【短編百合】ふうわり、ともに朝へ堕つ。

にく

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#2 あの子の背を分かつ

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 日曜日。
 個展は駅前のビルディングで開かれていた。
 ここは商業施設などが入ったショッピングエリア、そして展覧会などが開かれるイベントエリアに別れており、今回向かうのは言うまでもなく後者──イベントエリアだ。
 約束の時刻より、三十分ほど早く着いたので、先んじてチケットを二枚購入したのち、待ち合わせのカフェでくつろいでいた。
 あぁ、頭がぐちゃぐちゃになる。
 わたしは、はぁ──と嘆息たんそくした。
 先日ユウカが言い放った『デート』という単語が、ずっと脳裏を離れない。事あるごとに反芻はんすうし、わたしを掻き回す。本当にどうにかなりそうだった。
 反対に、終わりが迫る音もして。この──ユウカが言うところの『デート』が終わったあと、わたしは彼女との関係を、断つ。それを考えるだけで胸がじくじくして、過呼吸になってしまいそうだけれど、一度決めたことは曲げるべきではない。そうやって弱音ばかり吐いてきた人間だ。けれど今回ばかりは、逃げてはいけないのだ。
 心に色が有るのならば、きっと彩度は両極端である。なんて醜いトーンだろう、と自嘲じちょうした。

「おまたせーっ、相変わらず早いねぇ~」

 俯いていた顔をパッと上げる。そこには女神が居た。
 真っ白なシフォンスリーブのニットに、茶色ブラウンのマキシ丈のロングスカート。丈のせいで、くびれがより強調されて、清楚ながらにとても蠱惑的コケティッシュだ。
 伸ばした髪を低めの位置で一纏め──サイドポニーとか言うんだっけか──にし、左肩から胸の辺りまで掛かるそれは、黒猫の尻尾を思わせる。
 ユウカが手に持つ黄色のバッグは、彼女の溌剌はつらつさを具現化したようであった。
 わたしはすっかり、うっとりしていた。

「ちょっと、ジロジロ見過ぎ~。いや~ん」

 冗談めかして彼女は言うが、あながち間違いではないのが駄目なところだ。わたしの。とにかく誤魔化したかったので、わたしは無言で彼女の頭にチョップをかました。

「いたぁ~……いや、今のは普通に痛かったよ!? 力と殺意込めてたって絶対!!」

 過剰な痛がりかと思いきや、どうやらマジで痛かったらしい。
 情緒がおかしくなって、力加減を誤ったのか。反省しなきゃ。
 込めたのは殺意ではなく愛情……──いやいや。絶対今言うタイミングじゃないし! それに今日の目的を忘れたのか、わたし。しっかりしろ。取り敢えず今は、ユウカに謝るのが先決だ。

「それは……ごめん……。本当にごめん。先にチケット買っておいたから、それの奢りで許して」
「さっすがアマネ様。話が早けりゃ準備も早い! てか着くのめっちゃ早くない!?」

 さすが、と言われても。わたしは時間にルーズなタイプだ。時刻ピッタリというのなら、ユウカのほうがそうだろう。今、集合時間の五分前だし。わたしの早く来たぶんの時間は、ユウカだけなんだよ──なんて言えるはずもなく。
 わたしたちはレジに並び、お揃いのフラペチーノを頼んだ。



X  X  X  X



 中に入ると、早速美麗だった。
 目に飛び込んできたのは額縁に飾られたイラスト。学校の屋上らしきところで、黄昏たそがれた空を見上げ、かげる少女の後ろ姿。その光遣いは余りに繊細で、思わず息を呑んでしまうほどだ。
 絵の中の彼女が抱いている、将来への不安と期待。現状への不満と満足。焦りと高鳴り。蒼と橙が淡く熔ける夕景が、それを集約するような小さな背中が──それらを見た者へと感じさせる。
 しっとりとしているのに、何処か吹っ切れたかのような清々しさ。
 これは、これはまるで……。

「……すご、いね。わたしこの人の絵、あんまり詳しくなかったけれど──好きになった」

 彼女ユウカみたいだった。なるほど、好きと言っていたのも納得だ。確かに普段の振る舞いや、絵のタッチなんかが、何処となくこの絵を思わせる節が有る。ような気がする。

「でしょでしょー。アマネも分かっちゃったか、この人の魅力が」

 好きなものを喋舌しゃべる彼女の姿が好きだ。ずっとこうしていたい。わたしは隣でともに、歩みを進めた。一歩一歩、み締めるように。

「あっ、この絵私好きなんだ」

 ユウカが指さしたのは、日和雨ひよりあめの中を疾走はしる少女の絵だった。物憂げな表情だが、その中にキビギビとした印象を受ける。頬を拭うその手には、包帯が巻かれていた。

「こう、負けないぞって。そんな感じが伝わってきて、ステキなんだよね。この絵を見たとき、こうなりたいって思った」

 彼女らしい、前向きな絵だ。挫けないタフさとか、それこそそっくりである。
 駄目だ。これから絶交するって言うのに、どんどん好きになっていく。これじゃ際限無しだ。……何だよわたし。全然離れたがってない。現状を理解できているのか? 胸が苦しくなって……、青春じみた絵の数々が、それを代弁して、体現してくれているかのようだった。
 息を呑むほどの絵画たちと、息を吐きたくなるほどの彼女は、やけに重なって落ち着かない。この息苦しさも嫌いではないけれど、如何いかんせんずっとでは心が持たない。
 逃げ場を探すように、わたしは飾られる絵たちを眺めた。

「──……あっ」

 ひとつ、目を引くものが有った。
 苔むした廃墟のような学校。天井はボロボロで、上からは日光が木漏れ日のごとく降り注ぐ。昼下がりの森を思わせるが、剥き出しの混凝土コンクリートがミスマッチしていた。
 わたしが惹かれたのは、その中心──登場人物たち・・である。
 セーラー服を着たふたりの少女が、瞳を閉じて、肩を寄せ合い。その様子は果てしない孤独を埋めようと、しているようだった。年季の入った椅子と、小綺麗な制服のアンバランスさが、幻想的な雰囲気をより強めている。

 題は────『あとちょっとだけ』

「あ、それ気に入ったの?」
「うん……凄く、好きだ。こういうの」
「ふへへー。好きなものが褒められると、自分まで嬉しくなるのはオタクのさがですな~」

 大袈裟なリアクションをみせる彼女の笑顔が──好きだ。ふざけているときの顔が──大好きだ。わたしはユウカが好き。でもそれも、もう直ぐ終わるんだ。だから、でもだから今だけは──。

「ねえ。そろそろ終わるね」
「あーそうだねぇ。出口目の前だし。終わっちゃうのってザンネン」
「なら……、──もう一周しない?」

 わたしがそう提案すると、ユウカは一瞬驚いた。しかしまた直ぐ、何時もの顔に戻ると、「アマネ先生に賛成!」と小声で言った。その眩し過ぎる笑みを、わたしは延長することにした。
 あと、ほんのちょっとだけ。



X  X  X  X



 ビルディングを出ると、もうすっかり夕暮れになっていた。
 夏の残暑はまだ若干残るものの、夜が近付けばそれも鳴りを潜め、かたわらを吹き抜ける風はほんの少し肌寒いほどだった。膨らんだ熱が、ほとぼりが、風船のように萎んで、ゆっくり冬へ移ろおうとする。

「今日は楽しかったねー。いやぁ、もう直ぐ夜だ!」
「そう……、だね。もう、今日が終わっちゃう」

 ユウカは呑気に笑った。普段はそれを見て、何処かホッとしてしまうわたしが居るのに──今は全然そうじゃない。言わなきゃいけない。夢から、醒めなきゃいけない。これは悪夢のようで現実なんだ。

「ねぇ──あっ、あッ……の…………」

 言えよ。早く言ったほうが良い。そのほうが楽だろう。
 熱が冷めるのは一瞬だ。
 夢が醒めるのは一瞬だ。
 ならばせめてその瞬間が、少しでも早く終わるように。
 それでも何故だろう。音が上擦って、想いが詰まって、上手く声が出せない。言葉を、上手く紡げない。どうしてわたしはいっつも『こう』なんだ。失敗ばかりで、つまづいてばかりで。だから夢に頼るのも、ユウカに頼るのも、恋にすがるのも辞めにするんだろ。一度降した決定を、曲げるのは卑怯者のすることだ、そうだろ?

「──あの、さ。ユウカ、話が有るんだ」

 わたしはビルディングの隣に在る、公園を指さした。

「良ければだけれど、寄ってかない?」

 ユウカは少し逡巡しゅんじゅんしてから「門限有るから、ちょっとだけだぞ」とウインクした。わたしたちは、ベンチへ向かう。お互い一言も喋舌らなかった。ただ同じ空を眺めて、きっと別々のことを考えたんだと思う。けれどここだけは一致する自信が有る。
 空が、入り口の絵に、似ているな──と。
 ベンチに坐ると、空気を察してか、何時もの和ませるような笑顔は消え、ユウカは真剣な眼差しでこちらを見詰めていた。
 情緒の乱れは自覚している。よく分からない気持ちに襲われる。それはユウカを責めるようで、自分自身を責めているみたいだった。

「それで何だっけ、話って」

 今にも窒息しそうなわたしに、ユウカは助け舟を出した。こういうところが、本当にズルい。わたしは大きく息を吸って──、

「あのね」

 終わりの挨拶を、始めた。

「わたし、もう絵を描くの、辞めようと思うんだ」

 突然の告白に驚く彼女だったけれど、わたしは続ける。

「進路とか、決めなきゃだし。プロになれるか、分からないし……。そもそも、プロになったって、それでみんな食べてける……わけじゃないでしょう? だから、さ──その」

 一言喋舌るごとに、終わりが近付くのを感じた。たどたどしい言葉の数々を、ユウカは黙って聴いている。生徒指導室のときとは違って、顔を視認することはできたけれど──無表情だ。変わらず、その裏を覗くことはできない。

「部活も辞めようと思うんだ。ユウカとも会えなくなる」

 彼女は今どんな顔をしたいんだろう。わたしは今、どんな顔に見えているのだろう。次に何を言われるのだろう。次に何を言えば良いんだろう。
 すべてがボヤけて分からなくなって。口も心もあやふやだ。
 わたしが一通り話し終えると、ユウカはしばらく黙ったあと、悲しそうに「そっか……」と呟き、

「それも有りだよね。じゃあわたし、アマネのぶんまで描くの頑張る!」

 ──と空元気そうに笑った。
 そう、笑ったのだ。笑われて、しまったのだ。
 そのとき、わたしの心は、黒くよどんだ泥水のような物体──制御のできないぞわぞわが、たけった馬のごとく全身を駆け巡って。わたしを、突き動かす。

「辞めないの?」
「え?」
「ユウカは、絵、辞めないの?」

 それは余りに身勝手な言い分で。それを頭では理解できるけれど、心が受け付けようとはしない。
 何で一緒に辞めてくれないの? 何で引き止めてはくれないの?
 その何で・・はあっという間に増殖し、わたしの視界を埋め尽くす。それはこれまで見たどんな景色よりも、醜い色をしていた。

「そりゃアンタは良いよね。頭良いから大学行かなくたって、やって行けるし。親が金持ちだから、行こうと思えば何時でも行けるんでしょ?」
「あ、アマネ……?」

 自然、零れる笑みは、たぶん無機質で、いやに生々しい。

「絵だってさ、わたしより始めたのが遅かったのに、今じゃわたしよりもずっと上手い」

 警鐘がいななく。
 辞めろ、それ以上は辞めておけ、と。今ならまだ引き返せる、と。しかし自分ではどうすることもできない。一度掛かってしまったエンジンは、そう簡単に止まってくれやしない。

「そんなこと……アマネのほうが私なんかより──」

「辞めて! 辞めて、よね。上の立場の人間に謙遜されると、腹が立つの」口が心と反対に動く。これまで抱いていた羨望が、みるみる嫉妬に変換されて、「あんまり馬鹿にしないでよ、この前だって、美術の先生に褒められてたのはわたしじゃない──ユウカだった」決壊した堰堤ダムのように、止まらない。溢れ返っていく。「プクシブのフォロワーだって、イラストに付く『いいね』だって、ユウカのほうが上」

「それは…………」

 とうとう、ユウカは黙りこくってしまった。
 喉が痛い。口に、血の味が拡がる。それが裂けた喉ではなく、傷付いた彼女からの流血であると、わたしは直感した。息を吐き出すたび、ぐるぐると低く音がして、まるで剣呑けんのんな獣のようだ。

「ほらやっぱり! どうせわたしのこと、馬鹿にしてたんでしょ。自分のほうが上手いって、見下してたんでしょ」
「違うッ!」

 ユウカはえ返した。そう、それで良いんだよ。辞めちゃえば、きっと楽になる。良い大学に行って、大企業に入って、お似合いの男の人なんか見付けてさ。それで安泰なんだ、ユウカは。
 わざわざわたしと危険な道を進まなくたって、良いんだ。
 ユウカには生まれつき、その権利が与えられている。凡人のわたしとは似ても似つかない、特別な権利が。

「違うよ……? 違うの……、信じて欲しい」

 でも彼女は、柔らかい顔をしていた。何で、何でそんな顔するんだよ。これじゃまるで、わたし馬鹿みたいだ。浅い呼吸を繰り返すわたしは、死に掛けの獣みたいだった。そのまま死んでも変じゃない。
 彼女は獣をあやすように──、語り始める。

「私はアマネと居るのが楽しかったから、アマネの好きなもの、一緒に楽しみたくって。だから、それで傷付けようとかってのはなかったし……」

 辞めてくれ。

「それに──ほら、私の家ってお金持ちじゃない? それだけに家のルールとか、色々厳しくって」

 お願いだから、もう──。

「だから私、嬉しかったの。アマネが『一緒にイラストレーターになろう』って言ってくれたとき、凄く嬉しかった」

 ──わたしには貴女の笑顔それが、眩し過ぎるから。
 一緒に居るのを諦めようとした。釣り合う存在になる道程みちのりが、凄く遠いもののように思えたから。ともに歩むのを諦めようとした。わたしのちっぽけな歩幅が、とても情けなく見えたから。夢を見ることから逃げようとした。不安定な将来が怖くなって、立ちすくんでしまったから。
 わたしは貴女の夢を、奪おうとしてしまった。
 貴女のことを愛するのと同じくらい、貴女のことが羨ましかったから。
 だからわたしは逃げ出した。

「ちょっと……ッ!」

 後ろでユウカの声が聞こえる。呼び止める声だった。
 けれどわたしには、荷が重い。ペシャンコになる。貴女の背負おうとしていることが、わたしには重い。貴女という存在が、わたしの中で余りにも重たい。
 何が不幸をもたらす──だ。どれが幸せかなんて、本人が決めることなのに。そんな簡単なことも気付かず、わたしは幸せを……ううん、不幸を押し付けた。貴女をないがしろにしてしまった。
 わたしのここ二週間が、走馬燈のように頭を巡る。

 ──アマネのご両親や生徒指導の先生を、心の中で侮辱した。しかしそれは、わたしにしたって同じだった。

 逃げるように街を、疾走る、疾走る。

 ──一度降した決断を変えてはならない。それを言うのなら、彼女と交した約束こそ、守るべきではなかったのか

 街灯が照る時間となっていた。加えて、はらはらと雨粒が肌を小突いた。
 わたしは隣に居られない。歩み寄ってきてくれる貴女が大好きだけれど、その大きな影が、わたしは怖い。恐ろしく思ってしまう。
 空はゴロゴロと低く唸り、わたしをとがめるようだった。それから逃げるために、ひたすら疾走る。疾走りながらふと思い起こすのは、一枚の絵だった。

 日和雨の中を、力強く疾走る少女。

 真逆だな、と自嘲した。
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