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最終章 ステージ上の《Attract》
44 《Attract》
しおりを挟む変化が起こったのは、身体だけではない。
染の放ったコマンドは純嶺の心にも影響を与えていた。
あれだけ感じていた不安が一切なくなっている。不安がどういう感覚だったのかすら思い出せないぐらいの大きな変化だ。
あたたかいものに包まれ、守られているかのような――そんな穏やかな心地だった。
これがDomに支配されている感覚だなんて、一体誰が思うだろう。
でも正真正銘、純嶺は染の支配によって縛られていた。
「……うまくいった?」
染が確かめるように、純嶺の顔を覗き込んでくる。
無言のまま純嶺が頷くと、染は脱力するようにその場にしゃがみ込んだ。
「よかった……」
その呟きには、安堵以外にも様々な感情が入り混じっているように聞こえた。
そんな染の隣に、純嶺も同じように腰を下ろす。
気配に気づいた染が顔を上げ、純嶺と視線を合わせた。
「こうなる自信があったわけじゃないのか?」
「……あるわけねえじゃん。アンタが信じてくれなかったら、俺にはどうすることもできなかったわけだし」
純嶺の問いにすぐさま首を横に振ったかと思えば、染にしては珍しく、謙虚な言葉が返ってきた。
純嶺が染を信じていなければ、今のような結果にはならなかったということだろうか。
「こんな支配もあるんだな」
今まで感じたことのない感覚に、純嶺は自分の手を見つめる。
氷のように冷えきっていた指先が今はポカポカとあたたかい。しっかりと血が通っている感覚だ。
発作を薬で無理やり抑え込んだときとも違う。
薬の場合は全身から力が抜けていくような感覚だったが、今はいつも以上に力が漲っているようだった。
「変な感じだな。紛れもなく自分の身体なのに、お前を感じる気がする」
「俺を? グレアとかコマンドの感覚じゃなくて?」
首を横に振る。
今感じているものは、普通のグレアやコマンドの感覚とは明らかに異なっていた。
これが支配されている感覚なのは間違いないが、それよりももっとこれに近い感覚を純嶺は知っているような気がする。
内側から突き動かされるような強い熱量。
どうしようもなく感情が動かされて、いても立ってもいられなくなるような、これは――。
「……そうだ。お前のダンスを間近で見たときの感覚だ。あれに似てる」
思い出した。
今純嶺の感じている感覚は、染のダンスに触発されたあのときの感覚によく似ていた。そう思ったからこそ、染の気配を自分の中に強く感じる気がしたのだ。
純嶺にとって染は、自分を限界以上に突き動かしてくれる存在だった。
「へえ……アンタはそんな風に感じてるんだな」
「お前はどうなんだ?」
「俺? そうだなぁ……アンタを支配してる感じはあるよ。アンタが深いところまで、俺に許してくれてるのもわかる。全部預けてくれてんだなって」
それは間違いなかった。
被支配とは、身体も心も相手に開け渡す行為だ。
強い信頼関係がなければできない――染が相手でなければ、こんな風に自分をさらけ出し、すべてを預けることはできなかっただろう。
だからこそ、染でなければ嫌だったのだ。
「すごいな……お前の支配は」
「なんだよ、急に」
「そう思ったから言っただけだ」
「……ふーん」
照れたような染の表情に、純嶺も口元を緩めた。
周りではスタッフが慌ただしく動き回っているのに、こんなに暢気に会話を交わしていていいのだろうか。そう思わなくはなかったが、今はもう少しだけ染の支配が生み出したこの心地のいい空間をゆっくりと味わっていたかった。
――やっぱり、好きだな。
この激しさのないグレアが好きだ。
コマンドだって純嶺の望むものだけを与えてくれようとする。染の支配はいつだって、純嶺にとってとても好ましいものだった。
踊っているときの染からは想像もつかない――でも、紛れもなくこれが染の望む〔支配〕と〔被支配〕の形なのだろう。
「何、笑ってんの」
「いや……好きだな、と思って」
「はあ!? ……ん、ああ……ダンスのことか。そうだよな」
染は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに勝手に納得するようにそう呟いて頷く。
純嶺はそんな染の肩を力任せに掴むと、自分のほうに引き寄せた。
触れるぐらい近づいた染の耳元に顔を寄せる。
「お前のことだ」
それだけ告げて、立ち上がった。
ぽかん、と間抜けな表情を浮かべる染にまた笑いが込み上げてくる。
「ほら、行くぞ」
「あ、ああ…………」
染はいまだに放心状態だったが、純嶺が手を差し伸べると、すぐにその手を掴んだ。
◇
ざわざわと賑やかな客席。
前の二チームは、すでに発表を終えていた。
元々の出演順はこうではなかったが、純嶺がなるべく準備に時間をかけられるようにと、主催側が配慮してくれたのだそうだ。
こんなにも自分だけが特別扱いされていいのかと思わないわけではない。
他にも気掛かりなことは山ほどあったが、今は目の前のステージだけに集中することにした。
舞台袖でチームメンバーと合流する。
銀弥、叶衣、帝次、ヤミトの四人は、染と並んで現れた純嶺の顔を見て、あらかさまに安堵している様子だった。
「大丈夫なんだな?」
そう声を掛けてきたのは銀弥だ。
純嶺の肩に向かって、こつりと拳をぶつけてくる。
「心配をかけてすまなかった」
「間に合ったんだからいいよ。リハの動画は確認したのか?」
「ああ。さっきスタッフに見せてもらった」
メンバーと合流する前に、今日の午前中にステージで行われたリハーサルの動画を見せてもらった。どうあっても、ぶっつけ本番になってしまう純嶺のためにスタッフが準備してくれたものだ。
実際にステージに立って確認できないのは正直痛かったが、見せてもらった動画のおかげで、メンバーの動きはしっかりと頭に叩き込めた。
「純嶺さん。喉は、大丈夫そうですか?」
不安げに尋ねてきたのは叶衣だった。
純嶺の袖を握る手がカタカタと震えている。叶衣にも随分と心配をかけてしまったのだろう。
「ちょっと声出ししただけだが、多分大丈夫だと思う。もし、やばそうだったらフォローしてくれるか?」
「ま、任せてください!!」
この時間内にやれるだけのことはやった。
あとはもう実際にステージに立ってみないことにはわからないことだらけだったが、きっと大丈夫な気がする。
このメンバーとは、あれだけたくさんの練習を重ねてきたのだ。
それを信じればいい。
チーム全員の意識が、自分たちにできる最高の表現をすることに向けられている。
失敗する気がしなかった。
――それでも、緊張はしてるな。
染の支配に守られていても、そこまでは同じように図太くはなれないようだった。
心臓がどくどくとうるさい。
でも不安という感情がないだけで、これまでとは全然違う。ステージに立てることが楽しみで仕方がない――興奮と期待の入り混じる緊張だ。
これまで一度も見ることが叶わなかったステージからの景色、今から見ることができるのだから。
「……行くぞ」
銀弥が全員に向かって告げた。
その言葉に頷いて、純嶺たちは照明の落とされたステージへと移動を開始する。
それぞれの配置についた。
――まさか今日、自分がここに立てるなんて。
しんと静まり返ったステージの上で、純嶺は一度、ゆっくりと目を閉じた。
そんなはずがあるわけないのに、一番遠い席に座る観客の息づかいまで感じる気がする。全身の神経が研ぎ澄まされ、たくさんの視線がこちらに向けられているのがわかった。
瞼を開き、今度は意識を周りのメンバーのほうに向ける。
すっ、と叶衣が深く息を吸い込む音が聞こえた。
――始まる。
スポットライトが叶衣を照らした。
歌声がホールの端まで響き渡る。一瞬、観客からざわめきが起こったが、すぐにまた静かになった。
この合宿で一層の磨きのかかった叶衣の歌声が、会場を物語の世界に引きずりこんでいく。
こちらも一気にテンションを引き上げられる感覚だった。
それは周りのメンバーも同じだったらしく、全員の鼓動が一斉に高まったのを感じる。こういう不思議なシンクロ感もステージならではのものなのだろう。
ここで起こるのは、純嶺にとって知らないことばかりだ。
音が始まると、純嶺の身体は意識せずとも自然に動いた。
見ずとも全員の振り付けが、ぴたりと揃っているのがわかる。それぞれの身体に纏わりつく空気の動きまで目に見えるようだった。
それは観客の熱量を巻き込み、増幅し、どんどんと成長していく。
ステージは自分たちだけで作るものではない。観客含め、ここにいる全員で作り上げるものなのだ。
それを肌で感じ取っていた。
与えられた楽曲とテーマ、それに合わせて作り出した自分たちの世界観。
歌が、踊りが、演出が――すべてが綺麗に重なっていく。
――もう、二サビが終わる。
始まってしまえば、何もかもがあっという間だった。
ここが終われば、曲調がガラリと変わる。
間奏のダンスパートの後は、純嶺のソロパートだ。
――大丈夫、声は問題なく出る。
すっ、と息を吸い込む。
純嶺が声を発した瞬間、会場中から音が消えたような錯覚を覚えた。
そんなはずはない――だが、純嶺の目に映るのは染の姿だけ、聞こえるのは自分の歌声だけだった。
――染まらない、白。
それは頑なだった頃の自分のようだった。
この問題はたった一人でどうにかしなければいけない。コウやアキラが無理やりにでも背中を押してくれなければ、今でもきっと何も変わらないままだっただろう。
あの日、あの夢を見ていなければ、純嶺は今も同じ場所に留まり続けていたかもしれない。
――赤に、染まる。
照明が変わるのと同時に、会場全体のペンライトが赤に変わった。染だけが着る白い衣装が、血の色に染まったのように赤くなる。
吸血鬼に訪れる、死の演出。
――終わることは、新たな始まりだ。
染まることによって、吸血鬼は人と交われるようになる。
この吸血鬼は一瞬でもきっと、愛するものと世界が交わったことを幸せに思ったはずだ。
純嶺も今ようやくこのステージを通じて、自分の目指した世界と交れたような気がした。
自分の声が会場を支配する感覚に、鳥肌が止まらない。
全員の視線が自分に注がれていることに心地よさを覚えていた。
あんなに怖かったのに――今はもう、そんな恐怖は微塵もない。
――終わってほしくないな。
再び、全員の歌声とダンスが重なった。
あとはもう、ラストに向けて突き進むだけだ。
もっと、ここに立ち続けたい。
自分の表現で観客を魅了し、心を揺らし、生み出す世界を共有し続けたい。
でもきっと終わるからこそ、一瞬の煌めきだからこそ、こんなにも尊いのだ。
この場でしか生み出せないものだから、これだけのものを人々に届けられるのかもしれない。
音が終わる。
それと同時に、すべての照明が落ちた。
静寂と暗闇が空間を支配する。
そんな余韻の中、背後から肩に腕を回すように抱きしめられた。
「……アンタ、ほんと最高すぎ」
囁くような染の声が耳に届いた。
熱のこもった声に、一気に胸が熱くなる。
染の腕の中で反転し、観客に背を向けるように目の前の身体を抱き締めると、純嶺もその耳元に唇を寄せた。
「……お前のおかげだ。ありがとう、染」
「こんなとこで煽ってんじゃねえよ。っつうか、それは違うからな。ほら、ちゃんと後ろを見ろって」
「後ろ……?」
両肩を掴まれ、くるりと身体を観客のほうに向けられる。
目の前に広がる光景を見て、純嶺はこぼれんばかりに目を見開いた。
「純嶺ちゃん! 待ってたよ!」
「すごくよかった! みんな、ありがとう!!」
「純嶺ー!! 大好きー!!」
「全員、最高だったぁ!!」
大きな歓声が純嶺を包み込んだ。
視界いっぱいに、薄紫色の輝きが波のように揺れている。観客一人ひとりが持つペンライトだ。
薄紫は純嶺の色。
この一つひとつが、純嶺を応援してくれている人たちなのだ。
自分の名前を呼ぶ声に、胸の奥から熱いものが一気に込み上げてくる。
「……みんな、ありがとう」
それ以上は声にならない。
滲んだ薄紫の光は、一つの大きな塊になっていた。
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