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第1章 ステージに立てないダンサー

02 ダンス馬鹿

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「うわ、純嶺すみれちゃん。こんなところで寝てるよ」
「……コイツやべえな」

 近くから、二人分の声が聞こえる。
 ぺちぺちと誰かが頬に触れる感覚に意識を浮上させると、その声はよりはっきりと聞こえてきた。

「コウくんも気持ち悪いぐらいダンス馬鹿だけど、純嶺ちゃんはそれ以上だよね」
「てめえ。普通に俺のことまでディスってんじゃねーよ」
「ちょ。コウくん、痛い痛い。ってか、ディスってないし! 褒めてるんだって」

 賑やかな声を聞きながら、純嶺はいまだ重いままの瞼を抉じ開ける。
 こちらを覗き込んでいた二人と、ばちりと目が合った。

「おはよーさん、純嶺。相変わらず、寝起きの殺人鬼ヅラはやべえな。つか、こんなところで寝てて、身体痛くなんねーの?」
「……コウ。第二幕のラスト、暗転時間をあと少し短くしたい」
「寝起き第一声がそれかよ。ま、俺も同意見だけどよ」

 純嶺の発言ににやにやと目を細めて笑いながら、こちらに手を差し伸べてきたのはコウだ。
 自分がトップアーティストである自覚は一応あるらしく、お忍びのつもりなのか、黒のロングパーカーのフードを目深に被り、口元もマスクで覆い隠している――が、その目立つ容貌は隠しきれていない。

「やっぱり、二人はダンス馬鹿同士だね」

 その隣で呆れた表情を浮かべているのは、このスタジオのオーナーであり、昔のダンス仲間でもあるアキラだ。
 オレンジのメッシュの入った髪に日焼けした肌。人懐こい顔立ちに満面の笑みを浮かべながら、床で寝転がる純嶺のことをコウの後ろから覗き込んでいる。

「純嶺ちゃん。うちはホテルじゃないよ」
「……悪い。ぶっ通しで踊ってたら、急に落ちた」
「落ちたって……怖いこと言わないでよ。嫌だよ? 自分のスタジオで人死にが出るとか」
「わかった――なるべく気をつける」
「ホントかなぁ」

 コウの手を借りて、身体を起こす。
 硬い床の上に直接眠っていたせいか、純嶺の背中からミシリと嫌な音が響いた。
 意識が落ちる直前まで、全力で踊っていたせいもあるのかもしれない。熱くなっていた身体が急激に冷やされ、酷使された筋肉が悲鳴を上げているのだろう。
 純嶺はゆっくりと筋を伸ばしながら、身体の調子を確認していく。

「通しで踊ったのか?」
「ああ。通しで二周踊り切った、はず」
「うえぇ? あの振りをフルで二周ってやばくない? オレには絶対無理なやつだー」
「途中から記憶ないけどな」

 アキラが、純嶺の発言に引いた様子で顔を歪めている。
 純嶺自身も、自分のこの状態が普通ではないことぐらいわかっていた。
 ダンスに対して命を削りすぎだと、他人から注意を受けたことは一度や二度の話ではない。それでも誰に何と言われようと、この姿勢を変えるつもりはなかった。

「なんで二周もやったんだ?」
「細かく気になる場所が、いくつもあったから」

 振付に大きな問題はない。だからこそ、細かいところが気になった。
 その違和感を確認するために、踊り始めたはずだった――なのに、それすら記憶に残っていないのでは意味がなさすぎる。
 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回す純嶺を、コウが楽しそうな表情で眺めていた。

「で、起きるなり――アレか」
「お前の顔を見たら、早く言わなきゃって思ったんだよ」
「で? 第二幕のラスト以外で、気になるとこってのは?」
「あー……今、思い出すから待て」

 一周目を踊り切った後のメモは床に転がっていたが、酷く荒れた文字で綴られたそれは純嶺本人であっても、すぐには解読が難しい。
 記憶と照らし合わせながら、一つ一つを読み解いていく。

「第一幕の衣装チェンジのとこと、その曲ラストのサトリの振りだろ……あと全員のソロパートにも、気になるとこがある。コウのとこだと、気になるのはテンポかな。もうちょっと上げたほうがいいかもしれない」
「あー……テンポな。それって、全体上げるより、こう波つける感じじゃだめか? それのが、面白そうなんだけど」
「緩急をつけるってことか? それでコウが問題なくいけるなら」
「余裕だろ」

 純嶺が気になる箇所を指摘すれば、コウからは矢継ぎ早に意見が返ってくる。
 皆まで言わずとも、純嶺の考えをここまで汲み取ってくれるのはコウだけだろう。ダンス馬鹿同士、やはり話が合う。

「――……ねぇ、二人ともお腹減らないの? オレ、腹ペコなんだけど」

 腹の音と二重奏を奏でたアキラの気の抜けた声が、そんな二人の会話に割り込んでくる。
 そのあまりの間抜けさに、コウが大口を開けて笑った。


   ◇


「ところで、純嶺ちゃん。オーディション受ける気ない?」
「……オーディション?」

 馴染みの定食屋で食事を終え、三人はもう一度スタジオに戻ってきていた。
 ダンスフロアの床に腰を下ろすなり、アキラが前のめりに話を切り出す。
 その言葉に驚く純嶺をよそに、コウは先にその話を聞いていたのか、アキラの隣で胡坐をかいて腕を組み、大きく頷いていた。

「これ、なんだけど」

 そう言いながら、アキラはおそるおそるといった動きで、タブレットを純嶺へと差し出してくる。『オーディション開催のお知らせ』と書かれたそれは、オーディション募集でありがちな派手なチラシではなく、モノクロの文字だけで綴られた簡素な書面だった。
 まるで会議資料のようだったが、中に書かれているのはオーディションの募集要項に間違いないようだ。

「一般公募のオーディションじゃなくて、推薦って形で募集のかかってるオーディションなんだけど……もし、純嶺ちゃんが興味あるっていうなら、うちの事務所から推薦したいと思ってて」
「…………」

 アキラの説明を聞きながら、純嶺はタブレットに映し出された書面に視線を落としていた。
 だが、目が滑ってしまい、内容が頭に入ってこない。
 オーディションに、嫌な記憶が多すぎるせいだ。

「どう、かな?」
「……おれは、お前のとこに所属してるダンサーじゃないんだけど?」

 アキラはダンススタジオとスクールを経営するだけでなく、小さな事務所も構えていたが、純嶺はその事務所にダンサーとして登録した覚えはない。

「ダンサーとしてはそうだけど、講師って形でうちに在籍してもらってるでしょ? それでも大丈夫だって、先方にはちゃんと確認してあって……って、勝手に話進めててごめん」
「いや……それは別に構わないけど」

 勝手に応募されたというわけではないので、それは特に問題ではない。
 純嶺の返答に、アキラはわかりやすく安心した様子で表情を緩めた。構わないという言葉をいいように受け取ったのか「じゃあ」と明るい声で言いながら、純嶺のほうに身を乗り出してくる。

「でも、おれは――」
「受けろよ」

 断ろうとした純嶺の言葉に重ねるように強い語調で割り込んだのは、今までずっと黙っていたコウだった。
 その表情は怖いぐらい真剣だ。
 純嶺がオーディションの話を断ると、先に見越していたのだろう。
 だからこそ、こうして強引に純嶺の言葉を遮ったのだ。

「お前が気にしてんのはどうせ二次性のことだろ? それならそこに、でっかく『不問』だって書いてあるだろうが」
「そんなのは募集側の建前だって、お前だってわかって――」
「挑戦する前から決めつけてんじゃねえ!」

 コウの怒鳴る声に驚いて目を丸くしたのは、その隣に座っていたアキラだった。
 純嶺はこう言われることを予想していたので、特に驚いたりしない。こうして他人に対して熱血なところも、コウは昔から変わっていなかった。

「募集してるプロダクションの名前、見たのかよ」
「……見てないけど」
「ちゃんと読め」

 コウはアキラの手からタブレットを奪い取ると、ぐいっと強くこちらに押しつけてくる。
 純嶺は渋々受け取ると、もう一度募集要項に目を通した。

「……景塚けいづかプロダクション?」
「だよ。そこが建前だけのオーディションを開くと思うか?」
「…………」

 景塚プロダクション――今、どこよりも乗りに乗っている芸能プロダクションだ。
 最初は小さなモデル事務所だったが、たった数年のうちに急速に力をつけ、今では国内で指折りのプロダクションへと仲間入りしたことでも有名なプロダクションだった。

「そこが、二次性問題に力を入れてるプロダクションなのは有名だろ」
「……それだって、建前かも」
「お前、何言って」
「うちはSubにも優しいですって言ったほうが、世間的にイメージがいいのは間違いないからな。結局はSubのことを下に見て、馬鹿にしてるとこばっかのくせに」
「純嶺。それ以上言ったら、いくらお前でもぶん殴るぞ」

 コウの低い声に、純嶺は言葉を呑み込んだ。

 ――別に、おれだって全部を疑いたいわけじゃない。

 だが、現実は既に嫌というほど突きつけられた後だ。
 どれだけ大きく『二次性不問』と書かれたオーディションであっても、Subだと素直に書けば、書類選考の段階で落とされる。ちゃんと空気を読めと嫌みのようなことを言われた事務所だって、一か所だけではなかった。
 純嶺のダンサーとしての力を見てくれるところなんて、今まで一つもありはしなかったのだ。
 そうだと知っているのに――痛いぐらい思い知らされた後なのに、今さらこんな言葉を信じられるわけがない。

「挑戦してみるだけでも、嫌なのか?」
「純嶺ちゃん……」

 二人が自分のことを心配してくれているのはわかる。
 ダンサーとして生きる道を諦めきれない純嶺のことを、必死で気遣ってくれていることだって。

 ――だから、余計に惨めになるんだ。

 そんな言葉を二人にぶつけるつもりはなかったが、二人が自分の劣等感を刺激してくるのは間違いなかった。
 アーティストとして、経営者として――二人は誰から見ても成功者だ。
 底辺で燻っている自分とは違う。
 それなのに、そんな高みから手を差し伸べられても、簡単に掴むことなんてできるはずがない。二人から施しを受けるつもりにはなれなかった。

 ――馬鹿げたプライドなんだろうけど。

 わかっていても、この気持ちは簡単に変えられそうにない。
 なんと言われても、今すぐ頷くことは難しい。

「締切は今月末だから……ギリギリまで純嶺ちゃんからの連絡、待ってるから!」

 後ろからアキラの必死な声が聞こえたが、純嶺は一度も振り返らずにスタジオを後にした。
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