日暮れ古本屋

眠気

文字の大きさ
上 下
30 / 73

二十九冊目

しおりを挟む
「あら、一ノ瀬、いるんじゃない」

 後ろに誰か居るのだろうか。
 居ないな。

 じゃあ横か。
 居ないな。

 まさか屋根裏に居るのか。
 気配は無い。

「何キョロキョロしてるのよ、貴方よ貴方。
「久しぶりじゃない、一ノ瀬」

 僕と彼女の視線が合っている。

「え、僕ですか」

 驚いて手の力が抜け、お盆ごとお茶を落とす。
 九尾苑さんの術が無ければ破れていた。

「そうよ、何度も言わせないでくれないかしら。
「貴方よ、一ノ瀬宗介くん」

 宗介って事は僕だ。

「貴方、まさか自分の彼女を忘れたの?」

 自分に彼女が居ると言う新情報と、自分の苗字が分かると言う思わぬ幸運が同時に押し寄せ困っていると、九尾苑さんが救済の手を僕に差し伸べる。

「君の事は僕が説明しておくよ。
「とりあえず君はお茶を入れ直してくれるかい」

 僕はお茶が落ちた事を思い出す。
 お茶は溢れていなかった。

 床には湯呑みとお盆だけが落ちており、濡れた痕跡は一切ない。

 不思議に思ったが、九尾苑さんが手振りで早くお茶を入れに行くよう示すので、一先ず思考を放棄する。

 お茶を入れて戻ると、説明は終わっていた。

「一ノ瀬、貴方本当に私の事覚えてないの?」

 さっきまでと打って変わり、弱々しくなった彼女が尋ねる。

「ええ、今の僕の記憶には、言い難いのですが」

 言うと、彼女は一度深呼吸をする。

「そう、じゃあ仕方ないわね。
「私は樋口沙耶 ひぐちさや、貴方の彼女だから次は忘れないでね」

 キッパリと言う。
 弱々しかった様子が嘘のようだ。
 本当に幻覚だったのではと疑う程だ。

「さあ、話が一つ済んだ所で聞きたいんだけどさ、樋口って言うのは僕が思い浮かべる、名門樋口家で合ってるのかい?」

 九尾苑さんは言った。

「ええ、そうよ。
「でも家の名前で呼ばれるのは嫌なの、沙耶って呼んでもらっても?」

「分かったよ、宗介くんもちゃんと沙耶ちゃんって呼んであげなよ」

「大丈夫ですよ、ちゃんと話聞いてます」

 そんなたわいもない会話をしていると、沙耶さんが微笑んだ気がした。

「どうさました沙耶さん?」

「ごめんなさい、つい二人の雰囲気が懐かしくって」

 言うと、沙耶さんは僕に向かい指を向ける。

「そんな事より、私の事は呼び捨てにしてちょうだいね。
「口調も敬語はやめて欲しいの。
「昔はタメ口だったし、恋人からの態度が急によそよそしくなると、流石にツラいのよ?」

「分かったよ、沙耶」

「名前を呼ぶだけでそんなに照れるなんてね。
「知ってた? 貴方って照れてる時小指で首を掻くのよ」

 慌てて手を首から離す。
 どうやら僕の彼女は、今の僕以上に僕に詳しいらしい。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

短い怖い話 (怖い話、ホラー、短編集)

本野汐梨 Honno Siori
ホラー
 あなたの身近にも訪れるかもしれない恐怖を集めました。 全て一話完結ですのでどこから読んでもらっても構いません。 短くて詳しい概要がよくわからないと思われるかもしれません。しかし、その分、なぜ本文の様な恐怖の事象が起こったのか、あなた自身で考えてみてください。 たくさんの短いお話の中から、是非お気に入りの恐怖を見つけてください。

【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!

黒木  鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。

【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド

まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。 事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。 一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。 その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。 そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。 ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。 そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。 第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。 表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

182年の人生

山碕田鶴
ホラー
1913年。軍の諜報活動を支援する貿易商シキは暗殺されたはずだった。他人の肉体を乗っ取り魂を存続させる能力に目覚めたシキは、死神に追われながら永遠を生き始める。 人間としてこの世に生まれ来る死神カイと、アンドロイド・イオンを「魂の器」とすべく開発するシキ。 二人の幾度もの人生が交差する、シキ182年の記録。 (表紙絵/山碕田鶴)  ※2024年11月〜 加筆修正の改稿工事中です。本日「60」まで済。

あやかし妃は皇宮の闇を視る~稀代の瞳を持つ姫の受難~

ネコ
キャラ文芸
都が誇る美姫として名高い琉珠(るじゅ)は、人には見えぬあやかしを映す不思議な瞳を持っていた。幼い頃よりその力を隠し、周囲には「か弱い姫」として扱われてきたが、皇宮へ後妻として迎えられることになり、表舞台に立たざるを得なくなる。皇帝に即仕えることになった琉珠の瞳には、華やかな宮廷の片隅で蠢く妖や、誰も知らぬ陰謀の糸が絡み合う様がありありと映っていた。やがて、皇帝の信頼厚い侍衛長までもがあやかしの影を背負っていることを知り、琉珠の心は乱される。彼女が視る闇は、宮廷の権力争いだけでなく、あやかしの世界に潜む大きな謎へとつながっていくのだった。

千切れた心臓は扉を開く

綾坂キョウ
キャラ文芸
「貴様を迎えに来た」――幼い頃「神隠し」にあった女子高生・美邑の前に突然現れたのは、鬼面の男だった。「君は鬼になる。もう、決まっていることなんだよ」切なくも愛しい、あやかし現代ファンタジー。

神様達の転職事情~八百万ハローワーク

鏡野ゆう
キャラ文芸
とある町にある公共職業安定所、通称ハローワーク。その建物の横に隣接している古い町家。実はここもハローワークの建物でした。ただし、そこにやってくるのは「人」ではなく「神様」達なのです。 ※カクヨムでも公開中※ ※第4回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。ありがとうございます。※

処理中です...