上 下
38 / 127
【第四章、表紙絵】

4-4

しおりを挟む
 マスターオークが、傷口を気にして目線がそれ、その動きが予定外の事態を引き起こす。
 相手は、届かない高さにいるレーヴではなく、確実に倒せる対象に、再び関心を寄せたのだ。
 おそらく獣鬼と視線が交差したのだろう、アンナリーズから血の気が引くのが見えた。
 這ったまま逆方向に逃げようとしたが、敵のわずか一歩で真うしろまで迫られる。
 振り向いたその美しい顔が、死を感じて歪み、声にならない絶叫を上げるのを見ても、レーヴがまだ冷静さを保てていたのは、過去に戦闘の経験があったからだと思う。
 獣鬼の俊敏性は、確かに人とは比較にならないが、唯一、無防備になる瞬間があるのを知っていた。
 それは、獲物を襲うときだ。
 マスターオークが腕を振り上げるのと同時に、手にあった剣を首元狙って投げ下ろし、同時に加速させた。
 またしても、アビリティの加減を誤ってしまったのだろう、剣は一瞬で地面に突き刺さった。
 少し遅れて、獣鬼の首が、その体から静かに離れて落下し、過去にないほどの大きな外皮を残して蒸発した。
 アンナリーズの元に着地したとき、彼女は目と口を開き、どちらからも液体を垂れ流していた。
「ケガはありませんか?」
 肩に手を添え、ハンカチを差し出した。
 彼女はそれには反応せず、気化したオークのほうを、しばらくぼう然と見つめたあと、やがて空を見上げて声を震わせた。
「わたし……生きてる」
 そう言って、顔を覆い、しばらく嗚咽していたが、突然、目線を戻して、レーヴを睨んだ。
「あんた、さっきの何っ?どうやって飛んだのっ?」
 隠すことはあきらめ、重力制御を使ったのだと正直に告げると、マスターオークと対峙したときと同じくらい、大きく目を見開いた。
「あんたがレネゲードっ?ウソだよ。だって、授業で検査をしてるの、見てたんだ。っていうか、アビリティで体を浮かせるなんて、聞いたことないっ」
 興奮したように、早口にまくし立てる横で、投げ捨てた革の小袋を拾い上げ、中身を見せながら事情を説明すると、彼女は霊石を手にして、感心したように光に透かせた。
「エーテル供給を制限できるユニークなんて初耳だよ。それにしても、ずいぶん立派な石だけど――これをあんたに託した人もレネゲードってこと?」
「ええ、そうです。師匠、という立場になるのかな。それはともかく、ひとまず、ここから離れませんか。立てますか?」
 手を取ったが、彼女は膝をついただけで、首を振った。
「ダメ。脚に力が入らない」
「だったら、おんぶしますよ」
「そんなの――もっとダメ」
「どうしてです?他にも獣鬼がいないとは言えませんよ」
 だが、それには返事をせず、視線を落として、スカートの上に両手を置いた。
 ああ、そういうことか。
「オレの服は仕事着ですし、少しくらい濡れても、洗えば何の問題もないですけど――」
「それ、どういう意味っ?濡れるって何っ!」
 彼女は顔を真っ赤にして文句を言ったが、直後に風で木の葉が揺れる音がすると、今度は「ひいっ」と、レーヴにすり寄った。
「わかったから。さっさと連れて帰って。あと、その前に――」
 周囲を気にしながらも、彼女は黒灰石と、抜け殻を拾うようレーヴに指示をした。
 草むらで探し当てた石は、筋が三本見えた。
「道理で桁違いの大きさだったわけですね。さ、どうぞ背中に」
 それでもしばらく躊躇していたが、やがて無言でレーヴの肩ごしに腕を回した。
 その体は想像していたより軽かった。
 密着した腰のあたりがひんやりとして、おそらくはそれを恥じたのだろう、彼女は体を浮かせようとしたが、無理やり腕でそれを制すると、あきらめたように、動かなくなった。
 ときどきずり落ちそうになるのを持ち上げ、半分ほどの距離を戻った頃、アンナリーズはそれまでとは別人のように、落ち着いた声を出した。
「どうしてレネゲードの道を選んだの?重力制御で自分の体を浮かせて戦えるようなソーサラーなんて、過去にいなかったと思うけど。それも無詠唱で。どこの国に行っても間違いなく、エキスパート並みに重用されるんじゃないかな」
「そんな力があることに気づいたのが、そもそも最近のことなんです。それに、他にも色々と事情があって。それで、お願いがあるんですが。できれば、このことは秘密にしていただけませんか」
 性格を完全に把握しているわけではない。どんな答えを返すのか、背中に集中していると、首の横からすっと手が伸びてきた。
「黒灰石、見せて」
 ポケットを探り、それを差し出すと、アンナリーズは、「すごい」と感嘆の声をもらした。
「三周で、しかもこの大きさなんて。エリクサーが何本も作れるよ」
「夏休みの課題になりますか?」
「それは無理だよ。どうやって手に入れたのか、間違いなく問いただされるけど――絶対に答えられないんだから」
 彼女は絶対に、の部分に力を込めた。それがつまり、レーヴの質問に対する答えということらしい。
 その事実を盾に脅される、という展開も、わずかながら想像していただけに、ほっと息をついたその直後、胸にあった腕が、首のあたりに移動してきた。
「あの、ちょっと苦しいんですけど」
「教えなさい。前に待ってる人がいるって、言ってたよね。もしかして、さっきの霊石をくれたレネゲードがその人ってこと?女なの?」
 これまでそんな鋭さを見せたことなどないはずなのに――。記憶力と洞察力が、突如として、常人レベルを超えてきた。返事をできずにいると、さらに首が絞まる。
「く、苦しい……」
「前にわたしの柔肌を見たバツだよ。お父様にだって見せたことないのに」
 そう言って、アンナリーズは体をぎゅっと密着させた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

42歳メジャーリーガー、異世界に転生。チートは無いけど、魔法と元日本最高級の豪速球で無双したいと思います。

町島航太
ファンタジー
 かつて日本最強投手と持て囃され、MLBでも大活躍した佐久間隼人。  しかし、老化による衰えと3度の靭帯損傷により、引退を余儀なくされてしまう。  失意の中、歩いていると球団の熱狂的ファンからポストシーズンに行けなかった理由と決めつけられ、刺し殺されてしまう。  だが、目を再び開くと、魔法が存在する世界『異世界』に転生していた。

【完結】婚活に疲れた救急医まだ見ぬ未来の嫁ちゃんを求めて異世界へ行く

川原源明
ファンタジー
 伊東誠明(いとうまさあき)35歳  都内の大学病院で救命救急センターで医師として働いていた。仕事は順風満帆だが、プライベートを満たすために始めた婚活も運命の女性を見つけることが出来ないまま5年の月日が流れた。  そんな時、久しぶりに命の恩人であり、医師としての師匠でもある秋津先生を見かけ「良い人を紹介してください」と伝えたが、良い答えは貰えなかった。  自分が居る救命救急センターの看護主任をしている萩原さんに相談してみてはと言われ、職場に戻った誠明はすぐに萩原さんに相談すると、仕事後によく当たるという占いに行くことになった。  終業後、萩原さんと共に占いの館を目指していると、萩原さんから不思議な事を聞いた。「何か深い悩みを抱えてない限りたどり着けないとい」という、不安な気持ちになりつつも、占いの館にたどり着いた。  占い師の老婆から、運命の相手は日本に居ないと告げられ、国際結婚!?とワクワクするような答えが返ってきた。色々旅支度をしたうえで、3日後再度占いの館に来るように指示された。  誠明は、どんな辺境の地に行っても困らないように、キャンプ道具などの道具から、食材、手術道具、薬等買える物をすべてそろえてた。  3日後占いの館を訪れると。占い師の老婆から思わぬことを言われた。国際結婚ではなく、異世界結婚だと判明し、行かなければ生涯独身が約束されると聞いて、迷わず行くという選択肢を取った。  異世界転移から始まる運命の嫁ちゃん探し、誠明は無事理想の嫁ちゃんを迎えることが出来るのか!?  異世界で、医師として活動しながら婚活する物語! 全90話+幕間予定 90話まで作成済み。

異世界ハーレム漫遊記

けんもも
ファンタジー
ある日、突然異世界に紛れ込んだ主人公。 異世界の知識が何もないまま、最初に出会った、兎族の美少女と旅をし、成長しながら、異世界転移物のお約束、主人公のチート能力によって、これまたお約束の、ハーレム状態になりながら、転生した異世界の謎を解明していきます。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

転生5回目!? こ、今世は楽しく長生きします! 

実川えむ
ファンタジー
猫獣人のロジータ、10歳。 冒険者登録して初めての仕事で、ダンジョンのポーターを務めることになったのに、 なぜか同行したパーティーメンバーによって、ダンジョンの中の真っ暗闇の竪穴に落とされてしまった。 「なーんーでーっ!」 落下しながら、ロジータは前世の記憶というのを思い出した。 ただそれが……前世だけではなく、前々々々世……4回前? の記憶までも思い出してしまった。 ここから、ロジータのスローなライフを目指す、波乱万丈な冒険が始まります。 ご都合主義なので、スルーと流して読んで頂ければありがたいです。 セルフレイティングは念のため。

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

修復スキルで無限魔法!?

lion
ファンタジー
死んで転生、よくある話。でももらったスキルがいまいち微妙……。それなら工夫してなんとかするしかないじゃない!

処理中です...