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十四
しおりを挟む午前九時十分――。
沈黙が続いている。
細川家を除いた全員が徳永家のコテージに集まったままだが、誠と玲子が出ていってから誰も何も喋ろうとしなかった。
皆、思っている。
この中に明美と智子を殺害した犯人がいるのではないか――と。
犯人探しが消極的なのは、目の前にいる見知った人間達、行方が掴めない悟志の犯行の可能性が拭えないから。もしくは浩司の言う通り崖が崩れたとしても――森の数キロ先は道もあり往来もある――閉ざされた空間というわけではないから、外部の人間の可能性も充分にあり得るが、そうだとしても現状得体の知れぬ者の存在に皆が恐怖しているに相違無い。女達は肩を寄せ合い二階から降りて来る気配がなかった。
この静寂、誠を散々問い詰めた孝之がいつまでも黙っていられる筈もなく、破ったのもこの男からだ。
「なぁ、犯人、どこにいると思う?」
皆の頭にハテナマークが浮かんだ。
誰だと思う――ではなく、この問い掛けは孝之の中で犯人は見知ったメンバーの中ではなく他の第三者だ、と思っている証拠ではないのか。
「誠さんは犯人ではないと?」
つい浩司が訊くと孝之は小さく鼻で笑った。
「そういうんじゃない。その可能性もあるけど浩司君の言う通りに殺人犯が外部の人間だとしたら、どこかに隠れている可能性があるよなってだけだ。これ以上何も無いと思うが、用心するに越したことはないだろ? もし外部の犯行だとしたら、こんな限られた空間の中にどこに隠れられるスペースがある?」
ううん、と低い声を出したのは孝之の息子の宏保。
顎に手を宛がい、考えている。
「隠れるとしたら一番良いのは森の中ですが、雨を凌げる屋根は無いですね。そうなると見つかり易いけど雨風が防げる物置小屋が短い間隠れているには格好の場所になる、と思います。ただ、本当に見つかるリスクは非常に高い」
木の古びた扉を開ければ畳六畳程の空間に食材や工具がみっしりと詰まっている。隠れるスペースはない。
「なら確認した方がいいんじゃないかな?」
弱々しく信夫が云った。
昨日の今日で、まだ体調は完全ではないようだ。
「そうだね」
浩司が同意して頷く。
「あ、あの」
男達が立ち上がると孝之の妻、美幸がチラリと階段の方を見ながら怖々と口を開いた。
「お腹空いてませんか? こんな状況で食べる気も起きないかもしれないんですが、何か簡単な物でもお腹に入れた方が良いと思います。子供達に何も食べさせないのは酷ですし、沙織さん達と話してサンドイッチくらいなら今の冷蔵庫の中にあるので作れます」
「確かに」
浩司はにっこりと顔を緩めた。
ずっと緊張していて大分顔の筋肉が凝ってしまったが、犯人も大勢いる中で何かアクションを起こすとは考えにくい。
浩司と宏保が物置小屋を確認しに行き、その間に女達が朝食の支度をすることになった。
「携帯の電波がどこかに無いかも探してみよう」
コテージを出る寸前浩司は渋い顔で、ここに来てから一度も触っていない携帯電話をズボンのポケットに入れ込んだ。
「何か武器になるような物ないかな?」
ソワソワ落ち着きのない動きで信夫がコテージの中を見渡す。
白い壁には小さな額に入った油絵と水彩画が点々と無造作に並んでいる。
どの絵画も共通性が微塵も無く、どこかの湖だったり海だったり、カラフルな屋根の住宅街や山に囲われた長閑な田舎の風景、近代的なビルが建ち並ぶ横の水彩画は非現実的な生き物が闊歩する子供向けの絵本のような世界。
均一からかけ離れた白い壁は、どのコテージも同じだった。
コテージの管理人の趣味なのかと来て早々浩司と沙織は絵画のセンスの無さにクスクスと笑いあったが、ふと浩司は去年絵画はあったろうか、と首を傾げた。
「そういえばあったかしら」
と沙織も首を右に傾けた。
「武器になるような物ねぇ」
ぼんやりと遠い昔になってしまった昨日の他愛ない夫婦の会話を思い出していると、孝之が女達のいるオープンキッチンに侵入して包丁や鍋を浩司に示した。
「刃物は危険です。奪われたら返り討ちにされてしまいます」
浩司からは色好い返事は貰えない。
相手は猟奇的な犯罪をしているのだから、万が一遭遇して襲って来ない筈はない。苦肉の策で浩司と宏保に沙織はモップを持たせた。
「無いよりはマシか」
苦笑する他ない。
ここにいる男は浩司、孝之、信夫、宏保の四人。
犯人がいる可能性のある物置小屋に四人が向かうのも有りなのだろうが、妻や子供達を置いて行くには躊躇した。力を分散させるなら浩司と宏保が外に出て、孝之と信夫が待機するのが妥当であろう、と浩司が選出したが孝之は眉をピクリと動かして不服を露にした。
「浩司君、くれぐれも気を付けてくれよ?」
ああ、と返事をしてレインコートを羽織ると浩司と宏保は外に出た。
「浩司おじさん、さっきは済みませんでした」
外に出て早々、宏保は頭を下げて謝った。
「うん?」
「自分も父も、余計なことを云って混乱させてしまいました。龍があんな状態でおじさんも混乱してるのに――」
「――あの場は仕方ないさ。こんな状況だ、皆他人のことを思いやれる程冷静ではいられない。気にすることないよ」
「――……」
徳永家のコテージの右手、木内家のコテージの横に物置小屋がある。日中は晴れていて幾度も何人もの人間が食材や道具を取りに出入りしている。昼食も物置小屋の見える場所で摂っていたから、その時点では当然のことながら犯人が潜り込むことは不可能だった。
小屋に侵入するのが可能なのは、雨が降り出して以降。
「昨日の雨は何時くらいから降り出したか覚えているかい?」
雨が降り続いている。
昨日程ではないが、レインコートを着ていないと数分でずぶ濡れになってしまうだろう。
「ええと――お昼を食べて、暫くは晴れていたから……多分三時くらいだったと思います」
雨が降ると同時に空は真っ黒い雲に覆われ、一瞬にして懐中電灯無しでは出歩けなくなった。
「私達は明美ちゃんと智子ちゃんの姿を食事の前から見ていないから分からないが、宏保君はどうだい?」
「?」
「日中二人に変わった様子とかあったかい? 普段と違うとか、なんでもいい、少しでも気になることなかったかな?」
云われて宏保は首を捻った。
「どうでしょう。常日頃会っていた訳じゃないので。寧ろ昨日が久し振りに喋ったんです」
ふぅん、と隣から聞こえた。
「まぁ、だろうね。云ってはなんだが、真面目な君とあまり合わない気がするし。悟志君の方が明美ちゃん達と仲が良かったんだろうね」
「そう、ですね。悟志はよく二人と遊んでいたようです」
悟志は行方不明、明美と智子は無惨な姿で発見された。
三人は日頃遊び歩いては補導されている、と聞いている。叩けば埃は山と出て来るだろう。しかしそれだけで殺害される理由には遠いだろう。そうだとしても、わざわざキャンプ場を犯行現場に選ぶ理由が分からない。
浩司は気付かれないように宏保の様子を盗み見た。
「宏保くんは、どう思う?」
「どうって――正直怖いですよ、勿論。物置小屋に行くのも、外の情報が分からないのも、何より、自分のすぐ近くでこんなことが起きて――犯人が分からないのも……非現実過ぎて」
寒さのせいばかりではないだろう、モップを持つ手が小刻みに震えている。なかなか玄関から出た身体は物置小屋に向かおうとしない。
目の前の浩司が犯人かもしれない。また浩司も宏保が犯人かもしれない――口には出さないがお互いに探り合った。
浩司には宏保が本心から怖がっているように見える。
「父はやっぱり誠おじさんが犯人だと疑っています。でも俺にはそうは思えないんです。誠おじさんは昔から子煩悩で有名だったでしょ? 俺や龍達にも親切で、そんな人が自分の子供をあんな殺し方するなんて考えらえれません。想像が全然つかない」
「――そうだな。私も同じ気持ちだ。だからこそ早く見つけなきゃ」
右手にモップ。
浩司は意を決して右足を動かした。
べチャリと歩く度に音を立てる。
ズクリとぬかるんだ地面に足が吸い込まれて行く感覚。
完全に吸い込まれる前に次の足を動かさなければ、と脅迫観念に頭が支配された。
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