【完結】ステージ上の《Attract》

コオリ

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第7章 成長と羽化

30 それぞれの感情

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「こんなの……おれ、ちゃんと踊れるかな」

 困惑した声が後ろから聞こえた。
 純嶺すみれが振り返ると、ハッとした表情でこちらを見つめる叶衣かなえと目が合う。
 聞こえているとは思っていたかったのか、それとも声に出している自覚がなかったのか、叶衣はわたわたと慌てた仕草を見せた。

「――この振付の難易度が高すぎるのは、間違いないな」

 叶衣の言葉にはっきりとした口調で同意したのは、その隣で床に正座してタブレットの画面を凝視していた帝次ていじだ。
 くいっと眼鏡を持ち上げながら、純嶺と叶衣の顔を交互に見上げた。

「あの……すみません。口に出てました、よね?」
「……ああ」

 ここは誤魔化しても、どうにもならないだろう。
 純嶺はそう判断して頷く。
 叶衣は「すみません」ともう一度謝罪を重ねると、自分の手元にあるスマホに視線を落とした。

「……こんな振付をすぐに考えられるなんて、純嶺さんは本当にすごいです」

 叶衣のそれはこちらを称賛する言葉だったが、その声にいつもの元気はなく弱々しい。
 不安がありありと感じられる声だった。
 叶衣はこのチームの中で一番ダンス経験が浅い。
 先ほどの発言がなくとも、この振付に対して叶衣が不安を感じるだろうことは予想していた。

「でも……何回見ても、おれにはどういう風に動いてるのかすら、わからなくて」

 叶衣の声に悔しさが混じり始める。
 自分の力量不足が歯がゆいのだろう。
 その気持ちはわかる。純嶺だっていまだに似たような感情を抱くことはある。
 何年続けていてもそうなのだから、ダンスを始めて間もない叶衣がそんな気持ちになるのは至極当然のことと言えた。

「別に焦る必要はない。動きの説明は一つ一つしていくから」
「それでも、できなかったら? ……あっ、すみません。おれ……やる前から、こんな弱気なこと言って」

 言ってすぐ、自分のネガティブな発言に気づいた叶衣が首を横に振った。
 その視線はずっと、床の辺りを彷徨ったままだ。
 中間審査である程度の自信をつけたとはいえ、叶衣のダンスに対する苦手意識はまだ払拭されていないようだった。

「別に気にしてない。お前を不安にさせる気はしてたからな」
「え……?」

 叶衣が驚いた表情で顔を上げた。
 純嶺は言葉を続ける。

「お前の今のレベルに合わせて振付が作れないわけじゃない……でも今回はあえて、最初の段階から難易度を下げることはやめておいた。それじゃ、お前の可能性を潰しかねないからな」
「……それって」
「やれるとこまでやってみて、それでも難しければ振付を調整する。それがいいんじゃないかって――あいつとも相談して決めたんだ」

 率直に気持ちを告げた。
 あいつ、と言って純嶺が視線を向けたのはせんだ。
 染もこちらの様子には気づいていたらしく、すぐに視線が合う。純嶺と同じように視線を向けた叶衣に対して、ひらりと手を振ってみせた。

「迷惑じゃ、ないですか?」
「それでチーム全体のクオリティが上げることができるなら、必要なことだと思う」

 難易度を下げることは難しくない――チームパフォーマンスの纏まりを重視するならば、それだって必要なことになってくる。
 でも、最初から守りに入ることはやめた。
 これは、このオーデションの最後の戦い――中間審査と同じ失敗を繰り返すわけにはいかなかった。
 
「振付に関しては任された分、全力を尽くすつもりだ。もし難易度を下げることになったとして、見栄えの悪いものにするつもりはない。だから叶衣も遠慮なく意見を言ってほしい」
「っ……わかりました。あの、皆さんにもご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします!!」
「おう。まかしとけよ」

 叶衣のすぐ後ろで話を聞いていた銀弥ぎんやが、その言葉に真っ先に答えた。
 頭を下げ続ける叶衣の髪を、ぐしゃぐしゃと掻き回す。
 無言でずっと叶衣の隣にいたヤミトも、ぽすぽすと叶衣の肩を叩いていた。彼なりに励ましているつもりなのだろう。

「帝次も大丈夫そうか?」
「うむ。自分はやるしかないと思っているので問題ない! だが、皆の力は貸してほしい!」

 帝次の言葉に全員が頷く。

「っしゃ、やるぞ!」

 銀弥が気合い込めた叫びと共に差し出した拳に、一人一人が拳をぶつけた。
 

   ◇


「なあ。それ、何?」

 染は当たり前のように純嶺のスペースに立ち入ってくる。
 部屋を仕切るカーテンもいつもきちんと閉まっておらず、プライベート空間はあまり保たれていなかった。
 純嶺も別にそこまで気にするタイプではない。
 同じ部屋の中で染の気配を感じることも嫌ではなかったが、こうして急に後ろに立たれるのは少々心臓に悪い。

「……今日のレッスン記録だ」

 視線を合わせずに答える。
 純嶺が机に向かって書いていたのは、今日行なったレッスンの記録だった。
 スマホやタブレットに入力するのではなく、こうして紙に書くのが純嶺のやり方だ。字が汚いのであまり人に見せられるものではないが、いつでも見返せるようにと、自分用にこうして記録を残していた。

「なあ、これってもしかして全員分?」
「おれが関わった分だけだ」
「だとしても、マメすぎんだろ。すげえな」

 この男は遠慮というものを知らないのだろうか。
 身体をぐいぐいと押しつけながら、染が純嶺の手元を覗き込んでくる。
 別に見られても構わなかったが、こうして当たり前のように触れてくることには、いまだに慣れそうにない。

「お、凶悪ヅラ」
「……お前に遠慮がないからだ」
「アンタのこと、なんだって知りたいじゃん」

 そういうことを、さらりと言ってくることにも慣れない。
 好きなようにさせていると、染が勝手にノートのページをめくり始めた。やはり、遠慮する気は全くないようだ。

「――へえ。それぞれの課題まで書いてあんだな。これって、俺のもあんの?」
「ない」
「えー、なんでだよ」
「おれがお前に教えたことなんてないだろ。どう考えたって、スキルはお前のほうが上だし」

 染について書くことは何もない。
 染から学ぶことはいくつもあったが、それは書いて残すことよりも、自分の身体に叩き込む必要があることばかりだった。
 だから、このノートに染の名前は一切出てこない――そんな純嶺の答えに、染は不満を隠す気もないようだった。

「つまんねえな」
「……好き勝手しといて、お前は」
「俺だって、アンタにダンス教えてほしかったのに」
「は……?」

 拗ねた様子の染が、くるりと踵を返して自分のスペースへと戻っていく。
 純嶺はその背中を呆然と見送った。


   ◇


「ぅ、……ん」

 一度寝付いたはずなのに、純嶺はなんとも落ち着かない心地で目を覚ました。
 傍にあったスマホを手に取り、時間を調べる。
 ちょうど日付が変わったタイミングだった。

 ――まだ、一時間しか経ってない。

 こんな風に目を覚ますのは、純嶺にとって別に珍しいことじゃない。元々、睡眠の質はあまりよいほうではなかった。
 宮北の話では、これにもSubの性質が関わっているらしいが、純嶺にとってはこれが日常――この合宿に参加するまでは、不調だとも認識していなかった。

 ――でも、最近はよく眠れてたのに。

 薬を変えたわけでもないのに、ここのところは不思議と調子のいい日々が続いていた。
 夜中に一度も目が覚めず、朝すっきりと起きられるというだけで、こんなにも身体が楽なのかと驚いていたところだったのに。
 今日はまた、前のように戻ってしまったらしい。

「……ん?」

 ひらりと何かが揺れた気配に、純嶺は視線をベッドの外に向ける。
 揺れていたのは部屋を仕切るカーテンだった。
 相変わらず、きちんと閉められていないカーテンの向こうを見て、純嶺は「ん?」ともう一度、疑問に声を発する。

「……あいつ、いないのか?」

 染のベッドは空だった。
 身体を起こして部屋の中を見回したが、どこにもその姿はない。トイレかと思ったが、部屋の中に純嶺以外の人の気配はないようだった。

「どこに行ったんだ……?」

 純嶺が眠る前には、間違いなく部屋にいた。
 何か用事があるという話も聞いていない。
 レッスン記録のやり取りで拗ねた様子は見せていたが、それ以外に変わった様子はなかったはずだ。

 ――医務室じゃ、ないだろうな?

 一つの可能性が純嶺の頭に浮かぶ。
 前に自分も同じ状況に陥ったことがある。あのときも、ドラに同じような心配をさせてしまったのだろうか。
 今になって、申し訳ない気持ちになってくる。

「……!」

 廊下から足音が近づいてきていることに気がついた。
 足音の主はあまり音を立てないように気をつけているようだが、この静寂の中ではどうやっても目立って聞こえる。
 純嶺は慌ててベッドに横になると、眠るときの体勢を取り、目を閉じた。

 ――いや、別に寝たふりする必要はなかったのか……?

 そう思ったが遅かった。
 カチャリ、と部屋の扉が開く。
 入ってきたのが染なのは、目を開けなくてもわかった。純嶺の鼻腔に、ほのかに染の香りが届いたからだ。

 ――どうして、自分のベッドではなく、こっちに?

 すぐ傍から染の気配を感じる。
 物音に気づいたふりをして起きようと思っていたのに、純嶺は完全に目を開けるタイミングを失ってしまった。
 染は一体、何をしているのだろうか。
 こちらを見ているのだろうか。
 目を閉じていては、それもわからない。
 薄目を開けて確認することも叶わず、純嶺としては落ち着かない。

「……純嶺」

 名前を呼ばれて驚いた。
 囁くような声だったが、それは間違いなく染のものだ。名前を呼んだ後、染の手がそっと純嶺の髪に触れる。
 先ほど名前を呼んだ声と同じく、どこか不安を覚える手つきだった。

「おい、お前――」

 思わず、そう呼び掛けていた。
 自分に触れていた染の手を掴んで、こちらを覗き込んでいた染と視線を絡める。驚いたように目を見開いた染は、表情を取り繕う余裕もない様子だった。
 不自然に顔を背けたが、純嶺に手を掴まれているので、逃げることは叶わない。

「……悪い。起こした?」
「お前、大丈夫か?」
「……何が? 別に、大丈夫だけど」
「嘘をつかれるのは嫌だと、言ったつもりだが」
「…………」

 染が無理をしているのは明白だった。
 薄暗い室内でもわかるほど、明らかに顔色が悪い。

「……医務室に行ってたのか?」
「まあ、ね……ちょっと、よくない感じだったから。アンタにも当たっちゃったし」
「……? ああ。あれか。別に当たられたとは思ってないが」
「感情がコントロールできてなかったのは、間違いねえしな」

 本人がそう言うのなら、そうなのだろう。
 それについてはこれ以上、追求しないでおく。

「……で、おれに何か言うことはないのか?」

 でも、この状況を見逃すつもりはない。
 握ったままの手にぎゅっと力を込めると、染の視線が純嶺を捉えた。
 心なしか不安げに揺れる瞳の奥から、グレアを感じる。

「――……アンタを、支配したい」

 絞り出したようなその言葉に、純嶺の身体はひくりと震えた。
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