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第4章 寄せ集めのチーム

15 副作用

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 午後のレッスンは十八時で解散となった。
 その後も申請さえすればスタジオは自由に使えるが、夕食を必ず十八時から二十一時までの間に食べなければならないという決まりがあるので、全員一旦スタジオを出ることになる。

「この決まりってさ、二十一時には食堂閉めるよってことなのかな?」
「どうも、ちゃうらしいで。昨日、初日からうっかり寝過ごしたやつの話では、二十一時を過ぎた瞬間――」
「過ぎた瞬間……?」
「――食堂から迎えがくるんやて」
「ふぇ?」

 食堂のある宿泊棟に繋がる渡り廊下を歩きながら、ドラと田中が親しげに話している。
 純嶺すみれ叶衣かなえに、真栄倉まえくらがルーネにそれぞれ個別レッスンをしている間、ドラと田中も二人で練習をしていたらしく、その距離はかなり縮まっていた。
 こうして、仲良く肩を組んで歩くほどだ。

「飯はちゃんと食えってことなんやろな。ほら、夢中になったら飯食わんようなやつらもおるやろ? そういうの、せえへんようにってことちゃうんかなぁ」
「スミレちゃんみたいに?」
「せやな。純嶺サンみたいに」
「……どうしてそこで、おれの名前が出てくるんだ」
「そういうタイプっぽいじゃん。スミレちゃん」
「夢中になったら、寝食忘れるダンス馬鹿タイプで間違いないやろ」
「なー」「ねー」

 二人が声を揃えている。
 ダンス馬鹿というのはあながち間違っていないので、強く否定できない。

「スミレちゃーん。ご飯の後、お風呂どうする? まだ練習する?」
「今日は無理しないほうがいいだろう。叶衣もルーネも今日はゆっくり休むべきだ」
「確かにねー。オレも今日はもう身体バッキバキだもん」

 と言いつつも、やはりドラの表情にはどこか余裕がある。
 隣で頷いている田中も同様だ。二人は見た目以上に体力があるのかもしれない。

「それにしてもさ、真栄倉くんが案外面倒見よくてびっくりしたね」
「おーちゃんはツンデレやからな」
「……ツン、デレ? 嘘。そんな属性持ちなの?」
「ほんまほんま。おれ同室やからわかんねん。文句言いながらも、朝とかきっちり起こしてくれたし」
「まーじで。うわー……なんかイメージと違う」

 こんな噂をされていることを知ったら、真栄倉はまた怒るのではないだろうか。でも面倒見がいいというのは、純嶺も感じていたことだった。
 ルーネの練習に付き合ってくれるよう真栄倉に頼んだのは純嶺だったが、まさか午後のレッスンが終わるまでずっと、ルーネのダンスを見てくれるとは思っていなかった。
 講師のルイが戻ってきたら、すぐに辞めると思っていたのに。

「教え方もうまかったな」
「ああ見えて、人一倍努力家で苦労人なんやと思うで。おーちゃんは」
「……田中くんが言うと、真栄倉くんがまともっぽい」
「不器用さんではあるけどな」

 田中は随分と真栄倉を理解しているようだった。
 本当に同室だからというだけなのだろうか。二人の関係はまだよくわからないままだ。

「だからまあ、あんま嫌わんといたってな」
「……嫌われてるのは、オレたちのほうだと思うんだけど」

 田中の言葉に、ドラは苦い表情を浮かべている。
 それでも今日一日で真栄倉の印象が少しは変わったのか、そこまで嫌がっている雰囲気ではなかった。


   ◇


「スミレちゃん、お風呂行こー」

 夕食後、ドラから入浴に誘われた。
 宿泊棟の一階にある大浴場の利用時間は特に決められていない。早朝の清掃時間外であれば、いつでも入っていいとのことだった。
 大浴場とは別に、各部屋にはシャワールームも備えつけられている。軽く汗を流す程度であればそちらで事足りるが、やはり広い湯船の魅力には敵わない。
 長身の純嶺にとって、足を伸ばして入れる湯船はかなり貴重だった。

「はー……広いお風呂って最高だよねー。めっちゃ好き」

 湯船の中で、ぐーっと大きく身体を伸ばしながら、ドラは気持ちよさそうに目を閉じている。
 純嶺も天井をぼんやり眺めながら、ほうっと息を吐き出した。

「柔軟しやすいのもいいよな」
「え、スミレちゃん。お風呂の中でそんなことすんの?」

 ぽつりと漏らした純嶺の一言に、ドラが驚いた反応を見せた。
 普通はしないのだろうか。
 あたたまった身体は柔軟に適しているのに。

「ドラはやらないのか?」
「しないよー。ってか、オレだけじゃなくて他に誰もしてなくない?」

 そう言われて、周りを見回す。
 湯船の中には純嶺たち以外に何名かオーディションメンバーがいたが、ドラの言うとおり、柔軟をしているメンバーはいないようだった。

「……そうなんだな」
「そうだよ。そんなのスミレちゃんぐらいだって」
「俺もするけど?」
「――うおッ、びっくりしたー」

 ざぶりとお湯が揺れた。
 後ろから二人に近づいてきた人物の顔を見て、純嶺はぴしりと固まる。

「ええっと……あ、そうだ。せんくんだ」

 話しかけてきたのは、染だった。

「くん付けで呼ばれんのはなんか新鮮だな。呼び捨てでいいけど?」
「いやいや、これはオレのスタイルなので」

 ドラは持ち前の愛嬌のよさで、染とすぐに打ち解けている。二人が和やかに会話を進める中、純嶺は一言も発せずにいた。
 その原因は、染だ。
 濡れた前髪を掻き上げているせいで、染の目元がはっきり見える。その瞳からグレアを強く感じる気がして、染の顔を正面から見ることができなかった。

「あれ? 染くんのそれって、もしかしてカラコンじゃない?」
「ん? ああ、目か? 天然もんだよ。親父もじじいも同じ色してるし」
「へえ。めっちゃクールじゃん。かっこいいー」

 そんな瞳をドラはじろじろと間近から覗き込んでいる。
 やはり、普通の人には何も感じないのだろう。
 自分だけがここまで過剰に、グレアの気配に反応してしまうことが嫌でならない。

 ――薬、ちゃんと飲んだんだけどな。

 医師である宮北みやきたから渡された薬はきちんと服用していた。
 飲んでから効果が出るまでしばらくかかるのかもしれなかったが、もしかしたら今回もだめなのかもしれないと思う気持ちを誤魔化しきれない。

「スミレちゃん、大丈夫? もしかしてのぼせちゃった?」

 急に黙りこくった純嶺に気づいたドラが気遣うように話しかけてくる。
 だが、今はそれに愛想よく答える余裕はなかった。

「……そうかもしれない。先に出る」

 短くそう告げて、純嶺は大浴場を後にした。




 ――気分が悪い。

 早く部屋に戻りたい。人の視線が不快で仕方なかった。
 でもこれは、誰かのせいじゃない。
 純嶺自身の問題だ。
 合宿はまだ二日目。本格的なレッスンが始まった初日だというのに、こんな調子で一ヶ月間――本当に走り切ることができるのだろうか。
 頭の中をぐるぐると嫌な思考が巡る。
 午後のレッスンでルーネに「自信を持て」と偉そうに言った自分。叶衣に対してもそうだ。どの口が言えたのかと、どんどん思考が自嘲的な方向に走り始める。
 よくない傾向だとわかっても、止められない。

「おい、アンタ。待てって」
「――……っ」

 まさか、その声に呼び止められるとは思わなかった。
 逃げるように風呂場を飛び出したのに――そんな自分のことを、染が追ってくるなんて。
 立ち止まったものの、後ろを振り向くことはできない。
 不安に視線を揺らす純嶺の肩に、染の手が触れた。

「……触るな」
「でも、アンタ」
「なんで、おれに構うんだ」

 面談前に会ったときもそうだった。
 別に、自分に話しかけてくる必要なんてない。それにこの男は、すぐに馴れ馴れしく純嶺の身体に触れてくる。

 ――気持ち悪い。

 そう思うのに、その手を振り払うことはできなかった。
 自分がどうしたいのかも、わからない。

 ――なんなんだ、これは。

 頭の中に酷い雑音が混ざっているみたいだ。
 こめかみのあたりに、ズキズキとした痛みまで伴い始める。

「ほら。医務室行くぞ」
「……なん、で」
「アンタ、顔色が悪すぎんだよ。放っとけねえだろ」

 腕を掴まれたら、逆らうことはできなかった。


   ◇


「薬が合わなかったみたいだね。これですぐに落ち着くから安心して」
「…………」

 純嶺の顔色を見て、宮北は何事かすぐに察したようだった。シロップタイプの薬を小さなカップに入れ、椅子に座る純嶺へ差し出す。
 それを飲むとすぐに、ずっとうるさかった頭の中の雑音がぴたりと治まった。
 それでも、気持ちのざわめきはまだ残っている。

「やっぱり抑制系は少量でもだめみたいだね。新しい薬だったんだけど……もしかしたらこうなるかもって、城戸きどくんに先に聞いておいてよかった」
「すみません……」
「なんで謝るの? 謝ることじゃないでしょ」

 宮北は相変わらず優しい笑顔を浮かべている。
 それでも、純嶺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 最初からこんな結果だなんて、不甲斐ない気持ちにならないほうがおかしい。

「ほらほら、マイナス思考はよくないよ」
「……」

 それもわかっている。
 でも、気持ちはすぐに切り替えられるものではない。

「連れてきてくれたのは、同室の子?」
「いえ……全然関係のない相手です」
「そうなんだ? 事情を話してる相手とかでもないの?」
「違います。言えるわけがない……あの男は、Domなのに」

 そう口にしてから、純嶺はハッと気づいて顔を上げた。
 今のは完全に失言だ。
 他人の二次性を勝手に口にするなんて、やっていいことじゃない。

「自分で気づいたみたいだから、今回は注意はしないでおくね」

 本当に情けなくて、ここから消えてしまいたかった。
 丸椅子に座ったまま俯く純嶺の肩にポンッと宮北の手が触れる。そこはさっき、染が触れた場所と同じだ。
 
「そういえば、あいつは?」
「君を預けてすぐ、部屋に戻るって言ってたよ」
「そう、ですか……」

 そんな会話も全く耳に入っていなかった。
 頭痛が酷くて、それどころではなかったからだ。

 ――また、助けられた。

 染が純嶺を助けてくれたのは今回が初めてではない――バスのときのお礼だって、まだ言えていないのに。
 薬の副作用のせいとはいえ、酷い態度を取ってしまった気がする。

 ――なんで、あの男は……いつも、おれを助けるようなことを。

 偶然なのだろうか。
 考えてもわかるはずがない。
 純嶺は無意識に、先ほど染に握られていた自分の左手首に指を滑らせていた。
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