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五
しおりを挟む「あら?」
木内啓子はふと、空を見上げた。
お昼過ぎまでは雲一つ無い真っ青な空に、黒に近い灰色の雲が侵食し始めている。
「今日は一日晴れだと思っていたのに。雨が降るのかしら?」
隣にいた夫の信夫に呟いた。
「そうだねぇ、天気予報は晴れだとは云っていたけど、これは怪しいね」
そこへ森から娘の直子が出て来た。
「直子、森に行ってたのか、珍しいね?」
「うん、散歩しようと思ったんだけど、虫除けスプレー忘れたから散歩は入り口だけにしたわ。ちょっと入っただけで虫凄いから、次入る機会がある時は忘れないようにする。雲行きも怪しいし、コテージに戻ってのんびりしてるね」
「そうだ、直子。後で龍君に崖の上には行かないよう云っておいてくれないか?」
「崖の上?」
キャンプ場の入り口の両脇に、十メートル近くの高い崖が剥き出しになっている。
崖の上は高地になっていて、龍が好きそうな昆虫が沢山生息していると思われる。崖崩れを起こさないよう崖には大掛かりなネットが張り巡らされていた。
「先月の台風で地盤が緩くなっていて危険だから」
「そういうのは着く前に本人に云ってあげてよ。今行ってたらどうするの?」
啓子が夫に呆れた。
「お父さん、お母さん、今日は大丈夫よ。龍君私の本を持ったまま昆虫採取に行ったの。遠くには行かないと思うわよ」
「なんで本を?」信夫と啓子は怪訝な表情を何故だか楽しそうに笑う一人娘にした。
木内親子ののんびりした会話の途中から、ポツリ――と雫が直子の鼻を掠めた。
「あ、本当に雨が降ってきた」
ポツポツ、コテージの屋根を叩く雨の音がやたらと大きい。
外にいた人々が一斉に空を見上げると同時に、大粒の雨が降り出した。
「大雨だ!」
誰が叫んだか、皆が自分のコテージに走り込んだ。
ポツポツではなく、ガタガタと屋根を叩いている。
遠くで、ゴロゴロと雷が鳴り始めた。
一気に空は黒くなり雲は低く垂れ込め、まだ三時にも関わらず夜のように外は暗くなってしまった。
明かりがなければ暗闇で歩くこともままならないが、そもそも大雨だから誰も出歩こうとは思わないだろう。
「いやぁ、凄い雨だな」
「龍は?」
沙織がびしょ濡れになった浩司にタオルを渡しながら質問した。
「戻ってないのか?」
浩司も沙織に質問する。
「お兄ちゃん、いないよ?」
不安そうな声があやめから漏れる。横に立っていた凛子は窓際に駆け寄り外を見たが、雨が止めどなく窓を叩き付けて状況が分からない。
時々轟音と共に空が一瞬光った。
「きゃぁ!」
あやめが浩司に抱き着いた。
「龍、森に入ったままよね?」
あやめと沙織、そして凛子は昼食を龍達と外で一緒に摂った後、コテージでクッキー作りをしていた。オープンキッチンから玄関は丸見えだから、もし龍が外から帰って来たならば三人が気付かない筈がない。
「この豪雨だ、帰る方向を見失っている可能性が高いな」
突然の豪雨と雷。
鬱蒼とした森の中では空は見上げても見えない。
雨の予測なんて不可能だろう。
「迎えに行ってくる」
倉庫からレインコートと懐中電灯を引っ張り出した。
「他に森に行って戻って来れない人もいるかもしれないから、皆のコテージを廻ってから森に入るよ。停電になるかもしれないから、懐中電灯は手元に準備しておいて。そうだな、取り合えず、見つからなくても一時間後の四時半には必ず戻る」
携帯電話は使えない。
時間を決めて探しに出ないと、入れ違いになった時連絡のしようがなかった。
浩司が各コテージを廻っていると、龍だけではなく悟志もいないことが分かった。
ゴロゴロ、雷が鳴っている。
「こりゃぁ台風より酷いぞ!」
大声で喋らないと隣の人間にも聞こえない。
目も開けていられない。
容赦なく降り付ける大粒の雨が視界の邪魔をして、身体に叩き付けてきた。
浩司の他に悟志の父親の孝之と兄の宏保、信夫の四人が帰って来ない龍と悟志を探すこととなった。その間、一人になる孝之の妻の美幸は徳永家のコテージで沙織達と待つこととなった。
「二手に分かれましょう。私と信夫さんでうちのコテージの裏からキャンプ場に沿うように捜索します。孝之さんと宏保君で横田さんのコテージの裏から同じようにキャンプ場沿いを」
キャンプ場は円になっている。
南の徳永家のコテージと北の横田家のコテージの裏の森をキャンプ場に沿って捜索すれば二手に分かれた浩司達と孝之達がかち合う筈だ。
キャンプ場の入り口は西にある。
物置小屋は南東、その右脇に屋外キッチン。
物置小屋の裏の森をまっすぐ奥に進むと、川が流れている。大人の膝下までの深さしかないから、龍でも川で溺れるということは考えられない。
心配なのは、豪雨で視界を奪われた二人が闇雲に森の中を歩き回り、キャンプ場から離れて行ってしまっている可能性だ。
森の中は川が一本あるだけで、他はただただ鬱蒼とした木々が広がっているだけ。キャンプ場から離れてしまえば、全方向目印らしい目印が無いから、気を付けなければならなかった。
二手に分かれて森に入った浩司達は、口々に龍と悟志の名を呼ぶが、雨の音が無情にも消し去ってしまう。
人間が滅多に立ち入らない森だから手入れがされている筈もなく、雑多に生い茂る雑草に足を捕られることも何度となくあった。
「龍! 悟志君! どこだ!?」
叫ぶ。
雨が降ってから急激に気温が下がって、半袖では寒いだろう。
「龍! 悟志君!」
「龍君! どこだ!」
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