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三
しおりを挟むカレーにジャガイモが入っていない代わりに、別口でじゃがバターがテーブルの上を飾った。
これなら龍も食べられる。
むしろ大好物と云っても過言ではないだろう。
「北海道に来てるのに産地の美味しい物が食べられないのは可哀想過ぎる」というありがたいお言葉が主婦の間で囁かれ、ジャガイモはそのまま茹でられて、バターを乗せられ産まれたままの状態で人間達の前に晒されたのである。
「カレーのルーは市販だけど、ここの管理人さんが農家をしていてね、そこで採れた野菜を持って来てくれたみたいなんだよ」
その管理人は初日の今日、顔を見せる手筈になっていたのだが連絡しても繋がらないし、キャンプ場の入り口にある管理人室にも姿が無かった。
信夫も浩司も不審に思い、手違いで予約が入っていないか日にちを間違えているのではないか、と心配したが、キャンプ場の物置小屋には食料や必要な道具が手入れをされて揃っていたし、管理人室の壁に掛けてあるカレンダーにはしっかりと今日の日付に赤いペンで丸が印されて、下の空白欄には『木内様ご一行』と手書きで書かれている。
数年前からの常連で勝手知ったる仲でもあるから、管理人も後にでも顔を出すのであろう、と信夫と浩司は変に納得して今に至ったのだが、物置小屋の鍵も各コテージの鍵も管理人室に保管されていのを知っているが、管理人室も鍵の保管庫も開けっぱなしになっていて不用心にも程がある。
まだ民家も疎らなこの地域は良いが、ひとたび都会に出れば空き巣に入りたい放題だ。
会ったら云わなければいけないな、と浩司は心に誓った。
「ご飯食べ終わったら各自自由行動して構わないですが、夜の八時には花火をするので広場に集まるように」
ここは企画者の信夫が言うべき所だったのだが、仕切りたがりの細川玲子が声高々に宣言した。
本州よりは涼しいが、真夏に変わりない気候にガッツリ分厚くファンデーションを塗りたくった化粧は誰に見せる為なのか、それとも他の主婦達を牽制しているのか、とにかく小学生の子供達が街中で見ようものなら『厚化粧ババア』と渾名を付けられるだろう。
そんな厚化粧ババア――もとい玲子の娘達が先程騒いでいた明美と智子だ。
明美と智子、それと孝之の次男の悟志は皆と一緒に昼食は摂らずに横田家のコテージで食べたようだ。
「あの三人は何しにキャンプに来たんだろうな」
ボソリと後片付けをしながら龍の隣で呟いたのは悟志の兄、宏保だ。
宏保は悟志と真逆の性格で、真面目が取り柄と云っても間違いではないだろう。今も金髪頭の弟達に苦々しい表情を向けている。
どちらかと云うと宏保寄りの龍も、何とはなしに呟いた宏保の囁きに頷いて同意した。
「確かに何しに来たんだろうね」
自然を楽しむでもなく、普段会わない他の家族と交流を持つでもなく、家を出発した時から三人は一緒に行動し、時々ヒソヒソと何事かを話している。
「昔からあの三人が釣るんでいるのは知ってるけどさ、ここまで来てすることじゃないよね」
「小学生の龍の方が正論云ってるなんて、こっちは恥ずかしいよ」
苦笑して宏保は云った。
「それよりさ、宏保さん。大学はどこに行くの?」
「何だ、興味あるのか?」
「うん。俺さ、昆虫が好きだから、そっち方面の勉強したいんだよね。いずれは昆虫博士になりたいんだ」
宏保になら素直に話せる。
昆虫に興味を持ったのも、小さい頃行った旅行で宏保が大きなカブトムシを捕まえて龍にあげたのがきっかけなのだ。
幼稚園の時か小学校低学年の時か。詳しくは覚えていない。
だけど、貰ったカブトムシは龍の掌からはみ出すくらいに大きくて、とてもカッコ良かった。
「昆虫博士か、龍らしいな。それじゃ夏休みの宿題も昆虫?」
「うん」
多分普通の小学生の自由研究は昆虫の標本で終わるだろうが、龍は今回顕微鏡を持参した。
家を出るまでドキドキしたが、ここまで来れば両親に没収されることはないだろう。まあ、自分の親が実の子供の将来の夢を潰すような人間ではないことは知っているが、それでも顕微鏡だ。紛失したり移動時に壊れたりしたら、小学生の誕生日プレゼントにしては高価な代物に浩司達は残念がるか怒るか、どちらかには必ずなるのは目に見えている。
「うん」の返事だけで終わってしまった会話に、宏保は「俺は」と元々の会話の路線に戻した。
「T大に行って地理と歴史の教員になろうと考えているんだ」
宏保は特に歴史が得意だ。
歴史の教師になる、と云われれば納得出来る。
歴史に限らず宏保は勉強が得意で、学校でも成績優秀だと龍も聞いている。そんな優秀な兄がいるから、なんでも比較される弟が不憫ではあるが、だからってどの家庭も宏保と悟志のようだとは龍は思っていない。「悟志は兄の宏保のせいにして努力もしないで逃げているのだ」龍は宏保にそう語ったが、宏保は首をゆっくり横に降って「そうではない」と優しく云った。
「悟志が努力したかは分からないけど、努力したって駄目なことだってあるんだよ。どれだけ本人が頑張っても望まない結果になってしまうことはあるんだ。それでも龍には昆虫博士になるために努力は怠らないでほしいな。俺楽しみにしてるから」
んん、龍は唸ってしまった。
「あはは、龍には難しい話だったか」
「別に難しいとは思ってないよ。でも、なんだか」
宏保は何かを諦めているように龍には聞こえた。
「龍!」
「ん、なぁに、父さん」
浩司が虫かごと網を持って来た。
「誠さんから聞いたぞ。なんで父さんに云わないんだ」
冗談めかして泣いた振りをして見せている。
「自由研究で昆虫採集するんだって? 昆虫採集なんて秘密にする必要がないだろ?」
話さない必要はないし、通常なら大人の手を借りた方が楽に研究出来るに決まっている。
「父さん、云わなくてごめん。でもね、云ったら父さん絶対手伝うだろ? 今年は一人で全部やりたいんだ」
「標本にするんだろ? 去年と同じようでは進化ないぞ」
「標本じゃないよ」
「そうなのか? じゃどうするんだ?」
「秘密だよ」
子供の興味の芽を潰すのは憚りならないことであろう。浩司は「秘密」と云われて残念には思ったが、一人で実験をしたいと云う息子の意思を勿論尊重しようと身を引いた。
「分かったよ。だが、危ないことはするなよ? 入り口の崖には絶対に登ってはいけないよ。知っているだろうが、先日の台風で地盤が緩んでいるんだ。龍が昇ったくらいでは崩れたりはしないだろうが、何があるか分からないからな」
「うん、分かった。今日は森に入って採集する予定だから」
「帽子被って行きなさいよ」
母の沙織がすかさず龍の頭に青い帽子を乗せた。
片付けが終わったら早速浩司から貰った虫かごと虫捕り網を持って森に潜入だ。
どんな昆虫と会えるか、龍は胸をドキドキと高鳴らせ一人、コテージのすぐ裏に広がる森へ入って行った。
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