陰陽師・恭仁京上総の憂鬱 悲岸の鬼篇

藤極京子

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 番外編2 おじいちゃんとおばあちゃんの記録

 ようちえん ひよこぐみ はじめてのおつかい

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 この日、おじいちゃんとおばあちゃんは緊張をしていた。
 甘えん坊で泣き虫の孫の健司が一人でお使いに行くのだから。
 行く場所は百メートル先の如月家行き付けの八百屋さん。
 普段はおばあちゃんと手を繋いでお買い物に行くお店だ。
 あともう少しで五歳になる。
 お友達になった博樹や和也に触発されて、自分も一人で行くと云い出したのが始まりだが、何分甘えん坊だ。
 家ではおばあちゃんにくっついたまんま、幼稚園では先生や壮介にくっついたまんま。
 こんなではいつまで経っても甘えん坊のままだ、とおじいちゃんもおばあちゃんも涙を飲んで孫にお使いを頼むことにした。
 『ほら、帽子ちゃんと被って。ペンギンさんのリュックサックはちゃんと背負ってるのね?』
 『あい! ペンギンさんと一緒!』
 ペンギンのリュックサックは健司のお気に入りだ。
 幼稚園には持っていかない約束で、お出掛けする時は必ず背負っている。
 健司には少し大きい買い物カゴとお買い物リストの紙を渡しながら説明した。
 『良い? いつものおじさんに会ったら、この紙を渡すのよ?』
 『?』
 クリクリの瞳が理解出来てないと物語っている。
 『ここには、人参二本と玉葱一玉くださいって書いてあるの』
 健司が持てるのは、これくらいだろう。
 おばあちゃんはカゴの中の赤いがま口を取り出した。
 『この中にはお金が入ってるの。とっても大切だから、おじさんにお金くださいって云われるまで出しちゃ駄目よ』
 黙って説明を聞いていた健司は、コクりと頷いた。
 『それじゃ行ってらっしゃい』
 ペタペタペタ、と小走りに玄関を出ると、健司は不安げに振り返った。
 『い、行ってきます!』
 おじいちゃんとおばあちゃんは手を振る。
 ペタペタペタ。
 カゴを一生懸命持って、走る。
 『なんで走ってるんだ?』
 『おじいさん! そんなことより、追いますよ!』
 八百屋のおじさんにも協力を仰いでいる。
 『一番の難関は角を曲がった所の伊藤さんの家だな』
 おじいちゃんが難しい顔をしている。
 大きな庭のある伊藤さん宅は、庭に犬を放し飼いしている。
 動物が大好きな健司は、そこでゴールデンレトリバーのエラリィと遊ぶのが大好きだ。
 『遊んでいて買い物を忘れてしまう可能性もある』
 『エニャアリィ!』
 そうこうしているうちに、健司のエラリィを呼ぶ声が聞こえた。
 エラリィは健司の声を聞きつけ、尻尾をブンブン振りながら走ってきた。
 門はいつも閉まっているから、隙間から手を伸ばして撫で撫でするだけなのだが、この撫で撫でがいつも異常に長い。
 エラリィも隙間から長い鼻と口を出して健司をペロペロと舐める。
 およそ五分くらい、ひたすら撫で回しキャッキヤッと笑うと、健司は立ち上がった。
 『今日はここまで、だよ!』
 エラリィが寂しそうに甘えた声を出している。
 地面に置いていたカゴを持ち、エラリィにバイバイと手を振る。
 おじいちゃんはハラハラしていたが、ホッと息を吐いた。
 またペタペタペタと走り出す。
 走り出してカゴと足が絡まってしまって、転んだ。
 『あっ!』
 思わず声を出して、おばあちゃんは慌てて口を塞ぐ。
 『ふぇ……』
 健司の独特な泣き声がした。
 が、すぐに、へへへ、と笑った。
 『いたいの、いたいの、とんでけぇ』
 しゃがんで自分でおまじないを云う。
 後ろからでは健司がどれくらい怪我をしたか見えない。
 『おじいさん、凄くもどかしいです』
 おばあちゃんが胸に両手をあて、不安そうにしている。
 『大丈夫だよ、健司はちゃんとお使いの使命を果たそうとしている』
 壮介と出会って、泣く回数が劇的に減った。
 よく転ぶが、泣いても痛みが変わらないと知ったのだろう。泣かない代わりに、壮介やおじいちゃんおばあちゃんと笑った方が何万倍も楽しくなる。
 加瀬の兄弟と出会って、一人で何かをすることを覚えた。
 甘えん坊の健司は誰かにくっついていないと不安で怖くて堪らなかったが、冒険する楽しみを知った。
 知らない何かを知ることの面白さも知った。
 転びはしたが無事に八百屋に辿り着くと、キョロキョロと見知ったおじさんを探す。
 『おや、健ちゃん。一人でお使いかい? 偉いねぇ』
 近所のおばさんだ。
 『あい! 健ちゃん頑張ってるの!』
 『あらお膝どうしたの? 怪我してるね』
 『あう。あのね、健ちゃん、いたいいたいしちゃったの』
 おばさんが絆創膏を膝に貼ってくれた。
 『ありがと!』
 カゴの中のメモ紙を出そうとしたが――。
 『うう?』
 見付けられない。
 『?』
 『いらっしゃい! 健ちゃん!』
 『あう?』
 ガサゴソ、カゴを地面に置いて一生懸命探すが、どうやら無いらしい。
 そもそも、カゴの中には赤いガマ口とメモ紙だけの筈だ。
 中身が見えるようにめい一杯広げれば、嫌でも中身が晒け出される。何度も確認して赤いガマ口の中も見て、無いとちゃんとしまって自分の周りも見る。
 無い。
 『??』
 『健ちゃん、どうした?』
 八百屋のおじさんが覗き込んだ。
 『あううう、メモ紙にゃいの……』 
 うるうると目に涙を溜めている。
 これはさすがに泣くか、と思っていたが唇をぎゅっと噛み締め我慢している。
 『ばあさん! やっぱり紙落ちてたぞ』
 おじいちゃんが息を切らして電信柱の陰に隠れるおばあちゃんの元に戻って来た。
 手にはカゴに入れた筈のメモ紙。
 『あらまぁ、どうしましょ』
 転んだ時に落としたようだ。
 『健ちゃん、何を頼まれたか分かるかな?』
 『……おやちゃい』
 『うんうん、八百屋に来たから、そうだろうね』
 八百屋のおじさんは笑って健司の頭をグリグリ撫でた。
 『メモ紙無いんじゃ、何を買ったら良いか分かんないよな? お家に帰っておばあちゃんに、もう一回聞いてこような?』
 八百屋のおじさんは優しく健司に云うが、健司は首を振った。
 『困ったなぁ、何を買ったら良いか分からないんだろ?』
 『あんね? おやちゃい――人参さんと玉葱さんなの』
 うるうるとさせた瞳で八百屋のおじさんを見る。
 『健司に覚えさせたのか?』
 電柱に隠れているおじいちゃんがほっとした。
 『いいえ、そんなことしてないんですよぉ。いつ覚えたのかしら? 健司には一回云っただけなんですよ? メモ紙見せれば良いと思って覚えさせてないんです』
 『そうなのか?』
 健司は赤いガマ口を出した。
 『人参さんはふちゃりなの!』
 『ははは、人参さんは二本って云うんだよ』
 八百屋のおじさんが人参を二本、カゴに入れた。
 『玉葱さんは、一本?』
 『玉葱さんは一玉だね』
 ぽん、と玉葱をカゴに入れる。
 『それじゃおまけして、百五十円でいいよ。健ちゃん頑張ったからね』
 『うんと……ね?』
 百円玉を一枚出した。
 『これと……』
 おじさんの掌に乗せる。
 『これ!』
 掌に百円玉と五十円玉が乗った。
 『はい、ぴったりだね。よく出来ました』
 『ありがと!』
 お財布を仕舞い、走り出す。
 おじいちゃんとおばあちゃんは慌てて家に帰った。
 




 『俺、天才だ……』
 幼稚園児の自分を見て、健司は感動している。
 『……』
 壮介は腕を胸の前で組み、眉間に皺を刻んでいる。
 『なんだよ、文句あるのか?』
 『いや。天才かどうかはさておき、私は健には成績で勝ったことは無いからな。文句はない』
 『じゃ、なんでそんな不機嫌な顔してるんですかぁ?』
 眉間の皺をグリグリ押してやった。
 『初めてにしては上出来過ぎて、腹が立つ』
 『……は?』
 『転んで大泣きもしないし、犬と戯れてもすぐに任務に向かうし、挙げ句は買うものをいつの間にか覚えている。初めてのお使いなんだろ?』
 『ええ、多分』
 喰い気味に来る壮介に押されながらも、覚えていない過去を思い出そうと必死になった。多分、初めてのお使いの筈、と。
 『納得出来ない。あの甘えん坊の健が完璧にこなすとは信じられない』
 『ハハハ――そんなこと云ったって、映像がこうして残ってるんだから。残念だけど俺はこの時の覚えてないから、何も云えないよ』
 『――他には?』
 低く唸りながら、まだ見ていないテープのタイトルを見た。
 『健司の初めて、他に無いのか?』
 『ええ? まだ見るの? もう夜中だよ。俺明日も学校あるから今日はおしまいにしたいんだけど』
 『それじゃ私一人で見る』
 『ちょっと、どれだけ納得してないんだよ』
 『初めてシリーズ結構あるな。キャンプにクリスマス、遊園地もある』
 『――……』
 『健?』
 『祖父母は――俺を大切にしてくれていたんですね』
 壮介は幼馴染みの頭を優しく撫でた。
 『こうして映像や写真に残してとっておくんだ。お前の事が大事で愛していた証拠だろ。健も分かっていたから、二人のことを今も大切にしているんだろ?』
 『――はい……』
 目に涙が滲み出る。
 『お前の大切な思い出を私もこれから共有しても良いか?』
 『?』
 『私にとって、健は大切な親友なんだ。その親友の思い出は私にとっても大切だ』
 『壮介……』
 頬を涙が伝う。
 それを壮介が拭った。
 『健、良いか?』
 『――今更、でしょ?』
 恥ずかしそうに顔を赤らめ、目線を逸らす。
 『本当、いつもいつも、恥ずかし気もなくそんな台詞よく云えますね』
 『フフフ』
 壮介は短く笑うと、段ボールの中のテープを一本手にした。
 『私は健のこと好きだからな』 
 『ああ、はいはい』
 立ち上がると、軽く手を振った。
 『それじゃお先に失礼しますね。あまり遅くならないようにしてくださいよ』
 『分かったよ。おやすみ』
 『おやすみなさい』
 健司が私室に戻った後、壮介はタイトルの無いテープを見付けて暫く見詰めた。
 『これは……』
 テープの纏った空気が黒い。
 他のテープは何も無くクリアな空気を纏っているのに、一本だけ。
 『これは健が見てはいけないやつだな……』
 他にもないか確認して、壮介は何も見ることなくテープと健司が置いていったパソコンを片付けた。
 


 
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