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第2話
しおりを挟む『上総!? どうしたの、そんなに泥だらけで!』
ホテルに戻ると待っていた美嘉に見付かって、ロビーで大声を上げられてしまった。
『あうう……美嘉お姉ちゃん……』
白い陰陽師装束が泥だらけだ。
一応叩いたが、連日の雨で公園の土は大量の雨を含んでいたものだから、転倒すれば当然の如く汚れる。
見付かる前に着替えをと思っていたのに、美嘉はロビーで待っていた。
公園での事の顛末を告げると、美嘉の険しい顔に更に筋が大きく入る。
『お前達を消す者? それで、上総はその女を逃したってことね?』
『逃したって……』
嘲笑いながら去って行った。
『恭仁京家の当主は何もすることが出来ずに、地面と仲良しにしていたってことで良いのかしら?』
何故だか襲われた上総が怒られている。
ここは、怪我は無いか、とか、怖かったね、と云う所ではないのだろうか。
いや、そうではない。
敵意を見せられたら、例え子供だろうが名門陰陽師一族の当主だ。相手の素性なりを持ち帰らなければ恭仁京の名に泥を塗ったも同じ。それに今日は政財界や他の陰陽師も大勢集まっているのだ。
もしあの女がこのパーティー会場を襲撃しないとも限らない。事の重大さに今更気付き、上総は蒼冷めてひたすら美嘉に謝った。
『もう結構。私は至急大老會に報告に行きます。貴方は着替えてらっしゃい』
『は、はい……』
十五階にある自分の部屋に辿り着くと緊張していた身体の力が一気に無くなり、ヘロヘロと床に座り込んでしまった。
『なんだったんだ?』
女は本気に上総を殺そうとしていた。
殺気だけで公園の時間を止めていたのだ。
そう、あれは紛れもなく殺意。
表情も、瞳も、気配も、全てに殺意を纏っていた。
気が弱い者だったら遭遇しただけて殺せてしまうだろう。
が、殺さないであっさり帰ってしまった所を見ると、ただの宣戦布告。
『いつでも殺せる』と。
それなのに上総は大恥を晒した。
『――『お前達』って陰陽師のこと? それとも……』
恭仁京の血筋の人間を指すのか。
『だったら、先生も危ない!?』
懐から携帯電話を取り出して急いで、番号を覚えてしまった如月健司の携帯電話へ掛ける。
陰陽師ではないが、健司も恭仁京の人間だ。
もし里という女の目的が恭仁京家のことなら、真っ先に狙われるのが健司である。
彼こそが本来恭仁京家の正統な後継者なのだから。
《はいはぁい!》
暫くすると、陽気で大好きな声が電話口から聞こえた。
『先生!』
《上総? どうした?》
切羽詰まった声に、如月健司は落ち着いた声になり心配気にしている。
『先生――あの、最近変わったこと、ありませんか?』
《変わったこと?》
『そうです。例えば――誰かに付けられている、とか』
《え? ストーカーってことか? 俺モテないからなぁ》
電話の向こうで笑っている。
『カッコいいのに? いや、そうじゃなくて!』
健司は中学校の理科の教師をしており、上総とは従兄弟である。背が高く、イケメンと云うか、綺麗な顔立ちで容姿も性格も非の打ち所が無い。
上総は昨年の夏に会ってから、従兄弟の健司が大好きで堪らなかった。
《どうしたんだ、上総。何かあったのか?》
美嘉に話したように説明すると、健司は低く唸った。
《怪我、したのか?》
『え、あ、いえ、大丈夫です』
《そうか、良かった……》
ホッと息を吐いた。
《連絡ありがとう。気を付けるよ。上総も十分に気を付けるんだよ? 新しく仲間になった……》
止まった。
『先生?』
想像に難しくない。多分名前が出て来ないのだろう。
『もしかして清水ですか?』
《そう! 清水君! 彼頼もしそうだし、左京にも云って護衛してもらうんだよ?》
『は、はい……』
チラリとベットを見ると、筋肉隆々の浅黒い大男は横になりながら先程からニヤニヤとこちらを見ているだけだ。
この清水と云う大男、山で生活をしていて体力だけはあるが、主である上総を主人と見ていない所に問題はあった。案の定、帰ってくるなり床に座り込んでしまった上総を心配して声を掛けることもなく、自分は悠々とベットに転がっているのである。
『左京に躾てもらおうか……』
電話を切り、ぼそりと呟く上総に豪快に笑う清水。
『あの烏天狗は嫌がってやらねぇよ! もう一匹も同じだ』
図星である。
豪快で粗暴では、既に恭仁京家に仕えてくれている二人の烏天狗とは全く性格が合わないだろう。
どうしてこんな妖怪を識神にしてしまったのか、数ヶ月前の自分を恨んだ。
山に凶暴な妖怪が出現したから退治してほしい、と依頼を受けたのは四月の終わり。
調査に向かった上総は、開発途中の切り拓かれた山肌を見て愕然とした。これでは妖怪だけでなく、住み着いていた動物も棲みかを追われ犠牲になっている筈だ。
依頼人の工事現場の主任に、住み着いている妖怪にはしっかりと説明をして退却の承諾を得ているのか訊ねてみれば、そもそも妖怪は住み着いていなかった、の一点張り。
調査中に山で出会ったのが清水なのだが、出会った途端に戦闘になったのは云うまでもなく、いきなり拳を振り上げて上総の頭目掛けて攻撃を仕掛けたが寸でで烏天狗の左京が得意の錫杖で簡単に拳を止めて見せた。
全てを捕らえて離さない鋭い眼孔。
全身毛むくじゃらで、二メートル以上はあるだろう巨体。
人の姿に変化していても巨体は変わらず、寝転がったベットから足が飛び出している。
『清水』
『あん?』
気怠そうにベットの上から主の上総を見る姿は、あの勇ましい妖怪とは思えない。
『どうして僕の識神になろうと思ったのさ? なんで――』
『あんだよ、今更』
面倒臭そうに欠伸をした。
『お前が頼り無さそうなガキだからに決まってんだろ。しかも陰陽師のくせに識神一匹いやしねぇ』
『うっ』
痛い所を突いてくる。
清水は初対面にして上総の弱点を見極めたのだ。
『従兄弟の如月健司は、あんだけゾロゾロ識神連れてるのによぉ。情ねぇ』
『せ、先生は別格です。特殊なんです!』
陰陽師でもない健司と較べられて、上総は意気消沈した。
だから大老會にも小言を常に云われるし、分裂の危機にも陥っている。
半泣きになりながら、今日の親睦会を思い起こしてしまった。
『何故上総様だけなのですか?』
『姶良様の所在は分かったのでしょ?』
『正統なご当主様は姶良様ですよね?』
『一度でも姶良様のお顔を拝見したいのだが』
姶良、姶良、姶良――。
そんな言葉を大人達は平気で上総に投げ掛けた。
姶良とは、健司の改名前の名前だ。大人達の云う通り正統な恭仁京家の当主は健司であるが、幼少期の時点で恭仁京家から出てしまい陰陽師とは全く縁の無い生活をしていた。
上総は幼少から当主になるべく厳しい修行をし続けている。
ここで大人達の言葉通り、健司が当主として恭仁京家に返り咲いたら上総は報われない。
しかしそう成り掛けているのも事実で、健司の所在が明るみになってから大老會の一部の幹部が裏で健司を当主にせんと動いている、という情報が上総の耳にも入って来ている。
『――清水まで、皆と同じこと云わないでよ……』
消え入りそうな弱々しい声が清水の耳に入った。
『――上総、取り合えず着替えろや』
クローゼットからシャツとズボンを取り出して、泥だらけのままペタリと座り込む上総を立たせた。
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