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其の七
しおりを挟むふぅーっ、ポッポ、ぶぅ、……
ゆずは今日もひとり、校庭の隅っこのブナの木に寄りかかって笛を練習していた。
今は休み時間だけど、教室の中はだめだ。何故ってあそこは、おしゃべりな少女たちや喧嘩っ早い青年たちが常に大声をを張り上げる、うるさい音の生産工場なのだから。……とは言っても、笛なんか吹いてる変な生徒がいたら、誰かしら気づいてちょっかいを掛けるくらいの静かさだけは保たれている。
そう、だから校庭なのだ。騒がしさは負けていないけど、こうして隠れれば誰も気付かないのがいいところ。事実、ゆずの小さな土笛の掠れた音は、吹いたそばから風に流され霧散していっている。それゆえに、ゆずは見つからない。ブナの木の陰で、ひっそりと休み時間を満喫できる。……まあ、隠れんぼで遊ぼうとする酔狂な中学生がいるなら別だけど。
そう。
……別、…だと思ってたんだけど。
ゆずはふと白梟から唇を離してブナにゆっくり寄りかかった。
白梟のお尻には水色の紐が通されているので(もともと紐を通すために付いていた穴に、家のお裁縫箱から盗み出した紐をゆずが自分で通した)、手を離しても首からぶらんとぶら下がり続ける。
両手を後ろに回してふうっと息を吐いたゆずは、何気ない様子を偽って右側の小さな茂みの方に目をやった。
そして、そこへ涼やかに声をかける。
「……あれ、篠宮さん?」
「わっ!…じゃなくて……はははい、篠宮すずです!」
飛び上がらんばかりに驚いてツツジの茂みから姿を表したのは、ゆずと同じ1-3教室のクラスメイト。篠宮すずさんだった。ハーフアップを垂らした髪の長めな少女で、“体育の授業で危ないから肩より長い髪は結べ“との本校の校則を『結べばいいんですよね?』との屁理屈で押し通しこの髪型で登校してくる、たくさんの女子の中の一人だ。
ゆずは、改めてこの同級生に向き直った。
どうしてこんな所にいるんだろう、という疑問は、当然ゆずも抱いた。
「どうかしたの? ……あ、何かの連絡かな?広報委員会、金曜日の集まり変更されたとか?」
ぶくぶくと泡が湧いてくる泉みたいに、浮かんできた色々な“答え“。その中で、一番現実的でこれしかないだろうと思うものを選びとる。
篠宮さんは恥ずかしがりだし、私になかなか声がかけられなかったんだろう。
そうと決まれば話は早いものだ。ゆずはもたれ掛かっていたブナからよいしょと体を離すと、すぐに校舎に向かって歩き出した。
「……あれ? 私に用があったんじゃないの?」
ゆずの見立ては、どうやらハズレだった。
篠宮さんは、ゆずについてこなかった。
うーん、どうしたんだろう? と思って振り返れば、焦ったような表情を浮かべる篠宮さんと目があった。…瞬間。
———ピコン。
何だかゆずは分かった気がして、もう一度篠宮さんの方を向いた。
“まさか“、が “もしかして“ にとって代わり。そして、今やそれは“確信“に変化した。
ゆずはそっと、セーラー服の胸に手を当てる。両手で“それ“を掬い上げる。
「……土笛、吹いてみたい?」
ゆずが尋ねる。生まれた一瞬の静寂。そして……
「うわっ!なななんで分かったんですか?ゆずさんは心が読め……」
「読めない」
きっぱりと断定して、ゆずは慌てふためく篠宮さんの方へ歩み寄った。水色の編み紐を首から外し、白梟の土笛をの手に乗せる。そのまま渡そうとして、ふと思い出しハンカチを取り出し、自分がさっき口をつけていたところをクルクルと拭いた。
「はい、どうぞ」
「あっああありがとうございます!!」
少し困ったようにゆずは眉をあげる。篠宮さんって、こんなにあがり症だったっけ…? クラスメイトなのにあまり関わりがなくて、今までこうして話したこともなかったのだから、まあ仕方ない。相手のことをよく知らないのはお互い様…。そこまで考えると、なぜ篠宮さんがゆずに会いに来たのか、それが不思議になってくる。
これが、必然。ゆずと篠宮さんの繋がり……。ないようであった、目に見えない小さな糸。
ゆずの胸の底に、ストンと落っこちてきた自然の摂理だった。そう、篠宮さんと私は同じだったのだから。
それは、離れ小島に浮かんでいるような、あんまりグループの輪に溶け込めないような、そんな気持ちだったり。どこか浮いてしまう、そんな空気であったり。
実は二人とも、人と関わるのは別段苦手じゃない。
なかよしの友達も何人かいるし、虐められたことも誰かから嫌がらせされた過去もない。
体育祭や学芸発表会でも、自分なりの役割を果たしてみんなで楽しんだ。
———だけど、何か違う。
周りの学生たちと、水の膜でも隔てている気がする。
……そうだよね、篠宮さん?
だから、私たちは……
「———ここ、木陰って落ち着くよね」
「……え?…じゃなくて、はい! なんとなく教室抜け出して、なんとなく歩いてたら、なんとなく行き着いちゃった感じですね。どうもよく分かんないけど安心な場所です!」
白梟を夢中になって眺めていた篠宮さんが、慌てて顔を上げてゆずに返事をした。
……そんなにいちいち慌てなくても、とちょっと思うけれど、ゆずは逆に冷静すぎて怖いと言われることもある。こういうのをお互い様、というのかな。
ゆずは、おさげを揺らして肩の後ろへ放り仕舞うと、静かに笑って口を開いた。
「……篠宮さん、すずちゃんって呼んでもいい?」
「え?! あっわわ、良いですもちろんですだいだいだい歓迎です!」
爽やかな黄緑のブナが、風に煽られザワザワと鳴る。
『———重要なのは、新しいことだ』
白梟の土笛が、おじいさんの声で喋り出しそうに見えた。
ゆずは、目の前の同級生…たった今新しく友達になったすずちゃんを、今一度見つめる。
ブナの葉っぱの向こうで、白い桜の花びらがひと掬い舞いあがった……そんな幻を、ゆずは見たように思った。
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