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【第二章、エステルハージ家と士官学校】

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 エステルハージ家の屋敷は、王国との国境から馬車で半日ほど、緩やかに流れる川のほとりにあった。
 少し歩けば森になる、緑豊かな土地だ。
 歴史を感じさせる建物は、灰色の石造りの三階建て。王宮とは違い、窓の装飾などは簡素だ。
 ただ古さとは別に、手入れが行き届いていないように見えた。
 馬車を下りたあと、彼女と二人、曹長を両側から支えながら門を抜けると、どこから見ていたのか、顔を青くした使用人の女が小走りに駆けてきた。
「お嬢様。おケガはありませんかっ?」
「私は大丈夫だ。ジルドも負傷しているが、治療は終わっている」
 曹長を、玄関から遠くない部屋のベッドに寝かせたあと、カトリアが向かったのは、同じ一階にある、天井の高い広間だった。来客用の応接室なのだろう、中央には革製のソファがあり、壁には絵画や、観賞用の武具がかけられている。
 浅く腰かけてしばらく、重厚な扉から姿を見せたのは、いかにも頑固そうな初老の男性だった。
 それを見たカトリアが、緊張した面持ちで席を立ち、レーヴもならった。
「お父様、ただいま戻りました」
 彼はそれには返事をせず、どすんと一人掛けに腰を下ろした。
「シルバーオークを倒したそうだな。しかも二体も」
「はい」
 彼女は、一度レーヴに目線をよこしてから、小さくうなずいた。
「ですが、小隊はジルドを除いて全滅させてしまいました」
「それは残念なことだった。だが、これまでは、ゴブリンかトロール、せいぜいがオークだったと聞いている。そんな上位種の出現など、誰にも予測できなかったのだ。遺族には十分な恩給が与えられるよう、国に申請する」
「感謝いたします」
「それで。獣鬼が海岸線に頻出するようになった原因については、何かわかったのか」
「いえ、それが皆目――」
 カトリアがバツが悪そうに答えると、エステルハージ卿はあからさまに、大きなため息をついた。
「それでは、派兵をやめられないではないか。帝国の脅威になるとはいえ、他国の領地にまで出張るのに、かかる費用も馬鹿にならぬのだぞ」
「おっしゃる通りで――」
 そう言って、彼女は下を向き、唇を軽く噛んだ。
 隣にいる新しい同居人を紹介する役目を忘れているようで、ただ待つのにも飽きてきた。
 少し前に思いついた仮説の評価を聞きたいところでもある。
「あの、具申してもいいですか?」
 辺境伯は、顔は娘に向けたまま、鋭い視線をレーヴに送った。
「誰だ、お前は」
 身元を隠すためとはいえ、見た目は王子とはほど遠い出で立ちだ。貴族が邪険に扱うのは無理からぬことなのだろう。
「お父様、彼は、その――シルバーオークとの戦いで……そうです、協力してくれた少年なのです。名前はレーヴ――」
「レーヴ……エルミオニです」
 エルミオニって――ああ、ルノアの故郷か。
 ただ名乗っただけにも関わらず、相手は眉間にしわを寄せた。
「まさか、また雇いたい、とでも言うつもりではあるまいな。スラム街の人間に、どんな施しをしてやっても、返ってくるのは仇だということは、前の盗っ人で懲りたはずではないのか」
「彼はスラムの出身ではありません。それと、お言葉を返すようですが、前の少年が逃げ出したのは、お父様にも責任の一端があると思います」
「どういう意味だ」
「話し方がぶっきらぼうにすぎるのです。いつも怒ったようなお顔ですし――人間関係で損をされていると思います」
 どこかあきれたように言った彼女を見て、父親の人となりと、二人の関係性をぼんやりと理解した。
 辺境伯は、娘の苦言のあとしばらく無言だったが、やがて眉一つ動かすことなく、レーヴに顔を向けた。
「それで、お前は何を言おうとしていたのだ」
「獣鬼ですが、今後、出現回数は減っていくのではないでしょうか」
「何だと?いったいどんな根拠がある?」
「より正確には、新たな個体は増えないだろうという意味です。つまり、今、国境付近にひそんでいる獣鬼が一掃されれば、それ以上はいないと」
「その根拠を問うておる」
「それは――王国が滅んだから、です」
「何だとっ?」「少年、それは本当かっ?」
 親娘が同時に叫んだ。
「せいぜい、五日ほど前です。オレは王宮の――そばに住んでいたので」
「少年、どうしてそのことを話してくれなかったんだ」
 カトリアは不満そうにそう言った。どうやら、近しい人間には包み隠さず打ち明ける、というのが、彼女の中で親密度を計る物差しになっているらしい。
「すみません。馬車には他にも乗客がいたので……。決してカトリアさんを信頼していないわけじゃないんです」
「にわかには信じられん。ソーサラーを二百以上抱えていた軍が敗れるなどと」
 辺境伯は青ざめた表情で口に手をやり、しばらく何か思案していたが、やがて前のめりになった。
「王国の敗北が事実だとして、獣鬼がいなくなることと、どう関係があるのだ」
「これは少尉殿のご意見から着想を得た、あくまで推測です。国境の獣鬼が、王軍を分散させるための陽動だという前提に立つと、その核心である王都が陥落した今、新たな戦力を確保する必要はなくなったはずです。敵が、いったいどんな手段で獣鬼を集めているのかは不明ですが、簡単なこととは思えませんし、これ以上、そんなリスクを冒すことはなくなると思うんです」
 カトリアとその父は、互いに顔を見合わせた。
「だが――もしそうなら、敵はどうして王都陥落の事実を周辺国に喧伝せんのだ」
「侵略者側も、相当に打撃を受けたから、ではないでしょうか」
 王国が占領されたとなれば、援護や救助を名目に、他国から進軍される可能性がある。
「つまり、今は態勢を立て直しておる、と?」
「おそらくは――。とはいえ、減った兵士を補充するのは、そう簡単ではないでしょうけど」
 戦争が始まったのは昨年の九月。敵は、侵攻のほとんどの期間を、アンテマジックを奪うことに費やしたのではないか。その間、獣鬼を含む、多数の戦力を失っているはずだ。
 アーティファクトを奪い、実際に王宮近くに迫ったのは、最終攻撃の少し前だろう。
 無力化した王宮で、口にするのも恐ろしい、殺戮が行われたに違いない。もしかしたら、そこでも獣鬼が使われた可能性がある。
 恐怖で混乱していたのだと思う、レーヴの中に、絶命する前後の記憶が見つからない。
「辺境伯は相手国についての情報はお持ちなのでしょうか」
旗幟きしを掲げていないことだけは伝わっておる。軍人の矜持のない国となれば、そんなに数はない。王国と伍している戦況を考慮しなければ、真っ先に挙がるのはルーシャだろうがな」
「お父様、情報収集もかね、一両日中に、もう一度コベロス村に出向こうと思います。許可、いただけますか?」
「そうだな――。ちょうど帝都の守備に召集されていた部隊が任を解かれて戻ってきたところだ。十人ほどを連れていけ」
「感謝します。それと、この少年の処遇についてなのですが――」
 彼女がそこで口ごもると、彼は、苦々しげな表情に変わった。
「まあいい。頭は切れるようだ。働き手が足りておらんのは確かだしな」
 部屋を出ると、彼女は大きく息をついた。
「気を悪くしないでくれ。決して悪人ではないのだが――特に身分の低い人間を、ひどく邪険に扱われるのだ。あの年代の人として、仕方のないことなのだが」
 士官学校への編入についても、機嫌のいいときを見計らい、進言してくれると言った。
「何から何までご迷惑をかけて――。本当に助かります」
「何を言う。救われたのはこちらなのだから」
 それから使用人部屋へと案内された。
「園丁のテオと相部屋になる。今は庭で作業中だろう。無口な年寄りで、余計な気を使わなくてすむはずだ。服は、とりあえずそこにあるのを使ってくれ」
 サイズの合わない使用人服に着替え、隣室が料理長と執事の部屋だと説明を受けていたとき、廊下の先に女が通るのが見えた。
「ヘンドリカ。ちょっと来てくれ」
 板張りだったにもかかわらず、足音をほとんど立てずに近づいてきたのは、最初に屋敷に着いたときに見た使用人の女だった。
「紹介するよ。一緒に住むことになったレーヴだ。で、彼女はヘンドリカ。使用人頭で、屋敷のことでわからないことがあれば、何でも聞くといい」
 カトリアは、レーヴが住み込みで働きながら、昼間は学校に通うこと、そして、その入学の手続きをするよう彼女に指示をした。
 巻き毛で肌が浅黒く、異国情緒の雰囲気を持つヘンドリカは、人形のように眉一つ動かさずに聞いていたが、説明が終わると、くるりと背を向けた。
「ついてきて下さい。早速、今日の夕食の仕度から手伝ってもらいます」
 カトリアだけは別だが、この屋敷の住人は、社交性の足りない人間が多い気がする。当主の影響だろうか。
 先行きを不安に感じながら、あとに続こうとしたときだった。
「カトリア姉様っ」
 背中から若い女の声が響いた。続けて、駆けて来る足音のあと、周囲に柑橘系の香りが広がる。
 振り返ると、肩口まで広がるアッシュブロンドで、美しい顔立ちの少女が、カトリアに向かって抱きつくところだった。
 年はおそらくレーヴとそう変わらず、金の縁取りで、規律と気品漂う、上下揃いの制服を身にまとっている。
「姉様が武勲をあげたこと、もう学校でも噂になってるよ」
 容姿からは想像できない少年のような言葉遣いで、カトリアを見上げる蒼い相貌には、尊敬の光が宿っていた。
「アンナリーズ。元気そうで何よりだ。学校からの帰りか」
「課題をせずに、一目散に戻ってきたんだ」
 レーヴは、二人からさほど離れていないところにいたにも関わらず、そこに誰もいないかのように、アンナリーズと呼ばれた少女は振る舞った。辺境伯もそうだが、どうやらこの国の貴族は、階級意識がやたら高いらしい。
「何をしているのです。さっさと来なさい」
 ヘンドリカの強い口調に、慌ててあとを追った。
 あまり居心地の良さそうな雰囲気ではないが――帰るべき家どころか、国を失った立場だ。
 衣食住に加え、働く場と、さらには学校の手配までしてくれる環境に、文句を言えるはずもなかった。
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