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第3章 合宿オーディション初日
10 ヴィラン
しおりを挟む「スミレちゃん。こっち!」
ロビーに入るなり、大声で名前を呼ばれた。
ぴょんぴょんと飛び跳ね、こちらに手を振っているのはドラだ。掲示板に貼り出された部屋割りを指差しながら、何やら嬉しそう笑っている。
「見て見て、ほら。オレとスミレちゃん、同室だって!」
どうやら、純嶺はドラと同じ部屋を割り当てられたらしい。
部屋はすべて、二人部屋のようだった。
合宿所は三階建てで、二階と三階にオーディションメンバーとスタッフの部屋がそれぞれ振り分けられている。一階にあるのは食堂と大浴場で、その奥にはセルフランドリーや売店もあるようだった。
「すごいねー……合宿所の中に売店もあるんだ」
「近くに店がないからだろうな」
「ええっと『通販を利用する場合は事前に管理人に連絡すること』……って、いいんだ。通販とか使って」
館内マップを見上げながら変なところに感動しているドラをロビーに置いて、純嶺は先に自室を目指すことにする。
純嶺たちの部屋は一つ上のフロア、二階の一番奥だ。
置いていかれたと気づいたドラが、ぱたぱたと早足で駆け寄ってくる音が後ろから聞こえる。
ドラはゆっくりと歩く純嶺を廊下で追い抜いていくと、先に預かっていたらしい鍵で部屋の扉を開けてくれた。
「あ、これ。純嶺ちゃんの分の鍵ね」
部屋に入る前に、自分の分の鍵を預かる。
ドラに続いて部屋に入ると、開いていた窓から吹き込んだ木々の香りを含んだ風が、ふわりと純嶺の前髪を揺らした。
さすがは周りを大自然に囲まれているだけのことはある。心地のよい風だ。
「スミレちゃん、見て! すっごいいい部屋!」
部屋の奥から興奮した様子のドラの声が聞こえてくる。
純嶺も部屋の奥へと進むと、ぐるりと部屋の中を確かめた。
「意外と広いんだな」
「だよね! もっと窮屈な感じかと思ってたけど、めっちゃいいじゃん!」
部屋の左右には、純嶺の身長よりも背の高いロフトベッドが置かれていた。
ベッドの下には机と椅子も備え付けられており、それぞれが自由に使える空間となっている。机の横にはクローゼットスペースもあり、服が掛けられるようにハンガーラックが設置されていた。
部屋の真ん中はカーテンで区切れる仕組みのようだった。
音は筒抜けだが、個室のようにも使えるようだ。
「スミレちゃん、どっちのベッドがいいとかある?」
「別に。お前の好きなほうを選べばいい」
「じゃあ、オレこっちにする。このカーテンはどうしよう。閉めとこうか?」
「……そうだな。何かあれば、声は届くようだし」
「おっけー」
扉から見て右手のベッドをドラ、左手のベッドを純嶺が使うことになった。
早速、机の下に持ってきた荷物を置く。羽織っていた上着を脱ぎ、ハンガーに掛けていると「あ、そうだ」とカーテンの向こうからドラが声を掛けてきた。
「貴重品はそれぞれ持って移動しろってさ。管理人さんにも預けられるらしいけど」
「わかった」
賑やかで落ち着きのない印象のドラだが、そういうところはしっかりしているようだ。
純嶺は大きな荷物とは別に持ってきたボディバッグに財布とスマホを放り込むと、それを身につけ、ロビーに行く準備を終える。
ちょうど同じタイミングで準備ができたらしいドラと、二人揃って部屋を出た。
◇
「――以上が撮影と動画配信についての説明になります。参加者の皆様には事前に同じ内容を文書にてご確認いただき、同意書を提出していただいておりますので問題はないかとは思いますが、もし何か質問がありましたら挙手でお願いします」
純嶺たちが食堂に到着してから既に三十分以上、オリエンテーションは続いていた。
オリエンテーションといっても、スタッフから参加者に向けての説明が主だ。今は動画配信についての説明が終わったところだった。
説明の内容の既に書面で確認済みのことばかりだったので、皆どこか退屈そうな表情で手元の書類に視線を落としている。
あくびを噛み殺している参加者も一人や二人ではなかった。
「質問がないようですので、これにてオーディションの概要及び撮影、配信についての説明を終わります。最後に社長の景塚より皆様にお話があります」
その言葉に、一瞬にして室内の雰囲気が変わる。
ぐっと空気が重くなり、全員の注目が前に立つスタッフの男性に集まった。
がたり、と後ろで椅子の動いた音が聞こえる。音のほうを振り返ると、三つ揃いのスーツを着た壮年の男性が立ち上がったところだった。
――もしかして、あの人が。
社長だろうか。
この場所に社長が同席しているなんて聞いていない。
それは純嶺だけではなかったらしく、皆驚いた表情で男性の動向を見守っている。
男性は壇上に上がるとスタッフにねぎらうように声を掛け、その手からマイクを受け取った。感情の読みづらい表情で参加者全員の顔を一瞥してから、ゆったりとした動作で口元にマイクを近づける。
「――景塚月也だ」
低く静かな声色だった。
まだ名乗っただけだというのに、その話し方には威圧感がある。
丁寧に年を重ねた端正な顔立ち。鋭い眼光からはすぐに目を逸らしたくなる。ダークカラーのスーツがよく似合うその人は、景塚プロダクションの社長で間違いないようだった。
純嶺はごくりと唾を呑み込む。
「このオーディションの趣旨についてはもう理解いただけていると思うが――君たちも知っての通り、既にダンス&ボーカルグループは珍しい存在ではない。突き抜けたものでなければ、すぐに埋もれて消えてしまうことだろう。そこで私は君たちに正統派ではなく《ヴィラン》を目指してもらおうと思っている。悪として、この業界を引っ掻き回してもらうつもりだ。その自己演出についても、このオーディションの審査対象とする。君たちがこの言葉をどう理解し、表現するのか――期待させてもらっている」
――《ヴィラン》?
社長の発した言葉の中に、純嶺の知らない言葉があった。
うろ覚えだったが、募集要項にもそんな言葉が書いたあったような気がする。後で調べようと思って、すっかり忘れていた。
アキラはその言葉の意味を知っていたらしく『純嶺ちゃんにぴったりじゃん』と話していたが、一体どういう意味の言葉なのだろう。
社長は話し終えると、すぐに食堂を出ていってしまった。室内には動揺のざわめきが広がっているが、誰も一歩も動けない。
そのまま、オリエンテーションは終了となった。
◇
「やっばかったね、社長さん。迫力はんぱなかったし」
オリエンテーションの後、そのまま食堂で昼食をとることになった。
当たり前のように純嶺の向かいに座ったドラが、今日の日替わりであるグリルチキンを頬張りながら、興奮した様子で話している。
スタッフや関係者とは食事の時間帯をずらしてあるのか、広い食堂内には今、オーディション参加者の十八人しかいなかった。まだ出会って間もないので、元々の知り合い以外は一人で食事をしているものが目立つ。
「ってか、社長が来てたなんて知らなかったんだけど!」
「おれもだ」
「だよね。よかったー、変な質問とかしなくて。でもさ、社長が最後に言ってたあれ……もうちょっと詳しく聞きたかったよね」
「あれ?」
「ほら『君たちには《ヴィラン》を目指してもらう』ってやつ。もうちょっと詳しく説明してくれると思ってたのに……それも審査対象になるって」
全然似ていない社長の口真似を披露したドラは、箸の先を口元に当てながら考え込むような仕草を見せる。
その言葉に、純嶺はまだ自分の疑問が解決していなかったことを思い出した。
「ドラ……聞いてもいいか?」
「うん? 何?」
「――《ヴィラン》ってなんのことだ?」
純嶺の質問に、ドラがぴたりと動きを止めた。
ぽかんと口を開いたまま、ぱちぱちと何度か目を瞬かせる。
「……待って、スミレちゃん。その言葉の意味も知らずに、このオーディション受けたの?」
「ああ。そうだけど」
「ぇえええ!?」
ドラの大声は、食堂中に響き渡った。
急かされるように昼食を済ませ、純嶺はドラと一緒に部屋に戻った。午後からは個人面談が始まるが、呼ばれるまでは各自、自由時間ということになっている。
軽くもたれる胃のあたりをさする純嶺の隣では、椅子に座ったドラがタブレットで何かを検索していた。
「んー、これがわかりやすいかな? ちょっと見て」
そう言って、画面を純嶺のほうへ向ける。
「《ヴィラン》――英語で『悪党』『悪者』『悪役』を指す言葉……か」
「そう。社長も『悪として』って言ってたから、このオーディションは《悪》をモチーフにしたダンス&ボーカルグループを作るためのものなんだと思う。募集要項にもそんな感じのことが書いてあったし」
「……そういうことだったんだな」
募集要項といえば、アキラとコウにオーディションに参加するよう勧められたあの日、軽く目を通しただけだったので、あまり詳しいことまでは覚えていなかった。
初めて見た《ヴィラン》という言葉が頭に残っていたぐらいだ。
でもこれで、アキラが『純嶺にピッタリだ』と言った理由がわかった。
通りすがりに視線を合わせるだけで「喧嘩を売った」だの「睨みつけた」だの言われる顔だ。自分の人相の悪さは純嶺が一番よくわかっている。
そんな自分なら、間違いなく《ヴィラン》に向いているだろう。
「その《ヴィラン》っていうのは、《ヒール》とは違うのか?」
「やっぱりそれ、スミレちゃんも気になる?」
ドラも純嶺と同じ疑問を抱いていたらしい。
ヴィランとよく似た言葉に《ヒール》がある。同じように悪党を指す言葉だ。
主にプロレスで使わることが多い言葉だが、アイドルやアーティストといった芸能人にも『ヒール系』と呼ばれるジャンルがあることは知っている。
わざとファンを罵倒するように煽ったり、挑発するように睨みつけたり――純嶺には理解できない行動だったが、それでも人気があるらしい。
それと社長の言ったヴィランは、どう違うのだろうか。
「わざわざ、ヒールじゃなくてヴィランって言葉を使ったことに意味があるんだとしたら、その解釈もこのオーディションの審査に関係してくるんじゃないかなって思うんだよね……オレの考えすぎかもしれないけど」
「それでも、考えないわけにはいかないだろうな」
「だよねー……それに、そう考えてるのオレだけじゃないと思うんだ。募集要項で気づいていた人は、その対策をしてこのオーディションに臨んできてるみたいだし。ほら、派手な髪色の子とかも結構いたでしょ? ああいうのも、そうなんだと思う」
――あれにも、そういう意味があったのか。
ドラの言うとおり、参加者の中には派手な髪色をした者が多くいた。
コウやアキラで見慣れていたので純嶺はあまり気にしていなかったが、街中ではあまり見かけない奇抜な色合いばかりだった気がする。
「ヴィランというのは、派手な色の髪という解釈なのか?」
「っていうより――……あ、ここからはオレの想像でしかないから、そのつもりで聞いてね?」
「ああ」
「ヴィランってさ、二次元で使われてるイメージが強い言葉なんだよ。だから、その人たちはそっちの解釈をしたんじゃないかなって。派手な色の髪って二次元っぽいでしょ?」
「……《二次元》?」
またしても、知らない単語が飛び出してきた。
疑問に首を傾げる純嶺を、ドラがハッとした表情で見つめる。
「スミレちゃんってそういうのも、あんまり詳しくない? 漫画とかアニメとかゲームとか、そういうものをひっくるめて《二次元》って呼んだりするんだけど」
「……あまり、というか全然だな」
「そっかー。ちょっと待ってね」
そう言うと、ドラはまたタブレットを弄り始める。
「えっと、これとか。あと、こういうのとか」
説明しながらドラが見せてきたのは、やたら奇抜な格好をした男性キャラクターのイラストだった。
黒を基調とした衣装を着ているキャラクターが多い。
髪色だけでなく髪型も派手で、メイクやタトゥーも個性的なものが目立っていた。
「こういうのが、《二次元》の《ヴィラン》なのか?」
「その一部、かな。もっと敵らしいクリーチャーみたいなのもいたりするけど、今回のオーディションで参考にするべきなのはそういうのじゃないと思うし――あ、ほら。これとかスミレちゃんっぽくない?」
ドラが指差したキャラクターは、目つきの悪さが純嶺によく似ていた。黒髪なのも同じだ。
どうやらゲームのキャラクターらしい。キャラクターの設定をドラが詳しく説明してくれたが、純嶺にはあまり理解できなかった。
「……じゃあ、あれもヴィランの役作りだったのか」
「あれって?」
「真栄倉だ。移動中から役作りをするなんて……さすがは役者だな」
あんなところから、オーディションに備えていたなんて――だとすれば、きちんとそれに乗ってやるべきだったかもしれない。
そんな器用なことが純嶺にできたかどうかは怪しいが、せっかく役作りを頑張っていたのだ。真栄倉の努力を台無しにしてしまったのではないかと、少々心配になってくる。
「…………いや、あれは普通に性格が悪いだけだと思うけど」
ドラの呟きは、真剣に悩む純嶺の耳には届いていなかった。
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