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4、仁(心のままに出発)

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「いちごを食べさせる女。」

 なにそれ、と誰かが言った。僕もよくわからないや、と仁は言って笑った。

 朝の十時。
 肌寒いような、心地よいような。風が緑色に透き通って流れているような京都の街で、宿舎の外にたむろしている。二日目のスケジュール開始。五、六人で班を作って、みんなで観光地を回りましょう。そういう計画だ。

 仁たちの所属は四班。リーダーは当然の如くに、仁。サブリーダーも当然の如くに、ちす。
 会計係の柚乃斗を待っている間、残りの五人は適当にだらだらしていた。ぽちぽち、とリーダーの仁からしてスマホをいじっているので、他のメンバーの空気も緩い。

 ふと、仁のスマホに黒い胡麻粒みたいな文字がびっしり表示されているのを見て、「何読んでるの?」と聞いたのが梅であり。それに仁が答えたところだった。梅が、すっと首を傾げて、さらに尋ねた。

「面白い?」
「ホラー小説だよ。」
「え。」
「うそうそ。ホラーって銘打ってるけど、全然怖くない。ちょっとした子供向けの絵本みたいなものだから。」
「仁がそういうこと言うと発言に裏がある気がして余計に怖くなる……」
「んっ?」

 ちょっとびっくりして、仁は顔を上げた。ほら、そのキョトンとした顔が、と言われる。そういう顔するやつに限って、腹の中が真っ黒だったりするんだよ、と。

 仁は驚いて梅に聞き返す。え、そうなの? 梅はうん、と答える。漫画とかアニメとかでは特にそうだよ。いや待って、僕、現実世界に生きてるんですけど。そうだけど、でもファンタジー世界は現実を抽出して化学反応を促して完成するものだから、つまり非現実の物語だって元はと言えば現実から生まれるものであり、すなわちうんたらかんたら。梅の弁舌もなめらかに続く。

 思わず苦笑いが漏れた。うーん、腹の中が真っ黒とか心外だなー、と言えば、ここにちすや森さんまで便乗してきた。

「いや、梅の言い分はすごくよくわかる。」
「仁みたいなキャラは影を抱えてる方がバランス取れてていい感じに仕上がるんだよね。いかにも悪そうなやつを悪くすると悪役の魅力ってのが出ないから。表の顔を明るくするか、超賢くてクールに仕上げるか、逆に悪者だけど空回りして愛嬌が出てるキャラにするかのどれかが基本かな。もちろん仁は一番目のパターンで。」
「だから僕を勝手にアニメキャラにしないでってば。」
「アニメキャラじゃないの?」
「違うってば。」

 ニコニコして場を上手く流しながらも、仁はひそかに驚いている。何にと言えば、みんなの勘の鋭さに。仁は基本的に明るく楽しく能天気に優しく誠実に生きているつもりだけれど、もちろん人間は真っ白でいられる生き物ではない。夢が持てないなら死んでもいいや、なんていう境地に達している自分は、きっとまともではないのだろう。その悩みをおくびにも出さずに他人と接することができている時点で、さらに怖さ倍増だ。自分以外にそんな人間がいたら、絶対にお付き合いしたくないと思う。一緒にいたら、何を起こされるかわかったもんじゃない。のんびり観光していたら、隣の人が清水の舞台から飛び降りた、なんていう事件には生涯出会いたくないと思う。そしてまさに自分はそれを起こそうとしていて、だからみんなには少しだけ申し訳なくも思っている。

 だらだらとお喋りを続けていれば、柚乃斗が戻ってきた。太陽みたいな赤い服が、燦然と輝いている。

「あ、いちご色。」

 ポツリとちすが呟いた。
 あ、とみんなの視線が集まる。柚乃斗が戸惑ったように「えっ?」と言った。

「ん。何でもないよ。」
「そういう言い方されると余計に気になるよ、ちすちゃん!」
「そう?」
「そうだよ!」

 あはは、と仁は苦笑いをしながら、二人の間に割って入る。
 大丈夫だよ、柚乃斗さん。僕がさっき『いちごを食べさせる女』っていうタイトルの話を読んでてね、ちょうど赤い服を着た柚乃斗さんが来たから、ちすさんが『いちご色だ』って言ったんだよ。仁が丁寧に説明すれば、柚乃斗はあぁなるほど、と納得したようだった。

「いちごを食べさせる女……え、なんで?」
「ホラー小説だからね。」
「それは……血の色、みたいな?」
「いや、違うと思う。」
「ん……?」

 スマホの電源を切る。
 物言いたげな柚乃斗の視線をさらりと躱しながら、仁はスマホをポケットにしまう。
 さあ行こっか、と言えば、えぇ……と柚乃斗が戸惑ったような声を出した。

「なんか、時々仁くんって怖い気がする……」
「え。」

 ほら、と梅やちすや森さんがこっちを小突いてきた。森さんは露骨に笑っている。たった一人、うろだけが、何を考えているのかぼんやりした顔でどこぞの宙を眺めていた。

 明暗の切り替えが早すぎっていうか……そこに差が全然ない感じが怖いというか……と失礼なことをぶつぶつ言っている柚乃斗に、ちすが同調している。す、と。梅が無表情のままでこっちへ近づいてきた。

「今日はどこ行くんだっけ。」
「有名どころはみんな飽きたから、小さいお寺とか神社とか回ってみようって話だったよね。」

 班行動のスケジュールは、実行委員が組んだものをくじ引きでそれぞれの班が引くことで決まる。限りなく自由がないルールなのだが、多少の融通は当日自分たちで利かせていいという暗黙の了解がある。もちろん、当日に予定変更する余裕が班員にあればの話だけれど。

 つまり。

「スケジュール全部無視して回っちゃおっか。みんな、行きたいところとかある?」

 こういう班が出てくる可能性も、ある。理論上は。

「美味しいもの食べたいです!」
「静かなところがいいかな。」
「私はどこでも。」
「右に同じく。」
「………。」

 なるほど。仁はくるくると頭を回転させる。何ならメリーゴーランドのようにくるくる優雅に回転する脳みそを想像している。そして現状に対する最適解を探る。
 よし。
 結論が出る。

「心のままに歩いていこっか。」

 おお。どよめきに似た何かの気配が四班全体を揺らしたようだった。
 大きく目を見開いた森が、静かに口を開いて、言った。

「仁ってさ、複雑な物事をとてもシンプルにする才能があると思うんだ。」

 お褒めに預かり光栄です、と真顔で返答する。

 呆れたように、森が笑う。
 こんなやり方で旅行が成功するわけないんだけどな、と彼は言いながら、微塵もこの旅行の成功を疑っていない笑顔を浮かべていて。


 そんなこんなで、修学旅行の二日目が始まった。
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