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03 黒い獣との出会い

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 アロイヴは、ケイの運んできてくれた食事にほとんど手をつけずに、自室へと戻ってきた。無理やりに口に運んだスープが、まるで泥水のように感じられたからだ。
 メンネの話を聞いたせいだった。
 メンネをはじめとする少年たちは、アロイヴがショックを受けた理由を『また先を越されせい』と勘違いしたようだったが、実際はそうではない。
 だが、今の感情を誰かに説明する気はなかった。

「アロイヴ様、大丈夫ですか? 少しでもいいので、食べてくださいね」

 心配したケイが部屋まで食事を運んでくれたが、今は何も食べられそうにない。
 料理の乗ったトレイをテーブルに置くケイを横目で見ながら、アロイヴはベッドに腰を下ろした。

 ――頭が重い。

 上半身を折り曲げ、両手で頭を抱える。
 深い溜め息を吐き出したが、気分に変化はなかった。

「……ケイ、ごめん。しばらく一人になりたい」
「わかりました。ベルを鳴らしていただければすぐに参りますので、いつでもお呼びください」

 ケイは念を押すように告げてから、部屋を出ていった。
 ぱたん、と扉が閉まる。

「なんなんだろう……この世界って」

 アロイヴは俯いたまま、誰に聞かせるでもなく吐き出した。
 異世界転生は、もっと楽しいものだと思っていたのに……この仕打ちはなんなのだろう。
 たとえ、そこが剣と魔法のファンタジー世界であっても、こんなところに軟禁されていては、なんの意味もない。
 その上、自分に与えられた役割は〈魔王の生贄〉だ。
 魔王の餌になって死ぬことを、世界から望まれているのだ。

「……もう、どうだっていい」

 自分のことも、他人のことも。
 今まで何人もの同じ生贄の称号を持つ少年たちを見送ってきた。彼らを思って泣くことに意味がないと気づいたのは、いつだっただろう。
 そんなことをしても、結局誰も救えない。
 そう気づいたときから、泣けなくなった。
 涙が流せなくなった代償なのか、最近は虚無感と脱力感に襲われることが多い。
 心が限界なのかもしれなかった。
 自分で死を選ぶことができればいいのに、それも許される立場ではない。

「せめて、魔法が使えたら……」

 ぽつりと呟いたアロイヴは、自分の左足首へと視線を向けた。そこには、金の足環が嵌められている。
 アロイヴが生贄の称号を持っているとわかったその日に、神父の手で嵌められたものだった。
 足環は、魔力制御の術式が刻まれている魔術具だ。
 この足環のせいで、アロイヴは魔法を使うことができなかった。

「魔力は、魔族の餌だから……」

 生贄が魔法を禁じられるのは、魔力を身体に蓄え、より美味しく食べてもらうため――誰かに直接そう説明されたわけではないが、少し考えればわかることだった。
 六年以上、体内に魔力を貯め続けたアロイヴの身体は、どこまで美味しくなっているのだろう。
 そんなことを考えていたときだった。

「?」

 カタン、と何か硬いものがぶつかる音がした。背中側にある窓のほうからだ。
 おそるおそる振り返ると、内開きの窓が少し開いていた。
 アロイヴは眉を顰め、首を傾ける。夕食前、ケイが窓を閉めているところを見た気がしたからだ。

 ――記憶違いかな……?

 そう思うと、途端に自信がなくなってくる。

「……閉めよう」

 窓の隙間から流れ込んでくる冷たい外気になんとなく不気味さを覚えながら、アロイヴは窓に向かって手を伸ばす。
 そんなアロイヴの手の甲に、何が柔らかいものが触れた。

「わ……っ!」

 驚いて、手を引っ込める。
 アロイヴが叫んだのと同時に、黒い物体が素早い速度で視界を横切った。

 ――……今の、何?

 アロイヴの動体視力では、黒い物体の正体を見極めることはできなかった。だが、開いた窓の隙間から何かが部屋に入り込んできたことは確かだ。
 虫のような小さいものではなかった。
 結構、しっかりとした大きさだった気がする。

「…………!」

 また、音がした。
 ベッドと壁の隙間からだ。
 そこには僅かな空間しかないはずなのに、どうやら部屋に侵入してきた何かは、その隙間に身を隠しているようだった。
 アロイヴは、そろそろと立ち上がる。
 音の聞こえた場所から目を離さないようにしたまま数歩後ろに下がり、ベッドと距離を取った。

 ――ケイを呼んだほうがいいのかな。

 ベルを鳴らせば、ケイはすぐにでも来てくれるだろう。
 しかし、肝心のベルを置いている場所が悪い。ベルはベッドの脇、何かが隠れている場所の近くにある。
 それでも、扉に向かうよりは近かった。
 アロイヴはなるべく足音を立てないように、ベルが置いてある場所に近づく。

 ――もう少し。

 あと少しで、ベルに手が届く。
 アロイヴがベルの持ち手を握ろうとした瞬間、視界でまた黒いものが動いた。
 さっきとは違って、今度はゆっくりとした動きだ。
 ふぁさ、ふぁさ、と揺れる黒い物体を見て、アロイヴはベルを手に取るのをやめた。

「尻尾……?」

 ベッドの隙間からはみ出して揺れていたのは、柔らかそうな毛がふさふさと生えた真っ黒な尻尾だった。



 アロイヴはしばらく、尻尾の揺れを見つめていた。
 尻尾の長さはアロイヴの手の先から肘のあたりぐらい、形はふっさりとした犬や狐のものに似ている。

 ――この世界で家畜以外の動物を見たのは、初めてかも。

 まだ家族と住んでいる頃、家畜として飼われている動物を一度だけ見たことがあった。ここにきてからは、一度もない。

 ――隠れているのは、どんな生き物だろう。

 危ない生き物かもしれなかったが、機嫌よさげに揺れる尻尾の動きが、アロイヴに警戒心を抱かせなかった。
 さっきまでの沈んだ気持ちを忘れて、アロイヴはふわふわと揺れ続ける尻尾に近づく。

「君は、危険な生き物だったりする?」

 気づけば、尻尾に向かってそう話しかけていた。
 そして、ふと昔の記憶を思い出す。

『お兄って、フツーに動物に話しかけるよね』

 アロイヴとしての記憶ではない。
 前世、妹に揶揄われた記憶だ。一緒に食卓を囲んでいた両親の笑い声まで思い出す。
 懐かしくあたたかい記憶が蘇ったせいで、胸の奥がちくちくと痛んだ。

 ――前世のことは、あんまり思い出さないようにしてたのに。

 この世界で十四年間生きてきて、前世の記憶があってよかったことなんて一度もない。
 前世の記憶なんて、邪魔でしかなかった。
 こんな記憶さえなければ、アロイヴもメンネたちのように生贄であることを誇りに思えたかもしれないのに……こんな理不尽な感情を抱え続けることも、今のように苦しむこともなかったかもしれないのに。

「…………っ」

 胸が、さらに痛んだ。
 誤魔化すように胸を掻きむしっても、精神的なものからくる息苦しさはどうにもならない。
 アロイヴはその場にしゃがみ込んだ。
 またしても暴れ出した負の感情を抑え込む方法がわからない。

「う、く……ッ」

 喉奥から嗚咽の代わりに込み上げた気持ち悪さに、両手で口元を押さえる――そのときだった。
 もふもふとしたあたたかいものが、しゅるんとアロイヴの首元に巻きつく。宝石のようにキラキラと輝く紫色の瞳が、アロイヴの顔をじっと見つめていた。
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