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第6章 新たなスタート

24 ASu

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 評価発表の翌日は丸一日オフということだった。
 レッスンが休みというだけでなく、スタジオへの立ち入りまでもが一切禁止。隠れて練習しているところが見つかった場合、罰則があるとも先に念押しされていた。

「……休ませることに徹底してるな」
「食堂のシステムといい、ここの社長さんのこういうとこ、好きだなー」

 自他ともに認めるダンス馬鹿の純嶺すみれにとって踊るということは、食事や睡眠と同列の行為だ。
 それを休むなんて選択肢は今までなかっただけに、当惑の色が隠せない。
 対して、ドラは上機嫌だった。
 鼻歌混じりに出掛ける準備を進めている。
 今日は外出も許可されていた。とはいうものの、合宿所の周りには山しかないので、希望者は近くの街まで送迎してくれるというサービス付きだ。
 街といっても繁華街のような場所ではなく、ここから一番近い温泉街だという話だった。最近は若者の呼び込むことにも力を入れている観光地だそうで、若者向けの店やスポットがいくつもあるらしい。
 そこで羽を伸ばせということなのだろう。

「スミレちゃん、荷物それだけ?」
「ああ。財布とスマホがあれば充分だろ」

 ボディバッグを背中に斜め掛けして、その中に財布とスマホを放り込んであった。
 少し出掛けるぐらいなら、これで充分だろう。
 純嶺もドラに誘われ、一緒にその温泉街に行くことにしていた。元々外出をあまり好む性格ではないが、合宿所に篭っていてはオーディションのことばかり考えてしまうのは容易に想像がつく。
 今日ぐらいは気分転換も必要だろう。

「よし、準備オッケー。行こっか!」

 今にも走り出しそうなテンションで、ドラが純嶺の腕を引く。純嶺は一度部屋のほうを振り返ると、パチリと電気を消した。


   ◇


 送迎用に用意された小型バスには、十二人の参加者とカメラ機材を持ったスタッフが数人、一緒に乗車していた。
 どうやら配信用として、このオフの様子も撮影されるらしい。
 完全な休日というわけではなさそうだ。 

「カメラのことは意識しなくていいからね」
「そんなん向けられて、意識せえへんほうが難しいって」

 通路を挟んで反対側に座る田中が、前の座席にいるスタッフと話をしている。自分の隣の座席に座る真栄倉まえくらがアイマスクをつけて眠ってしまっているので、手持ち無沙汰なのだろう。
 田中たちの後ろの席には叶衣かなえとルーネが並んで座っている。
 示し合わせたわけではなかったが、このバスには純嶺のチームメンバーが全員乗っていた。

 ――蘭紗らんしゃは、いないか。

 ふと、バスの中を見回して、あの青い髪を探していた。
 顔を見たかったからではない――その逆だ。
 いくら純嶺でも、わかりやすく敵意を向けてきた相手に会いたいとは思わない。顔を合わせれば、今度はどんな嫌味を言われるかわからないからだ。
 オーディションというのは、ライバルを蹴落とす場でもある。
 周りから敵意を向けられることはある程度覚悟していたが、まさかあんな悪意のある言葉を直接投げつけられるとは思っていなかった。
 それも、仲間の優しさに馬鹿にするかのような――到底、許せるものではない。蘭紗は、純嶺にとって理解の難しい相手に思えた。

「スミレちゃん? どうしたの、険しい顔して」
「いや……なんでもない」

 隣からドラが心配そうに顔を覗き込んできた。
 どうやら一目見てすぐにわかるぐらい、険しい表情をしてしまっていたらしい。
 気持ちを切り替えるように、純嶺は自分の髪をくしゃくしゃを掻き回す。

「――そういえば、スミレちゃんに聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「『ASu』のこと。昨日は聞きそびれちゃったから」
「あ、それ。僕も聞きたいです!」
 
 ドラとの会話に、ルーネが斜め後ろの席から話に割り込んできた。こちらの会話に聞き耳を立てていたようだ。その隣で、叶衣も一緒になって手を挙げている。
 田中の目も珍しく開いていた。

「聞いちゃだめだったりする?」
「いや、別に……ただ、面白い話があるわけでもないから」
「そうなの?」
「振付の仕事をするときに使ってた名前、ってだけだからな」

 振付師コレオグラファーとしてASuという名前を使っていたというだけで、何も特別なことはない。純嶺としては一番わかりやすく説明したつもりだったが、ドラは納得していない様子だった。
 うーんと首を捻っている。

「……それだけのことで、審査員三人が採点を辞退したりするかな?」

 そのことが引っ掛かっているようだった。
 それについて、純嶺が答えられることは何もない。
 振付師の三人が純嶺の採点を辞退したのは紛れもない事実だが、理由は「期待していたからだ」としか言われていなかった。
 三人が純嶺にどんな期待をしていたのか、何を見てそう思ったのか――そういった具体的なことは何も聞かされていない。

「三人の考えてることは、おれにもよくわからない」
「えー……ほんとに?」
「本当だ。嘘を言ってどうする」
「それはそうなんだけど……」

 そう言いつつも、ドラはまだ腑に落ちないようだ。
 さらに、うんうんと唸っている。

「あの! 純嶺さんはあの三人が知っているような、有名な振付師ってことですよね?」

 ルーネから質問が飛んできた。
 その質問に、純嶺は首を横に振る。

「有名ではなかったと思う。おれもあの三人に知られてるとは思わなかったし」

 率直な答えだった。
 自分のことを有名だなんて思ったことはない。
 振付師として一緒に仕事をしてきたのはコウたちのグループだけだったし、それ以外は講師の仕事のほうがメインだったので、ASuの名前を使ったことはない。
 そんな自分の名前が周りに知られていると勘違いするほど、純嶺は自惚れていなかった。

「本当に大したことはない。おれがダンサーとして無名なのは変わらないしな」
「……大したこと、あんだろ」

 ドラでもルーネでも叶衣でもない、ドスの効いた声が純嶺の発言を否定した――真栄倉だった。
 窓際の席で眠っていると思っていたのに、真栄倉は乱暴にアイマスクを外すと、自分の隣に座る田中を押し退けて、純嶺のほうへ身体を乗り出す。
 至近距離から純嶺のことを睨みつけてきた。

「いくら本人でも、下げた言い方をされるのは気に食わない」
「……真栄倉?」
「ASuはすげえ振付師で、すげえダンサーなんだよ。訂正しやがれ」

 真栄倉の唐突な発言に、純嶺は眉間に皺を寄せたまま固まった。
 側から見れば睨み合う二人が今にも喧嘩を始めそうな雰囲気にも思えるが、その状況と真栄倉の発言は噛み合っていない。
 真栄倉に啖呵を切られた当人である純嶺も、その言葉の意味を理解するのに時間がかかっていた。

 ――今のは……もしかして、褒められたのか?

 言葉の意味だけを取ればそうだ。
 ASuというのは純嶺のことなのだ。それを「すごい振付師で、すごいダンサーだ」という真栄倉の発言は、純嶺に対する賞賛に間違いない。
 しかし、それならどうしてこんなに怒っているのだろう。

「おーちゃん、それじゃ伝わらへんって」
「うるさい、田中は黙れ」

 フォローしようとした田中に、真栄倉がキツく言い放つ。
 普段の何も変わらないやり取りだったが、田中の反応だけがいつもと違った。大袈裟に傷ついたような表情を浮かべてから、自分の顔を両手で覆う。

「おーちゃんったら、ひどいっ。そんな言い方するなんて」
「は? お前、何言って」
「せっかくおーちゃんの秘密、今まで黙っとったったのに。ええもん、全部バラしたろ。なあなあ、純嶺サン聞いてや。実はおーちゃん、前から純嶺サンのファンやってんで」
「おい田中、てめえ黙れよ」
「ずーっと純嶺サンに憧れとったのに、いっつも素直になれんくて、あんな風にツンツンしとってんで。可愛すぎひん?」
「黙れって言ってんだろ! クソ糸目が!!」

 車外まで聞こえそうなぐらい大声で叫んだ真栄倉の顔は、頭から湯気が出そうなぐらい真っ赤になっていた。


   ◇


「びっくりしたねえ……マエくんが純嶺ちゃんのファンだったなんて」

 あの騒ぎの後、バスはすぐに目的地に到着した。
 停車するなり勢いよく飛び出していった真栄倉と、それを追いかけていった田中とは今も合流できていない。
 純嶺とドラは一緒に温泉街を巡っていた。
 ドラは温泉まんじゅうをもふもふと頬張りながら、風情ある街並みの楽しそうに眺めている。古いものと新しいものがうまく融合した温泉街には、モダンな柄の浴衣を着た若い観光客の姿も多くあった。
 純嶺も先ほど買った、温泉サイダーを一口飲む。
 ラムネ瓶に入ったそれは、傾けるとからりと涼やかな音を響かせた。 

「あ、あれ、マエくんじゃない?」

 小さな川にかかる橋の上で足を止めたドラが、そう言って奥の通りのほうを指差す。土産物の店が並んでいるあたりに、人だかりができているのが見えた。
 その中心にいるのはドラの言ったとおり、真栄倉だ。隣には田中もいる。

「そういえば、マエくんって結構な有名人だったね。周りを囲んでるのって、ファンの子かな」

 真栄倉はファンからの握手に応じているようだった。
 その表情はいつもより愛想がいい。普段、ファンに見せている顔はあちらなのだろうか。

「2.5次元俳優ってやつだよね。ダンスにハマったのは、舞台に出るようになってから――だったかな」
「ドラはなんでも詳しいな」
「まーね。ま、参加者のことは合宿が始まってからも調べたのもあるんだけど。それでも、スミレちゃんのことは全然知らなかった」

 ドラはどこか悔しそうだった。
 食べ終わってしまった温泉まんじゅうの包み紙を見て、はぁっと溜め息をこぼしている。

「あのマエくんが『すごい』って言うってことは……スミレちゃんはやっぱり、すごい人なんじゃないの?」
「だから、それはないって」
「そんなこと言って、またマエくんに怒られるよ?」
「…………」

 本当に純嶺自身は自分をすごいと思ったことなんてない。
 だが、ドラは純嶺の答えを疑っているようで、じとりした目で純嶺のことを見つめてきた。

「……おれが振付を担当してたのは、グループ一つだけだったし」
「そのグループの名前は?」
「…………」

 問い詰められているような気持ちになってくるのはどうしてだろう。
 思わず、ドラから視線を逸らす。

「そいつが担当してたのはcra+voだよ。っつうか、なんで自分で言わないんだよ」
「真栄倉……」

 いつの間にか、ファンの包囲網から抜け出した真栄倉が後ろに立っていた。当たり前だが、もう顔は赤くない。
 その後ろから田中が少し遅れて追いついてくる。

「え、待って……cra+voって……あの、超有名ボーカル&ダンスグループの?」
「ああ。そのcra+voだ」
「え、嘘…………え、………ぇええ??」

 二人の間だけで、勝手に会話が進んでいる。純嶺が口を挟む余地はなさそうだった。
 真栄倉の言葉に、ドラは完全に混乱している。真栄倉と純嶺の顔を何度も交互に見ながら、目を白黒させていた。

「嘘……ほんとなの? あのcra+voの振付師が、スミレちゃん?」
「そうだって言ってんだろ」
「ぅえええええええええええ!?」

 ドラの絶叫が温泉街に響き渡った。
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