陰陽師・恭仁京上総の憂鬱 悲岸の鬼篇

藤極京子

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 第22話

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 沸々と自分の中に良くないモノが沸き上がって来るのが分かった。
 机の上の文庫本の著者名が目に入って、更にイライラが増す。
 健司から散々仲良くしろ、と云われるが仲良くなれる気がしない。そもそも、こちらがその気になっても向こうが完全に壁を作っているのだ、どうしようもないではないか。
 それを健司に云えられなくて、非常にもどかしい。
 彼は純粋にオレと立花壮介に仲良くなって欲しいと願っているから、云ってしまったら悲しむのだろう。出来ることなら健司の願いに応えてやりたいが、不可能に限りなく近い。
 健司の悲しむ顔は見たくない。
 彼には笑顔が一番似合っている。
 先日二人で出掛けた買い物は終始健司はご機嫌で、一緒にいる自分も楽しくていつもより多く喋っていたと思う。
 それに比べ立花壮介という男は、この本の内容と一緒で非常に気難し人間だ。
 そう取れるのは、だからなのであろうが、健司と三人でいる時の態度の変わりようは、あから様だった。
 可能であるならば、そのあから様を健司に気付いてもらいたいのだが、三人揃うのは大体食事中な場面が多く唯一の頼み所は目の前の料理に夢中になっているのが殆んど。
 ――健司を頼みの綱にするには些か無理な気がしてきた。
 本の帯には受賞作だと書いてあるが、難しくて意味が分からない。読む人間によっては、それは素晴らしい作品なのであろうが、如何せん著者に嫌われた記憶喪失の人間だ。作品にかなり偏見を持ってしまっていても致し方ないではないか。
 読む度にイケ好かない顔が脳裡を横切る。
 ――……。
 もう読む気が起きなかった。
 本棚に戻そうと思ったが、フと嫌な自分がジワリと滲み出てくる。
 沸々、と。
 著者近影に立花壮介の顔はない。
 どこの場所だか分からない、階段と脇の花壇に植えられた小さな白い花。この花の名前をオレは知らないが、あまり外に出ない立花壮介のことだ、近所の公園なのだろう。
 感想はそれだけだ。
 花が綺麗だ、とか、名前はなんだろう、とか。
 きっと健司だったら、どうしてこの写真にしたのか根掘り葉掘り自分が満足するまで質問攻めにするのだろう。
 ――それを……。
 沸々。
 沸々。
 立花壮介は、嫌がる素振りも見せずに答えるに違いない。
 沸々。
 沸々。
 ――健司は……。
 オレに一度だって質問攻めにしたことはない。
 沸々。
 記憶が無いからする意味が無いのも分かるが、何だかイライラする。
 沸々と胸の奥で静かにしていたマグマが、徐々に熱を持って沸々グツグツと煮えたぎって来る。
 沸々グツグツ。
 沸々グツグツ。
 何故なのだろうか。
 これは一体なんなのだろうか。
 知らない感情だ。
 怒りに近いが、どうしてそう思うのか、誰に対してなのか、全く持って分からない。
 胸は酷く熱いのに、頭は混乱している。
 沸々グツグツ。
 沸々グツグツ。
 沸々グツグツ。
 『蛟君、入るよ?』
 軽いノックと声の後に、健司が許可もしてないのに入って来た。
 彼の悪い癖だ。
 タイミングも悪い。
 『あ、壮介の本どう? どの辺まで読んだ?』
 手にしたままの立花壮介の本を目敏く見付け、健司は嬉しそうに笑った。
 『――っ!?』
 胸が熱い。
 熱くて苦しい。
 『蛟君が壮介の本読んでくれるなんて嬉しいな。オレね、その本大好きなんだよ。何回も読んでると、別の風景が頭の中に描き出されて登場人物の視点が――』
 嬉しそうで優しい笑顔。
 『不思議なんだよ。どうしたら、そんな表現が出来るのか。一つ一つの言葉も凄く綺麗だし――』
 沸々、グツグツ。
 沸々、グツグツ。
 ――その笑顔は向けてるの、健司?
 沸々沸々。
 ――ねぇ、健司。
 沸々沸々。
 グツグツグツグツ。
 オレは。
 沸々沸々。
 グツグツグツグツ。
 グツグツグツグツ。
 ――オレは……。
 『オレ、は……!』
 ――ああ、そうだ。
 健司の目の前に本を持ち上げ。
 『!!』
 破いた。
 ビリビリ、何度も破いた。
 修復出来ないくらいに。
 ビリビリ、ビリビリ。 
 沸々グツグツ、沸々グツグツ。
 ビリビリビリビリビリビリ。
 ――そうだ、そうだ。
 ビリビリビリビリビリビリ――。
 健司は何が起きているのか分からないのか、呆然とオレの行為を見ている。
 沸々沸々沸々沸々。
 ――思い出しかけている。
 床に小さくなった切れ端が散らばる。
 もう絶対、元には戻らない。
 だが、反対に記憶は元の形に戻ろうとしている。
 グツグツグツグツグツグツ――。
 ――漸く、漸く。
 笑える。
 笑いたくて堪らない。
 『――あ……』
 漸く健司の口から絞り出した声が漏れる。
 ――ああ、健司。
 『な、何で……?』
 笑顔は無い。
 無い、が。
 オレを見ている。
 ――ああ、堪らない。
 真っ直ぐ。
 ――健司。
 沸々沸々。
 グツグツグツグツ。
 ――健司、健司健司……。
 怯えているような、怒っているような。
 泣いている、ような。
 ――哀しんでいるような。
 『健司……』
 『何で、こんな酷いことするの? 蛟君!』
 怒りを押さえようと震える健司の頬に触れた。
 『!?』
 『健司――オレ、記憶が……』
 『え!?』
 パチ、パチ、と粉々の記憶のピースが填まっていく。
 『ああ、そうだ、オレ……本当は……』
 沸々沸々。
 沸々沸々。
 グツグツ。
 グツグツ、グツグツ。
 グツグツ、グツグツ。
 グツ。
 『駄目だよ、蛟君』
 『!?』
 にっこりと笑う健司は蛟の両目を覆うように手を当てた。
 『落ち着いて?』
 『け、健司……?』
 『ここにいて良いんだよ。ゆっくり、思い出せば良い。怖いなら……』
 『え?』
 煮えたぎるマグマが一気に冷却され、思い出し掛けた記憶の欠片もまたバラバラに散ってしまった。
 ――ああ、そんな。
 『ここにいて。
 『!?』
 『まだ、が出てないんだ。もう少し俺のに付き合ってよ』
 冷めた声。
 何の感情も無い、そんな声が健司の口から漏れた。
 『け、健司? な、何を……』
 『――疲れたの? 夕飯が出来るまでまだ掛かるだろうから、少し横になっていなよ』
 目を覆っていた手が離れれば、いつもの健司の笑顔が目の前にある。
 ドキドキ、と胸が痛んだ。
 この笑顔の男はとんでもない裏を隠しているのではないか、健司に抱いていた憧憬が薄れ、その代わりに疑惑がその頭を覗かせた。
 『――……』
 『――壮介の様子見てくるね』
 笑顔が怖い。
 部屋を出ようとした健司が蛟に振り返る。
 『!?』
 『本、壮介には秘密にしておくよ。普段風邪を引かないアイツを大変だったけど、本を破かれたショックで長引いてもらっては困るしね』
 
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