どうかこのまま、連れ去って

ふゆ

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【操】

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 横抱きにされて、連れて来られたのはスヴェンヴィータ家の大邸宅。ぼんやりした意識の中、そう理解していた。

「ティア、婚儀は三ヶ月後にします。本当は明日にでも執り行いたいのですが、いきなりでは周囲も驚いてしまうでしょう」
「……」
「ティア、返事をなさってください」

 少し厳しめの声に、小さく返事をする。

 抗う意識と裏腹に、体はもう動かない。

 完全に油断してしまった。社交の場、加えてアイダからの紹介ともあって、まさか魔術を遣われるとは欠片も思っていなかったのだ。

 もしかしたら、アイダも、あの時点で操られていたのかもしれない。

 失いつつある自我の片隅、必死に感情を守るための術を生成する。それが終わるか否かの間際、という存在が闇へと沈んだ。

*  *  *

「ティア」
「……?」

 リイに呼ばれて振り返る。彼は、柔らかい笑みで歩み寄ってきた。その腕には白い布の塊が抱えられている。

「リイ、それは?」
「貴女のドレスですよ。明日の婚儀に使う予定です。一度合わせていただけませんか?」

 そう問われて、小さく頷く。彼は嬉しそうに声を弾ませた。

「では早速、参りましょうか」

 促されるままに歩き出すと、リイが呟く。

「本来なら明日まで堪えなければならないこと……。ですが、耐えられませんでした」

 その言葉に首を傾げると、彼は苦笑する。

「ダメですね、私は。貴女のことになると、どうにも我慢が効かなくなりそうになるんです。でもそれも、明日まで」

 伸ばしてくる手が、私の頬に触れる。そのまま顎に滑らせ、顔を上げさせられた。

 深い紅が、妖しく揺らめく。

「明日、婚儀を済ませれば……もう私たちを阻むものは何もなくなる。そう、何も……」

 近づく唇が触れる間際、部屋にノック音が響いた。動きを止めるリイ。彼は、私を見つめると、名残惜しげに微笑んで、そっと手を離した。

 静かに身を翻し、向かうのは音の響いた扉。開けながら、低い声を出す。

「用があるなら事前に通しておけと言っただろう。急ぎなら、セルシアに言えと……」

 でも、彼の言葉が途切れる。何かを耳打ちされたようだ。しばらくして、小さな舌打ちが聞こえた。

 そしてすぐ、私の元へと戻ってくる。

「すみません、ティア。またティラド様がいらっしゃったようです。出てくれますか?」
「分かりました」

 返事をし、背中に添えられた手に再び促され、扉へ向かう。その間、リイが不満を口にする。

「貴女の師匠というだけで毎日毎日飽きもせず、来られるものですね。正直、呆れますよ」
「ごめんなさい。私は家族がいないので、ティラド様が父代わりに育ててくださったので」

 今までに何度も返した言葉を、また告げる。リイは、盛大な溜め息を吐いた。

 けどすぐに、フッと声を軽くした。

「まあ……それも、あと少しの辛抱ですね。明日の婚儀が終われば、否応にも認めざるを得なくなるでしょう」
「……」

 少し前から感じる違和感。リイの言葉に疑問を持つことがなくなり、不思議と全てを受け入れてしまう。

 それはまるで……掠めた考えをリイが口にする。

「貴女は人形のように美しい。私の傍で、その身が朽ちるまで捧げる。それをあの方にも教えて差し上げなさい」

 ククッと、喉を鳴らして笑う。私はただ、それを見ていただけだった。

「……」

 扉を抜けた先、長い廊下を過ぎたところに大広間があった。客人は皆、この場所へ通される。豪華な椅子、テーブルに加えて、続き部屋の向こうは、小さな舞踏会がひらけるくらいの広さがあった。

 でも今は、ティラド様がいるだけ。

 わずかに白髪が混じり始めた藍の短い髪。金の肩被いと白の長衣は相変わらず。でも、眉間に皺の寄った難しい顔は、ここ最近のことだと思う。

 私が傍に行くと、いつもと同じ問いをされる。

「ティア、本当にそこが君の居場所なのか?」

 その意味が分からない。私はここにいる。ここにいるべきなのだ。それしか、ないのだから。

 一拍置いて、答える。

「ええ。私は明日、リイとの婚儀を迎えます。ずいぶんとご心配くださっているようですが、安心してください。明日を迎えたのち、改めてご挨拶に向かいますから」

 ふわりと笑みを添えて告げる。隣にリイも並び、口を開きかけた。けれどそれを、ティラド様の低い声が遮る。

「あの時から答えが変わらないな。だが、同じことを彼にも言えるのか?」
「彼?」

 逸早く、リイが反応する。私が首を傾げると、ティラド様が場を譲るように移動する。

 瞬間、鼓動が大きく響いた。

  おぼろげな記憶の中、それでも強く反応してしまう心。私は困惑のままに、名を口にする。

「タ、イガ……?」
「ティア」

 不安げに揺れるその黒い瞳に、感情が揺さぶられる。一歩後ずさると、気づいたリイが間に入った。

「申し訳ありませんが、彼女は婚儀の準備のため、失礼させていただきます。ではティラド様、また明日」
「すみません、リイさん。ティアと一度話をさせていただけませんか?」

 進み出るタイガに、リイが露骨に嫌そうな顔をする。

「貴方が誰か知らないが、彼女は私の婚約者だ。そう易々と」
「彼はレイミアの救世主だぞ。加えてティアは、元パーティメンバーだ。貴殿に断る術はあるまい?」
「…………」

 ティラド様の言葉に、リイが押し黙る。見上げると、悔しげに表情を歪めている。少しして彼は、私から僅かに距離をとった。

「五分。それ以上になれば、ティアが不義の罪を被ることになります」
「分かりました。必ず守ります。ティア」

 手を差し出されて、リイの方に視線を向ける。彼が間を置いて小さく頷き、私はその手を取った。

 触れた箇所から、わずかに熱を帯びて胸の奥が温かくなる。

 そのまま窓際まで連れられると、疑問が口をついて出てしまった。

「何故ここにいるの? まさかまた脅威が?」

 だからティラド様が呼んだのだ、と思った。けど彼は、ゆるやかに首を振る。そして時計を一瞥し、短く言葉を返した。

「時間がないんだ、ティア。良く聞いて欲しい。君は今、術にかけられている」
「術?」
「そうだ。ティラドさんが気づいたんだ。だが、それを破るには君の意思が必要になる」
「……」

 彼の言葉が、何かを呼び起こそうとしている。心の奥底にある、とても大切な…何か。

 タイガが私の頬に手を添える。

「っ!」

 再度、鼓動が跳ねる。

 私は、この温もりを知っていた。そしてなにより……求めていた。

 そう自覚した直後、微かなガラスの割れる音を感じる。

 同時に溢れる想い。切なさや苦しさ、でも今は愛しさと嬉しさが胸に広がる。そんな感情からか、顔に熱が集まってしまった。慌てて顔を逸らしたけど、タイガに抱き寄せられる。

「ティア、頼む。今だけは、意思を強く持ってくれ。君の想いを取り戻して欲しい」
「私、の……?」

 溢れた感情と共に、記憶が徐々に補われていく。リイに邸宅へ連れてこられる前、私がどんな想いを抱えて過ごしていたのか、何を思って行動していたのか。

「……」

 術にかけられたのは、油断してたから……だけじゃない。

 本当は……。

 本当は、相手なんて誰でも良かったのだ。私は自身の魔力を引き継げれば、それで良かった。きっかけも愛情も何もいらない。

 相手が、貴方じゃないのなら。

 視線を戻すと、タイガの瞳とぶつかる。それに、今まで以上の苦しさを感じてしまう。ぎゅっと噛み締める唇。どんなに想っても、彼には戻るべき場所がある。

 ならばもう、関わらない方がいい。彼のためにも……私のためにも。私の心をもう、かき乱さないで欲しいのだ。そんな想いがこぼれて落ちていく。

「貴方に伝えるべきことは……無いわ。レイミアには、私の守るべきものがあるの。私と貴方は住む世界が違う。それは……貴方には超えられない。だから私は、リイと結婚するの。これが、私の意思だから」

 口にすると、胸が締め付けられるように痛んだ。タイガが何かを言いかけて口を開いたけど、すかさずリイが近づいてきた。

「いい加減にしてくれないか。話すことは許可したが、触れることまで許した覚えはない。早く彼女から離れてくれ」

 肩を押されて、躊躇いがちにタイガが離れる。それを見計らい、リイに素早く手を引かれた。突然のことに、体がよろめいてしまう。倒れ込むように腕の中へ落ちると、リイは私の肩を抱いて身を翻した。

「ではティラド様、そちらの望みは全て叶えました。我々は退室させていただきます」
「待ちなさい、スヴェンヴィータ殿!」

 ティラド様の声が響く中、タイガへと、わずかに目を向ける。彼は、一度閉じた瞳を開け、真っ直ぐ私を見つめた。

 それは、何かを秘めた強い眼差しにも思えた。
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