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【第二章、エステルハージ家と士官学校】

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 翌朝、窓の外が暗い中、テオを起こさぬよう、部屋をあとにした。
 大きな音の出る作業はできない。
 人のいない場所から掃除を始めてしばらく、一番の鐘が鳴った。
 廊下と窓、それから調理場と食堂を拭き終えた頃、ヘンドリカが眠そうに姿を現した。
 テーブルに細い手をすべらせ、その指先をじっと見た。
「毎朝、こんなことをするつもりですか」
「お世話になっていますから」
「殊勝なことですが、見返りは期待しないように」
 約束通り、ヘンドリカの部屋の片付けにも取りかかる。使用人の部屋とは思えないほどに汚れていて、虫はもちろん、鳩の死骸を見つけたときには、さすがに目を疑った。
 それが終わると、続いて朝食の準備だ。
 料理をワゴンで運んでいると、最初に辺境伯が、遅れてアンナリーズが姿を見せた。
 彼女は制服姿のレーヴを見て、激しく顔を歪めたかと思うと、すれ違いざまに、耳元でこうささやいた。
「お前、学校でわたしに話しかけたら殺すよ」
 そうは言われても、初日だけは、道順を知る必要がある。食器の片付けの途中、膝上のスカートを風になびかせ、姿勢良く歩いていく彼女を窓の外に見つけ、大慌てで屋敷をあとにした。
 できるだけ姿を見せないように尾行して半時ほど、初夏の日差しに汗がにじんだ頃、雑木の中に現れたのは、歴史を感じさせる、二階建ての立派な建造物だった。
 建物が二棟、Lの字型に連なっていて、短いほうはどうやら寄宿舎のようだ。窓から身支度をする生徒の姿が見えた。
 授業開始までには時間があり、中庭の大きな木を背に、本を読む生徒や、校庭で球遊びに興じる者たち。
 年齢層は幅広く、まだ幼さの残る童顔の子から、大人かと見紛う生徒まで見えた。
 最初に教員たちの待機所に向かう。
 中にいたのは三人だけだった。
 一番奥で、眼鏡をかけ、偉そうにタバコを吸っている中年の男が、おそらく校長だろう。
 挨拶のために前に立つと、レーヴの目を見ながら煙をはいた。
「辺境伯が責任を持つというから、仕方なく許可しましたが――。平民だということを忘れるないように。問題を起こしたら、すぐに退学させますからね」
 一方的にそれだけ言うと、背もたれに重心をかけ、顔を隠すように新聞を広げた。
 学費を払う客という立場でもあるはずなのに、貴族たちの階級意識は何よりも優先するということのようだ。
 きっと教室でも似たような立場になるのだろう。
 ぞんざいな扱いを受けることが愉快ということはもちろんなかったが、当面の目的はルノアとの再会を待つことなのだと、反抗心をどうにか鎮めながら残りの二人の元へと行った。
 剣術科の担当は、ディーデという日焼けした体格のいい男だった。
「貴様が少尉殿推薦の平民か。こんな時期に珍しいな。他の生徒より、半年遅れているから、最初はきついと思うが、まあ頑張れ」
 そう言って、がははと笑った。
 最後が様式科担当のアマンダ。校長より年上の女で、柔和な雰囲気だ。
「今朝の講義は私が行います。一緒に参りましょう」
 校内にいる全員が敵対的なのかと覚悟していた分、二人の態度に思わずほっと胸をなで下ろした。
 教室への道すがら、最初の印象そのままに、優しい語り口で彼女は学校の説明をしてくれた。
 生徒数は全部で五十人ほど。年齢には制限がなく、一番下は、十二歳の子がいるし、二十を越えてから入学する生徒もいるという。
 平民の子供は十人程度で、ほとんどは貴族と士族だ。
 理由は経済的なものだろう。授業料、特に入学金が、庶民には高額なのだ。
「授業は、基本的に午前は講義、午後は科目に分かれての実技になります」
 座学は校長のスミスを含め、三人が分担する。
 ソーサラーは圧倒的に数が少ないはずで、ほとんどの生徒が剣術専攻だと想像していたが、アンナリーズを含めて、製薬や素材研究などの理説を学ぶために、様式科に所属している人間も半分近くいるという。
 落第がなければ四年程度で卒業になる。
「ここがあなたが卒業まで学ぶことになる学び舎です」
 着いたのは、校舎の一階にある教室の一つだった。
 中に入ると、そうあってほしくはなかったが――そっぽを向くアンナリーズが見えて、軽く緊張した。
 転校生について、事前に情報が伝わっているのか、誰も騒ぐ様子がない。
 予想通りというべきか、まるで歓迎されている気配はなく、紹介されたあとに、男子生徒から飛んできた声で、そのあたりの事情がはっきりした。
「領主さんのところの孤児なんだってな。どうせ盗みをして、すぐいなくなるんだろうけど。そうだよな、アンナリーズ・テューダー」
 教室にいる生徒が、一人を除いて、いっせいに笑い声をあげた。
 屋敷に出入りする業者は少なくない。人の口に戸は立てられぬというわけか。
 名指しされた生徒は、返事をせず、不機嫌そうに窓を向いたまま、振り返ることはなかった。
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