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 第36話

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 気配がした――。
 右京は何者かの屋敷への侵入に気付き、警戒しながら気配がする場所に向かった。
 『……』
 屋敷の中ではない。
 屋敷の中では健司の部屋に上総も来ているようだが、何かがあっても瑞雪がいるから問題はないだろう。瑞雪は健司の識神だが、健司の大切にしている者であれば等しく守る男だ。それに実力も相当の筈。
 ――それよりも。
 気配は屋敷に入る様子はない。
 中庭をうろうろとしてから、暫くして一定の場所に止まった。
 ――?
 止まった場所に何があるのか、右京はすぐには思い付かなかった。
 当然だ。
 存在感はあるのに、まるで呼吸を停めてしまった古城。
 千年もの昔、平安時代からあるは、幾度の改修を重ね強固な造りとなりながらも、決して息をしようとしなかった。
 その古城の前に気配がぴたりと止まった。
 ――まさか!
 『まさかっ!!』
 ギギギ――鉄の軋む音。
 『やめろっ!』
 黒い烏の羽を広げ、扉が開くのを阻止しようと走り、飛んだ。
 ギギギ――。
 人間の影がこちらを向きニヤリと顔を歪める。
 ギギギギギ――。
 重厚な扉は少し開けると、あとは勝手に開いた。
 『そ、そこから離れろっ!』
 観音開きに全開になった扉の中は、ただ真っ黒という表現しかない。
 『これで恭仁京上総もしまいだっ!』
 人間が叫んだ。
 ――ああ。
 最近よく見る顔だ。
 度々恭仁京家に来ては上総に面と向かって文句を云う、憐れな大老會の老人。
 大老會に守られているからって本家の当主に平然と唾を吐く下品な男だ。本来なら右京はそんな人間を助けたりはしない。
 死にたいなら勝手に、死ねばいい。
 だが、今はそうはいかない。
 『ふざけるなよっ! こんの糞ジジイ!!』
 蔵の中の暗闇から何かが近付いて来ている。
 とてつもなく巨大な妖気だ。
 これは一人では対処できる自信はない――右京が思ったのも束の間――。
 男が右京の腕を掴んで、その汚ならしい顔を酷く情けなく歪めた。
 『たっ、助けてくれぇ!』
 『は?』
 ――何を云っているんだ、この人間は。
 自分が招いた災厄ではないか。なのに、何故助けを求めるのだ――ふと、男を見ると男の身体に
 『?』
 黒くて分かり難い。
 目を凝らして右京は――固まった。
 『た、頼むぅぅ。助け、てくれぇぇ……』
 涙を流し懇願してくる。
 掴まれた腕に男の爪が食い込み痛い。
 『ひ、ひぃぃっ! た、頼む、たす、助けてくれぇ!!』
 蔵の暗闇の中から幾つものゴツゴツとした手が、腕が、人間の身体に絡み付く。
 『うがががががぁぁぁ!!』
 右に左に上に下に、引っ張り潰し握り締め――。
 骨が潰れ、肉が引き裂かれ、鉄錆び臭い臭いが辺りに立ち込める。
 ――ヤバイ!
 人間の形が伸び縮み、あらぬ形に変形していく。
 右京は掴まれたままの腕を引き剥がすことも出来ず、ただただ唖然と見守ることしか出来なかった。
 ――ヤバイっ!
 赤く染まった暗闇から生える腕は、人間だった物を潰し引き裂くだけ裂いて、興味を無くしたのか呆気なく棄てた。
 ――ヤバイヤバイヤバイっ!
 右京はどうにか重くなった身体を動かして踵を返すと、屋敷の中の人間達に危機を知らせようとした。
 が。
 赤く染まったゴツゴツした手が伸び、右京の黒い翼を掴む。
 『!!』
 ――早く、早く知らせないと!
 黒い羽根が闇に散る。
 『か、上ちゃん! 上ちゃん!!』
 右京は激痛に身体を蝕まれながら、大切な人間の名を叫んだ。
 ――上ちゃん、く――。


 ――蔵が……。


 ――上ちゃん……。



 『――……?』
 瑞雪に羽交い締めにされた上総は、何かを聞いた気がした。
 『ご当主……』
 上総を健司の側にやり、瑞雪は厳しい表情を作るとほんの僅かに障子を開け、外の気配を探った。
 雨の音しかしない。
 『瑞雪、上総、どうしたの?』
 億劫そうに身体を起こした健司は上総の服を掴んだ。
 『シッ、静かに。何かがおかしいです』
 蛟も気付いたのか、体勢を低くして瑞雪の後に続き何かを窺っている。  
 『先生、動かないでくださいね』
 『分かった』
 『右京――』
 返事がない。
 『――あれ?』
 姿は見せないが必ず近くにいて、名を呼べばすぐに顕現するのが右京であったのだが。それが、姿を現さないどころか、気配すらない。
 『ご当主、右京殿の気配が無い』
 外を気にしながら瑞雪が云う。
 『ど、どういうこと?』
 ジワリと汗が額から流れる。
 ――暑い。
 瑞雪は部屋の唯一の灯りである蝋燭の火を吹き消した。
 『上総』
 清水の声がどこからともなく聞こえてくる。
 『右京の気配が突然消えた。俺は探るから、そこを動くな』
 『うん、気を付けて』
 ザアアアアア……。
 ザアアアアア……。
 雨の音が耳鳴りのように響く。
 ザアアアアア……。
 ザアアアアア……。
 『――……』
 『先生』
 雨の音が悲鳴のように頭を打ち付ける。
 悲鳴のように。
 ――酷い耳鳴り。
 まるでブラウン管テレビの砂嵐の音。
 ザアアアアア……。
 『――……』
 健司は両の耳を塞いだ。
 『先生?』
 『健司、どうした?』
 暗闇に慣れた視界が健司の異変を映し出す。
 『――白雪……』
 健司に名を呼ばれ、傍らに光の中から兎が顕現した。
 『はい』
 『――屋敷全体に……結界を張って……』
 『え?』
 耳を塞いだまま。
 『早く――』 
 しかし健司の命令も虚しく、それは起きてしまった。
 健司の背後の襖が大きく
 ミシッ――。
 『!?』
 ミシミシミシ――……。
 『健司!!』
 『先生!!』
 瑞雪と蛟と上総が、健司に向けて手を伸ばす。
 襖が吹き飛び、青黒い巨大な鬼が出現した。
 『グオオオオオオオオオッ!!』
 『!!』
 目は白く濁り、口からはみ出た醜く鋭い牙と腕の先の長い爪。
 腕は赤く染まっていた。
 鬼が一歩足を前に出すと畳が歪み沈む。
 『オオオオオオオッ!!』
 目の前の健司を見留めると、赤い腕を大きく振り上げた。
 『ガアアアアア!』
 『健司!』
 白雪が素早く健司の背後に回り、寸前に結界を張る。
 『っ!』
 結界に鬼が体当たりする衝撃で火花が散り、健司に降り注いだ。
 『健司、早く離れるんですの!』
 『ウゴオオオオオオ!』
 鬼の口から雄叫び響き、健司は再び両耳を塞いだ。
 『健司!』
 蛟は鬼の姿になり座ったままの健司を引っ張り上げた。その間に瑞雪は錫杖を手の内に出現させ構える。
 『この鬼は一体どこから?』
 何の気配もなく突如出現した青黒い鬼。
 ザアアアアア……。
 『上総……蔵、だ』
 両耳を塞いだままの健司が目を瞑り、途切れ途切れの言葉を吐く。
 ザアアアアア……。
 『蔵? まさか蔵が破られたんですか!?』
 上総は蒼冷め叫んだ。
 背後の障子を振り返ると、障子に幾つもの黒い影が浮かび上がっていた。
 『ま、まさか――本当に?』
 黒い影は人の姿だったり、犬猫のような生き物の姿だったり、得体の知れない巨体だったり。凡そ人間ではないと分かる。
 『囲まれた?』
 妖怪の気配が四方から感じる。
 皮膚に突き刺さるビリビリとした殺気は恭仁京に向けたものだ。
 『健司! 暮雪を呼べ!』
 瑞雪が叫ぶ。
 鬼と睨み合ったままだ。
 部屋を取り囲んだ無数の妖怪達からは殺気しか感じられない。そんな妖怪共と対等に相手に出来るのは瑞雪と蛟だけ。
 上総は心得があるが、健司はお荷物でしかない。
 ザアアアアア。
 ザアアアアア――。
 ザアアアアア――……。
 ふと、目を開けた健司の瞳に上総は違和感を覚えた。
 ザアアアアア――……。
 『ま、待って、先生――』
 ――知らない。
 ふうぅ、と健司は耳を塞いだまま深く息を吐いた。
 ――知らない。
 『おいで――暮雪、雪代ゆきしろ銀雪ぎんせつ晴雪せいせつ――……』
 上総の知らない人間が、そこにいた。
 『――おいで……』
 聞き慣れない単語が健司の口から発せられ上総は目の前で起きていることが、海外映画のワンシーンに見えて現実感が無くなって戸惑った。
 『――』
 

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