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第7章 成長と羽化
32 波乱の種
しおりを挟む「めっちゃいいじゃん、この歌詞」
「吸血鬼と人間の悲恋というテーマもいいな。この歌詞を見た後に純嶺氏の考えた振付を見ると、振りの意味が違って見えてくるのも面白い!!」
「それだよな!」
叶衣とヤミトが完成させてきた歌詞を見て、銀弥と帝次が興奮した様子で盛り上がっている。
純嶺も先に見せてもらったが、二人の完成させた歌詞は帝次も言ったとおり、純嶺の考えた振付をより深く掘り下げるものに仕上がっていた。
「全員が吸血鬼役でもいいかと思ったけど、これは人間役を演じるメンバーがいたほうがよさそうだな」
「それ! おれも思いました。ヤミトとも、そう言ってたんだよな」
「……ん」
手放しに賞賛されたことが嬉しかったのか、叶衣もいつも以上に興奮状態だ。こんなイメージでこういうものが作ってみたいと、いつもより遠慮なく意見が言えている。
ヤミトはその隣で黙って頷くだけだったが、先に叶衣とは相談してあったのか、その表情に不満な様子はなかった。
「ここはアドリブパート?」
「あ、そうです。ラップなど、って作曲家さんからはコメントが入ってたんで迷ったんですけど……個人的にはこれぐらい、歌い上げるようなパートのほうがいいかなって」
話に割り込んで叶衣に質問したのは、ここまで無言で歌詞を眺めていた染だ。
何度も繰り返し、振付動画と歌詞を交互に確認していたので、話に入るのが遅れたらしい。
「染さんは気になるとこ、ありますか?」
「いや、特にねえよ。振付の調整とかイントロをどうするかとか、そっちを悩んでただけ。このアドリブのとこも、それなら印象的に魅せれたほうがいいだろうな」
染はもう、次の工程のことを考えていたようだ。
何か言われるのかと緊張していた叶衣が、その発言を聞いて、ほっと息を吐き出す。
「イントロ、気になるか?」
「引っかかるってほどじゃねえけど……なんか弱くね?」
「あー……確かにな。インパクトは薄いか」
銀弥も即座に頭を切り替えたらしい。
染のタブレットを一緒に覗き込みながら、うーんと唸っている。
「――純嶺ちゃんは、なんかある?」
「あ、あぁ……そうだな」
突然、銀弥から話題を振られた。別に焦る必要はないのに、思わずどもってしまう。
一緒にこちらを振り返った染と目を合わせないように、慌てて視線を下げた。
「……曲のアレンジを変えてもらうことはできるのか?」
「いけるよ――ああ、そっか。そっちを変えたほうがいいのか」
「ああ。可能なら歌詞に合わせて変更を依頼したほうが、二人の歌詞がより活かせるだろうからな」
「そうだな。考えようぜ」
銀弥が率先して動いてくれるのでやりやすい。
トライアンドエラーを恐れないところも、提案する側として気持ちがよかった。
「いっそ、アカペラスタートってのもありだよな。叶衣ならいけるだろうし」
「えっ、おれですか?」
「やるなら、お前しかいねえだろ」
染からの提案に叶衣は慌てていたが、それは純嶺も考えていたことだ。
下手なイントロから始めるより、アカペラで始めるほうがこの曲には合っている。
「アンタもそう思うだろ?」
「あ、ああ……」
また、どもってしまった。
――なんで、この男はいつもどおりなんだ。
昨日あんなことをしたのに、染の態度はいつもと変わらなかった。
プレイの最中のことは、うっすらとしか覚えていなかったが、それでも恥ずかしいことをした自覚はある。
目が覚めたとき、同じベッドで染が眠っていたのも純嶺を混乱させた。ベッドを出るとき、はしごから足を踏み外さずに済んだのが奇跡に思えるぐらいの動揺っぷりだった。
「…………」
無意識に唇に触れる。
視線は染の姿を追っていた。
別に昨日のことを思い出したいわけじゃない。
意識だってできることならしたくないのに、どうするのが普通の振る舞いだったのか、それをうまく思い出せないのだ。
いつもはダンスのことだけ考えていればよかったのに――今だって、そうするべきなのに。
「なあ、大丈夫か?」
「……あっ、と」
考え込みすぎて、周りが見えなくなっていた。
まさかその悩みの元凶である本人が自分の隣に来るまで、全く気づかないなんて。
「ちゃんと寝れてると思ったけど、もしかして寝不足?」
「――ッ!!」
至近距離から顔を覗き込まれ、過剰な反応をしてしまった。昨日のことを思い出していたせいだ。
目を丸くした染が、すぐに「ああ」と言って手を打つ。
そっ、と純嶺の耳元に顔を近づけた。
「……意識してんの?」
くすぐるように耳元で囁かれた。
答えのわかりきった質問をしないでほしい。
眉間にぎゅっと力を入れた純嶺の顔を見て、染が気の抜けた表情で笑っている。珍しい表情だ。
「なんか嬉しいな、それ」
「……何がだ」
「ほーら。みんなが心配してんぞ」
明らかに話を逸らされた感じだったが、みんなが心配しているというのは嘘ではなかった。
気遣うような視線を、メンバー全員から向けられている。
「……悪い。少し考えごとをしてた」
最終審査までの時間は限られているのだ。
今はこんなことに気を取られている場合ではない。
「よし。そろそろ昼の時間だし、飯食って切り替えようぜ」
ぽん、と染の手が頭に触れる。
伝わってくる熱に、昨日のことをまた思い出してしまいそうになって、純嶺は慌てて首を横に振った。
◇
「……なんだ、あれ?」
先頭を歩いていた銀弥が驚いたように声を上げる。
食堂の入り口に視線を向けると、前に人だかりができているのが見えた。
その中に見知った人物がいる。
あちらも純嶺に気づいたらしく、ぱっと表情を明るくすると、ぶんぶんとこちらに向かって大きく手を振り始めた。
「スミレちゃん!」
大声で名前まで呼ばれる。
ドラだ。その隣には田中もいる。どうやら食堂の入り口に固まっていたのは、ドラたちのチームのようだった。
「どうした? 中に入らないのか?」
「それがさー」
ドラが何か言おうとした瞬間、食堂の中からガシャンと何やら大きな音が響いた。
突然のことに肩を竦めながら、音のほうに顔を向ける。
「てめえ、すかした顔してんなよ!」
続いて、怒号が聞こえてきた。
その声には聞き覚えがある。
「今のって、真栄倉か……?」
「だね。ちなみに相手は蘭紗くんだよ。チーム変わってから、ずっとこんな感じなんだよねー」
どうやら二人が入り口近くで言い争っているため、中に入れなかったようだ。
苛立ったような声は真栄倉の分しか聞こえてこないが、蘭紗も小声で何か言い返しているらしい。
随分と険悪な雰囲気が漂っている。
「二人はよく揉めてるのか?」
「昨日もこんな感じで揉めてたよ……っていっても、ここまでじゃなかったけど」
「スタジオでは一日に何回もぶつかり合っとうねんて。やり方が全然合わへんとかで。最初はおーちゃんも様子見しとったみたいやねんけど」
「……そうか」
ドラと田中の説明に、純嶺はただ頷くしかない。
こんなことになっているとは全く知らなかった。だがそれを知ったからといって、他のチームのことに首を突っ込んでいる余裕はない。
ドラや田中もそうなのだろう。
真栄倉のことは気にかけてはいる様子だが、口を挟むことはしない。
「アイツらのとこ、他のメンバーは何してんの?」
「なんもしてへんな」
後ろから話しかけてきた染に、田中が答える。
真栄倉の他のチームメンバーたちが座るテーブルを指差して、首を横に振った。
その表情には諦めが滲んでいる。
「我関せず、ってやつか」
「せやな。厄介ごとに巻き込まれたくないんやろけど……」
「一番、面倒なパターンだな」
田中はやはり、何か言いたげな表情を浮かべている。
真栄倉とは同室で仲がよかっただけに、気にかかるのかもしれない。
結局、スタッフが駆けつけるまで、二人の言い争いが止むことはなかった。
「あんま考え込みすぎんなよ」
「…………ああ」
今日の日替わり定食である和風ハンバーグを箸先でつついていたら、当たり前のように純嶺と同じテーブルに座った染にそう忠告された。
純嶺が何を考えているのか、染にはお見通しなのだろう。
そして、それがSubである純嶺にとってよくないことであることも染は理解しているからこそ、言ってくれたのだ。
――それは、おれもわかってる。
昨日のことも、さっきのことも――自分の切り替えの悪さには辟易していた。これが性格ゆえのものなのか、Subの特質なのかはわからない。
今までこんなことで悩んだことがなかっただけに、正解の出し方に迷っているのも事実だった。
「……つっても、気になるよな」
「お前も気になるのか?」
「まあな。他のやつには周りのことなんか気にしてねえとか、思われてそうだけど」
「そうは思わない。お前は優しいしな」
「……っ、マジで調子狂うよなぁ、アンタって」
眉尻を下げた染が、はにかむように笑う。
珍しい表情ばかりを浮かべる染に、純嶺は動揺をうまく隠せなかった。
◇
「……クッソうぜえよな、蘭紗って」
食堂からスタジオに戻る途中、建物の陰から聞こえてきた声に驚いて、純嶺はその場で足を止めた。
純嶺が歩いていたのは、宿泊棟からスタジオ棟へと繋がる通路のうちの一つだ。誰が来るともわからないこの場所で、そんな話をする人間がいるなんて――それも信じられなかったが、続けて聞こえてきた会話はもっと信じられないものだった。
「あいつ、Subのくせに生意気なんだよ。SubならSubらしく、地面に這いつくばっときゃいいのに」
「マジでそれだよな。調子乗んなっつうの」
――……Sub? 蘭紗が?
オーディションメンバーの二次性はきちんと秘匿されている。純嶺も染以外の人物の二次性を知らなかったし、知りたいとも思わなかった。
人口の三割が特殊な二次性を持つ人間だということからも、このオーディションに自分や染以外のSubやDomが絶対にいないとは思っていなかったが、まさかこんなところで知ることになるなんて。
それに、彼らの発言は聞き捨てならないものだった。
その声が真栄倉のものではなかったことには安堵したが、少なくとも二人――このオーディションメンバーの中にSubを蔑視している人間がいる。
――何も、なければいいが。
その足音が遠ざかって聞こえなくなるまで、純嶺はその場から動けなかった。
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