どうかこのまま、連れ去って

ふゆ

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【義】

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 窓から覗く空には、澄んだ青が広がっている。一際輝く陽の光と、傍に浮かぶ淡い桃色の月。今日は、数百年に一度の双月の日だ。

 この日に結ばれれば、永久に離れることはない。そんな逸話のある日だと、リイが言っていた。

 そういう話には疎い私にも、彼の想いは伝わってくる。彼は……私を大切にしてくれている。

「ティア、やはり貴女は美しいですね。そのドレスも良く似合っていますよ」

 声をかけられて、振り返る。

 いつも、ゆるく結われている金色の髪が、今日は高い位置で結ばれてる。服装は、婚儀を迎えるための正装。私が立ち上がると、彼が歩み寄ってくる。

「先程、付き人より話が来ました。ティラド様もいらっしゃっているようですよ。あの救世主とやらはいないようですが」

 その言葉にホッと息を吐く。

 諦めたとはいえ、タイガにリイとの婚儀を見られたくはなかった。心が騒いでしまうから。

 私は、白い花があしらわれたドレスの裾を持ち、リイの傍に行く。

「では、そろそろお時間でしょう。行きましょう、リイ」
「ええ、ティア」

 柔らかく微笑み、差し出された手に、私もそっと手を重ねた。連れられるままに、控え室を後にする。

 私は自らの意思で、リイを選んだのだ。

 封じられていた感情を取り戻しても、結果は変わらなかった。それどころか、以前にも増して、リイの私へ対する態度に気づいてしまう。

 彼はまるで、壊れ物を扱うかのように接してくれていた。言葉の端々に人形であることを求められ、時折、感情を出すことを窘められることはあったけど、それ以外は不自由することはなかった。

 これでいい。これが私の幸せだから、進む先に麗美な扉が見えてくる。ここに入り、次に出てくるときには、私はリイの妻となる。

 そして世継ぎを産めば、それで終わる。感情なんていらない。

 そう、思ってたのに。

「ティア?」

 扉の前で足が止まる。

 不思議そうに顔を覗き込まれて、視線を逸らす。直後、微かな気配を感じた。

 それは魔に属する闇にも似ている。

 バッと来た道を振り返ると、背後で扉が開いた。現れた人物にリイが反応する。

「ティラド様……また貴方は。式を壊す気ですか」

 それには答えず、彼は私に視線を落とす。

「私が本当に彼を、お前の為だけに喚び出したと思うのか?」
「……」

 一瞬、理解できずに瞳を瞬かせた。でもすぐに、その意味を知って息を呑んだ。

 私のためじゃない。なら彼は、ために?

 さらにティラド様が言葉を続ける。

「リーフもアイダも、今は遠方に行っている。他の者には告げていない」
「!」

 無意識に体が動いていた。ドレスの裾を握り、身を翻す。後ろからリイの声が追いかけてきたけど、構わず走り続けた。

 タイガは、もともと脅威に対峙するために呼ばれていた。ティラド様が言ったことが本当なら、彼は今一人だ。

 しかも今日は双月の日。月は魔物を活性化させることは分かっていた。ただ、魔を統治する魔王がいなくなったら、どうなるかなんて考えていなかった。

 気配を辿る。その流れは国の入り口に程近い場所。気配が強くなるにつれ、騒がしさが耳に届く。

 跳ね橋の向こうで、魔物に対峙するタイガの後ろ姿が見えた。

「タイガ!」

 私の姿を認めたあと、彼の目が大きく見開かれる。

「ティア、何故ここに」
「ティラド様が」
「っ!」

 駆け寄ろうとした私の目の前に、ワーウルフが飛び掛かってくる。それをタイガが、持っている剣で斬り払う。

 そのまま傍に来ると、盾を構え、周囲を警戒しながら、短く問いを投げかけてきた。

「ティラドさんは?」
「会場にいる。何故、貴方だけがここに?」

 国を護るべき騎士の姿すら見えない。これではまるで、タイガ一人を犠牲にしようとしているかのようだ。怒りが沸々と沸き上がってくる。

 その怒りが、王城へと向く。

「今からでも遅くない。呼びに行ってくる」

 言い残して、踵を返す。けど途中で腕を掴まれ、引き止められた。

「違うんだ、ティア。これは俺が選んだことなんだ」
「選んだ……?」

 答える間もなく、ワイバーンが火を吐く。すかさずタイガは、水の結界を展開する。そしてすぐ、風の刃で一閃を繰り出した。

 断末魔と共に崩れ落ちていく。その中でまた、タイガは私に向き直す。

「ティラドさんに再び喚ばれた時、今回の襲撃のことを聞いた。彼は言ったよ。魔物は、ティアの婚儀が行われる場所まで目指すだろう、と」
「……」
「俺はそれを聞いて……」

 何かを呑み込むように、言葉を切った彼は顔を逸らす。そのまま苦しげに、言葉を吐き出した。

「君を奪えるかもしれないと、思ったんだ」
「!」

 掴まれた手に、わずかに力がこもる。掠めた彼の表情は、辛そうに歪められていた。

「何度も思っていた…何度も、願っていた。君の傍にいたいと。けど、君に言われた通りなんだ。俺達は住む世界が違う。価値観も感覚も、その全てが同じではないんだ。だけど……」

 視線を上げた彼は、真っ直ぐ私を見つめた。

「君への想いが消えないんだ」
「タイガ……」
「元の世界へ戻っても、ティアを忘れることなんて出来なかった。ティラドさんから報せが来たとき、嬉しくて……でも、君のことを聞いて、苦しくなった。こんなことなら、と後悔したよ」

 タイガが、視線を魔物へと流す。残っていたのは、トロールとワイバーンが二体。トロールがゆっくり迫り来る中、ワイバーンが空を旋回する。新たな攻撃を予感させた。

 すぐ隣で、静かな声がする。

「にもかかわらず俺は、君に答えを委ねてしまった。でも、それでも、諦めることも出来ずに……だからこれは、自らに課した贖罪なんだ」

 タイガが剣を構える。彼は一際柔らかい声を出した。

「ティア、君が来てくれて嬉しかった。でももう、戻ってくれ。あの時の言葉は、本心だから。俺は君の幸せを、誰より願ってる」

 そう残して、タイガが駆け出す。

 気づいたトロールが、棍棒を高く振り上げた。素早く間合いに飛び込む彼が、腹部を切りつける。けど、あまりに浅く、一旦体勢を整えるために引いた。

 けど間際、ワイバーンから炎の攻撃を受ける。その一瞬一瞬が、ゆっくりと流れていく。

 私は迷わず、駆け出した。

 ずっと、気づかないフリをしていた。彼は別の世界の人だから、私にはやるべきことがあるから、彼に想いを告げても……届かないと、迷惑になるだけだと決めつけていた。

 だけど。

 その一歩を踏み出すのが出来なかったのは、怖かったから。断られるのが、拒まれるのが怖かったから。

 でも、言い訳ばかり並べるのは、もうやめる。

 私は、覚悟を決めた。私だって、同じだったのだから。

 彼の幸せを強く願っている──。

 飛び出した先、両手を広げる。タイガの声が大きく響いた。

「ティア!!」

 熱風が身を包む。このまま焦がれて消えるのも悪くない、とさえ思った。

 それで、愛する人を守れるのなら。

 けど、腕を引かれる。同時に吹く強い風が炎を退けた。抱き締められるままに、タイガを見上げる。彼は、眉根を寄せていた。

「無茶はしないでくれ。君を目の前で失うなんて……」

 言葉を詰まらせて、強く抱き締められる。私は今し方決めたばかりの思いを、躊躇いながらも口にした。

「私……ずっと不安だったんだと思うの。貴方に告げることも……一人でいることも。でもね、貴方を失うことが怖いのは、私も同じ。だから」
「ティア」

 頬に添えられた手。言葉が止まる。タイガが、ふわりと微笑んだ。

「ごめん、先に言わせて欲しい。ティア、愛してる」
「……私も、タイガを愛してる」

 瞬間、交わされる口づけ。

 けどすぐに離される。でももう、不安すら感じない。タイガがトロールに向かい、私も水球ウォーターボールを発現させる。

 振り上げた棍棒に当て、タイガが斬りかかるのを視界の端で確認し、また発現させた雷の魔術をワイバーンへ落とした。

「ググェェェァァ!!」

 トロールの叫びに重なり、ワイバーンもタイガの刃に倒れていった。

 魔物たちが崩れ落ちる轟音。

 その終わりが近づく頃、傍に来たタイガに抱き寄せられる。そのまま荒々しく唇を奪われた。

 深く深く交わしたあと、顔を離される。けどすぐ、胸に押し付けられた。

「タイガ?」
「俺は、役目を終えた今、このまま戻される。悪いがティア、君を手放すことは出来ない」
「……構わないわ。どうかこのまま、連れ去って」

 ぎゅっと、彼の背に回した手に力を込める。足元では魔方陣が展開されている。その光の中、見上げた先でタイガが優しく目元を細めた。

「…………」
「…………」

 柔らかい光に囲まれて、静かに瞳を閉じる。交わした口づけに幸せを感じながら。
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