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09 忘れられない誕生日
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アロイヴが、自分の意思で屋敷の外に出ることはない。
決められた範囲であれば許可を取る必要もないのに、この七年間でアロイヴが屋敷の外に出た回数は片手の指だけで足りるほどだった。
それだって自分の意思ではない。
神父に言われて仕方なく、わずかな時間だけ庭に出たことがあるぐらいだ。
外に興味がないわけではない。
特に最近は、紫紺が持ってくる草花や魔石について調べているうちに、前よりもこの世界に興味を持つようになっていた。
それでも、進んで外に出ようとは思わない。
外の世界が楽しいものだと知ってしまったら、知る前の自分には戻れなくなる。自分は決まった範囲より外に出ることは許されていないのに、己の首を絞めるような真似はしたくない。
そう思っていたはずなのに――、
「特別な日なんですから、特別なことをしましょう」
そんなケイの誘いに乗ってしまった。
アロイヴも、自分の誕生日に少し浮かれてしまっていたのかもしれない。
お祝いだといって、ケイから屋敷の裏庭へと誘われた。
アロイヴの部屋の窓から見下ろせる庭だ。
裏庭は中央にある庭園に比べて、自然のままの部分が多く残っていた。屋敷を背にして右側のエリアは特に自然木が多く、その生い茂り方は『庭の中に小さな森がある』と言ってしまっていいぐらいだ。
それに比べて、左側のエリアは庭師の手によって、丁寧に整えられているのがよくわかる。時期に合わせて植え替えが行われている花壇は今、鮮やかな黄色の花が満開だった。
――あ、これ……一昨日、紫紺が持ってきた花だ。ここに咲いてるのを摘んできたのかな?
一昨日の夜、アロイヴは一足先にこの花を見ていた。
その花は、今もまだ部屋に飾ってある。
――そういえば……屋敷から出てない僕の部屋にこういう花が置いてあっても、ケイに何か聞かれたことはないな。
どこで手に入れたのかと問い詰められてもおかしくないのに、ケイはいつも気にする様子すら見せない。
――この前は、花瓶の水だって換えてくれたし。
ケイには、甘えっぱなしだった。
今さら取り繕っても仕方ないだろうが、今後はもう少し、気をつけたほうがいいかもしれない。
「アロイヴ様、こちらです」
「何、ここ……すっごく綺麗」
花壇を通り過ぎた先、ケイに案内された場所にあったのは、美しい花に囲まれたドーム型のガゼボだった。
こんなものが裏庭にあったなんて。
手前に大きな樹木が並んでいるせいで、アロイヴの部屋からは見えなかったらしい。まるで秘密基地だ。
しっかりと踏みならしてある小道を通って数段ある石段を上れば、ガゼボの中に入ることができた。
「わあ……っ」
ガゼボの中央にあるテーブルに並べられた料理に気づいて、アロイヴは感嘆の声を上げた。
隣に立つケイを見ると、その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「料理はアロイヴ様の好物を用意してもらいました。どれも気に入ってらしたものばかりでしょう?」
「なんで……好きだって教えたことないのに」
「アロイヴ様って顔にはあまり出ないのですが、美味しいときに足先を揺らす癖があるんですよ」
「え、嘘……っ」
「嘘かどうかは、ここに並んでいる料理見ればわかっていただけると思いますが?」
――本当に、僕の気に入ってる料理ばっかりだ。
足先の動きなんて気にしたことがなかった。
そんなところまで、ケイに見られていたなんて。
「……恥ずかしいんだけど」
愚痴のようにこぼしたアロイヴの声を聞いて我慢できなかったのか、ケイが声を上げて笑った。
◆
「私からのプレゼントです」
「え……これって」
食事を終えた後、ケイから手渡されたプレゼントを見て、アロイヴは目を見開いたまま固まった。
木製のしおりだ。
控えめな光沢感の中に繊細な木目が浮かび上がるそれは、丁寧に磨き込まれたものだということが一目でわかる。
だが、アロイヴが驚いたのはその部分ではなかった。
「これ……影狐だよね?」
「ちゃんと、わかっていただけてよかったです」
「わかっていただけて、って……え、もしかして手作り? このしおり、ケイが作ってくれたの?」
「不肖ながら。木を削る作業は久しぶりだったのですが、作り始めたら凝ってしまって」
「本当にすごいよ、これ」
しおりには、影狐のモチーフが彫り込まれていた。
絵として描かれているのとは違い、凹凸で表現された影狐は光の当たり具合によって様々な表情を見せる。特徴的な尻尾の部分が透かしになっており、テーブルに落ちる影まで美しかった。
アロイヴはいろんな角度からしおりを眺めて、ほうっと吐息を漏らす。
「ケイ、ありがとう。すごく気に入ったよ。大切にする」
「喜んでいただけて嬉しいです」
満足そうに微笑むケイに釣られて、アロイヴも笑顔になった。
贈られたしおりをもう一度じっくりと眺めて、ふと気になったことを口にする。
「そういえば、ケイは本物の影狐を見たことはあるの?」
「いえ。実は会えたことがないんです。彼らは姿を隠すのがうまいので……一度でいいから、会ってみたかったのですが」
「それなら――」
ケイに会わせたい子がいる、と言葉を続けるつもりだったアロイヴだが、あることに気づいて言葉を止めた。
ケイの表情の変化だ。
先ほどまでの穏やかさから一転、強張った表情を浮かべている。
ケイの視線は、木の生い茂っている庭の反対側へと向けられていた。
「……ケイ、どうかした?」
「いえ、すみません。視線を感じた気がしたのですが……おそらく気のせいです。昨日寝ていないせいで、神経が過敏になっているのかもしれませんね」
「寝てないの? あ、もしかして……しおりを作ってくれてたから? 僕のせい?」
心配して立ち上がったアロイヴの頭に、ケイの大きな手が優しく触れた。
こんな風に誰かに触れられたのはいつぶりだろう。手のひらから伝わってくるあたたかさに、なぜが目の奥が熱くなる。
「せい、なんて言い方はやめてください。私はアロイヴ様を驚かせたかったんです。それに、笑顔にもなってほしかった」
「それなら充分驚いたし、すごく嬉しかったよ」
「ええ、伝わりました。だから自分のせいなんて思わず、私の気持ちを受け取ってください。まあ……普段、アロイヴ様の夜更かしを注意する立場としては、反省すべき行動なんですけどね」
ケイは茶化すようにそう言って、笑ってみせた。
――やっぱり、ケイは優しい。
それに、アロイヴのことを大切にしてくれているのが伝わってくる。
役目だからではなく、自分がそうしたいから――そう思ってくれているのがわかるからこそ、ケイの言葉は素直に受け入れられるのだろう。
自分も、ケイのような考え方で生きられたらよかったのに。
「冷えてきましたね。部屋に戻りましょうか」
「そうだね。今日はケイにも早く休んでほしいし。昨日の分もたっぷり眠らないとね」
「ええ。そうします」
ガゼボを出たアロイヴの髪を、風が優しく揺らす。
舞い上がった花びらを目で追うように振り返ったアロイヴは、ガゼボの周囲に咲く美しい花々をもう一度、目に焼きつけた。
――また、別の花が咲いてるときにも見にきたいな。
それは、数時間も経たないうちに叶わない願いとなった。
決められた範囲であれば許可を取る必要もないのに、この七年間でアロイヴが屋敷の外に出た回数は片手の指だけで足りるほどだった。
それだって自分の意思ではない。
神父に言われて仕方なく、わずかな時間だけ庭に出たことがあるぐらいだ。
外に興味がないわけではない。
特に最近は、紫紺が持ってくる草花や魔石について調べているうちに、前よりもこの世界に興味を持つようになっていた。
それでも、進んで外に出ようとは思わない。
外の世界が楽しいものだと知ってしまったら、知る前の自分には戻れなくなる。自分は決まった範囲より外に出ることは許されていないのに、己の首を絞めるような真似はしたくない。
そう思っていたはずなのに――、
「特別な日なんですから、特別なことをしましょう」
そんなケイの誘いに乗ってしまった。
アロイヴも、自分の誕生日に少し浮かれてしまっていたのかもしれない。
お祝いだといって、ケイから屋敷の裏庭へと誘われた。
アロイヴの部屋の窓から見下ろせる庭だ。
裏庭は中央にある庭園に比べて、自然のままの部分が多く残っていた。屋敷を背にして右側のエリアは特に自然木が多く、その生い茂り方は『庭の中に小さな森がある』と言ってしまっていいぐらいだ。
それに比べて、左側のエリアは庭師の手によって、丁寧に整えられているのがよくわかる。時期に合わせて植え替えが行われている花壇は今、鮮やかな黄色の花が満開だった。
――あ、これ……一昨日、紫紺が持ってきた花だ。ここに咲いてるのを摘んできたのかな?
一昨日の夜、アロイヴは一足先にこの花を見ていた。
その花は、今もまだ部屋に飾ってある。
――そういえば……屋敷から出てない僕の部屋にこういう花が置いてあっても、ケイに何か聞かれたことはないな。
どこで手に入れたのかと問い詰められてもおかしくないのに、ケイはいつも気にする様子すら見せない。
――この前は、花瓶の水だって換えてくれたし。
ケイには、甘えっぱなしだった。
今さら取り繕っても仕方ないだろうが、今後はもう少し、気をつけたほうがいいかもしれない。
「アロイヴ様、こちらです」
「何、ここ……すっごく綺麗」
花壇を通り過ぎた先、ケイに案内された場所にあったのは、美しい花に囲まれたドーム型のガゼボだった。
こんなものが裏庭にあったなんて。
手前に大きな樹木が並んでいるせいで、アロイヴの部屋からは見えなかったらしい。まるで秘密基地だ。
しっかりと踏みならしてある小道を通って数段ある石段を上れば、ガゼボの中に入ることができた。
「わあ……っ」
ガゼボの中央にあるテーブルに並べられた料理に気づいて、アロイヴは感嘆の声を上げた。
隣に立つケイを見ると、その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「料理はアロイヴ様の好物を用意してもらいました。どれも気に入ってらしたものばかりでしょう?」
「なんで……好きだって教えたことないのに」
「アロイヴ様って顔にはあまり出ないのですが、美味しいときに足先を揺らす癖があるんですよ」
「え、嘘……っ」
「嘘かどうかは、ここに並んでいる料理見ればわかっていただけると思いますが?」
――本当に、僕の気に入ってる料理ばっかりだ。
足先の動きなんて気にしたことがなかった。
そんなところまで、ケイに見られていたなんて。
「……恥ずかしいんだけど」
愚痴のようにこぼしたアロイヴの声を聞いて我慢できなかったのか、ケイが声を上げて笑った。
◆
「私からのプレゼントです」
「え……これって」
食事を終えた後、ケイから手渡されたプレゼントを見て、アロイヴは目を見開いたまま固まった。
木製のしおりだ。
控えめな光沢感の中に繊細な木目が浮かび上がるそれは、丁寧に磨き込まれたものだということが一目でわかる。
だが、アロイヴが驚いたのはその部分ではなかった。
「これ……影狐だよね?」
「ちゃんと、わかっていただけてよかったです」
「わかっていただけて、って……え、もしかして手作り? このしおり、ケイが作ってくれたの?」
「不肖ながら。木を削る作業は久しぶりだったのですが、作り始めたら凝ってしまって」
「本当にすごいよ、これ」
しおりには、影狐のモチーフが彫り込まれていた。
絵として描かれているのとは違い、凹凸で表現された影狐は光の当たり具合によって様々な表情を見せる。特徴的な尻尾の部分が透かしになっており、テーブルに落ちる影まで美しかった。
アロイヴはいろんな角度からしおりを眺めて、ほうっと吐息を漏らす。
「ケイ、ありがとう。すごく気に入ったよ。大切にする」
「喜んでいただけて嬉しいです」
満足そうに微笑むケイに釣られて、アロイヴも笑顔になった。
贈られたしおりをもう一度じっくりと眺めて、ふと気になったことを口にする。
「そういえば、ケイは本物の影狐を見たことはあるの?」
「いえ。実は会えたことがないんです。彼らは姿を隠すのがうまいので……一度でいいから、会ってみたかったのですが」
「それなら――」
ケイに会わせたい子がいる、と言葉を続けるつもりだったアロイヴだが、あることに気づいて言葉を止めた。
ケイの表情の変化だ。
先ほどまでの穏やかさから一転、強張った表情を浮かべている。
ケイの視線は、木の生い茂っている庭の反対側へと向けられていた。
「……ケイ、どうかした?」
「いえ、すみません。視線を感じた気がしたのですが……おそらく気のせいです。昨日寝ていないせいで、神経が過敏になっているのかもしれませんね」
「寝てないの? あ、もしかして……しおりを作ってくれてたから? 僕のせい?」
心配して立ち上がったアロイヴの頭に、ケイの大きな手が優しく触れた。
こんな風に誰かに触れられたのはいつぶりだろう。手のひらから伝わってくるあたたかさに、なぜが目の奥が熱くなる。
「せい、なんて言い方はやめてください。私はアロイヴ様を驚かせたかったんです。それに、笑顔にもなってほしかった」
「それなら充分驚いたし、すごく嬉しかったよ」
「ええ、伝わりました。だから自分のせいなんて思わず、私の気持ちを受け取ってください。まあ……普段、アロイヴ様の夜更かしを注意する立場としては、反省すべき行動なんですけどね」
ケイは茶化すようにそう言って、笑ってみせた。
――やっぱり、ケイは優しい。
それに、アロイヴのことを大切にしてくれているのが伝わってくる。
役目だからではなく、自分がそうしたいから――そう思ってくれているのがわかるからこそ、ケイの言葉は素直に受け入れられるのだろう。
自分も、ケイのような考え方で生きられたらよかったのに。
「冷えてきましたね。部屋に戻りましょうか」
「そうだね。今日はケイにも早く休んでほしいし。昨日の分もたっぷり眠らないとね」
「ええ。そうします」
ガゼボを出たアロイヴの髪を、風が優しく揺らす。
舞い上がった花びらを目で追うように振り返ったアロイヴは、ガゼボの周囲に咲く美しい花々をもう一度、目に焼きつけた。
――また、別の花が咲いてるときにも見にきたいな。
それは、数時間も経たないうちに叶わない願いとなった。
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