている。
 今もまた、食事を忘れて景色に見入ってしまっていた。

「あの岩壁みたいな山脈の向こうが、魔族の暮らす領域なんですよね?」
「ええ。ヒャグラナ山脈が魔族と人間の界を隔てています。魔族は自由に行き来できますが、人間は許しがなければ山脈を越えることすら叶いません」
「それって、僕は大丈夫なんですか?」
「ええ。許可はきちんと取っておりますので、ご安心ください」

 この世界で人間を管理しているのは魔族なのだから、人間の行動が制限されているのは当たり前のことだ。
 そんな魔族と人間の住む場所を隔てる山脈。
 それは本当に壁のようで、その向こうにある景色がどんなものなのかは全く想像もできない。

 ――魔族の町って、どんなとこなんだろう。

 称号がわかって以降、教会の屋敷で暮らしていたアロイヴは人間の町のこともよく知らない。幼い頃に過ごした町と、唯一立ち寄ったナルカの町以外を知らないのだ。
 背中側を振り返る。
 眼下に広がっているのは、人間の暮らす領域だ。

「こんなに広かったんですね」
「やはり、あちら側が恋しいですか?」
「そんなことない……なんて言ったら、薄情ですよね」
「申し訳ございません。あまりいい質問ではありませんでしたね」
「いえ……ごめんなさい。僕も暗い答え方をしてしまって」

 悪い思い出ばかりではない。
 ただ、あまり思い入れがないのも確かだった。

 ――もっと自分から関心を持てば、違ったのかもしれないけど。

 そんな風にはできなかった。
 自分が傷つかないために、アロイヴは他人と極力関わらないように生きる道を選んだのだ。

「イヴ」
「……っ、むぐ」

 振り返った瞬間、口にパンをねじ込まれた。紫紺の仕業だ。
 噛み締めると生地に練り込まれたフィリお手製のドライフルーツの味が口いっぱいに広がる。紫紺が一番気に入っているパンだった。

 ――このパン、いつもは独り占めしようとするのに……もしかして、僕を元気づけてくれようとしたのかな?

 紫紺は相変わらず、アロイヴの心の機微に聡い。
 行動に幼さはあるものの、いつも真っ直ぐに感情を示し、アロイヴを励まそうとしてくれる。

「……ありがと、紫紺」

 ふぁさふぁさと揺れる尻尾が見えるような嬉しそうな表情に、こちらまであたたかい気持ちになった。
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