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十三
しおりを挟む怒鳴り声が聞こえて龍は目を覚ました。
――なんだか怖い夢を見た――気がする。
何かは覚えていない。
全身を強く打ち付けたような鈍い痛みが走り、うう、とか、ああ、とか自分でも聞いたことの無い低い呻き声を出した。
随分長いこと眠っていたのか、口の中がカラカラに乾ききっている。
「お兄ちゃん」
あやめの甲高い声が脳に直接響いて龍は少しばかり顔をしかめた。それが周りには傷を痛がっていると勘違いされて、あやめと凛子そして直子の表情を曇らせてしまったことに彼は気付いていない。実際痛みは酷いのは確かだ。
どこが痛いか、と聞かれたら箇所は云えない。何しろ全身くまなくなのだから。
寝ている間も相当呻いていただろう、昨晩よりも痛みが酷いことだけは龍にも分かった。
少女達の表情が物語っているが実際はもっと深刻な要因が含まれているのを、この時の龍は知る由もない。
直子が別室にいる沙織を呼びに出ると、起き上がろうとする龍をあやめと凛子が慌てて止めた。
「駄目だよ、まだ寝てて! 熱あるんだから」
「喉、乾いたんだけど」
「分かった、今汲んであげるから」
「?」
二人の様子が変だ。
いつもなら、寝坊助だとか口々に茶化してくるのに当惑する。
「どうしたの?」
「う、うん……」
自分で思っているより、よっぽど傷の具合が良くなくて二人は親から聞いて知っているのではないだろうか、と不安で頭の中がグアングアンと左右に緩く揺れた。
――気持ち悪い……。
吐き気を覚え大きく深呼吸をしていると、沙織が来た。
「龍――」
「?」
母親もなんとなくおかしかった。
どこが――どこがおかしいのか、すぐには分からなくて近付いて来る沙織を無言で見ていると、無表情で普段から白い肌が一層白く、どこか緊張した顔。足取りも酷く遅い。
首だけをどうにか凛子とあやめに向けると、二人は目線を合わせない所か俯いている。
「な、何? どうしたの、皆」
ドアの前に立ったままの直子も深刻な顔をしている。
「龍、落ち着いて聞いて欲しいの」
沙織は子供達を別室に移動させ息子と二人きりになったのを確認すると、見たことの無い感情の無い顔を見せた。
空気が非常に重い。
「沢山伝えなきゃいけないことがあるの。最初は――龍の怪我のこと」
改めて自分の足が、そこにある筈のない「虎ばさみ」によって大怪我をしたのだと告げられた。
骨折はしていなさそうだがヒビは入っているかもしれない、素人目でしかないから早急に医者に診せるのが賢明なのだが、最悪なことにキャンプ場の入り口が突然の豪雨で左右にある切りだった崖が崩れて道を塞いでしまったらしい。
龍が登ってキャンプ場を出るのは困難だから浩司が龍を背負って登る他ない――そこまで云って沙織は唇を噛むようにして閉じた。
綺麗な顔が辛そうに歪んでいる。
元々女優をしていた沙織の整った小さな顔は、龍とあやめにも幸運なことに引き継がれていた。他所からは美男美女の家族だと嘆息されることがあるが 龍からしたらそんなに言われても生まれた場所がたまたま徳永家だったか、そうでなかったか、産まれた時の運でしかない、それだけなのだ。
一向に先を喋ろうとしない沙織をぼんやりと、熱に浮かされた頭でどうでもいいことを考えた。
なんで女優やめちゃったんだろうな、とか昔聞いた女優時代の母の話を思い出したり。
とても人気で国民的女優だったと聞いている。街を一緒に歩けば未だに声を掛けられるし、学校の授業参観じゃ教室の後ろがやたらとざわついた。
現役時代は自分の主演したドラマや映画の主題歌を歌ったりもしていたとか。最近こそ聴かないが、龍とあやめが幼い頃に聴いた子守唄はとても透き通っていて、まるでオルゴールのような印象だったと記憶している。
「外に出るのがもっと難しくなっちゃったのよ」
「?」
そんな母の沈んだ声に現実に戻された龍は、驚いたように目をパチクリとさせたが沙織は別の意味で捉えた。
「ええと――ね……細川さんちの明美ちゃんと智子ちゃんなんだけど……」
視線があっち行ったりこっち行ったりで定まっていない。
「?」
「二人ね、朝――亡くなったのよ……」
「――え?」
途切れ途切れの紡ぐ言葉は子供の前では泣かないと決心した強い母の姿だったが、そのあまりに残酷な内容に龍の目の前は真っ白に何も見えなくなった。
多分この直後に沙織は詳細を話してくれているのだろうが、龍の耳には母親の声は届いて来ない。口が金魚のようにパクパク動いているのを見詰めるだけで精一杯だった。
「もう嫌だっ!! 帰りたいっ!!」
突然女の奇声が響いた。
細川玲子だ。
目を覚ました玲子は錯乱しているらしく、制止する啓子や美幸の手を振りほどいて一階で話をしている男達の元へ怒鳴り込んだ。
「こんな所で喋ってないで、あんた達どうにかしなさいよ! 男のクセに揃いも揃って使えないわね!」
「玲子さん、落ち着いて。土砂崩れをどうにかしようにも、触れば崩れる有り様なんです。下手に素人が触れば二次災害になりかねません」
浩司が説明すると、玲子はキッと睨み詰め寄った。
「――あんたでしょ?」
「はい?」
「随分冷静よね……?」
「れ、玲子さん?」
「あんたがウチの明美と智子を殺したんでしょ。そうなんでしょ!? そんなすました顔して私の娘達が死んでも何とも思ってないんでしょ! 殺害犯の証拠よ。土砂崩れだってあんたの仕業なんでしょっ!?」
「よさないか、玲子!」
浩司に掴み掛からんばかりの玲子の肩を誠は掴んだ。
「皆不安なんだ。同じだ。それに龍君が大怪我をして浩司君も気が気じゃない。玲子なら分かるだろ?」
「それよ! 子供が怪我してるって云うのに、何平気な顔をしているのよ!?」
平気な訳がなかろう。浩司とて可能であるならば龍に付きっきりになりたいし、虎ばさみなんて危険な物を仕掛けた人物を特定して出る所に出てやりたい。しかし、実の息子を二の次にしているのは、それよりも先にやらねばならぬ事件が起きてしまったからだ。
「よくも――よくも二人を殺したわね! この殺人鬼! 返してよ、二人を返しなさいよっ!」
「玲子っ!」
二人の目には涙が溢れている。
「仕返ししてやる――仕返ししてやるんだからっ! 覚えておきなさいよ。あんたの可愛い可愛い子供を同じようにしてやるんだから! 泣き叫びながら嫌がる子供の頭を生きたままもぎ取ってやる!」
「っ!」
二人の娘を殺害されて錯乱しているから、と黙って罵声を浴びていたが流石にここまで云われては浩司も耐えられない。思わず睨み返すと玲子はわざとらしく悲鳴をあげた。
「ああ、恐ろしい! 本性顕したわね! この殺人鬼!」
「やめろっ玲子!」
ジロリと玲子は血走った目玉を背後の誠に投げた。
「じゃ、誰が二人を殺したのよ。誰よ、言いなさいよ!」
「そ、それが分かったら、不安がったりしないよ」
「使えない。貴方はいつもいつも使えない! 明美達の仇を討ちたくないの!? あなたってその程度の男よね!」
悔しそうに唇を噛む誠を不憫でならない。さっきまで玲子のように誠を犯人に呼ばわりしていた孝之も居たたまれなくなって目を伏せた。
「こ、浩司君、孝之君済まないな。私らは自分のコテージに戻るよ」
「貴方――貴方! 犯人が目の前にいるのに野放しにするつもりなの!?」
「玲子、いいから少し黙っててくれ、頼むから」
「何よ、離しなさいよ!」
誠は涙を拭うことも出来ず、暴れ出そうとする玲子を必死に押さえている。浩司はそんな彼が自分の娘を殺害したとは到底思えなかった。
「ま、誠さん、二人だけでは危険です……」
「ああ、固まっていた方が良いのは分かっているよ。だが、妻がこうでは皆が休まるまい。それに、娘達の側にいたいんだよ」
「――……」
何も云えない。
子供もいる以上、玲子の一言が怯えさせる要因になるのだから。
変わり果てた姿になっても、明美と智子は誠と玲子にとって大切な家族なのだ。
大切で愛しい、娘達――。
「君達も気を付けるんだよ?」
誠は寂しそうに浩司達に微笑み、吠え続ける玲子を宥めながら娘達のいるコテージに戻って行った。
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