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其の三
しおりを挟むピエロさんの正体は、呆気ないくらいあっさりと分かってしまった。
「こんにちは、おじさん。ここには毎日来ているんですか?」
「……まあ、そうだなぁ。そろそろ五十年になるか……」
ゆずは、お猿さんの置物(?)を、空飛ぶ絨毯みたいにふわふわ脇に浮かべながら駅に入って来たおじいさんと、仲良くお喋りをしていた。
「私、金曜日にピエロさんを見ました。その前にも何回か見たことあります。でも、各停電車に乗った日にはこれを見たことないです」
「……まあ、気付かないだけだ。いつでもいるさ、コイツらは」
「へえ」
ゆずは目を丸くしながら聞いていた。
おじいさんが不審者かもしれないとか、何か変な魔法を使っているっぽいとか、そんなことはゆずにとって問題じゃない。案外ゆずは無鉄砲で勇気があるのだ。
「これ、光ってるし浮いてます。なんでこんなものをたつみちの駅に?」
ゆずが小首を傾げ、チラリと目線でお猿さんを指し示すと、お猿が怒ったような表情をゆずに向けブーッとほっぺたを膨らませ二回くるくると宙返りをした。
「……あぁ。まあ、これに救われる人がいるかもしれないからな。置いていく理由なんてそんなもんでいい」
白髪に紺色の半纏を羽織った格好の無愛想なおじいさんが、背を丸めて呟いた。小柄なのは十歳の男の子にも負けそうなくらいなので、猫背になるともう小人か妖精に見える。ゆずは自然におじいさんを見下ろす格好になりながら、控えめに笑って言った。
「私、救われました。もう健康も精力も何もかも尽きちゃった、って時に、いつもあれを見て元気になってたように思います。思えば、助けてくれてたんですね。おじさん」
「……いや、別にまあ……」
恥ずかしいのかそっぽを向いてしまったおじいさんだったが、お猿さんがふわふわ飛んできてゆずのおさげに悪戯を始めたのを見た瞬間、意外な俊敏さで右手を伸ばしそのお猿をかっさらっていった。
「……いかん。女の子に悪戯は、いかんぞ」
とくとくと手のひらのお猿さんに言い聞かせる様子がおかしくて、ゆずは思わずくすっと笑いを漏らした。
「あ……」
躊躇ったのは一瞬。
ゆずは肩掛け鞄の位置をヨイショと直しながら口を開いた。
「おじさんの工房、もし大丈夫なら一度お邪魔してもいいですか?」
言った瞬間、お猿さんは顔だけこちらに向け口をイーッと引き結んで威嚇した。
コラコラとお猿さんを諌めながら、おじいさんはこちらを向く。目をパチクリさせて、小さくつぶやいた。
「……これまた、随分と大胆なお嬢さんで……」
ゆずは真面目な顔に戻ってスッと頭を下げた。
「はい。私はむこうみずな女の子、名前はゆずです。どうぞよろしくお願いします」
誰も足を踏み入れないほど、笹やら萩やら生い茂る雑木林。おじいさんの家は掻き分け掻き分け、服を葉っぱだらけにしてようやく辿り着いたそこに鎮座していた。
……ちなみに、お猿さんは駅で待っている。終電が通り過ぎた後で、おじいさんが迎えにいくのだそうだ。
「あー、汚いとこなんだがまぁその……」
「いえいえ、こちらこそ無理言ってごめんなさい。……お邪魔します」
夕焼けの少し前の橙色の光に包み込まれて、昭和の影が残るおじいさんの工房(兼自宅)は幻想的に浮かび上がっていた。
ギイィ、とおじいさんが把手を引くと、ゆずたちはまず玄関から溢れかえる新聞紙の山に出迎えられた。小柄なおじいさんはあっという間に細いドアの隙間から入ってしまいすぐに姿が見えなくなる。ゆずはそこまで器用ではないので、もう少しだけ大きくドアを開け放ったのだが……それがいけなかった。ドオオォ!! とドアの向こう側で凄い音で流れてくる新聞紙の気配に仰天し、ゆずは慌ててそれが隙間から外に雪崩出さないように両手でドアを思いっきり閉めた。すまん、すまんとドアの向こう側でおじいさんが謝る声が聞こえ、結局ゆずは窓からお邪魔させてもらうことになった。
「意外と、こじんまりなんですね」
狭い……と言いそうになるのを寸前で踏みとどまって、ゆずはあたりを見回しおじいさんに声をかけた。玄関だけが異常に新聞紙だらけで、他の部屋では絵の具の缶や段ボール箱などが散乱している。それら全ての無秩序が逆に日本家屋の統一性を持って、一種の芸術を生み出していた。
「あぁ……。全部一人でやってるからな…、広くても意味がない」
おじいさんの “一人“ からは、自嘲や哀愁に混じって微かな誇りが伝わってくる気がした。全部、と云うのはつまりアレだ。弟子も手伝いも取らずに一人で製作しているということ。
ゆずはホッとして静かに笑った。よかった。おじいさんはきっと職人、というゆずの見立ては間違っていなかった。
ここで、ゆずはずっと気になっていたことを聞いた。
「あのぅ、ここに張り子のピエロさんっていますか? 実は、この前のお礼が言いたくて」
「…張り子じゃない。あいつぁ、陶器の人形だ」
———返ってきたのは、おじいさんのぶっきらぼうな呟きだった。
え?とゆずは思った。あの人形を見たのは遠くから。猛スピードで走る電車の中だった。だから勘違いがあってもおかしくはない。おかしくはないけれど……でも、あんなに確信したのに。はっきりと目に焼き付いて、疑いようもない事実だと思ったのに。
しかし、おじいさんの目はさっきと比べ物にならないほど冷たかった。敵意さえ感じるような気がした。
「自信満々なヤツほど、よく間違う」
着いて来い、と冷たく口にしたおじいさんの後を、ゆずは真顔で一礼して追いかけた。
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