【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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32 転移酔いの特効薬

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 出発の決まった一時間後には、旅立ちの準備を終えていた。いつでもここを立てるように、荷物を纏めておいたおかげだ。

「お世話になりました」

 使わせてもらった部屋が綺麗になったのを確認して、アロイヴは深々と頭を下げる。隣で見ていた紫紺も、そんなアロイヴの真似をするように頭を下げた。
 身体は立派に成長したのに、紫紺のこういう仕草は何も知らない子供のようだ。
 フィリも驚くような知識を披露することもあるのに、どうしてこんなにもアンバランスなのだろう。

 ――まあ、それは僕も同じか。

 転生者であるアロイヴも、外見と中身がアンバランスであることは否めない。
 家族の前では子供らしい振る舞いを心掛けたこともあったが、教会に引き取られてからは、それもしてこなかった。
 周りの大人の目には、少し不気味な子供に映ったことだろう。

「イヴ」
「うん。そろそろ出ようか」

 紫紺と一緒に小屋を出る。
 先に準備を終えていたフィリとサクサハが、アロイヴたちのことを待っていた。

「アロイヴ様、忘れ物はありませんか?」
「大丈夫です」

 フィリは他の二人にも同じように確認した後、小屋に手のひらを向ける。
 この辺り一帯の魔力が大きく動いたのを感じた。

「今のは隠蔽魔法と……あとは、なんだろ」

 フィリの使った魔法を注意深く観察していたつもりだったが、アロイヴにわかったのは隠蔽魔法だけだった。

 ――他にも、魔力の気配はしたのに。

 サクサハにいろいろ教えてもらい、魔力感知は人並みにできるようになったつもりだったが、それでもやはりまだまだらしい。

「この辺りに残った我々の魔力の気配も消したんですよ。こうしておけば、簡単には痕跡を辿れません」
「あんな短い時間で、それだけのことを?」
「六十点やな」

 二人の会話に割り込んできたのは、サクサハだ。
 腰掛けていた丸太から軽い動作で飛び降りると、フィリのことを鼻で笑う。得意げな表情のまま、ぱちんと指を鳴らした。
 またしても、周囲の魔力が大きく動く。

「ロイの気配が途中で完全になくなっとったら、連中におかしいって気づかれるやろ。ちゃんと偽物を用意しとかな」
「……他人の魔力を完全に模倣して違和感のない痕跡を残すなんて、簡単にできることではないのですよ」
「フィリはまだまだやなぁ」
「私の本業は医術師ですので!」

 ムキになって反論するフィリを揶揄って、サクサハは楽しんでいる様子だ。

「サクサハは本当にすごいんだね」

 アロイヴは、サクサハの実力に感心していた。
 手放しで褒められ、サクサハも満更ではなさそうだ。「せやろ」と言って笑いながら、手のひらに集めた魔力を花火のようにパチパチと弾けさせてみせる。

「ほんでも、前の十分の一ぐらいの力しか使えへんようになってしもてんけどな」
「?」

 どういう意味だろう。
 気になったが、それを聞いている時間はなさそうだった。

「準備できたんなら、そろそろ行こか」
「アロイヴ様は初めての転移なので、短い距離からでお願いします」
「わかっとるって」

 魔族の町までは転移魔法で移動することになっていた。
 アロイヴと紫紺は自分で転移魔法が使えないので、サクサハに連れていってもらうことになる。

「転移魔法は非常に便利ですが、身体に負担が大きい魔法です。少しでも気分がすぐれないと思ったら、きちんと申し出てくださいね」
「わかってます」
「我々に遠慮するのは、なしですからね」

 フィリはこうしてよく念を押してくる。
 信じていないというよりは、遠慮しがちなアロイヴを心配してくれているのだろう。

「ありがとうございます。フィリさん」
「ほんじゃ、行くで。ロイ、しっかり手ぇ掴んどきや」

 差し出されたサクサハの手をぎゅっと掴む。
 紫紺はサクサハの肩を掴みながら、反対の腕をアロイヴの腰に回して身体を密着させてきた。アロイヴが振り落とされてしまわないようにだろう。
 二人に挟まれる体勢で、アロイヴは初めての転移を経験した。
 


   ◆



 一度目の転移で跳んだ先は、小屋のあった山の山頂だった。体調に変化がないことを確認して、すぐに二回目の転移を行う。
 次の瞬間、さっきとはまた別の山にいた。
 かなり標高のある山だ。
 それなのに、目の前にはさらに高い山が見える。
 アロイヴは、真っ白な岩の壁のようにしか見えない山脈の景色を呆然と眺めていた。

「体調はいかがですか? アロイヴ様」
「えっと、たぶん大丈夫……っ」
「ではないみたいですね」

 アロイヴ本人より、フィリが先にアロイヴの不調に気づいた。
 ふらついたアロイヴの身体を支えてくれたのは、すぐ後ろに立っていた紫紺だ。

「転移酔いですね」
「これが…………うッ」

 込み上げた吐き気に、慌てて口元を押さえる。
 転移酔いとは、酷い乗り物酔いのような感覚だった。

「ごめんなさい……」

 自分は何もしていないのに、まさか誰よりも先に体調を崩してしまうなんて。
 アロイヴは近くの岩に腰を下ろし、なんともない様子の三人に謝罪する。

「ええって。こうなるって予想はしとったし。二回跳べただけで上出来やろ」 
「アロイヴ様、胸がすっきりするお茶です。冷ましましたが、気をつけてお飲みください」

 三人は気にしていないどころか、アロイヴのことを気遣ってくれた。
 アロイヴは、フィリに渡されたお茶をゆっくりと嚥下する。ミントのような清涼感のある、ほのかに甘い味のするお茶だ。
 それを何口かに分けて飲んでいると、心配そうな表情を浮かべた紫紺がアロイヴの顔を覗き込んできた。

「紫紺は平気なんだね……」

 転移を経験するのは紫紺も初めてのはずなのに、どうしてこうも違うのだろう。

「彼は魔力の流れが強く太く、安定しているからでしょう。転移魔法は体内魔力を乱れさせやすいものなので、慣れない者は皆、アロイヴ様のようになるのが普通ですよ」
「……紫紺が例外ってこと?」
「そうです」

 ――体内魔力の乱れ、か。

 言われてみれば、確かにそんな感覚だった。
 魔力が身体の片側に寄ってしまっているような感じがする。そのせいで平衡感覚が保てず、気持ち悪さが治まらないのだ。
 その上、ぐわんぐわんと頭を大きく揺さぶられているような酷い眩暈がしていた。

「じゃあ、魔力の流れさえ整えば……」
「しばらく休めば平気になりますよ。今は魔力を動かさないことです」

 自分でどうにか魔力を整えられないかと思ったのに、先にフィリに止められてしまった。

「無理に魔力を動かすと、余計に気持ち悪くなりますよ」
「これ、フィリの経験談やで」
「余計なことは言わないでください」

 そんなフィリとサクサハの掛け合いを笑えるぐらいには、気持ちの余裕が出てきた。
 お茶の効果か、吐き気が少しマシになっている。
 それでも、乱れてしまった魔力はしばらく元に戻りそうになかった。

「イヴ――」

 紫紺がアロイヴの名前を呼んだ。

「何、どうかし……んッ」

 紫紺のほうを振り返った瞬間、ふにりと柔らかいものがアロイヴの唇に触れる。紫紺の唇だ。
 驚くアロイヴとは対照的に、紫紺は何かを探るように冷静な表情でアロイヴを見つめている。
 器用に動く紫紺の舌が、アロイヴの唇の隙間をなぞった。

「ん、ぁッ」

 ぞくっと背筋を走った甘い痺れに喘ぐように唇を開くと、その隙間から紫紺の舌が滑り込んでくる。

「あ……だめ、だっ」

 アロイヴの制止は聞き入れられなかった。
 慌てて紫紺の身体を押し返そうとしたが、力で紫紺に敵うはずがない。軽くぶつかった衝撃で、手に持っていたお茶の器を落としてしまった。

「ん、ふぁ……あ」

 さらに、口づけが深くなる。
 舌が絡まり、唾液が混ざり合う。
 魔力を帯びた紫紺の瞳に見つめられ、アロイヴは何も考えられなくなっていた。
 ぞくぞくと身体の奥から何かが込み上げてくる。その気持ちよさに、アロイヴは紫紺の腕の中で身体をくねらせた。
 胸の中央が熱い。
 そこは、紫紺の刻んだ印がある場所だ。

「おや、もしかして……これは」
「ロイの魔力の流れが明らかに変わったな。調整しようとしとんか、狐くんは」
「そのようですね。また稀有なことを」

 フィリとサクサハが何かを話しているのが聞こえる。
 だが、その内容は全く頭に入ってこなかった。

 ――気持ちいい……もっと。

 アロイヴの思考は完全に蕩けていた。
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