23 / 82
【第二章、エステルハージ家と士官学校】
2-4
しおりを挟む
翌朝、窓の外が暗い中、テオを起こさぬよう、部屋をあとにした。
大きな音の出る作業はできない。
人のいない場所から掃除を始めてしばらく、一番の鐘が鳴った。
廊下と窓、それから調理場と食堂を拭き終えた頃、ヘンドリカが眠そうに姿を現した。
テーブルに細い手をすべらせ、その指先をじっと見た。
「毎朝、こんなことをするつもりですか」
「お世話になっていますから」
「殊勝なことですが、見返りは期待しないように」
約束通り、ヘンドリカの部屋の片付けにも取りかかる。使用人の部屋とは思えないほどに汚れていて、虫はもちろん、鳩の死骸を見つけたときには、さすがに目を疑った。
それが終わると、続いて朝食の準備だ。
料理をワゴンで運んでいると、最初に辺境伯が、遅れてアンナリーズが姿を見せた。
彼女は制服姿のレーヴを見て、激しく顔を歪めたかと思うと、すれ違いざまに、耳元でこうささやいた。
「お前、学校でわたしに話しかけたら殺すよ」
そうは言われても、初日だけは、道順を知る必要がある。食器の片付けの途中、膝上のスカートを風になびかせ、姿勢良く歩いていく彼女を窓の外に見つけ、大慌てで屋敷をあとにした。
できるだけ姿を見せないように尾行して半時ほど、初夏の日差しに汗がにじんだ頃、雑木の中に現れたのは、歴史を感じさせる、二階建ての立派な建造物だった。
建物が二棟、Lの字型に連なっていて、短いほうはどうやら寄宿舎のようだ。窓から身支度をする生徒の姿が見えた。
授業開始までには時間があり、中庭の大きな木を背に、本を読む生徒や、校庭で球遊びに興じる者たち。
年齢層は幅広く、まだ幼さの残る童顔の子から、大人かと見紛う生徒まで見えた。
最初に教員たちの待機所に向かう。
中にいたのは三人だけだった。
一番奥で、眼鏡をかけ、偉そうにタバコを吸っている中年の男が、おそらく校長だろう。
挨拶のために前に立つと、レーヴの目を見ながら煙をはいた。
「辺境伯が責任を持つというから、仕方なく許可しましたが――。平民だということを忘れるないように。問題を起こしたら、すぐに退学させますからね」
一方的にそれだけ言うと、背もたれに重心をかけ、顔を隠すように新聞を広げた。
学費を払う客という立場でもあるはずなのに、貴族たちの階級意識は何よりも優先するということのようだ。
きっと教室でも似たような立場になるのだろう。
ぞんざいな扱いを受けることが愉快ということはもちろんなかったが、当面の目的はルノアとの再会を待つことなのだと、反抗心をどうにか鎮めながら残りの二人の元へと行った。
剣術科の担当は、ディーデという日焼けした体格のいい男だった。
「貴様が少尉殿推薦の平民か。こんな時期に珍しいな。他の生徒より、半年遅れているから、最初はきついと思うが、まあ頑張れ」
そう言って、がははと笑った。
最後が様式科担当のアマンダ。校長より年上の女で、柔和な雰囲気だ。
「今朝の講義は私が行います。一緒に参りましょう」
校内にいる全員が敵対的なのかと覚悟していた分、二人の態度に思わずほっと胸をなで下ろした。
教室への道すがら、最初の印象そのままに、優しい語り口で彼女は学校の説明をしてくれた。
生徒数は全部で五十人ほど。年齢には制限がなく、一番下は、十二歳の子がいるし、二十を越えてから入学する生徒もいるという。
平民の子供は十人程度で、ほとんどは貴族と士族だ。
理由は経済的なものだろう。授業料、特に入学金が、庶民には高額なのだ。
「授業は、基本的に午前は講義、午後は科目に分かれての実技になります」
座学は校長のスミスを含め、三人が分担する。
ソーサラーは圧倒的に数が少ないはずで、ほとんどの生徒が剣術専攻だと想像していたが、アンナリーズを含めて、製薬や素材研究などの理説を学ぶために、様式科に所属している人間も半分近くいるという。
落第がなければ四年程度で卒業になる。
「ここがあなたが卒業まで学ぶことになる学び舎です」
着いたのは、校舎の一階にある教室の一つだった。
中に入ると、そうあってほしくはなかったが――そっぽを向くアンナリーズが見えて、軽く緊張した。
転校生について、事前に情報が伝わっているのか、誰も騒ぐ様子がない。
予想通りというべきか、まるで歓迎されている気配はなく、紹介されたあとに、男子生徒から飛んできた声で、そのあたりの事情がはっきりした。
「領主さんのところの孤児なんだってな。どうせ盗みをして、すぐいなくなるんだろうけど。そうだよな、アンナリーズ・テューダー」
教室にいる生徒が、一人を除いて、いっせいに笑い声をあげた。
屋敷に出入りする業者は少なくない。人の口に戸は立てられぬというわけか。
名指しされた生徒は、返事をせず、不機嫌そうに窓を向いたまま、振り返ることはなかった。
大きな音の出る作業はできない。
人のいない場所から掃除を始めてしばらく、一番の鐘が鳴った。
廊下と窓、それから調理場と食堂を拭き終えた頃、ヘンドリカが眠そうに姿を現した。
テーブルに細い手をすべらせ、その指先をじっと見た。
「毎朝、こんなことをするつもりですか」
「お世話になっていますから」
「殊勝なことですが、見返りは期待しないように」
約束通り、ヘンドリカの部屋の片付けにも取りかかる。使用人の部屋とは思えないほどに汚れていて、虫はもちろん、鳩の死骸を見つけたときには、さすがに目を疑った。
それが終わると、続いて朝食の準備だ。
料理をワゴンで運んでいると、最初に辺境伯が、遅れてアンナリーズが姿を見せた。
彼女は制服姿のレーヴを見て、激しく顔を歪めたかと思うと、すれ違いざまに、耳元でこうささやいた。
「お前、学校でわたしに話しかけたら殺すよ」
そうは言われても、初日だけは、道順を知る必要がある。食器の片付けの途中、膝上のスカートを風になびかせ、姿勢良く歩いていく彼女を窓の外に見つけ、大慌てで屋敷をあとにした。
できるだけ姿を見せないように尾行して半時ほど、初夏の日差しに汗がにじんだ頃、雑木の中に現れたのは、歴史を感じさせる、二階建ての立派な建造物だった。
建物が二棟、Lの字型に連なっていて、短いほうはどうやら寄宿舎のようだ。窓から身支度をする生徒の姿が見えた。
授業開始までには時間があり、中庭の大きな木を背に、本を読む生徒や、校庭で球遊びに興じる者たち。
年齢層は幅広く、まだ幼さの残る童顔の子から、大人かと見紛う生徒まで見えた。
最初に教員たちの待機所に向かう。
中にいたのは三人だけだった。
一番奥で、眼鏡をかけ、偉そうにタバコを吸っている中年の男が、おそらく校長だろう。
挨拶のために前に立つと、レーヴの目を見ながら煙をはいた。
「辺境伯が責任を持つというから、仕方なく許可しましたが――。平民だということを忘れるないように。問題を起こしたら、すぐに退学させますからね」
一方的にそれだけ言うと、背もたれに重心をかけ、顔を隠すように新聞を広げた。
学費を払う客という立場でもあるはずなのに、貴族たちの階級意識は何よりも優先するということのようだ。
きっと教室でも似たような立場になるのだろう。
ぞんざいな扱いを受けることが愉快ということはもちろんなかったが、当面の目的はルノアとの再会を待つことなのだと、反抗心をどうにか鎮めながら残りの二人の元へと行った。
剣術科の担当は、ディーデという日焼けした体格のいい男だった。
「貴様が少尉殿推薦の平民か。こんな時期に珍しいな。他の生徒より、半年遅れているから、最初はきついと思うが、まあ頑張れ」
そう言って、がははと笑った。
最後が様式科担当のアマンダ。校長より年上の女で、柔和な雰囲気だ。
「今朝の講義は私が行います。一緒に参りましょう」
校内にいる全員が敵対的なのかと覚悟していた分、二人の態度に思わずほっと胸をなで下ろした。
教室への道すがら、最初の印象そのままに、優しい語り口で彼女は学校の説明をしてくれた。
生徒数は全部で五十人ほど。年齢には制限がなく、一番下は、十二歳の子がいるし、二十を越えてから入学する生徒もいるという。
平民の子供は十人程度で、ほとんどは貴族と士族だ。
理由は経済的なものだろう。授業料、特に入学金が、庶民には高額なのだ。
「授業は、基本的に午前は講義、午後は科目に分かれての実技になります」
座学は校長のスミスを含め、三人が分担する。
ソーサラーは圧倒的に数が少ないはずで、ほとんどの生徒が剣術専攻だと想像していたが、アンナリーズを含めて、製薬や素材研究などの理説を学ぶために、様式科に所属している人間も半分近くいるという。
落第がなければ四年程度で卒業になる。
「ここがあなたが卒業まで学ぶことになる学び舎です」
着いたのは、校舎の一階にある教室の一つだった。
中に入ると、そうあってほしくはなかったが――そっぽを向くアンナリーズが見えて、軽く緊張した。
転校生について、事前に情報が伝わっているのか、誰も騒ぐ様子がない。
予想通りというべきか、まるで歓迎されている気配はなく、紹介されたあとに、男子生徒から飛んできた声で、そのあたりの事情がはっきりした。
「領主さんのところの孤児なんだってな。どうせ盗みをして、すぐいなくなるんだろうけど。そうだよな、アンナリーズ・テューダー」
教室にいる生徒が、一人を除いて、いっせいに笑い声をあげた。
屋敷に出入りする業者は少なくない。人の口に戸は立てられぬというわけか。
名指しされた生徒は、返事をせず、不機嫌そうに窓を向いたまま、振り返ることはなかった。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
万年Fランク冒険者は成り上がる ~僕のスキルの正しい使用法~
ルー
ファンタジー
13歳の時に冒険者登録をして2年。セイカは2年間一度も戦闘系のクエストをクリアしていなかった。採集クエストで得られる報酬ではランクアップには程遠かった。同期の友人たちはすでにCランクに達していた。またセイカが戦闘系のクエストを受けることを躊躇う理由はセイカのステータス値だけでなくセイカの持つスキルが原因だった。セイカの持つスキルは「全ステータス強化」と「召喚者(テイマー)」だった。しかしひょんなことからセイカは自分の持つスキルの重要性を知った。
転生貴族可愛い弟妹連れて開墾します!~弟妹は俺が育てる!~
桜月雪兎
ファンタジー
祖父に勘当された叔父の襲撃を受け、カイト・ランドール伯爵令息は幼い弟妹と幾人かの使用人たちを連れて領地の奥にある魔の森の隠れ家に逃げ込んだ。
両親は殺され、屋敷と人の住まう領地を乗っ取られてしまった。
しかし、カイトには前世の記憶が残っており、それを活用して魔の森の開墾をすることにした。
幼い弟妹をしっかりと育て、ランドール伯爵家を取り戻すために。
2回目チート人生、まじですか
ゆめ
ファンタジー
☆☆☆☆☆
ある普通の田舎に住んでいる一之瀬 蒼涼はある日異世界に勇者として召喚された!!!しかもクラスで!
わっは!!!テンプレ!!!!
じゃない!!!!なんで〝また!?〟
実は蒼涼は前世にも1回勇者として全く同じ世界へと召喚されていたのだ。
その時はしっかり魔王退治?
しましたよ!!
でもね
辛かった!!チートあったけどいろんな意味で辛かった!大変だったんだぞ!!
ということで2回目のチート人生。
勇者じゃなく自由に生きます?
異世界転移したので、のんびり楽しみます。
ゆーふー
ファンタジー
信号無視した車に轢かれ、命を落としたことをきっかけに異世界に転移することに。異世界で長生きするために主人公が望んだのは、「のんびり過ごせる力」
主人公は神様に貰った力でのんびり平和に長生きできるのか。
料理人がいく!
八神
ファンタジー
ある世界に天才料理人がいた。
↓
神にその腕を認められる。
↓
なんやかんや異世界に飛ばされた。
↓
ソコはレベルやステータスがあり、HPやMPが見える世界。
↓
ソコの食材を使った料理を極めんとする事10年。
↓
主人公の住んでる山が戦場になる。
↓
物語が始まった。
婚約破棄された悪役令嬢ですが、闇魔法を手に聖女に復讐します
ごぶーまる
ファンタジー
突然身に覚えのない罪で、皇太子との婚約を破棄されてしまったアリシア。皇太子は、アリシアに嫌がらせをされたという、聖女マリアとの婚約を代わりに発表。
マリアが裏で手を引いたに違いないと判断したアリシアは、持ち前の闇魔法を使い、マリアへの報復を決意するが……?
読み切り短編です
そちらがその気なら、こちらもそれなりに。
直野 紀伊路
恋愛
公爵令嬢アレクシアの婚約者・第一王子のヘイリーは、ある日、「子爵令嬢との真実の愛を見つけた!」としてアレクシアに婚約破棄を突き付ける。
それだけならまだ良かったのだが、よりにもよって二人はアレクシアに冤罪をふっかけてきた。
真摯に謝罪するなら潔く身を引こうと思っていたアレクシアだったが、「自分達の愛の為に人を貶めることを厭わないような人達に、遠慮することはないよね♪」と二人を返り討ちにすることにした。
※小説家になろう様で掲載していたお話のリメイクになります。
リメイクですが土台だけ残したフルリメイクなので、もはや別のお話になっております。
※カクヨム様、エブリスタ様でも掲載中。
…ºo。✵…𖧷''☛Thank you ☚″𖧷…✵。oº…
☻2021.04.23 183,747pt/24h☻
★HOTランキング2位
★人気ランキング7位
たくさんの方にお読みいただけてほんと嬉しいです(*^^*)
ありがとうございます!
イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で最強に・・・(旧:学園最強に・・・)
こたろう文庫
ファンタジー
カクヨムにて日間・週間共に総合ランキング1位!
死神が間違えたせいで俺は死んだらしい。俺にそう説明する神は何かと俺をイラつかせる。異世界に転生させるからスキルを選ぶように言われたので、神にイラついていた俺は1回しか使えない強奪スキルを神相手に使ってやった。
閑散とした村に子供として転生した為、強奪したスキルのチート度合いがわからず、学校に入学後も無自覚のまま周りを振り回す僕の話
2作目になります。
まだ読まれてない方はこちらもよろしくおねがいします。
「クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる