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十一
しおりを挟む午前五時半――。
靄が辺り一帯を覆っている。
雨は止んでいるが地面はあちらこちらに大きな水溜まりを作り、水を含んだ地面はぬかるんでいた。
横田孝之は日頃の癖で早朝誰よりも早くに目を覚まし、所在無く外に出た。普段なら身体を鍛える為にトレーニングを欠かさないのだが、今はそんなことをやっていられる程精神は安定したいない。
結局息子の悟志が帰って来ることはなかった。
昨晩遅くに徳永浩司が「もう外に出てしまっているのではないか」と云っていたが、確かに悟志なら考えられなくもない。しかしだからと、誰にも外に出ることを告げていないのには些か疑念が過る。そうだ、親の孝之や美幸とは殆ど口をきかない年頃ではあるが、兄の宏保とは仲が良い。その宏保に昨日は「外に出る」「帰る」等と口にしていなかった。
「――……」
悶々とする頭を冷やすべく外に出たのに、靄のせいで頭が冴える所か余計に鬱々としてしまった。
「こんなんじゃいけないな」
大怪我をしてしまった龍のいる徳永家は、もっと辛い思いをしているであろうに――と自分に言い聞かせ、何気なくキャンプ場の中心、キャンプファイヤーの出来る広場に目を向けた。
「ん?」
広場の真ん中に何かが置いてある。
「なんだ? 昨日は置いてあったかな?」
黒くて丸い物体だ。
靄の中では黒い物体は霞んでいて、それが一体何なのか判別することは難しい。孝之は昨晩までは無かった黒い物体の正体を突き止めようと近付いた。
「――ん?」
嫌な臭いがツンとする。
自然の中で空気は澄んでいるのに、それに近付けば近付く程腐臭に似た嗅いだこともない、吐き気を催すような――……。
「――え……」
足元まで来て、立ち止まった。
それを見下ろす。
「――え?」
額からダラリと汗が流れた。
地面から生えているのか、と思った。
そこで思考は勝手に停止してしまったが、すぐにこれは異常なのだと、身体中に警告音が鳴り響いた。
「う」
自分の口から聞いたことない金切り声が出て、静まり返ったキャンプ場を大きく揺るがした。
「うわああ、ひっ、ひぃぃっ!」
恐怖が全身を駆け巡る。
小麦色の筋肉美が大袈裟な位に震えた。
足の筋肉が機能を放棄して、立つことを止めると孝之はドサリとぬかるんだ地面に尻を無様に着けて、その場から逃さない。
「う、嘘、嘘、だろ……そ、そ、」
眼球が左右に震え、それでも目の前のそれから逸らすことが出来なかった。
「そ、んなっ……」
二つの丸い物体。
キャンプ場には――いや、どこであろうと――それは異物でしかない。
胡乱な四つの眼孔が、腰を抜かし巨体を震わせている孝之を無言で見詰めている。
それは二つの首。
それは人間。だった。
それは――……。
それは――……。
口をだらしなく開けた細川家の娘達の首が地面から生えていた。
二つの首の周りは赤い血が水溜まりを作っている。
「あ、あ、明美ちゃん……智子ちゃん――……?」
変わり果てた姿に、本当に明美と智子なのか分からなくなる。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ゴクリ、と喉を鳴らした。
人形、作り物――子供達の悪質な悪戯ではないのか――現実逃避を始め出した孝之の頭では、そんな疑惑が産まれたのだ。
「だって、ありえない。そんな。だって……」
失踪した息子の悟志といい、その息子と普段から仲の良い明美と智子が悪知恵を働かせ、大人達を困らせようとしているのではないか――。
この、何も無い空間で。
彼等にとって面白味の無い場所で。
――そうだとしたら、あまりに悪質だ。
「お、落ち着け、落ち着け。そ、そうだ、つ、作り物だ。そうに決まっている……」
孝之は精巧に出来た明美の首の作り物を震える手で持ち上げた。
――が。
ずっしりとした重み。
切られた首の断面から、ボタボタと作り物からは溢れ落ちない筈の大量の液体。
「――っ!」
生々しい皮膚の感触に孝之は耐えきれず、悲鳴を上げて首を手放した。
「孝之さん!? どうしたんです!?」
最初の悲鳴を聞き付けたのか、浩司がコテージから出て来た。
「こ、浩司君!」
寝癖だらけのボサボサの頭を気にすることなく、浩司は孝之の視線の先を見やって「うおぉ!」と短い声を上げた。
「に、人形、ですか?」
「違うっ! 本物だ!!」
「な、何云ってるんですか! そんな訳ないじゃないですか!」
そうは云っても浩司の顔は真っ青になっている。
「こ、これは、明美ちゃんと智子ちゃんなんだよっ!」
堰を切ったように浩司は細川家のコテージに走り出した。
「ほ、細川さん!! 細川さん起きてください!」
ドアを乱暴に叩き大声で叫ぶが、中にいる筈の人間は一向に出て来る気配はない。
「細川さん!」
孝之も一緒になってドアを叩き、無理矢理抉じ開けようとした。
「なんだ、どうしたんだ?」
細川家の主が、木内家から欠伸をしながらのんびりと出てきた。
「ま、誠さん!? どうして信夫さんのコテージから!?」
「ああ、話込んでいてな、そのまま厄介になっていたんだが――何か、あったのか?」
浩司と孝之のただならぬ様子に、流石に開いていた口を閉じた。
「と、とにかく早く、早く来てください!」
腕を引っ張られ靄の中連れ出された誠は、変わり果てた娘達の姿を見て――。
「う、うああああああああああっ!!」
孝之同様に腰を抜かしたが、這いずりながら娘達の首を胸に抱き止め叫んだ。
「な、な、なんでっ!? どういうことだっ!!」
「お、俺が見つけた時には、もう――」
「明美っ、智子ぉ!! どうしてっ!!」
居たたまれぬ上司の姿に、ただ見ているしか出来ない浩司と孝之の頬や鼻筋にポツリ、と天から無情の雨が降り始めた。
「た、孝之さん……あの」
「ああ、そうだな。明美ちゃんと智子ちゃんは、明らかに」
動揺している浩司の代わりに孝之が絞り出すように云った。
「何者かに殺されたんだ――……」
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