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19 得たものと失ったもの
しおりを挟む「声が似ていたから、まさかと思って……いきなり声をかけてすまなかった」
魔術師の男性は魔獣から逃げるときに足に怪我を負ったのか、杖で身体を支えながら不自由そうにしていた。
こういう傷は、治癒の魔法やポーションで簡単に治せたりしないのだろうか。
疑問に思わなくはなかったが、この世界の常識がまだよくわかっていないアロイヴはおかしな質問をしてしまわないよう、極力口を閉ざしておくことにした。
――結構、若い冒険者の人だったんだ。
前髪で顔が半分隠れているので、はっきりとはわかりにくかったが、歳は二十代前半ぐらいに見えた。どことなく陰気な雰囲気があり、魔術師らしいといえばらしい。
彼が肩に羽織っている深い紺色のローブが、余計にそういう印象を与えているのかもしれなかった。
「助けてくれたこと、感謝している」
魔術師は杖を支えにしながら、アロイヴに向かって頭を下げる。
アロイヴは慌てて首を横に振った。
「いえ、僕はそんな助けたなんて……」
「そんなことはない。キミがあそこであの魔獣を引きつけてくれなければ、ボクはあそこで死んでいた……仲間たちと同じように」
――そっか……この人の仲間は。
あの場で倒れていた他の冒険者のことはアロイヴも確認していた。
やはり生き残れたのは、彼一人だけだったのだ。
どこか疲れた表情をしているのは、そういった心労のせいもあるのかもしれない。
「礼をさせてくれないか?」
「え?」
「宿を探しているなら、ボクの家を使ってほしい。嫁もキミに礼を言いたいと思うんだ。空き部屋があるから遠慮はいらない」
魔術師はそう言いながら、アロイヴに顔を近づけてくる。
あまりに必死な表情で言い寄られて、アロイヴは思わず一歩後ずさっていた。
「え、と……」
「夕食だけでもいい。どうだろう? その後は責任を持って宿を紹介する。宿屋の主人とは旧知の仲だ」
「……わかりました。夕食だけなら」
魔術師の勢いに押され、アロイヴは頷くしかなかった。
◆
――広場から、結構離れちゃったな。
タタワと名乗った魔術師の男性の案内で、アロイヴは町のはずれまできていた。住宅地の中でもかなり奥まった場所だ。
とはいえ、ナルカは広い町ではないので、そこまで時間がかかったわけではない。
ただ、入り組んだ道が続いていたせいで、自力で町の中心にある広場に戻るのは難しい気がした。
――夕食の後、宿まで案内してくれるって言ってたけど。
本当についてきてよかったのだろうか。
今さら不安になってくる。
「ここだ。入ってくれ」
「あ、はい」
案内された先は石造りの小さな一軒家だった。どうやらここがタタワの自宅らしい。
あたたかい色の明かりが点っている。
それを見た瞬間、さっきまでの小さな不安は消えてなくなっていた。
「おかえりなさい。あら、その子は?」
「ボクの命の恩人だ。名前は……えっと」
「ロイです」
「え、嘘……そんな。あなたが主人を助けてくれたの?」
出迎えてくれた人はタタヤの説明を聞くなり、涙ぐんでアロイヴの前に膝をついた。
この人がタタワの奥さんなのだろう。
アロイヴの手を両手で包み込み、ぽろぽろと涙をこぼしている。
「そんな、大したことをしたわけじゃ」
「あんな不利な状況、見かけても無視して当然だ。それなのにキミは魔獣をボクから引き離してくれた。逃げろと叫んでくれただろ」
あのときは、とにかく夢中だった。
また自分だけが助かるのが嫌で――あそこでアロイヴが魔獣の前に飛び出したのは、そんな自分本位な理由でしかなかった。
別に感謝されることでも、褒められることではない。そう思っていたけれど。
――それでも、僕は……この人たちの助けになれたんだ。
その結果だけは、確かだった。
◆
「…………ん」
息苦しさを感じながら、アロイヴは目を覚ました。
瞼がしっかり開かない感覚がする。視界も酷くぼやけていて、辺りがよく見えなかった。
――いつの間に、寝たんだっけ……?
記憶がはっきりしない。
思い出そうとすると、鋭く頭が痛んだ。
痛む頭を押さえようと手を動かそうとしたが、腕が重くてうまく持ち上がらない。
前にも似たようなことがあったが、そのときとは身体の様子が明らかに違っていた。
全身にぴりぴりと痺れのような痛みが走り、酷い寒気が止まらない。息が深く吸えないのも、この痺れが原因のようだった。
――気持ち悪い。
自覚すると、その症状はさらに増した。
息がうまく吸えない感覚と経験したことのない息苦しさに、アロイヴは死の恐怖を覚える。
はっ、はっ、と浅く短い呼吸を繰り返しながら、必死で直前の記憶を思い出そうとした。
――タタワさんの家で、食事をしたのは……覚えてる。
タタワの自宅に招かれ、彼の奥さんが作った料理を振る舞われた。
豪勢な食事とまではいかなかったが、彼らの出身地である西方の伝統料理はアロイヴの舌によく合っていた。
最近は果実しか食べていなかったアロイヴにとっては久しぶりの料理だ。
それもあって、余計に美味しく感じたのかもしれない。
最後にデザートとして、氷菓子が振る舞われた。タタワが氷魔法を使って仕上げた、繊細な見た目のデザートだった。
――そうだ。あれを食べた瞬間……僕は。
目の前が真っ暗になったのだ。
そして、気づいたらここにいた。ここはまだ、タタワの家だろうか。
――なんで、こんな。
タタワがあの氷菓子に毒を盛ったのだろうか。
そんなことは信じたくなかった。
使った魔法が偶然悪いように作用してしまったのかもしれない……その可能性だって、全くないわけではない。
――今は、この状況を……なんとかしないと。
身体の不調は続いていた。
頭は痛いし、気持ち悪さも酷い。何より全身の痺れがつらかった。
――そうだ……あれを使えば。
アロイヴは思いどおりに動かない手をなんとか動かして、自分の腰のあたりを探った。
指先に触れて感触に、ほっと胸を撫で下ろす。
アロイヴが探していたのは、カルカヤの店で買ったポーチだった。
ベルトに固定してあるそのポーチは、持ち主であるアロイヴ以外には使えない特別仕様の魔道具だ。ポーチを開いて中のものを取り出せないだけでなく、このベルトから勝手に外すこともできないようになっていた。
――確か、この中に……解毒薬が。
カルカヤが旅の必需品だと言って、ポーチに入れてくれたものの一つだ。
まさか、こんなにすぐに必要になるなんて。
欲しいものを思い浮かべながらポーチに触れると、手の中にスッと頭に浮かべたものが現れる。このポーチの使い方も、カルカヤから教わったものだった。
手に持った薬瓶をゆっくりと顔に近づけ、口で蓋をこじ開ける。口の周りにこぼれた薬液がついてしまったが、気にせずに中身を嚥下した。
甘ったるい中に薬らしい苦味を感じる、お世辞にも美味しいとはいえない味だ。
だが、効き目はすぐにあった。
一瞬のうちに、身体の不快感と違和感がすべてなくなる。身体も自由に動かせるようになった。
「解毒薬がきくってことは、やっぱり……」
それ以上は考えないことにした。
アロイヴはベッドから起き上がると、部屋の扉に近づく。
扉に耳を当てて、廊下の様子を確認してみたが、外から物音は聞こえてこなかった。
そっと扉を開けて、廊下に出る。
アロイヴが寝かされていた部屋は、一階の一番奥にある部屋だった。廊下の先に、玄関の扉が見えている。
その手前、光が漏れている部屋があった。食事のときに使った居間だ。
この場所から玄関に向かうには、居間の前を通るしかない。
アロイヴは足音を立てないよう、ゆっくりと廊下を進む。
居間から、人の声が漏れ聞こえてきた。
「まさか、あんなことをするなんて……あの子はあなたの命の恩人なのでしょう?」
タタワの奥さんの声だった。
「別に酷い目に遭わせる気はない。あの少年を引き渡すだけで大金が手に入るんだ。そういう話だった」
「――それでも」
「仲間は全員死んだ。彼らの家族のためにも金が必要なんだ。それなのに、ボクはこんな身体でしばらく仕事はできない……金を手に入れるには、もうこれしかないんだ。あの少年を売るしか」
二人の信じられないやり取りを聞きながら、アロイヴは暗い廊下で一人立ち尽くしていた。
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