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 部屋に一歩足を踏み入れると、古めかしい紙の香りがする。

 本棚が一定間隔に置かれて幅はちょっと狭め。でもそれが、かえって落ち着く。隙間を縫うように進んでいくと壁に浅くくり貫かれた場所があり、敷物と小さなテーブルが設置されている。

 幼いときはこの隠れ家のような空間が好きで、よく入り浸っていた。ミラーおば様がいつも日が暮れる頃に呼びに来てくれたのを思い出す。

 そのおば様が足を止める。ひとつの棚にランプをかざして「ここだろう?」と聞いた。

「アンタの探してるのはリリーの葉に関することじゃないかい?」
「よくわかりましたね」
「匂いがしたからね」
「あ……」

 つい自身の服をクンクン嗅いでしまう。おば様は「大丈夫だよ」と笑った。

「アタシくらいじゃないと気づかないさ。普段から使ってるからね」
「なるほど」
「それより早く探してごらん。遅くなるよ」
「そうだった。おば様はどうします?」
「アタシは戻るよ。終わったらまた声をかけておくれ」
「わかりました」

 背を向けて離れていくミラーおば様を見送って、本棚に目を向ける。ざっと視線を流して背表紙を見ていく。薬草関連、解呪に関連する本をいくつか手にとっていく。

 奥のテーブルに本を置いて、腰のランプを隣に置く。敷物の上に腰をおろして持ってきた魔導書に目を通した。

 惚れ薬の材料に関連してそうな本だけを残して、あとは本棚へ戻す。同じことを数回繰り返して厳選した三冊を抱える。本当はあと数冊持ちたかったけど重量がオーバーするから諦めた。

 上に戻るとおば様が窓際で本を読んでいる。先に寝ていてくれてよかったのに、と思いつつ「おば様」と声をかけた。顔を上げてズレたメガネを直す。私の胸元を見てホッとしたように口を開いた。

「参考になりそうなものを見つけられたようだね」
「はい、ひとまずこれだけ」
「そうだね。それで足りなそうならまたおいで」
「足りても来ますよ。お茶の約束してたじゃないですか」

 私の言葉におば様が苦笑する。
 
「ああそうだね。じゃあ楽しみに待ってるよ」
「ええ。では帰りますね。おやすみなさい」
「おやすみ」

 軽く挨拶を交わして小屋を後にする。帰り道、ふと植物園の中を回り道して通った。

 この時間は誰もいない上に月明かりが差し込んで幻想的に見える。ガラスで仕切られた植物園に降り注ぐ光はキラキラと煌めく。整えられた細い道を歩きながら、わずかに入り込む風に揺られる草花を眺めていた。

 道中、ふわりと澄んだ緑の香りがする。少しだけ冷えたその空気を吸い込むと頭がスッキリする気がした。

 この先の脇道に来訪者用の椅子がある。ここで魔導書を読めば冷静に考えられるかもしれない。なんとなく思い立って足を進める。木々で隠された空間からピョコンと顔を覗かせる。どうせ誰もいないから、と。

 けど思いがけずそこには男性がいた。月の光に照らされ佇んでいる彼は私に気づいて振り返る。

 白銀の長い髪をひとつに結び、水色の瞳で窺うように見てくる。異国の服に身を包む彼は薄いグレーの布を肩から羽織っていた。

 驚いて息を飲む。

「……!」

 一瞬、見えてはいけないものが出てきたのかと思った。でもちゃんと話せる人だったようで、彼は私にニコリと笑いかけてくる。

「こんばんは」
「あ……こんばんは……」

 悠長に挨拶してる場合か、と思ったものの、ここにいるってことはそれなりに偉い人。ひとまず話を聞くことにした。

「こんな遅くにこんなところへ…もしかして眠れないんですか?」
「うん? ああ、いや。この辺りに氷百合フローズン・リリーがあるって聞いてね。あれは夜に咲く花だろう? だから見に来たんだ」
「なるほど。見れました?」
「まだ見つかってないね」

 そう言って視線を戻す。たしかに氷百合フローズン・リリーは奥まったこの辺で育てられていたはず。だけど見るにはコツがいる。見たところ彼は必要な道具を持っていないようだ。

 傍に行きながら首をかしげる。

「ランプは持っていないんですね。渡されませんでした?」
「ん? 持ってるよ」

 腰に下げた携帯用を出しながら点灯させる。ほんの少し周囲が明るくなる。

「氷百合は熱に弱いって聞いてたから点けないつもりでいたけど」
「ええ。だから寒冷性のランプが必要になるんです。ちょっとお借りしても?」
「どうぞ」

 近くの椅子に持っていた魔導書を置いて渡されたランプを軽く掲げる。もう片方の指先で魔導印を描き組み込むようにランプへ重ねる。すると中の炎がゆっくりと橙から水色へと変化していった。そしてそこから、ゆっくりと冷えた空気が漂い始める。

 ほのかに青い光に照らされて雰囲気が変わり、隣の男性が手元をを覗き込んだ。

「これは……知らなかったな」
「冷気に満たされれば花が咲きますから。もうじき氷百合が見られると思いますよ。ほら」

 冷えた空気がさらに冷えていく。霜が降り始めたかと思えば、先の草木がわずかにしなる。しばらくして、白く輝く粒子が集まり花の形を作った。

 男性が小さく「あ」っと声を出す。そこから間もなく青い葉を持つ、白い花弁の氷百合の咲く一画が現れた。

 雪のように真っ白いその花は風に揺れて、熟れた果物のような甘い香りを放つ。私は誘われるようにそばに行き、しゃがみこむ。

「この香りが冷気のある場所でしか見られない理由らしいです」
「どこでも咲いてしまったら動物たちに食べられそうな香りだからかな、納得するよ」
「実際に食べても美味しくはないんですけどね」
「食べたことあるの?」
「ええ」
「どんな味だった?」
「普通の青臭い花びらです。甘味なんて欠片もありません」
「これだけ美味しそうな香りなのにね」

 くすっと笑って私の隣に同じようにしゃがみこむ。名も知らない男性は花に手を伸ばし、瞳を細めた。

「これだけ美しく甘い香りなら……私も一度は挑戦してみたくなるね」

 スッと視線をこちらに移す。一瞬、水色の瞳が艶かしく煌めく。ドキッと胸が打って、驚いてつい立ち上がった。
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