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【第四章、表紙絵】
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マスターオークが、傷口を気にして目線がそれ、その動きが予定外の事態を引き起こす。
相手は、届かない高さにいるレーヴではなく、確実に倒せる対象に、再び関心を寄せたのだ。
おそらく獣鬼と視線が交差したのだろう、アンナリーズから血の気が引くのが見えた。
這ったまま逆方向に逃げようとしたが、敵のわずか一歩で真うしろまで迫られる。
振り向いたその美しい顔が、死を感じて歪み、声にならない絶叫を上げるのを見ても、レーヴがまだ冷静さを保てていたのは、過去に戦闘の経験があったからだと思う。
獣鬼の俊敏性は、確かに人とは比較にならないが、唯一、無防備になる瞬間があるのを知っていた。
それは、獲物を襲うときだ。
マスターオークが腕を振り上げるのと同時に、手にあった剣を首元狙って投げ下ろし、同時に加速させた。
またしても、アビリティの加減を誤ってしまったのだろう、剣は一瞬で地面に突き刺さった。
少し遅れて、獣鬼の首が、その体から静かに離れて落下し、過去にないほどの大きな外皮を残して蒸発した。
アンナリーズの元に着地したとき、彼女は目と口を開き、どちらからも液体を垂れ流していた。
「ケガはありませんか?」
肩に手を添え、ハンカチを差し出した。
彼女はそれには反応せず、気化したオークのほうを、しばらくぼう然と見つめたあと、やがて空を見上げて声を震わせた。
「わたし……生きてる」
そう言って、顔を覆い、しばらく嗚咽していたが、突然、目線を戻して、レーヴを睨んだ。
「あんた、さっきの何っ?どうやって飛んだのっ?」
隠すことはあきらめ、重力制御を使ったのだと正直に告げると、マスターオークと対峙したときと同じくらい、大きく目を見開いた。
「あんたがレネゲードっ?ウソだよ。だって、授業で検査をしてるの、見てたんだ。っていうか、アビリティで体を浮かせるなんて、聞いたことないっ」
興奮したように、早口にまくし立てる横で、投げ捨てた革の小袋を拾い上げ、中身を見せながら事情を説明すると、彼女は霊石を手にして、感心したように光に透かせた。
「エーテル供給を制限できるユニークなんて初耳だよ。それにしても、ずいぶん立派な石だけど――これをあんたに託した人もレネゲードってこと?」
「ええ、そうです。師匠、という立場になるのかな。それはともかく、ひとまず、ここから離れませんか。立てますか?」
手を取ったが、彼女は膝をついただけで、首を振った。
「ダメ。脚に力が入らない」
「だったら、おんぶしますよ」
「そんなの――もっとダメ」
「どうしてです?他にも獣鬼がいないとは言えませんよ」
だが、それには返事をせず、視線を落として、スカートの上に両手を置いた。
ああ、そういうことか。
「オレの服は仕事着ですし、少しくらい濡れても、洗えば何の問題もないですけど――」
「それ、どういう意味っ?濡れるって何っ!」
彼女は顔を真っ赤にして文句を言ったが、直後に風で木の葉が揺れる音がすると、今度は「ひいっ」と、レーヴにすり寄った。
「わかったから。さっさと連れて帰って。あと、その前に――」
周囲を気にしながらも、彼女は黒灰石と、抜け殻を拾うようレーヴに指示をした。
草むらで探し当てた石は、筋が三本見えた。
「道理で桁違いの大きさだったわけですね。さ、どうぞ背中に」
それでもしばらく躊躇していたが、やがて無言でレーヴの肩ごしに腕を回した。
その体は想像していたより軽かった。
密着した腰のあたりがひんやりとして、おそらくはそれを恥じたのだろう、彼女は体を浮かせようとしたが、無理やり腕でそれを制すると、あきらめたように、動かなくなった。
ときどきずり落ちそうになるのを持ち上げ、半分ほどの距離を戻った頃、アンナリーズはそれまでとは別人のように、落ち着いた声を出した。
「どうしてレネゲードの道を選んだの?重力制御で自分の体を浮かせて戦えるようなソーサラーなんて、過去にいなかったと思うけど。それも無詠唱で。どこの国に行っても間違いなく、エキスパート並みに重用されるんじゃないかな」
「そんな力があることに気づいたのが、そもそも最近のことなんです。それに、他にも色々と事情があって。それで、お願いがあるんですが。できれば、このことは秘密にしていただけませんか」
性格を完全に把握しているわけではない。どんな答えを返すのか、背中に集中していると、首の横からすっと手が伸びてきた。
「黒灰石、見せて」
ポケットを探り、それを差し出すと、アンナリーズは、「すごい」と感嘆の声をもらした。
「三周で、しかもこの大きさなんて。エリクサーが何本も作れるよ」
「夏休みの課題になりますか?」
「それは無理だよ。どうやって手に入れたのか、間違いなく問いただされるけど――絶対に答えられないんだから」
彼女は絶対に、の部分に力を込めた。それがつまり、レーヴの質問に対する答えということらしい。
その事実を盾に脅される、という展開も、わずかながら想像していただけに、ほっと息をついたその直後、胸にあった腕が、首のあたりに移動してきた。
「あの、ちょっと苦しいんですけど」
「教えなさい。前に待ってる人がいるって、言ってたよね。もしかして、さっきの霊石をくれたレネゲードがその人ってこと?女なの?」
これまでそんな鋭さを見せたことなどないはずなのに――。記憶力と洞察力が、突如として、常人レベルを超えてきた。返事をできずにいると、さらに首が絞まる。
「く、苦しい……」
「前にわたしの柔肌を見たバツだよ。お父様にだって見せたことないのに」
そう言って、アンナリーズは体をぎゅっと密着させた。
相手は、届かない高さにいるレーヴではなく、確実に倒せる対象に、再び関心を寄せたのだ。
おそらく獣鬼と視線が交差したのだろう、アンナリーズから血の気が引くのが見えた。
這ったまま逆方向に逃げようとしたが、敵のわずか一歩で真うしろまで迫られる。
振り向いたその美しい顔が、死を感じて歪み、声にならない絶叫を上げるのを見ても、レーヴがまだ冷静さを保てていたのは、過去に戦闘の経験があったからだと思う。
獣鬼の俊敏性は、確かに人とは比較にならないが、唯一、無防備になる瞬間があるのを知っていた。
それは、獲物を襲うときだ。
マスターオークが腕を振り上げるのと同時に、手にあった剣を首元狙って投げ下ろし、同時に加速させた。
またしても、アビリティの加減を誤ってしまったのだろう、剣は一瞬で地面に突き刺さった。
少し遅れて、獣鬼の首が、その体から静かに離れて落下し、過去にないほどの大きな外皮を残して蒸発した。
アンナリーズの元に着地したとき、彼女は目と口を開き、どちらからも液体を垂れ流していた。
「ケガはありませんか?」
肩に手を添え、ハンカチを差し出した。
彼女はそれには反応せず、気化したオークのほうを、しばらくぼう然と見つめたあと、やがて空を見上げて声を震わせた。
「わたし……生きてる」
そう言って、顔を覆い、しばらく嗚咽していたが、突然、目線を戻して、レーヴを睨んだ。
「あんた、さっきの何っ?どうやって飛んだのっ?」
隠すことはあきらめ、重力制御を使ったのだと正直に告げると、マスターオークと対峙したときと同じくらい、大きく目を見開いた。
「あんたがレネゲードっ?ウソだよ。だって、授業で検査をしてるの、見てたんだ。っていうか、アビリティで体を浮かせるなんて、聞いたことないっ」
興奮したように、早口にまくし立てる横で、投げ捨てた革の小袋を拾い上げ、中身を見せながら事情を説明すると、彼女は霊石を手にして、感心したように光に透かせた。
「エーテル供給を制限できるユニークなんて初耳だよ。それにしても、ずいぶん立派な石だけど――これをあんたに託した人もレネゲードってこと?」
「ええ、そうです。師匠、という立場になるのかな。それはともかく、ひとまず、ここから離れませんか。立てますか?」
手を取ったが、彼女は膝をついただけで、首を振った。
「ダメ。脚に力が入らない」
「だったら、おんぶしますよ」
「そんなの――もっとダメ」
「どうしてです?他にも獣鬼がいないとは言えませんよ」
だが、それには返事をせず、視線を落として、スカートの上に両手を置いた。
ああ、そういうことか。
「オレの服は仕事着ですし、少しくらい濡れても、洗えば何の問題もないですけど――」
「それ、どういう意味っ?濡れるって何っ!」
彼女は顔を真っ赤にして文句を言ったが、直後に風で木の葉が揺れる音がすると、今度は「ひいっ」と、レーヴにすり寄った。
「わかったから。さっさと連れて帰って。あと、その前に――」
周囲を気にしながらも、彼女は黒灰石と、抜け殻を拾うようレーヴに指示をした。
草むらで探し当てた石は、筋が三本見えた。
「道理で桁違いの大きさだったわけですね。さ、どうぞ背中に」
それでもしばらく躊躇していたが、やがて無言でレーヴの肩ごしに腕を回した。
その体は想像していたより軽かった。
密着した腰のあたりがひんやりとして、おそらくはそれを恥じたのだろう、彼女は体を浮かせようとしたが、無理やり腕でそれを制すると、あきらめたように、動かなくなった。
ときどきずり落ちそうになるのを持ち上げ、半分ほどの距離を戻った頃、アンナリーズはそれまでとは別人のように、落ち着いた声を出した。
「どうしてレネゲードの道を選んだの?重力制御で自分の体を浮かせて戦えるようなソーサラーなんて、過去にいなかったと思うけど。それも無詠唱で。どこの国に行っても間違いなく、エキスパート並みに重用されるんじゃないかな」
「そんな力があることに気づいたのが、そもそも最近のことなんです。それに、他にも色々と事情があって。それで、お願いがあるんですが。できれば、このことは秘密にしていただけませんか」
性格を完全に把握しているわけではない。どんな答えを返すのか、背中に集中していると、首の横からすっと手が伸びてきた。
「黒灰石、見せて」
ポケットを探り、それを差し出すと、アンナリーズは、「すごい」と感嘆の声をもらした。
「三周で、しかもこの大きさなんて。エリクサーが何本も作れるよ」
「夏休みの課題になりますか?」
「それは無理だよ。どうやって手に入れたのか、間違いなく問いただされるけど――絶対に答えられないんだから」
彼女は絶対に、の部分に力を込めた。それがつまり、レーヴの質問に対する答えということらしい。
その事実を盾に脅される、という展開も、わずかながら想像していただけに、ほっと息をついたその直後、胸にあった腕が、首のあたりに移動してきた。
「あの、ちょっと苦しいんですけど」
「教えなさい。前に待ってる人がいるって、言ってたよね。もしかして、さっきの霊石をくれたレネゲードがその人ってこと?女なの?」
これまでそんな鋭さを見せたことなどないはずなのに――。記憶力と洞察力が、突如として、常人レベルを超えてきた。返事をできずにいると、さらに首が絞まる。
「く、苦しい……」
「前にわたしの柔肌を見たバツだよ。お父様にだって見せたことないのに」
そう言って、アンナリーズは体をぎゅっと密着させた。
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