25 / 56
第22話
しおりを挟む沸々と自分の中に良くないモノが沸き上がって来るのが分かった。
机の上の文庫本の著者名が目に入って、更にイライラが増す。
健司から散々仲良くしろ、と云われるが仲良くなれる気がしない。そもそも、こちらがその気になっても向こうが完全に壁を作っているのだ、どうしようもないではないか。
それを健司に云えられなくて、非常にもどかしい。
彼は純粋にオレと立花壮介に仲良くなって欲しいと願っているから、云ってしまったら悲しむのだろう。出来ることなら健司の願いに応えてやりたいが、不可能に限りなく近い。
健司の悲しむ顔は見たくない。
彼には笑顔が一番似合っている。
先日二人で出掛けた買い物は終始健司はご機嫌で、一緒にいる自分も楽しくていつもより多く喋っていたと思う。
それに比べ立花壮介という男は、この本の内容と一緒で非常に気難し人間だ。
そう取れるのは、オレだからなのであろうが、健司と三人でいる時の態度の変わりようは、あから様だった。
可能であるならば、そのあから様を健司に気付いてもらいたいのだが、三人揃うのは大体食事中な場面が多く唯一の頼み所は目の前の料理に夢中になっているのが殆んど。
――健司を頼みの綱にするには些か無理な気がしてきた。
本の帯には受賞作だと書いてあるが、難しくて意味が分からない。読む人間によっては、それは素晴らしい作品なのであろうが、如何せん著者に嫌われた記憶喪失の人間だ。作品にかなり偏見を持ってしまっていても致し方ないではないか。
読む度にイケ好かない顔が脳裡を横切る。
――……。
もう読む気が起きなかった。
本棚に戻そうと思ったが、フと嫌な自分がジワリと滲み出てくる。
沸々、と。
著者近影に立花壮介の顔はない。
どこの場所だか分からない、階段と脇の花壇に植えられた小さな白い花。この花の名前をオレは知らないが、あまり外に出ない立花壮介のことだ、近所の公園なのだろう。
感想はそれだけだ。
花が綺麗だ、とか、名前はなんだろう、とか。
きっと健司だったら、どうしてこの写真にしたのか根掘り葉掘り自分が満足するまで質問攻めにするのだろう。
――それを……。
沸々。
沸々。
立花壮介は、嫌がる素振りも見せずに答えるに違いない。
沸々。
沸々。
――健司は……。
オレに一度だって質問攻めにしたことはない。
沸々。
記憶が無いからする意味が無いのも分かるが、何だかイライラする。
沸々と胸の奥で静かにしていたマグマが、徐々に熱を持って沸々グツグツと煮えたぎって来る。
沸々グツグツ。
沸々グツグツ。
何故なのだろうか。
これは一体なんなのだろうか。
知らない感情だ。
怒りに近いが、どうしてそう思うのか、誰に対してなのか、全く持って分からない。
胸は酷く熱いのに、頭は混乱している。
沸々グツグツ。
沸々グツグツ。
沸々グツグツ。
『蛟君、入るよ?』
軽いノックと声の後に、健司が許可もしてないのに入って来た。
彼の悪い癖だ。
タイミングも悪い。
『あ、壮介の本どう? どの辺まで読んだ?』
手にしたままの立花壮介の本を目敏く見付け、健司は嬉しそうに笑った。
『――っ!?』
胸が熱い。
熱くて苦しい。
『蛟君が壮介の本読んでくれるなんて嬉しいな。オレね、その本大好きなんだよ。何回も読んでると、別の風景が頭の中に描き出されて登場人物の視点が――』
嬉しそうで優しい笑顔。
『不思議なんだよ。どうしたら、そんな表現が出来るのか。一つ一つの言葉も凄く綺麗だし――』
沸々、グツグツ。
沸々、グツグツ。
――その笑顔は誰に向けてるの、健司?
沸々沸々。
――ねぇ、健司。
沸々沸々。
グツグツグツグツ。
オレは。
沸々沸々。
グツグツグツグツ。
グツグツグツグツ。
――オレは……。
『オレ、は……!』
――ああ、そうだ。
健司の目の前に本を持ち上げ。
『!!』
破いた。
ビリビリ、何度も破いた。
修復出来ないくらいに。
ビリビリ、ビリビリ。
沸々グツグツ、沸々グツグツ。
ビリビリビリビリビリビリ。
――そうだ、そうだ。
ビリビリビリビリビリビリ――。
健司は何が起きているのか分からないのか、呆然とオレの行為を見ている。
沸々沸々沸々沸々。
――思い出しかけている。
床に小さくなった切れ端が散らばる。
もう絶対、元には戻らない。
だが、反対に記憶は元の形に戻ろうとしている。
グツグツグツグツグツグツ――。
――漸く、漸く。
笑える。
笑いたくて堪らない。
『――あ……』
漸く健司の口から絞り出した声が漏れる。
――ああ、健司。
『な、何で……?』
笑顔は無い。
無い、が。
オレを見ている。
――ああ、堪らない。
真っ直ぐ。
――健司。
沸々沸々。
グツグツグツグツ。
――健司、健司健司……。
怯えているような、怒っているような。
泣いている、ような。
――哀しんでいるような。
『健司……』
『何で、こんな酷いことするの? 蛟君!』
怒りを押さえようと震える健司の頬に触れた。
『!?』
『健司――オレ、記憶が……』
『え!?』
パチ、パチ、と粉々の記憶のピースが填まっていく。
『ああ、そうだ、オレ……本当は……』
沸々沸々。
沸々沸々。
グツグツ。
グツグツ、グツグツ。
グツグツ、グツグツ。
グツ。
『駄目だよ、蛟君』
『!?』
にっこりと笑う健司は蛟の両目を覆うように手を当てた。
『落ち着いて?』
『け、健司……?』
『ここにいて良いんだよ。ゆっくり、思い出せば良い。怖いなら思い出さなければいい……』
『え?』
煮えたぎるマグマが一気に冷却され、思い出し掛けた記憶の欠片もまたバラバラに散ってしまった。
――ああ、そんな。
『まだここにいて。俺の為に』
『!?』
『まだ、結果が出てないんだ。もう少し俺の実験に付き合ってよ』
冷めた声。
何の感情も無い、そんな声が健司の口から漏れた。
『け、健司? な、何を……』
『――疲れたの? 夕飯が出来るまでまだ掛かるだろうから、少し横になっていなよ』
目を覆っていた手が離れれば、いつもの健司の笑顔が目の前にある。
ドキドキ、と胸が痛んだ。
この笑顔の男はとんでもない裏を隠しているのではないか、健司に抱いていた憧憬が薄れ、その代わりに疑惑がその頭を覗かせた。
『――……』
『――壮介の様子見てくるね』
笑顔が怖い。
部屋を出ようとした健司が蛟に振り返る。
『!?』
『本、壮介には秘密にしておくよ。普段風邪を引かないアイツを引かせるの大変だったけど、本を破かれたショックで長引いてもらっては困るしね』
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる