陰陽師・恭仁京上総の憂鬱 悲岸の鬼篇

藤極京子

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 第18話

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 佐藤家を辞し、上総と健司は無言で壮介の待つマンションに向かう。
 『――……』
 『――……』
 今まで上総と健司二人の間で、こんな長い沈黙があっただろうか。
 いつもなら、どれだけ上総が黙っていようと健司がマシンガントークを炸裂するのだが。
 佐藤家を辞した直後から健司の纏う空気がガラリと変わった。
 壮介も云っていた、様子がおかしいと云う言葉。疲労や恭仁京の問題だけじゃないことに、健司に会って上総も気付いてしまった。
 『呪い』には『人を呪わば、穴二つ』なんて言葉がある通り、失敗した場合術者にも何らかの返しがある。今回上総が呪いを祓ったから、呪った人物に『呪い』が返っていてもおかしくない。
 が、返る筈の『呪い』が返っている様子も気配も無く、綺麗スッカリ消えてしまったのだ。
 『――先生』
 健司は昨年まで恭仁京の強力な『呪』を二つも身体に抱えていた。
 それに比べたら巷に溢れるド素人の呪いを身体に封印するのなんて、無いも当然である。
 だが、ド素人だからと侮ってはいけない。
 呪いは呪い、なのである。
 『先生』
 前を行く教師を何度も呼んだ。
 ほっそりとした背が僅かに歪む。
 『っ!?』
 傘を差していても肩が濡れて、白いワイシャツが肌に貼り付いている。
 雨が降っているせいで寒い。
 寒いのに健司はワイシャツだけで、大丈夫なのか――そういえば壮介が云っていたではないか。
 健司は体調を崩した、と。
 『先生!』
 三度目。
 健司の足が漸く止まった。
 無言でチラリと上総を見る、冷ややかな視線。
 『せ、先生、どうしたんですか?』
 確信している。 
 健司の中に、生徒が産み出してしまった『呪い』があるのだと。
 『そんな薄着じゃ、また風邪引きます。早く行きましょう』
 驚く程健司の身体は冷えている。
 無言の健司の腕を引っ張り、足を早めた。
 呪いの気配に何故すぐに気付けなかったのか。悔やまれる。
 この調子だと、一番に気付く筈の壮介も気付いていないのだろう。
 案の定、久し振りの壮介と健司のマンションは空気が酷く濁っていて重苦しい。
 こんな状態を二人は気付いていない。
 『上総君、いらっしゃい』
 ダミ声の壮介はマスクに額には熱冷ましシートを張り付けている。
 相変わらずの着物姿だ。
 洋服姿を見たことないが、持っているのだろうか。
 紺色の半纏を羽織り、ふらふらしていた。
 『ああ、ああ、壮介さん。起き上がらなくていいですよ』
 慌てて背中を支え、壮介の部屋へ連れて行こうとしたら、書斎に、と云われてしまった。
 『え? 仕事してるんですか?』
 『違う違う、一人増えたんだよ』
 『?』
 書斎のソファーベットで寝起きしている。
 それでは、ゆっくり身体を休められないではないか、と云うと、仕方ない、と苦笑いしている。
 『健が拾ってきてね』
 『拾ったんですか? 人を? て、あれ? 先生は?』
 名前しか分からない青年。 
 もう一週間前になる。
 未だに何も思い出せず、だからと云って率先して外に出て思い出そうともせず、部屋に籠りっぱなしなのだという。
 『健は仕事から帰ったら、そいつに付きっきりでね。私のことなんて、どうでもいいらしい』
 かなり嫉妬してるんだよ、と本気で云っている。
 『健は薄情な男だね』
 自宅に戻った途端姿を消した健司が気になり上総が書斎を出ると、壮介の部屋の前に立っていた。
 雨で濡れたままの格好で、俯いている。
 何故壮介の部屋の前なのか、上総は云い得ぬ恐ろしさを感じた。
 『先生!!』
 何かが起きている。
 『――え? あ、上総? あれ?』
 きょとんと瞬きを繰り返し、健司は辺りを見回した。
 『――あれ? なんで家にいるんだ?』
 様々な事象が絡みに絡み、上総の手の届かぬ闇の奥にまで根深く浸透している。
 早急さっきゅうに対処せねば――いや、もう遅いのかもしれない。
 健司の中でがんじがらめで手の施しようのない細い細い糸が、手鞠の形を形成して心の奥で奇声を上げながら、徐々に着実に大きく成長している。
 『先生、覚えていないんですか?』
 『え? えっと……?』
 考えようとして、くしゅん、と小さくくしゃみをした。
 『ああ、雨に濡れたままだから! 早く着替えてください!』
 訳が分からないまま、健司は上総の云う通りに着替えた。
 『俺が覚えているのは、上総と友菜を家まで送った……まで、だ、な?』
 壮介の書斎。
 健司は初めて数日前から壮介が体調を崩していることを知り、横たわっている幼馴染みの額の熱冷ましシートを張り替えた。
 『ごめんな、壮介』
 本気で心配している。
 『明日休みだし、看ててあげるからな』
 いつもの健司の笑顔だ。
 取り敢えずは問題無いが、油断は出来ない。
 壮介が使いものにならない以上、上総が気を張っていた方がいいだろう。
 壮介は健司の笑顔を見て、安堵して目を瞑った。
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