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30 陽気な来訪者
しおりを挟む「お客さん、ですか?」
次の日の朝食の時間。
思いがけないフィリの言葉を、アロイヴは思わず聞き返していた。
「ええ。アロイヴ様をご案内しようと思っていた、ここから一番近い魔族の町に住んでいる者なのですが、アロイヴ様のことを話したら『皆より先に会いたい』と聞かなくて」
もう、そんなところまで話が進んでいたなんて。
フィリはいつも忙しくしているイメージがあったので、そういう話はまだ先なのだと思っていた。いつそんな時間があったのだろう。
この世界にも、遠方の相手と連絡を取る手段があるのだろうか。
「相手は魔族の人……ですよね?」
思わず、当たり前のことを聞いてしまった。
フィリは朝食のデザートに用意してあった果実を切り分けながら、笑顔で頷く。
「そうです。お会いになられますか?」
「会わないなんて、言える立場じゃないですから……」
「アロイヴ様は遠慮しすぎですよ。無理なときは無理とおっしゃっていただいて構いません。ただ、会って損はないと思いますよ。魔族にもいろんな者がいると知るのに、ちょうどいい相手だと思いますので」
「それ、悪口やろ。オレがおらへんところで変なこと言うのやめてくれる?」
「え……」
扉が開いたことに全く気づいていなかった。
小屋にいきなり入ってきたのは、オレンジ色の髪をした少年だ。
見た目の年齢はアロイヴよりも下に見える。ツンツンと主張の激しい髪が、少年の性格を表しているような気がした。
少年はずかずかとこちらに近づいてくると、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせながらアロイヴを見る。
――この子、額にツノがある。
少年の額には、特徴的な白い角が二本生えていた。
前世読んだおとぎ話に出てきた〈鬼〉を思わせる陶器のようなツノだ。
「ふーん……さすが、魔王さんが好みそうな綺麗な魔力してるやん」
「サクサハ、いきなり失礼でしょう」
「ええやん、別に。オレみたいにズケズケした相手のほうが、意外と付き合いやすかったりすんねんで?」
「それは自分で言うことではないでしょう……すみません。アロイヴ様、礼儀のなっていない者で」
突然の来訪者に、アロイヴは目を白黒させていた。
隣に座る紫紺はというと、視線はサクサハと呼ばれた少年のほうを向いているが、特に警戒している様子はない。フィリの用意してくれた果実をマイペースに食べ進めている。
――紫紺が警戒してないってことは、大丈夫……なんだよね?
まだ、紫紺とフィリ以外の相手を信用するのは難しかった。
相手に悪意がないことはなんとなくわかるものの、自分の感覚だけだといまいち信用しきれない。
「オレのこと警戒しとるん?」
「あ……あの」
「ようさん怖い目に遭うたんやってな。別にオレのことは無理に信じようとせんでええで。そっちが『信じてもええな』って思たときで」
「アロイヴ様のことを『そっち』だなんて」
「ほんなら、なんて呼ぶ? 町で使う名前とか決めてあるん?」
サクサハは、話し方も会話の展開も今まで会った誰よりも速い。アロイヴは二人の話についていくだけで必死だった。
しかし、表情もくるくる変わるサクサハは、見ていて飽きないタイプだ。
「名前って、偽名のほうがいいんですか?」
「偽名っていうか愛称かな? 呼ばれたい呼び方とか、なんかないん?」
真っ先に浮かんだのは、紫紺が呼び名に使っている『イヴ』だったが、その呼び名で紫紺以外から呼ばれるのは少し嫌な気がした。
次に浮かんだのは、前に人間の町を訪れたときに咄嗟に使った『ロイ』という偽名だ。
――それでいいかな。
「……じゃあ、ロイで」
「ロイな。オレはサクサハ、よろしくな」
「いけません、呼び捨てなんて」
「同じ探索者になんねんから、敬称つけるほうがおかしいって。なあ、ロイ」
「僕は、呼び捨てでも大丈夫です」
「ほらー、ロイだってそう言うとるやん」
――それにしても……サクサハの言葉は、どうしてこんな風に聞こえるんだろう。
サクサハの言葉だけ、ずっと特徴的な翻訳がなされていた。
わかりにくいわけではないし、本人にも似合っているからいいのだが……魔族の言葉にも、こういう違いが存在するのだろうか。
「ほんで、フィリ。オレの飯は?」
「あるわけないでしょう。到着はもう少し先だと聞いていたのに……貴方は本当に昔から自分勝手で人の迷惑を考えないんですから」
「そない言うて、ホンマはあるんやろ? 最悪、その果物だけでもええからさー」
「私の話、聞いていますか?」
サクサハのおかげで、小屋の中が一気に賑やかになった。
こんな陽気な魔族もいるなんて。
今まで直接関わった魔族がフィリとあの高位魔族だけだったアロイヴの魔族に対する価値観が一気に変わった。フィリが言った『魔族にもいろんな者がいると知るのに、ちょうどいい相手』というのは間違いではなかったらしい。
――サクサハとなら、すぐに打ち解けられそうな気がするな。
彼の気やすさなら、そこまで緊張しなくて済みそうだ。
アロイヴの緊張が少し解けたことに気づいたのか、紫紺がアロイヴの手に触れてくる。大きくなった手でにぎにぎと優しく包み込んだ後、アロイヴと目を合わせ、穏やかに微笑んだ。
◆
「オレもフィリと同意見やなぁ。無理にロイが戦う必要はないと思うけど」
予想したとおりサクサハとはすぐに打ち解け、今日からはフィリに変わってサクサハがアロイヴに魔法を教えてくれることになった。
まだまだ全然上手くならない魔力操作のコツをサクサハに聞いていたところだったが、サクサハもフィリ同様、アロイヴが戦う必要はないと言う。
アロイヴはその意見を素直に受け入れられなかった。
「足手纏いになりたくないっていう、ロイの気持ちもわかんねんけど……根本的に向いてへんねんよな」
「向いてないって、魔法に?」
「そう。元々、体外放出が得意な魔力回路やないんやと思う。まあ、全く使えへんのも不便やろうし、最低限の生活魔法が使えるようにはしたるつもりやけど……戦闘魔法は厳しいやろな」
サクサハは、フィリよりも魔力回路の持つ特性の見極めが得意らしい。
そのサクサハが言うのだ。
アロイヴは本当に魔法が向いていないのだろう。
「魔力は綺麗やねんけどなぁ」
「さっきもそう言ってたよね。サクサハには僕の魔力がどんな風に見えてるの?」
魔力は普通、目に見えるものではない。
魔法として体外に放出するときには見ることができるが、それ以外のときは〈感じる〉ことはあっても〈見える〉ことはない。
ただ、サクサハにはこの魔力を〈見る〉能力があるのだそうだ。
「ロイの魔力はとにかく綺麗やな。何も混ざっとるもんがないっていうんかな。こんな澄んだ魔力を見たんは二人目やわ」
「二人目?」
「一人目は今の魔王さんやな。そっちはロイの魔力より、もっと透明な魔力やったけど」
「……っ」
思いがけないところで出てきた〈魔王〉という名称に、アロイヴは小さく息を呑んだ。
その反応は、サクサハにもすぐに気づかれてしまう。
「この言葉は禁句やった?」
「……そういうことじゃ、ないけど」
「そらまあ、ロイにとっては複雑か。あんま考えもせんと口に出して悪かったわ」
「ううん。突然だったから驚いただけで……だから、別に大丈夫」
「大丈夫って顔やないで」
サクサハはアロイヴの頭をぽんぽんと軽く叩くと、歯を見せて笑った。
「フィリからは、なんも聞いてへんの?」
「……魔王のこと?」
「そう。なんも知らんのも怖いんとちゃうん? そういうもんでもない?」
――それは、あるかもしれない。
魔王という名称を聞くと緊張してしまうものの、どんな相手なのか気にならないわけではなかった。
「サクサハは……魔王に会ったことがあるの?」
「ある……っていうても、寝てるとこしか見たことないねんけどな」
「そういえば、もう二百年も眠ったままだって」
「そ。ちなみに、今の魔王さんって一瞬しか起きとったことないねんよ。ほとんど寝っぱなしでさ。起きとるとこ知っとるやつのほうが少ないんちゃうかな」
「え……?」
その話は初耳だった。
「一瞬しか起きてたことがないって、どういうこと?」
「今の魔王さんが起きとったんは生まれてすぐ、自分を殺しにきた先代の魔王を返り討ちにしたときだけやねんて」
「生まれてすぐ? 先代の魔王は、どうして生まれたばかりの魔王を殺そうとなんか……」
「魔族ってそういうもんやねん。特に魔王ってのは、一番強い魔族がなる決まりやからさ。自分より強い魔族が生まれた気配を察知して、相手が強くなる前に殺そうとしたんやろな。まあ、それで返り討ちに遭うとったら世話ないけど」
「そんな…………」
だからといって、生まれてすぐに殺されそうになるなんて。
アロイヴは驚きのあまり、言葉が出なかった。
「ほんで、そこから一度も目を覚まさずに二百年、魔王として君臨してるってわけ。なんかすごない?」
「でも……魔王が眠ったままで大丈夫なの?」
「せやなぁ。今は戦争もしてへんし、そもそも魔族って個人主義のやつばっかりやからな。魔王が寝てるほうが平和なんちゃう?」
そういうものなのだろうか。
魔族の感覚は、アロイヴにはよくわからない。
「……魔王って、どんな人なの?」
思わず、そう尋ねていた。
「んー、そやな。オレが知ってる情報といえば、今の魔王さんが周りから〈透明な王〉って呼ばれとることぐらいやな」
「透明な王……?」
「そ。魔力の色が透明やっていうのもあんねんけど、見た目も透けとってさ。実体はちゃんとあるねんけど、存在がすっごい希薄っていうんかな。あと、髪も肌も真っ白でさ。魔族らしい感じは全然せえへんかったわ。それがオレが知っとる今の魔王さんの全部やな」
存在が希薄な〈透明な王〉――それが、今の魔王。
自分が想像していたのとは全く違う魔王の話を聞かされ、アロイヴはしばらく放心状態のまま、瞬きをすることも忘れていた。
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