【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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31 それぞれの腕の中

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 魔法の練習を途中で切り上げ、アロイヴは一人で部屋に戻った。

 ――なんだろう……身体が重い。

 ベッドに腰を下ろし、そのまま後ろ向きに寝転がる。
 サクサハから聞いた魔王の話を思い返しながら、天井をぼんやりと見上げ、長い溜め息を吐き出した。

「別に……魔王のことを知ったからって、何かあるわけじゃないけど」

 でも、やはり考えてしまう。
 フィリが話していたように、たとえ役目を果たす日が来ないとしても、アロイヴの称号は死ぬまで変わらない。〈魔王の生贄〉という称号を背負ったまま生きることを運命づけられたアロイヴが、魔王のことを知らずにいていいわけがなかった。
 それに、魔王について知りたい気持ちがあったのも事実だ。
 魔王という言葉はあまり聞きたくないはずなのに、どうしてなのか、魔王のことが気になってしまう。

「……?」

 コンコン、と控えめなノック音が響いた。
 今はあまり誰かと話したい気分ではなかったが、部屋の外から感じる気配を無視できず、アロイヴはベッドから身体を起こす。

「どうぞ」

 遠慮がちに開いた扉の隙間から、顔をそっと覗かせたのは紫紺だった。

「どうしたの? 何か忘れ物?」

 この部屋は紫紺の部屋でもある。
 すぐに部屋には入ろうとせず、窺うようにこちらを見る紫紺に、アロイヴはもう一度「入ってきていいよ」と声を掛けた。

「……イヴ」

 忘れ物ではなさそうだった。
 眉を下げ、こちらを見つめる紫紺の表情を見ればわかる。紫紺はアロイヴのことを心配して、部屋まで来たのだ。
 後ろ手に扉を閉めた紫紺が、ふるりと身体を震わせる。
 次の瞬間、出会った頃の小さな獣の姿の紫紺に変化していた。
 紫紺は床を素早く駆けると、きゅうっと可愛らしい声で鳴きながら、アロイヴの胸元に飛び込んでくる。もふっと久しぶりに触れた柔らかな感触に、なんだか意味もなく泣きそうになった。

「……どうしたの。最近、獣の姿にはなってなかったのに」

 聞きながら、小さな紫紺のふわふわの毛並みを堪能する。
 体をぎゅっと抱きしめ、以前よくそうしたように首の後ろのもふもふに顔を埋めた。そのまま、深く息を吸い込む。

「こうしてると、なんだか懐かしい気持ちになるね」

 屋敷にいた頃、こうしてよく紫紺を抱きしめた。
 今日のように胸が痛んだ日は特に、こうして紫紺に慰めてもらったものだ。

「そっか……こうしたら、僕が元気になるって知ってるから」

 だから、紫紺はわざわざこの姿になってくれたのだろう。

「ねえ……少しだけ、吐き出してもいい? 聞いてくれるだけでいいんだ」

 アロイヴが弱音を吐ける相手は、今までも紫紺だけだった。
 人の姿になった紫紺の前ではうまく言葉にできなかったが、この姿の紫紺になら吐き出せそうな気がする。
 きゅう、と返事をするように鳴いた紫紺の耳の後ろを撫でながら、アロイヴはぽつぽつと言葉を落とすように話し始めた。

「自分の称号がわかってから……僕はずっと迷路の中にいるみたいな気がする。その迷路は何重にも重なってて……この称号がある限り、僕はその迷路から出られないんじゃないかって、そう思うんだ」

 新しい世界に転生したと気づいたときは、まだ明るい気持ちだった。
 剣と魔法のファンタジー世界。
 前世の常識は通用しなくても、それが面白いと思えた。不安よりも期待が大きくて、毎日が楽しくて――そんな日々はあっという間に終わってしまったけれど。

「つらくて、しんどくて……同じ生贄の称号なのに、その称号に誇りを持ってるあの子たちが、僕は……恨めしかったのかもしれない。いつかは殺される運命を可哀想だって言ってたけど、それだって本当にそう思ってたのかな……僕は、本当は歪んだ人間なのかもしれない」

 きゅうッ、と紫紺が強めに鳴いた。
 そうではないと言ってくれているようだ。

「ありがと、紫紺。紫紺がいなかったら、僕はもっと醜い人間になってたと思うよ。紫紺と……ケイが、いてくれたから」

 後半は涙声になってしまった。

 ――泣きたかったわけじゃないのに。

 涙が止まらない。
 フィリに助けられてから、つらいことはなかったはずなのに……心はまだ、こんなにも弱ったままだったらしい。
 アロイヴの頬を流れる涙を、背伸びした紫紺がぺろぺろと舐め取った。慰めてくれているのだ。
 そんな紫紺の背中を撫でながら、アロイヴは嗚咽で乱れた呼吸を整える。

「ねえ、紫紺……魔王は、どんな気持ちだったのかな」

 きゅ? と紫紺が不思議そうに鳴いた。

「強いっていう理由だけで、生まれてすぐに殺されそうになって……それがつらくて、ずっと眠ったままなんじゃないのかな」

 サクサハの話を聞きながら、アロイヴはそんなことを考えてしまった。
 眠り続ける、存在が希薄な〈透明な王〉――その姿を想像したときに、なんとなくそうなのではないかと思ってしまったのだ。
 魔族の感じ方はわからない。
 でも、もし自分がその立場なら……きっと、そう感じてしまうと思う。
 誰かに死を望まれるのは、そのぐらい悲しいことだから。

「全然違う理由かもしれないけどね。こんな風に考えちゃうのは……前世の記憶が影響してるのかな」

 前世は、とても平和だった。
 誰かの裏切りを警戒するよりも、誰かを信じるほうが当たり前で――前世のアロイヴはそんな優しい世界で育った。
 その影響があるのかもしれない。

「すぐに優しい理由を探そうとしちゃってだめだね。自分に都合のいいように、考えたいだけなのかもしれないけど……僕は甘すぎるのかもしれない」

 アロイヴは宙に表示させた自分の鑑定板を見上げた。
 その視線は、称号の欄から動かない。

「……魔王のことがこんなに気になるのは、この称号のせいなのかな」

 小さく呟きながら、〈魔王〉の二文字を指でなぞった。



   ◆



「アロイヴ様を狙っている者たちの正体がわかりました」

 フィリがその話を切り出したのは、三日後の朝のことだった。
 朝食のすぐ後、紫紺やサクサハもいる前で話したのは、おそらく二人にも聞いておいて欲しかったからだろう。

「誰、だったんですか? やっぱり、教会……?」
「ええ。教会の人間でした。しかし、教会の総意というわけではなく、どうやら彼らは内部で分裂をしているようです」

 ――ケイの言ってたとおりだ。

 予想していた答えではあったが、アロイヴはショックを隠しきれなかった。
 三人が沈黙している中、フィリが話を続ける。

「贄の称号を持つ人間を攫っている連中は、教会の中では少数派のようです。ただし、連中は王族と繋がっている可能性が非常に高い」
「王族と……?」
「ええ。それが王族全体なのか、一部の企みなのかはわかりません。それに連中がなぜ、贄の称号を持つ人間を攫っているのか……その理由もまだわかっていません」

 教会の一部の人間だけでなく、王族までが関係しているなんて。
 彼らは金で賊を雇い、邪魔する人間を殺してまで贄の称号の人間を集めているらしい。

「……でも、これで僕が人間の町に戻れないのは確定ですね」
「そうなりますね。この国に留まったままでいるのも危険でしょう。予定を早めて、魔族の町に向かったほうがいいと思います」
「ほんなら、今日にでも行く?」
「……そうですね。そうしましょうか」
「んじゃ、先にオレから兄貴に連絡しとくわ。荷物を纏めたら出発やな」

 あっという間に話が決まった。
 でも、フィリとサクサハが言うとおり、早くここを離れたほうがいいのは間違いない。

「あまりいい知らせではありませんでしたが、今すぐにアロイヴ様が危険になることはありませんよ。我々もいますからね」
「……うん。ありがとうございます」
「人間が魔族に気ぃ使わんでええよ。それにロイはまだ子供なんやし」

 見た目はサクサハのほうが子供に見えるのに、サクサハもやはり見た目どおりの年齢ではないようだ。
 小さな子供にするようにアロイヴの頭を優しく撫でてから、サクサハはまたフィリと何やら相談を始める。

「じゃあ、僕らも準備しようか」

 声を掛けると、紫紺が先に立ち上がった。
 アロイヴに向かって手を差し伸べる。

「別に、一人で立てるって」

 そう言っても紫紺が頑なに譲ろうとしないので、アロイヴは苦笑いを浮かべながら紫紺の手を取った。
 その手を、ぐいっと引き寄せられる。

「……っわ」

 ぽふん、と紫紺の胸に顔がぶつかった。背中に腕が回され、優しく抱きしめられる。髪に何度も唇を押し当てる紫紺の仕草には、どんな意味があるのだろう。
 それはわからなくても、今はこの腕の中がどこよりも安心できる場所なのは確かだった。
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