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第4章 寄せ集めのチーム

16 熱の伝播

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「……お世話になりました」
「ううん。気をつけてね。何かあったらすぐに相談するんだよ」

 結局、純嶺すみれは一時間近く医務室にいた。
 ぼんやりとベッドで横になっていただけだが、気分も少し晴れた気がする。頭痛や気持ち悪さだけでなく、あのマイナス思考もすべて抑制剤の副作用だったようだ。

 ――面倒だな、Subは。

 ぱたんと医務室の扉を閉める。
 純嶺が連れてこられた医務室は宿泊棟ではなく、スタジオのある別棟のほうにあった。
 宿泊棟にも管理人室の隣に医務室があったはずなのに、せんはどうしてこちらの医務室に自分を連れてきたのだろう。
 染は宿泊棟にある医務室のことを知らなかったのだろうか。
 だが、そのおかげで助かったのは事実だ。
 運よく事情を知る宮北みやきたに診てもらうことができたし、薬だってすぐに処方してもらえた。
 無理やりここに連れてこられていなければ、今も自室のベッドで酷くうなされていたかもしれない。それだけで済めばよいが、もしかしたらもっと大ごとになっていた可能性だってある。

 ――そうならなくて、よかった。

 そんなことを考えながら、薄暗い廊下を進む。

「……ん? あれは」

 ふと、部屋の一つから明かりが漏れていることに気がついた。
 個室タイプのダンススタジオが並んでいる場所だ。
 明かりの漏れている部屋に近づくと、中からシューズの擦れる音が聞こえてくる。
 足音は一人分のようだった。

 ――誰か、自主練でもしてるのか?

 個室のスタジオは昼間レッスンに使っていたスタジオとは違い、廊下側がガラス張りにはなっていない。扉の小窓からだけ、中が覗ける仕組みになっていた。
 誰が踊っているのかが気になって、純嶺は光の漏れる小窓からこっそり中を覗く。
 きらりと照明の光を反射する銀色の髪が、真っ先に目に飛び込んできた。

「…………すごい」

 スタジオの中、一人で踊っていたのは染だった。
 今一番、顔を合わせたくない相手のはずなのに――その踊りから目が離せない。
 激しさの中に悲哀のようなものが感じられる振付。
 これは即興だろうか。
 音は一切流れていないのに、まるで音楽が聞こえてくるような気がする。
 何を想えば、こんな踊りができるのだろう。
 一体、何を見つめているのか――踊る中、染が見つめる先を純嶺も思わず目で追ってしまう。

 ――鳥肌が、止まらない。

 見るものを魅了するだけじゃない。
 染の踊りには、見たものを己の世界に引き込み、沈め、侵食するような恐ろしさすらあった。
 それなのに、見ていたいと思う。
 もっと、近くで――。

「――っ」

 こっそり覗いていたのも忘れて、扉に近づきすぎてしまった。
 純嶺の腰がドアノブにぶつかり、ガチャンと鈍い音が響く。その音に気づいた染が動きを止め、こちらを振り返った。
 窓越しに目が合う。
 照れくさそうに笑った染の顔に、純嶺の鼓動はどくりと跳ねた。
 染がこちらに近づいてくる。
 このタイミングで逃げ出すことは叶わなかった。

「見てたのか」
「……悪い。勝手に」
「寄ってけよ」

 染は廊下に突っ立つ純嶺にそう告げると、返事も待たずに踵を返し、スタジオ内へと戻っていった。
 別に断っても問題なさそうな雰囲気だったが、純嶺は染の背中を追うように部屋の中へと足を踏み入れる。後ろ手にスタジオの扉を閉めた。

「アンタ、体調はもう平気なのか?」

 壁に凭れながら水を飲んでいた染が、入り口すぐのところで立つ純嶺に向かって気遣うように声を掛けてくる。

「……おかげさまで」
「ならよかった。風呂に入ってんのにあんなに真っ青になってるやつ、初めて見たから焦ったわ」

 ――そんなに酷かったのか。

 そのときはまだ、大丈夫だと思っていた。
 ドラにだって気づかれていなかったのに――どうして、この男はそんなことによく気がつくのだろう。

「――なあ、どうだった?」
「どうって……何がだ?」
「俺のダンス、そこから見てたんだろ?」

 そこ、と言って染が指差したのは、純嶺のすぐ後ろにある扉の小窓だ。
 うまく誤魔化すことができず、純嶺は頷くしかなかった。

「………すごかった」

 もっと言いようはあったはずなのに、言葉ではうまく表現できなかった。
 本当にすごかった。
 これまで数多くのダンスに触れ合ってきたはずなのに、こんなにも感情が揺さぶられるダンスに出会ったのは久しぶりだった。
 ダンスを初めて間もない頃、初めてプロのダンサーを目の当たりにしたときにような――そんな純粋な感動だ。

「すごい、ねえ」
「――……それと、あと」
「あと?」
「――おれも、踊りたくなった」

 それが一番強い気持ちだった。
 願望を口にしたせいか、先ほどの高揚を思い出した身体がぶるりと震える。
 染はその言葉を聞いてしばらく黙っていたが、突然、ふはっと噴き出すように笑い出した。

「っはは、なんだよ。それ」
「……あっ、悪い」
「悪くねえよ、最高じゃん。アンタにそんな風に言ってもらえるなんて」
「ちょ、お前――」

 大股で近づいてきた染が、がしりと純嶺の肩に腕を回してきた。
 大型犬が飼い主にじゃれつくように体重をかけながら、身体を揺らして笑っている。

「やっべ、めちゃくちゃ嬉しい」

 純嶺の耳元で染が落とした無邪気なその声に、鎮まりかけていた熱が一気に膨れ上がったのがわかった。
 全身が熱い。
 興奮と、衝動と、熱――今そのすべてを発散し、表現できるのはダンスしかない。

「なあ……お前、靴のサイズいくつだ?」
「二十七だけど――何、もしかして踊ってくれんの?」

 靴のサイズを聞いただけなのに、染は純嶺の言葉を意図にすぐに気がついたらしい。

「靴を借りれるならだけどな」

 風呂の帰りにここまで連れてこられた純嶺は、踊るための準備を何もしてきていなかった。
 足元も館内履きのサンダルのままだ。
 さすがの純嶺もこのサンダルでは踊れない。裸足で踊るという手段がないわけではなかったが、オーディション中に怪我はしたくないので、あまりやりたくはなかった。

「サイズ合いそう?」
「二十七なら同じだ。借りてもいいか?」
「どーぞ」

 染に借りたシューズを履く。靴幅もピッタリだった。
 身長は染のほうが少し大きかったが、基本的に二人の体格は似ているらしい。
 準備運動する純嶺を、染が間近から覗き込んでくる。

「何踊んの? なんか音流す?」
「いや、いい」

 音は必要ない。
 というより正確には、先ほどからずっと純嶺の頭の中には音は流れ続けたままだった。

 ――あんなダンスを見せられて、触発されないわけがない。

 鏡の正面に立ち、目を閉じる。
 二度ほど大きく深呼吸してから、純嶺はゆっくりと目を開いた。


   ◇


「アンタ、マジですげえわ……」

 ぽつりと落とされた声が、純嶺を一気に現実に引き戻した。
 ずしり、と身体に重力が戻ってくる。
 自分の乱れた呼吸音が急にうるさく聞こえ始め、吹き出した汗がぽたぽたとフローリングの床に落ちた。

 ――なんだったんだ、今のは。

 不思議な感覚だった。
 最初は考えて踊り始めたはずだ。自分の中に鳴り響く音に合わせて、身体を動かして――でも、途中からは操られているみたいだった。
 いや、それとも違う。
 内側からあふれ出すものを表現することに夢中だった気がする。
 考えなくとも、身体が動く。
 やはりその感覚は『操られる』という表現が一番しっくりくるが、それでも純嶺の披露したダンスは間違いなく純嶺自身の踊りだった。

「……やばすぎ」

 声のほうを振り返ると、放心状態でこちらを見る染と視線が絡んだ。
 感情が高ぶっているのか、前見たときはうっすらと青が混ざるぐらいだった薄灰の瞳が、より強く深い青みを帯びて煌めいているように見える。
 ずっと染の目を見ることには抵抗があったはずなのに、今は吸い込まれるようにその瞳を見つめ返していた。

「今の、即興なんだよな?」
「そうだな……夢中であんまり、覚えてないが」
「マジかよ。なあ見ろよ、この鳥肌。動いてないのに身体熱いし……訳わかんねえ」

 染がジャージの袖を捲って、腕を見せてくる。
 純嶺の立っている位置から鳥肌の有無は確認できなかったが、染が説明した感覚を先に体感して知っていた純嶺は、その言葉に大きく頷いた。

「さっきのおれも同じだった」
「同じ?」
「お前のダンス見た後、ずっと鳥肌が止まらなくて、身体の熱が暴れ出しそうで――だから、踊らずにはいられなかった」

 誰かのダンスにここまで強く突き動かされたのは、本当に久しぶりだった。
 心も身体も、こんなにも高ぶっているのもだ。
 今までもコウたちのダンスを見て、気持ちが高ぶらなかったわけじゃない。でもコウたちに対する気持ちにはいつも、ステージに上がれない悔しさがついて回っていた。
 どうしてそこに自分は立てないのかと――素晴らしいダンスに感動する気持ちに纏わりつく嫉妬の感情。そんな醜い感情にどうにか蓋をして生きてきたのが、今までの純嶺だった。

 ――今のは、違った。

 染のダンスを見て、ただ純粋に「踊りたい」と感じた。
 純嶺の中にあった感情はそれだけだった。
 ずっと靄がかかっていた衝動が急に目覚めたような、不思議な心地がした。

「あー、くそ。マジでそれだわ。踊りたくてうずうずする」

 染にもまた、同じ熱がうつったらしい。
 悔しそうに床に拳を打ちつけている。

「さっきの仕返しだ」
「なんだそれ」

 言い返してきた染の不貞腐れた顔を見て、純嶺は声を上げて笑っていた。
 普段ならこんな笑い方はしない。ダンスであふれさせた感情がまだ高ぶっているようだった。

「……あー、それ反則すぎ」

 染のこぼした呟きは、笑い続ける純嶺の耳には届いていない。
 眉間に力を入れ、険しい表情を浮かべた染の頬はうっすらと赤く色づいていた。
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