【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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29 摸擬戦とユマモナの効能

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 目を覚ましてから、さらに十日が過ぎていた。
 アロイヴと紫紺は今もフィリの小屋で世話になっている。
 体力が回復するまでここで身体を休めるというのが一番の目的だったが、魔族の町に行く前に魔力の使い方をフィリに教わっておくというのも、ここに留まる理由の一つだった。

「手のひらに意識を集中。魔力の動きをできるだけ一定にして……うーん。今度もだめか」

 小屋の近くにあった切り株に腰掛け、アロイヴはフィリに教えてもらったとおりに魔力操作の練習に励む。
 だが、いつも結果はよくなかった。
 体内に流れる魔力を感じることはできる。邪魔する魔道具がなくなったおかげで、その魔力を体外に放出することも問題なくできるようになったのに、その次で詰まっていた。

「まただめでしたか?」
「んー……なんとなく、わかってきた気はするんですけど」

 今、アロイヴに与えられている訓練は『魔力を手のひらの上で安定させ、その状態を一分間保つこと』だ。
 魔力操作の基礎中の基礎らしい。
 それがアロイヴの場合、十秒と持たない。
 どうしても揺らぎが発生してしまい、焦るとさらに魔力にブレが生じて霧散してしまうようだった。

「魔力の流れを封じていたのが影響しているのでしょうね。体内魔力の流れはよくなりましたが、放出時にこれだけ揺らぎが起こる理由はそれしか考えられません」
「……魔法、使えるようになるのは難しいのかな」
「焦らないで、今は練習あるのみですね」

 フィリは、アロイヴの肩に手を置きながら優しく告げた。
 そんな二人の様子を少し離れた場所から見ている人物がいる。紫紺だ。

「嫉妬を隠しもしませんね」
「……すみません」
「いえ。可愛いと思いますよ。さて、彼の相手もしてきましょうか」

 フィリが稽古をつけてくれているのは、アロイヴだけではなかった。
 おもむろに立ち上がったフィリは、術で手元に愛用の長剣を呼び出すと紫紺の下へと向かう。
 医術師ということもあり戦闘を好まないように見えたフィリだが、実際は魔法も近接も得意な戦士タイプだった。

「……大きくなった紫紺にも、だいぶ見慣れてきたな」

 二十歳前後の見た目に成長した紫紺に最初はかなり戸惑ったものの、この数日でそれもだいぶ見慣れてきた。
 前は同じぐらいだった背が、今では見上げるほどに大きい。抱きしめられるとすっぽりと包み込まれてしまうのだが、それが落ち着くような、逆に落ち着かないような――ちょっとおかしな気持ちになってしまう。

 ――たぶん、あの夢のせいもあるんだろうけど。

 十日前に見た夢のことを、アロイヴは忘れられないでいた。あの淫夢だ。
 目覚めてすぐ、様子のおかしかったアロイヴに気づいたフィリに眠っていた間のことを尋ねられたが、あんな夢を見たなんて、正直に話せるわけがなかった。
 紫紺にも同じだ。
 あれがただの夢だったのか、そうではなかったのか……それを唯一知っているのは紫紺だろうが、聞けるはずがない。

 ――第一、あれがただの夢だったとき……そっちのほうが恥ずかしいし。

 だから、あの夢のことはアロイヴの胸の内だけに秘めておくことにした。
 ただ、どうしても紫紺のことを意識してしまう。
 タイミング悪く紫紺が立派に成長したこともあり、なんとなく前より距離を取ってしまっていた。

「あ、始まった」

 二人の模擬戦が始まった。
 しばらく牽制し合った後、先に動いたのは紫紺だ。
 フィリの長剣に対して、紫紺の武器は曲刃の双剣だ。フィリと同じく術によって生み出した武器で、刀身は獣の紫紺の体毛と同じく闇を溶かしたような漆黒だった。
 二人に体格差はない。
 膂力も拮抗しているように見えた。
 ただ、紫紺は動きで相手を翻弄するタイプで、フィリはその攻撃を見切っていなしながら反撃するタイプだ。
 動と静。
 真逆の戦い方の二人は模擬戦といえど手加減している様子はなく、アロイヴは二人の動きを目で追うだけで精一杯だ。
 二人がどういう意図でどういう攻撃を繰り出しているのか、それをどうやって避けたのか。
 細かなところまでは理解しきれない。

「二人とも、使ってる武器は真剣だって言ってたのに」

 攻撃をまともに受けてしまえば、怪我をするどころの騒ぎではない。掠っただけでも出血は免れないだろう。
 それなのに、二人はこの模擬戦を楽しんでいるようにも見える。
 全く関係のないアロイヴのほうがひやひやしてしまい、自分の魔力の練習どころではなくなっていた。



「イヴ!」

 模擬戦を終えた紫紺がこちらに向かってくる。
 身体が成長しても、こういうときに見せる顔は前とそこまで大きく変わらなかった。
 ただ、その合間にときどき見せる大人びた表情がアロイヴをどきりとさせる。今も長い髪を結い直す紫紺の仕草に釘づけになってしまっていた。
 気づいて、慌てて目を逸らす。
 だが、そんなアロイヴの動揺には気づいていないのか、紫紺は傍まで来ると、身体を屈めてアロイヴの顔を覗き込んできた。
 風に乗って、ふわりと届いた紫紺の香りに、きゅっと胸の奥が締めつけられる。他の場所の疼きには気づかないふりをした。

「お疲れさま、紫紺」

 紫紺がこうやって寄ってくるのは、アロイヴに撫でてほしいときだ。知っていて無視できるはずもなく、アロイヴは紫紺の頭を撫でてやる。
 気持ちよさそうに目を細める紫紺の顔になんだか落ち着かない気持ちになり、アロイヴはその後ろに立つフィリのほうに視線を向けた。

「フィリさんもお疲れさまです」
「彼は本当に呑み込みが早いですね。私が教えたことをそのままやるのではないところも、非常に勉強になります」

 模擬戦はいつもフィリの勝利で終わる。
 あれだけ強い紫紺でも、魔族のフィリに勝つことは難しいらしい。

「これならば充分、〈探索者〉としても仕事ができますね」

 探索者というのは、人間でいうところの冒険者のことだ。魔族にも似たような職業があるらしく、紫紺と一緒に生計を立てていくなら、これが一番だろうとフィリに勧められた。
 だが、紫紺はよくても、アロイヴにはまだまだ課題しかない。

「僕が足を引っ張るようなことにならなきゃ、いいんですけど……」
「それは心配ありませんよ。彼が戦うのはアロイヴ様のためですからね。彼の能力を最大限引き出すのに、アロイヴ様が必要なんだと思えばいいのです」
「そう考えるのは…………難しいです」

 アロイヴの絞り出した返答に、フィリは穏やかな表情で笑った。アロイヴのこういう性格をとうに見抜いているのだろう。

「食事にしましょうか」

 食事と聞いて、紫紺の目が輝く。
 こういうところもやはり変わっていなかったが、身体も能力もどんどん成長していく紫紺に置いていかれる焦りが、アロイヴの中に芽生え始めていた。


   ◆


「アロイヴ様、寝る前に少しよろしいですか?」

 夜、部屋に向かおうとしていたアロイヴは、後ろからフィリに声を掛けられた。
 隣に立つ紫紺が、アロイヴとフィリの顔を交互に見ている。

「紫紺は部屋で先に休んでて」

 紫紺は少し不満そうに唇を尖らせたが、駄々をこねたりはしなかった。
 寝る前にいつもそうするようにアロイヴの両頬と額に口づけてから、一人で部屋に入っていく。

「あれは、いつもしてるのですか?」
「え……あ、もしかして、あのキスにも何か意味があったり?」

 前に、薬指にされたキスに意味があったことを思い出す。

「いえ、そこまで深い意味ではありませんよ。両頬と額に口づけるのは親愛の証です。ただ、やはり私を牽制しているのではないかと思いまして」

 フィリはそう言って、紫紺が入っていった部屋の扉を見つめる。「お茶を淹れるので掛けてください」とアロイヴに声を掛け、一度キッチンのほうへと消えいった。



「それで、話っていうのは」
「先日、アロイヴ様の身体に起きた現象について、私のほうで分かったことがありましたので――アロイヴ様にはお伝えしておいたほうがいいかと」

 フィリはそう言いながら、テーブルの上に一冊の本を置いた。
 随分と古い本だ。

「城から取り寄せた薬草に関する古い文献です。私が生まれる前のものですから、もう何百年と昔のものですね」
「これに、何が書かれてたんですか?」
「この頁です。あのとき、彼が持ってきた花――これはユマモナと呼ばれる毒花なのですが、この文献では少し違う表記がなされていたのです。読めますか?」

 フィリが指差した部分には、確かに花の絵が記されていた。
 それがあのとき、紫紺が摘んできた花かどうかまでは判別がつかなかったが、アロイヴはそこに書かれている説明に目をとおす。

「ユマモナ。『花弁を口にしたものの魔力を吸い上げ、死に至らしめる毒花。しかし、二人分の魔力と唾液を絡めることにより、その者の魔力を繋ぐ効果がある』……これって」
「そうです。私が目にした光景と完全に一致します。まさか、ユマモナの花にそんな効果があったなんて、これを読むまで全く知りませんでした」
「他の文献には、書かれていないんですか?」
「この後すぐに、この表記はすべての書物から削除されたようです。これを試して、消滅した魔族が絶えなかったという理由で――どうやらこれは、かなり危険が伴う行為のようですね」
「じゃあ、僕は助かったのは運がよかったってこと?」
「そうとも言い切れません。彼が、運だけに任せて行動するでしょうか……私には、そんな風に思えないのです」

 それはそうかもしれない。
 だが、それしかもう方法がないのだとしたら、紫紺ならその方法に賭ける可能性も捨てきれなかった。

「とにかく、彼はこれを知っていてアロイヴ様と自分の魔力を繋げたのです。そして、魔力の暴走を見事に防いだ。これまで薬草に多くの時間を捧げてきた私よりも深い薬草の知識を持つ彼は、本当にいったい何者なのでしょう」

 五百年以上生きる魔族よりも、深い知識を持つ魔獣。
 確かに、紫紺には謎が多すぎる。

「それは……僕にもわかりません。ただ、紫紺は僕の大切な家族です」
「ええ。存じ上げておりますよ。そして、彼もアロイヴ様を大切にしている。誰が見てもわかることです」

 フィリは紫紺の謎について、何か言うつもりはないようだった。
 話はそれだけだったのだろう。
 フィリは本を閉じ、それを棚へと戻す。その後ろ姿に向かって、アロイヴはふと浮かんだ疑問を口にした。

「魔族の人は、どうして危険だとわかってからも魔力を繋ぐ行為をやめなかったんですか? 情報がきちんと伝わらなかった……とか?」
「いえ、すぐに情報は正確に拡散されたそうです。しかし、真実を知らせても抑止には繋がらなかったのです」
「どうして……」
「お互いの魔力を繋ぐ行為からは、とても強い快楽が得られるそうです。それこそ、消滅を覚悟してでも体験したくなるような――魔族は愚かなほどに欲深い生き物なのですよ」

 この話はこれ以上、深掘りしないほうがいい。
 アロイヴは聞いてしまったことを後悔しながら、フィリの視線から逃れるように俯いた。
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