【完結】魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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20 裏切りと迫りくる悪意

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 ――逃げなきゃ。

 タタワに裏切られたことへのショックは大きかったが、こんなところで呆けている場合ではない。
 早くここから逃げなければ。
 タタワによって、何者かに売られてしまう前に。
 
 ――でも、誰がいったい……タタワさんにそんなことを。

 タタワを問いただしたい気持ちもあったが、聞いたところで状況が変わる気はしない。
 タタワにとって、アロイヴは命の恩人のはずなのに……そんな相手すら『売ろう』と思わせてしまうほどの大金を、タタワにちらつかせた人間がいる。
 アロイヴを捕えることに必死な人間がこの町にいるのだ――いったい、なんのために。

 ――すぐにでも、この町を出ないと。

 この話が、どこまで広まっているかわからない。
 少なくとも、タタワと同じ冒険者の人間は危険だと考えたほうがいいだろう。
 アロイヴは居間の扉の前を横切ると、玄関に向かってそろそろと歩みを進める。そっとドアノブに手をかけた瞬間、キーンと甲高い音が家じゅうに響いた。

「……っ、何」

 音驚いているアロイヴの後ろで、扉の開く音がする。
 顔を覗かせたのは、タタワだった。

「くそ、どうして動けるんだ!」

 防犯のために魔法をかけていたのだろうか。
 アロイヴが逃げようとしていることにすぐに気づいたタタワだったが、こちらに駆け寄ってくる様子はない。
 タタワが足を負傷していることが幸いしたらしい。
 逃げるなら今のうちだと、アロイヴは玄関の扉を一気に開け放つ。

「……っ、痛」

 後ろから何かが飛んできた。
 アロイヴの肩にぶつかって落ちたそれは、拳ほどの大きさの石だった。
 信じられない気持ちで、アロイヴは落ちている石を見つめる。その石は、アロイヴがタタワを助けるときに魔獣に向かって投げたものによく似ていた。
 それを今度は自分がぶつけられる側になるなんて……つきり、と胸が痛む。
 悲しさとも悔しさとも取れる胸の痛みに顔を歪めながら、アロイヴは両手で勢いよく扉を閉めた。
 扉が閉まったのと同時に、続けて三度、扉に固いものがぶつかる音がする。

 ――この石、もしかして攻撃魔法……?

 まさか、こんな手段に出てくるなんて。
 先ほど石をぶつけられた肩が痛む。だが、痛みになんて構っていられない。
 アロイヴは明かりの少ない路地に向かって駆け出した。


   ◆


 あれから何度、路地の角を曲がっただろう。
 人目を気にしつつ、広場を目指して走ったつもりだったが、どこまで行っても知っている場所は見つけられなかった。

 ――道に迷ったかも。

 どこかに案内板のようなものはないだろうか。
 きょろきょろと見回すが、目につく範囲にそれらしいものはない。
 一箇所に留まり続けるのもなんだか不安で、アロイヴはあてもなく歩き続けた。

「おい、いたか?」

 そんな声が聞こえたのは、さらに角を三つ曲がった先でのことだった。
 低く掠れた男の声だ。タタワのものではない。
 追われている身としては、誰かを探すような声に過剰に反応してしまう。
 アロイヴは近くに置かれていた木箱の後ろに身を隠した。

 角の向こうから姿を現したのは、冒険者らしき風体の男だった。アロイヴの太腿より太い腕には、魔獣の爪でつけられたものらしき傷跡がある。
 見るからに物騒な見た目の男だ。
 ふと、屋敷に侵入してきた賊のことを思い出していた。
 ぶるりと身体を震わせた瞬間、そんな僅かな気配を察したのか、男が鋭い視線をこちらに向ける。

「なんだ。そんなところに隠れてたのか」

 男の視線は、アロイヴをまっすぐ捉えている。
 にたりと笑った男がこちらに向けて発した言葉の意味を理解した瞬間、アロイヴは駆け出していた。

 ――あの男も、僕のことを?
 
 タタワの家を抜け出してから、まだそんなに経っていないのに、アロイヴの情報は随分と広まってしまっているようだった。
 冒険者は全員敵と考えたほうがよさそうだ。

「……早く、門を見つけないと」

 周囲を高い壁に囲まれたこの町の出入り口は、四方にある四つの門しかない。
 町を出るためには、そこを目指す必要がある。
 まずは、後ろの男を撒くことが先決だった。



 なんとか追ってきていた男を振り切り、アロイヴは無事に門の近くまで辿り着いた。
 しかし、門の前には冒険者らしき二人組の男が立っている。しきりに辺りを窺う様子を見れば、男たちもアロイヴを探しているのは明白だった。
 迂闊には出ていけない。
 それに男たちの目をなんとか掻い潜ったとしても、アロイヴにはもう一つの問題があった。

 ――開門まで、まだ時間がある。

 町の門は、朝になるまで開かない。
 空を見上げてみたが、夜明けの気配はまだ少し遠かった。
 門が開かなければ、町の外に出ることはできない。壁を無理やり越えるという手段もないわけではないが、魔法が使えないアロイヴにとって、それは男たちの目を掻い潜るよりも難しい。

 ――門が開くのが先か、見つかるのが先か。

 とにかく朝になるまでは、身を潜めておくしかない。
 一旦、門の見える場所から離れておこうと、アロイヴが踵を返そうとした――そのときだった。

「ちょこまかしやがって」
「――ッ!」

 すぐ近くから声がした。
 悪意を孕んだ低く掠れた男の声は、さっきも聞いたものだ。
 慌てて後ろを振り返る。
 そこに立っていたのは、路地で一度遭遇した腕に目立つ傷跡の持つ、あの冒険者だった。

「抵抗すんなよ。傷は極力つけんなって、言われてんだからよぉ」
「ぐ……ッ」

 男は乱暴にアロイヴの肩を掴んだ。
 タタワの攻撃魔法で負傷している箇所に気づいて、わざと指先をめり込ませながら、苦痛に顔を歪ませるアロイヴを愉しげな表情で見つめてくる。
 冒険者の中でも、やばい人間に見つかってしまったようだ。

「可愛い顔してんじゃねぇの。何をしたら、あんなやばそうなやつらに狙われるのかねぇ……楽に死ねたらいいけどなぁ」

 男はアロイヴを狙っている人間について、何か知っている様子だった。
 だが、詳しい話を聞ける状況ではない。
 この男は明らかに獲物を痛めつけることを愉しむタイプだ。話が通じる相手には思えない。

 ――やらないと、やられる。

 アロイヴは勇気を振り絞って、肩を掴んでいる男の手に爪を立てた。男はアロイヴの反撃に怯む様子すらなかったが、意外なことに、すぐにアロイヴから手を離す。
 アロイヴがつけた手の甲の傷を眺めながら、愉しそうに目を細めた。

「いいねぇ。これでお前を痛めつける理由ができた」
「……っ」
「足ぐらい折っても、報酬は変わんねぇだろ。ほら、遊ぼうぜ」

 すぐさま逃げ出したアロイヴを、男は本気で追ってはこなかった。ギリギリ逃げきれない速さでアロイヴを追い回し、心身どちらも疲弊させるつもりらしい。
 そんな男の目論見がわかっていても、アロイヴは全力で逃げるしかなかった。
 再び狭い路地へと足を踏み入れる。
 逃げ始めてから四つ目の角を曲がったところで、アロイヴは目を見開き、ゆっくりと足を止めた。
 そこが行き止まりだったからだ。

 ――あいつ、最初から僕をここに追い込むつもりで。

 人目のないこの場所で、アロイヴを痛めつける気なのだろうか。
 角の向こうから男の足音が近づいてくる。
 アロイヴは突き当たりの壁の前に立ち、男を待ち受けるしかなかった。せめて奇襲を――そう考えて、腰のポーチに手を伸ばす。
 そんなアロイヴの手首を、誰かの手が掴んだ。

「……ん、っ」

 驚いて悲鳴を上げそうになったアロイヴだったが、今度はその口を背後から伸びてきた手が塞ぐ。
 数瞬遅れて、路地の入り口に冒険者の姿が現した。
 男は眉を顰め、きょろきょろと辺りを見回している。

「くそ、あいつ。どこ行きやがった」

 目の前にいるアロイヴのことを、男は完全に見失っている様子だった。
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