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最終章 ステージ上の《Attract》
45 ヴィランの親玉
しおりを挟む公演時間が押した都合上、最終審査の発表は明日の夜へと繰り越されることになった。終電など、観客の帰宅に影響が出ることが懸念されたからだ。
純嶺たちがステージを降りた後、景塚社長自らが観客の前に出て、謝罪と説明を行なった。
審査の発表は配信サイトとテレビの両方で生中継されるらしい。
純嶺たちも、その説明を舞台袖で聞いていた。
「……明日の夜まで生殺しかよ」
「ほんまやで。今日ですっきりできると思とったのに」
真栄倉の呟きに、田中が全力で同意している。
他のメンバーも皆、なんともいえない表情を浮かべていた。全員、同じような気持ちなのだろう。
「あーあ。まだ、踊り足りねえな」
その様子をぼんやりと眺めていた純嶺の肩に、染が顎を乗せてきた。
他のメンバーとは違った意味で不満げな表情を浮かべている。
「そうだな」
純嶺の気持ちも、染のほうに近かった。
審査の結果も気にはなるが、今はステージで感じた熱と興奮が忘れられない。
さっきまで自分が立っていたステージのほうへ視線を向けた。
――もっと、あそこに立っていたかった。
そう思わずにはいられなかった。
さっきの一曲に、今の自分に出来るすべてをぶつけられたとは思う。中間審査のときとは違う、確かな充足感だってあったが、それとこれとは別だ。
あんな感覚を知ってしまったら――またステージに立ち、観客の前で踊ることを願わずにはいられない。
「欲求不満って感じの、いい顔してんじゃん」
そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、染に横から揶揄うように言われた。
でも、染も同じだ。
熱のこもった視線をステージに向けている。
きっと、純嶺もさっき同じような表情でステージを見つめていたのだろう。
「芦谷」
突然、後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、数歩離れたところに蘭紗が立っている。
蘭紗は純嶺と視線を合わせるなり、染を押しのけるように近づいてきた。いきなり、純嶺の二の腕のあたりを両側から挟むように掴む。
「……蘭紗?」
純嶺が戸惑った声で名前を呼んでも、蘭紗には聞こえていないようだった。
真剣な表情でぺたぺたと純嶺の身体に触れてくる。
気の済むまで全身くまなく触れた後、今度はじっと純嶺の顔を見上げてきた。
その瞳が水面のように、じわりと潤む。
「無事で、よかった……」
そう呟いて、ぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。
どうやら蘭紗は、実際に触れることで純嶺の無事を確認していたらしい。
嗚咽に身体を震わせている蘭紗の肩に手を乗せる。
宥めるように触れていると、いつの間にか蘭紗の後ろに立っていた真栄倉が、呆れた表情で蘭紗の顔を覗き込んでいた。
「さっき散々泣いたのに、まだ泣くのかよ」
「うる、さいっ。キミだって、泣いてただろ!」
「泣いてねえし!」
この二人は相変わらずのようだ。
だが、前のように犬猿の仲だとは思わない。思っていることを遠慮なく言い合える相手として、二人はとても相性がよさそうだった。
黙って二人を眺めていると、大きく溜め息をついた真栄倉が、ぺしりと蘭紗の額を叩く。
「お前らが変な空気になってるから、スタッフが近づけなくて困ってただろうが」
真栄倉の言うとおり、少し離れたところでスタッフが困った表情を浮かべてこちらを見ていた。
周りのメンバーたちも遠巻きで、純嶺たちのことを気にしている様子だ。
「んで、そのスタッフからお前に伝言。着替え終わったら、応接室に顔出せってよ」
「……応接室?」
「社長から話があるらしい」
真栄倉は「伝えたからな」と念押すように純嶺に言うと、蘭紗の首根っこを鷲掴みにする。
ずるずると引きずるように蘭紗を回収していった。
◇
着替えを終えた純嶺は真栄倉に言われたとおり、ホール内にある応接室の前に来ていた。
扉の札は〔在室中〕になっているので、人が中にいるのは間違いない。入っていいものか悩んでいると、隣から伸びてきた手が純嶺より先にその扉をノックした。
「……おい」
「あっちから呼び出されたんだし、大丈夫だろ」
その手の持ち主は染だ。
社長に呼び出されたのは純嶺だけだったが、今は染と離れられる気がしなかったので、ここまで一緒に来てもらった。
おそらくは支配を受けているせいだろう。
染は悪びれる様子もなくそう言うと、中からの返事も待たずに扉を開く。止める間もなかった。
「……失礼します」
一応そう声を掛けながら、染に続いて部屋の中へと入る。
応接室は縦に長い部屋だった。
中央には正方形の机が二台並べられており、それを囲うように椅子が八席置かれている。
社長は扉から一番遠い、正面の席にいた。
純嶺たちが部屋に入ってきたのに気づいて、顔を上げる。
「呼び出してすまないな」
「……いえ」
社長は純嶺の隣に染がいることに気づいても、驚いた素振りは見せなかった。
平然とそう言いながら、手元のノートパソコンを閉じる。その隣に置いてあったスマホも画面を机に伏せるように裏返した。
「座りなさい。身体はまだ万全じゃないのだろう?」
「……あの」
「なんだ?」
「ありがとうございました……おれに、機会を与えてくださって」
勧められた席に座る前に、純嶺は社長に向かって頭を下げた。
このステージに立つことができたのは、自分を信じて待ってくれた人たちのおかげだが、それはメンバーやファンだけで成し遂げられることではない。
誰より、この人が働きかけてくれなければ実現しなかったことだ。表立って動いているように見えなくても、きっと裏で奔走してくれていたに違いない。
「それを君に先に言われてしまうと、私の立つ瀬がないな。今回の事件は私の管理が行き届かなかったために起こってしまったことだ。君を危険な目に合わせてしまい、本当にすまなかった」
社長は立ち上がってそう言うと、純嶺に向かって深々と頭を下げた。まさかそんなふうに謝罪されるとは思っていなかったので、純嶺は困惑した視線を隣の染へと向ける。
染は飄々とした表情を浮かべていた。
まるで社長ならこうすると、わかっていたような顔だ。
頭を上げた社長が、柔らかく目を細めながらこちらを見ていた。
「ほら、座るぞ」
「あ、ああ……」
染に促されて、着席する。
社長も純嶺たちの正面の席に移動し、遅れて腰を下ろした。
「あの、話って」
「一昨日から昨日にかけて、君が巻き込まれた事件に関する話をしておこうと思ってね。君があまり思い出したくないというのなら、やめておくが」
「知りたいです」
染が隣にいてくれるおかげか、あのときのことを思い出しても不安を感じることはなさそうだった。
むしろ、自分が気を失った後に何があったかのほうが気になる。
「無理はすんなよ」
染が純嶺の肩に触れてきた。
「お前がいれば平気だ」
「だからさ、アンタ……その言い方」
何か言い方を間違えただろうか。
染がなんともいえない表情を浮かべている。
首を傾げていると、社長の座っているほうから、ふっと息を漏らすような声が聞こえた。
「笑ってんじゃねえよ、おっさん」
「おや、社長に向かってひどい言い草だな」
いきなり社長に対して暴言を吐いた染に驚いたが、言われた本人は全く気にしていない様子だ。
むしろ、面白いものを見るかのような目で、こちらを眺めている。
「……いいから、さっさと話せよ」
「そうだな。ではまず、芦谷くんが気を失った後のことから話そうか」
社長はそう前置きすると、一つ咳払いをした。
姿勢を正して、純嶺のほうへと向き直す。
「あの朝、おそらくは君が緊急用の鎮静剤を使用した直後だろう。私宛に一本の電話が入ったんだ。その内容は『芦谷純嶺が鎮静剤のショック症状により危険な状態だ』というものだった。それと同時にGPSで君たちの居場所が送られてきたんだ」
「その電話は……一体、誰が?」
「使われた端末は芦谷くんのものだった。掛けてきたのは、君を執拗に追いかけたという犯人だ」
「……あいつが?」
まさかの相手だった。
あの犯人は純嶺を害そうとしていたはずなのに、そんな純嶺のために助けを呼ぶなんて。
「本人曰く『いい遊び相手だと思ったのに、あそこまではっきり拒絶されちゃったらね』だそうだが……私も彼の考えは理解できなかった。悪意と善意の境目がはっきりしない、ああいう人間のほうが厄介だな」
社長も犯人の言動や行動を理解できているわけではない様子だった。
眉間を指で押さえながら、溜め息をついている。
「あいつは捕まったんですか?」
「いや……我々が君たちの元に駆けつけたときには、すでに逃げた後だったよ。蘭紗くんが言うには、直前まで一緒だったらしいが」
「……蘭紗にも、危害は加えなかったのか」
「そのようだな」
――一体、何がしたかったんだ。
考えを理解できない相手というのは少なからずいるものだが、その中でもあの犯人は純嶺の想像する範囲を完全に逸脱しているようだ。
考えてもわかりそうにない。
「……そういえば、あいつは雇われたって」
「ああ。彼が雇い主だと明かした主犯の二人については、すでに自分たちの罪を認めている。うちのオーディションメンバーから、そんな人間が出たことについては非常に遺憾だが――蘭紗くんとも相談して、彼らの処分については私に一任してもらうことにした」
「警察には突き出さないんですか?」
「事件としては処理してもらうつもりだが、望む結果にならないことは目に見えているからな。今回の事件はDomとSubの間で起きたことだ。それも被害者がSubとなれば、まともに処理はされないだろう――こんなこと、言いたくはないがな」
「…………」
なんとなく、そんな気はしていた。
加害者がDomで被害者がSubの場合、警察に届け出たところで事件は大きく取り扱われないことがほとんどだ。
別に今に始まったことではない。
それに対して声を上げるものもいないわけではなかったが、どれだけ多くのSubが声を上げたところで、その待遇が改善される気配はなかった。
社長はそんなSubの待遇に不満を持っているようだった。
その上で、自分が彼らに処分を下すと言っているのだ。その言葉を信じるしかなさそうだった。
「今回事件を起こした彼らが表舞台に立つことは二度とない。君たちに接触することもな。それについては約束する」
「……蘭紗がそれでいいと言ってるなら、おれから言うことはありません」
一番の被害者は蘭紗だ。
その蘭紗がそれでいいと言っているのであれば、純嶺から言えることはない。
「彼らには、己の行いを嫌というほど後悔させてやろうと思っている」
「っふは。俺たちにヴィランやらせといて、おっさんのほうがよっぽど悪役みたいな台詞吐いてんじゃん」
「君たちの親玉だからな。それに、Domはどんな手段を使ってもSubを守るものだと、君にも教えたはずだが?」
「俺はそれを守れるいい子だろ?」
「なんだ。君は褒めてほしかったのか?」
「いらねえし」
茶化すように会話に混ざってきた染が、しっしっと社長を追い払うように手を動かす。
そんなことをしても、やはり社長に気にする様子はない。
むしろ愉快そうに笑っていた。
「……二人は、親しいのか?」
純嶺から見ても、二人は親しい間柄のようにしか見えなかった。
少なくとも、社長とそのプロダクションが企画するオーディション参加者の一人といった関係には見えない。
純嶺の質問に、染が「ああ」と頷いた。
「親しいっつうか、昔からの知り合いではあるな。うちの父親の関係で」
そういえば、染の父親は有名なバレエダンサーだと話していた。
芸能関係ということで景塚社長と繋がりがあっても、何もおかしなことはない。
「あ、でも、オーディションはガチだからな?」
「それはわざわざ言われなくてもわかってる。お前の実力は、誰が見ても本物だからな」
「あー……うん」
どうして、そこで歯切れの悪い返答になるのだろう。
染は頭をぽりぽりと掻きながら、すっと純嶺から視線を逸らす。
それを見た社長がまた、ふっと息を漏らすように笑った。
「さて、と……話が逸れてすまない。他に何か気になることはあるか?」
「……いえ、特には」
「では、この辺にしておこうか。また何か気にかかることがあればいつでも言いなさい。体調の変化があった場合もな。遠慮は必要ない」
「わかりました」
「ああ、それと……失礼」
社長は急に立ち上がったかと思えば、机越しに身を乗り出し、純嶺に顔を近づけてきた。
チカッと一瞬、電灯がちらついたような感覚を覚える。
不思議な感覚に純嶺は首を傾げた。
「やはり、今の状態ではグレア自体に反応しないようだな」
「え、と……?」
「おいおい、何してんだよ。おっさん」
染が純嶺の肩を掴んで、自分のほうへと引き寄せる。
後ろから身体を抱き込みながら、純嶺の目を手で覆った。
「なんともないか?」
「……なんともって、何がだ?」
「おっさんがグレアを当てやがったんだよ……ったく、油断も隙もありゃしねえ」
「…………?」
グレアの気配など、全く感じなかった。
もしかして、あの電灯がちらついたように思えた感覚がそうだったのだろうか。
「君たちには本当に驚かされるよ。まさかグレアとコマンドで、そんなことができるなんてね」
「気が済んだかよ。実験ならもういいだろ。コイツに触んな、クソが」
純嶺を自分の腕の中に隠しながら、染が暴言を吐き続けている。
「おっさんの次はクソか。昔はあんなにも可愛くて行儀正しい子だったというのに、人というのは変わるものだな」
「アンタに言われたかねえよ」
「芦谷くんと君が出会うきっかけを作ったのは誰なのか、忘れたわけではないのだろう?」
「フェスに連れてってくれただけじゃねえか。意味深な言い方すんな」
「フェス……?」
――おれと、染が出会ったのはやっぱり……このオーディションが初めてじゃないのか?
正確には、染とはオーディションの前にプレイルームでも会っていたが、そのときの話でもない。
フェス――その言葉に純嶺の記憶が呼び起こされる。
「詳しい話はこの大きな子供から直接聞きなさい。染くん、執着の激しいDomは嫌われるぞ?」
「いいんだよ。俺はこれで」
「っははは。まあ、いい。ではまた明日」
それだけ言うと、社長は応接室から出ていってしまった。
染と二人きりで部屋に残される。
「……アンタも気をつけろよな」
「お前は心配性なんだな」
「アンタが他のやつに跪いてるとこなんか見たくねえんだよ」
不貞腐れた染が、後頭部にこつりと額をぶつけてくる。
「そうだな。おれも――お前以外に支配されるのは嫌だった」
それは今の言葉だけに対する発言ではない。
あの注射を打つ前、純嶺が強く願ったことだ。
「はぁ……ったく、アンタってそういうとこ……」
脱力した染が、今度は純嶺の肩に頭を乗せた。
そのまま、ぐりぐりと顔を押しつけてくる。
触れた場所から伝わってくる熱の高さが、とても心地よく思えた。
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