陰陽師・恭仁京上総の憂鬱 悲岸の鬼篇

藤極京子

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 番外編1 笑顔の理由~健司の過去~

 8話

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 『いやぁ、見晴らし良いねぇ』
 中折れハットを手で押さえて男は云った。
 『――……』
 病院の屋上。
 健司は一時間も前からフェンスの前に立って身動き一つしていない。
 ひたすらに病院の屋上から見える高いビルが連なったゴジャゴジャした街並みを見ていた。
 強い風が耳に入ってきて、ビュウビュウと脳を震わす。
 『ここでは死ねないよ?』
 男は云った。
 歳は五十代半ばであろうか、口髭を蓄え黒のスーツをピッしり着こなしている紳士然とした男だ。
 『――……』
 『いつまでここにいるつもりだい? 風邪を引いてしまうよ』
 カシャンと掴んでいたフェンスが音を立てた。
 『君のお祖父さんとお祖母さんのことは残念に思うよ。良いお医者さんだった』
 男は健司の横に移動する。
 『何故君は死に急ごうとするのかな? 分かっているんだろ、あの二人が望んでいないことを』
 『――……』
 『あの二人が望んでいるのは君の幸せだよ。君が二人に見せていた笑顔を多くの人達に見せて、幸せになるんだ』
 『健!』
 壮介が血相を変えて屋上に走って来た。
 『――壮、ちゃん?』
 『看護師さんもおばさん達も探してたんだぞ!』 
 必死な形相。
 壮介は健司の横の男に目をやった。
 『この子は私が見えていないよ』
 『!』
 壮介は健司を無言で自分の方へ引き寄せた。
 『うわっ?』
 いきなり引っ張られたから重心が崩れ、壮介にぶつかる。
 松葉杖が手から離れて落ちてしまった。
 『なんだよ、俺足怪我してるんだからな!』
 怒る幼馴染みを無視して、壮介は男を睨んだ。
 『安心しろ、私は何もしていない。寧ろ感謝されるべきだ』
 男は苦笑した。
 『健司の闇は深いよ、とても』
 『――……』
 風で乱れた口髭を直しながら、笑う。
 『立花壮介、君がの人間かも知っているが、あまり健司を虐めてくれるな。より数奇な運命を背負っているんだから』
 『壮ちゃん、どこ見てるんだ?』
 健司の目には男は映らない。
 速く流れる雲と青い空、フェンスで囲われた屋上。
 端には申し訳程度の花壇があるが、花は咲いていなくて何の葉っぱか分からない萎びた植物が生えている。
 『壮ちゃん、もしかしてお化けか?』
 見えないくせにやたらと怖がるのは昔から変わらない。
 なるべく健司の前では話さないようにしているが、健司自身が寄せ付けてしまう質だから壮介は追い払うのも大変だ。
 今回はこの男をどう追い払うか算段していたのだが、どうにも今までの部類と違う空気を漂わせている。
 『健司も怖がりだしたし、私は帰ろう』
 男の身体が光り、身体が透けていく。
 『健司は君を信頼している。それを裏切らないでほしい』
 『――……』
 『――ちゃん! 壮ちゃん!』
 『あ』
 我に返ると、健司は半泣き状態で壮介にしがみついていた。
 『怖いから帰ろ!』
 キョロキョロ辺りを見ている。
 怖いなら見なければいいのに、と壮介は健司に気付かれないように笑った。
 『屋上で何してたんだい? 寒かっただろう』
 『え、あ、うん』
 病室に戻ると、おばちゃんが待っていた。
 『外の空気を吸いたかっただけ』
 足を骨折したことで行動範囲が狭くなって息苦しさを感じていた。
 『それなら看護師さんに一言声をかけないと皆心配するだろ?』
 『ごめんなさい』
 おばちゃんも看護師さん達も、まだ健司の精神状態を疑っている。
 暴れる訳でも無意味に放浪する訳でもないからベットに縛りつけることも出来ない。
 ただ、本当に僅かな隙に健司は表情を死なせる。
 笑っていたと思った一瞬。
 ほんの一瞬。
 ちょっと目を逸らしていたら気付かない程度の一瞬。
 健司は息を吐き、パタリと身体を横たえた。
 『なんか、疲れた』
 『そりゃ体力も戻ってないのに、屋上行くからだ』
 壮介が云う。
 おばちゃんは後頭部に手を当てている。
 『おばちゃん? まだ頭痛いの?』
 『最近ね、ちょっと痛むんだよ』
 『看病疲れじゃないですか? 俺も来ますし休んだ方が良いですよ』
 毎日来てくれる。
 家の家事をして病院通って、を繰り返していれば疲れも溜まるに決まっている。
 『おばちゃん、壮ちゃんの云う通りだよ。俺のせいでおばちゃんの体調が悪くなるのは嫌だ』
 『分かったよ。今後は立花君やウチの子供達にも協力してもらうから』
 『痛みが続くようならお医者に診てもらったほうが良いよ』
 分かった分かった、と健司の洗濯物を持って帰って行った。
 健司は鼻歌を歌いながら冷蔵庫のデザートを出すと、召し上がれ、と壮介に云った。
 『看護師さんがね、作ってくれたんだ』
 『は? 何これ?』
 白くて甘い香りがする。
 一口サイズの長方形に切り分けられ、プリンのようなヨーグルトのような、壮介は初めて見るものだった。
 『壮ちゃん知らないの? 牛乳寒天』
 『ああ、聞いたことはある』
 『流石お坊っちゃん、庶民のおやつは知らないのか』
 嫌味を云う幼馴染みの頬を壮介はつねった。
 『しかし、看護師が普通患者に作ってくるか?』
 『あ、だからね、内緒だよって云われた』
 左手でフォークを持ち、パクりと牛乳寒天を食べた。
 『健……』
 『何、壮ちゃん?』
 無邪気な笑顔に壮介は溜め息を吐く。
 『健、何か食べたいのあるか?』
 フォークが止まらない。
 『ん?』
 『俺も何か作って来てやるよ』
 健司の持っていたフォークを取り上げ、牛乳寒天を口に頬張り平らげた。
 バニラエッセンスの効いた凄く甘い健司好みの牛乳寒天だった。



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