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七
しおりを挟む「後頭部と左足に大きな怪我をしている」
廊下で待っていた妻の沙織に簡単な処置を施した浩司は息子の容態を説明した。
森の中で発見された龍は後頭部と左足に酷い怪我を負っていて、すぐにでも医者に看なければならない状態だった。
「酷い――」
両手で口元を覆った沙織は、それ以上言葉に出せなく涙を流している。
浩司によって担ぎ込まれた息子を見て一瞬でも悲鳴を上げた沙織は、気丈にもあやめと凛子を一階に残し浩司と共に龍の治療に当たったが、衝撃が大き過ぎて手が震えてしまい途中部屋から出るように云われてしまっていたのだ。
「それで――龍は目を覚ましたの?」
階段の真ん中であやめと凛子が心配して顔を覗かせている。
「まだ意識は戻ってない。脈は安定しているから命に別状はないが、後頭部は多分転倒した時に石か何かにぶつかってしまったんだろうな。対した傷ではないように見えるが頭部だから幾ら浅くてもちゃんと医者に見せないと詳しくは分からない。それよりも問題は左足だ」
左足は現在であり得ない稀な怪我をしていた。
「明らかに人為的な大怪我をしてしまっている」
昔、山林で狩猟に使っていた『トラバザミ』という罠が、龍の左足首をガッチリと食い込んでいたのだ。
「猪なんかを捕まえる強力な罠だ、子供には――大人だったとしても一溜まりもない。骨折は免れているだろうが、罅が入っているかもしれなし出血も多いから早く病院で見てもらわないと」
海外では『ベアートラップ』『レッグホールドトラップ』と呼ばれ、その名の通り罠の中央の板に獲物の足が乗ると、バネ仕掛けによって二つの半円又は門型の金属版が合わさり、足を強く挟み込む。
龍の足を挟んでいたトラバサミは、足を挟む板に鋸歯状の歯が付いている中大型獣用で本来の捕獲目的としても罠に掛かった動物に長時間に渡って苦痛を与える非常に危険な代物で、人間が誤って踏むと足の骨を粉砕する程の威力を持つ物だった。
「管理人室に電話があった筈だ。私が行って救急車を呼んで来よう」
脱いだばかりのレインコートを着て信夫が云った。
「山の奥にあるならまだしも、ここは子供が動き回るキャンプ場だ。そんな危険な物がどうしてこんな所に」
「管理人にも連絡しなきゃいけないし、行ってくるよ」
「済みません、宜しくお願いします」
嵐の中に信夫は再び飛び込んだ。
家庭にあるような救急箱のガーゼと包帯だけでは龍の足と頭を巻くには少な過ぎる。瞬く間に巻いた包帯は赤い血に染まった。
「浩司君戻っているか?」
孝之と宏保が帰って来た。
「龍君が見つかったんだって?」
「ああ、だが……」
現状を説明した。
「なんてことだ。なんだってそんな物が?」
驚愕を隠せない孝之に対し、息子の宏保は難しい顔をして呟いた。
「トラバサミの使用は全面禁止されています。確か捕獲許可証や狩猟者登録証の取得と提示が必要です」
「宏保君、随分詳しいんだな」
憔悴している浩司がギロリと睨んだ。
「え? ああいえ、以前歴史の授業の一環で第一次世界大戦について調べていた時にトラバサミが出てきたのを思い出して」
「それで、その知識を今披露してどうするんだ?」
趣味でボディービルをしている孝之の堂々たる体格に比べ、宏保は色が白く痩せぎすだ。とても親子に見えないが、横田家では孝之と宏保が一番仲が良い。
「戦争で使われたことがあるくらい危険な物なんです。国がそんな危険な物を放置する訳ないでしょう? トラバサミを買うにも使用するにも絶対に許可が必要なんです。法律があるんですよ。だから仮に許可を得て設置したならば、国に記録されているし調べれば誰がやったのかすぐに判明する。そうなれば罪に問えるんです」
誇らしげに語ったが、浩司はユルリと首を横に振った。
「確かにあんな所に設置した人間が憎い。でも、それよりも龍が目を覚まして笑ってくれることが先なんだよ」
「あ――……」
宏保は浩司の気持ちに気付いた。
大方蘊蓄を披露した後だったから、気まずい。
「ご、ごめんなさい」
一応謝りはしたが、そんな若者に浩司は苦笑して首をやはり振るだけに留まった。
「悟志君は見つかったのか?」
俯く宏保に、龍と同様探していた悟志の安否を尋ねた。
「いや、見付からない。龍君がこんな状況になっているんだ、ウチの悟志もそうなっていて声が出せない可能性があるだろうな」
孝之は筋肉質の小麦色の腕を胸の前に組んだ。
「今、誠さんが物置小屋とか付近を探してくれているよ。我々はもう一度森を探す」
「そうですか。トラバサミが一個だけとは限らないのでくれぐれも気を付けて」
「ああ。それじゃ、お大事に」
孝之と宏保は悟志を探しに暗い森の中に戻って行った。
「あなた――」
沙織が浩司に寄り添う。
「龍は強い子だ。私達は信じていればいい。それに私達が不安がっていたら、あやめと凛子ちゃんが余計不安になるだろ?」
「――そうね」
「しかし――信夫さん遅いな……」
雨は幾分止み始めているようだが、家にいても屋根や窓に当たる雨音が酷く響く。
龍の様子を見ると、呼吸が荒くなっている。
「沙織、解熱剤ってあるか?」
救急箱の中には市販の解熱剤があったが、消費期限が過ぎてしまっている。
「怪我で熱が出ているのね。可哀想に」
沙織は濡れたタオルで吹き出る汗を拭いてやる。
「この大雨だ、救急車は遅れるだろうな。解熱剤があれば飲ませようと思ったんだが」
消費期限は数年前に切れている。
飲ませたくても飲ませられない。
布団の外に放り出された手を浩司は掴んだ。
雷が遠くで鳴っている。
もう暫くすれば雨は止むだろう。
そうなれば視界も開け、見付からない悟志も見付け易くなる。
龍が低く呻いた。
「龍、もう少し我慢してくれよ」
「龍、頑張るのよ」
浩司と沙織が交互に龍に声を掛け励ましていると、違和感のある音が耳に入った。
「?」
最初は雷の音かと思った。
ゴゴゴゴゴゴ――。
「なんだ?」
微かに建物が震動している。
ベット横に置いた桶に入った水が、円を幾つも描いていた。
ゴゴゴゴゴゴ――。
「近い?」
「沙織、下の子達と外に出るんだ!」
浩司の柄にない鋭い声が沙織の身体を弾かせる。
その時。
ゴオオオオオオオオ――……。
一層激しい音が間近から響いた。
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