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周りと違うことくらい知っていた。いつまで経っても私には友と呼べる人間がいなかった。それでも構わないと思ったのは、この世界がその程度だと知っていたからだろう。いつもと違う出来事があっても私は興味を示さない。
たとえ転校生が来てもー。
「一輝って呼んでくれ」爽やかな声がクラス中に響き渡る。周りが騒ぐ中、私だけは本に視線を落とす。ほら、これでいつも通りだ。例え世界がひっくり返ろうが私は変わらない。そんな人生が続いて適当に終わればいい。周りに惑わされる人生なんてまっぴらごめんだ。その時、不意に訪れた低音の声に肩がピクリと反応する。
「ねぇ、君」
自分のことだと気付くと、声のしら方へ顔を向ける。金髪で制服を崩した男が隣に立っている。見たことのない顔。
「誰だ…?」
小さく呟いたつもりだったが、隣にいる彼には十分届いていたようだ。
「え?あぁ、俺一輝っていうんだ。今日転校してきた」
彼は驚きながらも柔らかな笑顔で粗略な説明をする。ふぅん、と小さく返事をし、もう一度本に視線を戻す。それで今日の会話は終了した。
これが私達のファーストコンタクトだった。
その日からほんの少しずつ世界が変わった。一輝という奴は毎日のように隣に座る一人の私に、話し掛けてくるようになった。
正直、鬱陶しい。教室では集中できなくなり、図書室や屋上、中庭などに本を読みに行くが必ず彼がやってくる。
「なぁ、何を呼んでるの?」
聞こえないフリをして彼から遠ざかろうと足を動かそうとした時、学校全体にチャイムが鳴り響いた。彼はあっ、と声を漏らし教室の方へ向かった。人気が感じられない廊下に一人残った私は言葉を溢す。
「あぁ、今日も読めなかった」
三週間ほど過ぎたある日、私はとうとう彼に問いだした。
「なぜ私につきまとう⁉︎しつこいぞ!」
私は柄にもなく声を荒げる。こんなにも誰かに苛立ったのは久しぶりだ。荒い息を整えながら彼をじっと睨む。彼も困り果てた顔をする。こんな時に不覚にも彼の少し幼さを残した顔は可愛らしいと思った。そんな彼の唇がゆっくりと開く。
「い、言わなきゃ駄目か?」
「当たり前だ、こっちは迷惑と言っているんだぞ」
先程よりも冷静さは取り戻せたが、苛立ちは収まらない。すると、彼は観念したかのように話し出す。
「君が…好きだからだよ」
いきなりの告白に、私は罵倒してやろうと思って準備していた言葉を飲み込んだ。
「でも、君はいつも一人なんだ」
そりゃそうだ。私は人との馴れ合いが一番苦手なのだ。いや、正確には苦手になったのだ。親という存在のせいで私の人生は狂ってしまっている。まぁ、そんな親の鎖から逃げられないのは私の弱さが原因なんだが。
「俺は君の心の拠り所を作りたいんだ!」
長々と話していた内容のほとんどを聞き流したが、急に声の音量が上がったため嫌でも耳に残ってしまった。
「心の拠り所…?」
彼とは目を合わせず、まるで独り言のように問い掛ける。
「あぁ、人の大切な場所だ」
そう言って彼は右手で拳を作り左胸を叩く。その瞬間、何かが胸に引っ掛かったような感覚に惑う。だが直ぐ様気のせいだ、と首を振る。
「…無意味なものだな」
私は彼にそう吐き捨てて背を向け歩きだした。解り合って分かち合ってなんて要らない。彼の瞳が悲哀に満ち溢れていたことなど気にもしていなかった。まだ、この時はー。
枯れ葉が道端に落ち始めた季節のとある教室の一室では、他愛もない話がされていた。
「暑いよなー、最近」
あれから二週間。こんなひねくれた性格の私に話し掛けてくる人なんて一人しかいない。
「うるさい、黙れ一輝」
あんなにも酷い言い方をしたのに一輝はそれでもしつこく私の元へやって来る。
「おっ、名前で呼んでくれたな!これって前よりも距離縮んでる証拠だよな!」
彼は私の嫌味も何もかもを良い意味で捉えてしまう。十月といえど暑い日が続き汗が流れ落ちる。彼の相手をするのも億劫だ。
「暑い、図書館に行くぞ。あそこはクーラーがよく効いている」
私がそう言えば、彼は決まって首が落ちるのではと思われるほど首を縦に振る。自分自身、驚いていた。鬱陶しいと思いながらもこの距離は私にとっては案外気に入っていた。
「お前が来てから一ヶ月が経ったな」
ふと思い浮かんだこと。彼はあの時と同じ笑顔でこちらに振り向く。
「そうだなぁ」
彼はこちらに来てからというものの、私と居る時間が一番多いのにも関わらず友達が多い。
「一輝は友達が多いな」
「詩音にもできるって」
「…そんなの、いらない」
彼は決して自分が友達だとは言わない。何を考えているのかは知らないが私のことを好きと言ったのは何かの間違いではないかと疑ってしまう。いや、正確には一度疑って本人に聞いたことがある。その答えは本気で好き、と言われた。私の悩みはどんどん大きくなる。
「なら…私の初めての友達になってよ」
その言葉は同時に鳴った授業が始まる合図に掻き消されてしまった。
この三週間、悩みがずっと頭の中を駆け巡っていた。彼と居ると前のように物事をはっきりと言えなくなってしまった。今までにはない気持ちが私を締め付ける。
「なんで…なんでなんだ…っ!」
がさっと物音が聞こえ、反射的に身を隠す。音の聞こえた方を見ると見覚えのある顔が沢山あった。そこには同じクラスの女子三人と一輝だった。楽しげに話しているのを見ると胸が痛くなる。あれが本来、友達というものだ。私にはあのように楽しげに話せる人はいない。一輝でさえもただそばにいるだけ。そこに感情など、何一つないのだ。そのことが悲しいと気付いた私は声に出さずにはいられなかった。
「あぁ、私は友達など作るべきではないのだな」
自分で放った言葉が自分自身の心に深く突き刺さった。
次の日、一輝と顔を合わせるのが辛くて、できるだけ本に全神経を集中させていた。けれど隣に彼がいるだけで緊張してしまい、本の内容は頭に入らなかった。
昼休みになると私はすぐに席を立ち上がって一人になれる所を探した。気温が少し低いが人一人もいない中庭の端に座りお弁当を広げる。やはり一人は落ち着く。そう思っていると、少し離れたところから楽しそうに騒ぐ人達が来た。仲良く皆で輪になり、お弁当を食べている。箸を動かすのを止め、じっと見つめる。
「…楽しそう」
不意に出た言葉は今までの私からは考えられない言葉だった。私は自分でも可笑しいと思い、誤魔化すように箸を再び動かした。
「楽しそうだろ?」
「…っわ、驚いた。いつからいたの?」
一輝は私の質問には答えず、先ほどの人達を見ながら微笑んでいるだけだった。少し間が空いてから一輝は顔だけをこちらに向けた。
「なぁ、本当に友達欲しいって思ってないわけ?」
その眼差しは真っ直ぐで私の心をさらに掻き乱す。私はぐちゃぐちゃの心でなんとか言葉を絞り出す。
「私は友達なんて作らないほうがいい。上手く笑えないし…それに性格悪いから」
語尾の方になるにつれて声が小さくなり俯く。
「それでもお前と友達になりたいって奴がいたらどうする?」
一輝は腰を落とす。冷たい風が吹き、周りの枯れ葉と同じように私と彼の髪を揺らす。
「…寒いから教室に戻ろ」
そう言って私は食べかけのお弁当をしまい、逃げるかのようにその場を去った。
「例えいたとしても…最初の友達は君がいい」
ゆっくり後ろを振り向くが、そこに彼の姿はなかった。私は風で乱れた髪を整え、前を向き何事もないように歩き始めた。
ある日、突然大きな変化が訪れた。
「ねぇ」
女子特有の甘ったるい声が聞こえて、振り向くとメイクなどを施した可愛らしい女の子達がいた。
「詩音ちゃん、話すの始めてだよね?今日、お昼一緒に食べない?」
接点のないクラスメイトからの想定外の誘いに言葉が出なかった。慌てているとふと目に入ったのは、女の子達の後ろに座っていた一輝の姿。丁度、あちらもこっちに気付いたのか目が合う。すると彼は笑って口を動かす。声には出ていなかったが何を伝えたいのかはよく解った。
“ が ん ば れ ”
その時、私は何も考えず女の子達にうん、と返事をした。女の子達はよろしくと言って各自、自分の席に戻っていった。
「私が…誰かとお昼を一緒にするなんて…」
「良かったな」
一人で呟いていたら隣から話しかけられる。はっとなって隣を見れば自分のことのように嬉しそうに笑う一輝がいた。
「さっき…がんばれって言ってくれたから…勇気だして友達、作ろうと思った」
頬を赤く染めてそっぽを向く。本当は純粋に嬉しいと思ったからなんて口が裂けても言いたくなかった。
授業の終了を告げるチャイムが鳴る。私は初めて授業に集中できていなかった。先生の丁寧な教えもふざけた男子の会話も何も聞こえなかった。
ただひたすら自分の心臓の音だけが鼓膜に響いているようだった。今までに感じたことのない高揚感が私の体を支配する。
「もう、お昼休みだ…」
鞄からお弁当箱を取り出し、朝の女の子達の元へ向かう。彼女達は私の分の机を用意して待っていてくれた。
「お、遅くなってしまって申し訳ございません…。その…今日はよろしくお願いします」
私が小さくお辞儀をすると、彼女達は顔を見合わせ笑い出す。
「そんな畏まらなくてもいいよ!よろしくね!」
一人がよろしくと言うと他の二人もつられるようによろしくとお辞儀する。心が温かくなるのを実感した。そこからは他愛もない話ばかりした。お弁当を食べる暇がないほどたくさん話した。こんなに疲れるほど話した経験は一度もないが、あまりにも楽しく会話が途切れるのが惜しいとさえ思えた。
次の授業まであと五分となったところでお弁当を片付け始め、私は三人の方を向く。
「友達みたいで…すごく楽しかったです。ありがとう…」
ちゃんと笑えてるかな。そんな不安が頭の中を過ぎる。けれどそんな心配は皆無だったようで、彼女達はとびっきりの笑顔で私の手を握る。
「友達なんだからこんなことでわざわざお礼なんて言わなくていいよ!」
友達。その言葉がこれ程心を踊らせる嬉しい言葉だとは思わなかった。
その時、一輝の事を思い出した。友達をくれた、友達の大切さを教えてくれた彼に多大な感謝と罪悪感が募る。
「あのね、私最初の友達は…一番感謝してる人が良いんだ。だから友達になるのはもう少し待ってて欲しい…」
遠慮がちに言うと、彼女達は私の言葉の意図を読み取ったのか優しく頷いてくれた。
ーーありがとう。孤独に埋もれていた心に小さな友情が芽生えた時だった。
放課後、帰り仕度をしている一輝に私は珍しく自分から声をかける。
「一輝、一緒に帰ろう?」
こんなことを言わなくても私達はいつも一緒に帰っていた。正確にはただ一輝が私の後を勝手に追いかけていただけで、会話もなに一つなかった。でも今回は違う。話したいことがあった。とても大切なことなのにずっと意地を張っていて言えなかったことが。
一輝は目を二、三回瞬きをして驚きながらもすぐに優しく笑う。
「おう、帰ろうぜ」
そう言って二人は鞄をしっかり手に持ち、夕日で赤く照らされた教室を後にする。
夕暮れの畦道を二人並んで歩く。なんの生き物かわからないほど沢山の鳴き声が小さく響く。言葉が喉に突っかかり何も言えずにいた。ずっと孤高だったせいでくだらないプライドが今の大切な瞬間を逃している。
「あの、さ、今日の女子達は一輝がーーお願いしたんでしょ?」
私は答えなんて聞かなくても解っていることをわざわざ聞く。それは素直にお礼を言えなくてつい遠回しにしてしまう私の悪い癖だ。
「あぁー…バレた?でもさ、ちゃんと友達になれたんだし結果オーライじゃね?」
彼は赤らめた頬を人差し指で小さく掻き、目を細める。正直、なぜそんなにも私の為に動いてくれるのかは解らない。やっと友情を知った私には恋愛感情には到底理解し難いことばかりで彼の行動もその一つだ。
「ほんと、理解できない」
「えっ?」
彼の聞き逃しに聞こえぬフリをしてしっかりと前を見据える。
「言っておくけど彼女達とはまだ友達になってないよ」
先程と同じ言葉を彼は繰り出すが今度の意味は違い、優しく聞き返す言い方ではなく怪訝そうに聞き返してきた。
「私の最初の友達は一輝以外ありえない」
彼は目を丸くして気の抜けた声を出す。
「ぁ、俺は…そうだな」
何か言いかけた彼はその言葉を呑み込み、代わりに私が一番欲しかった言葉を吐き出す。
「友達第一号だな」
屈託のない笑顔を惜しみなく振り回す。
私はやっとの思いで安堵の息を漏らす。やっぱり眩しいよ、君は。
翌日、教室の扉を開けた途端に耳にする、今では愛しいとも思える喧騒な声が、何故か今日は聞こえなかった。
「一輝…?」
辺りを見回してもあの目立つ金髪が目に入らない。私が挙動不審でいたせいか、柔らかな笑顔を向けた女子達が心配してきた。
「一輝…は、どこ?」
質問が悪いのかは知らないが彼女達は驚愕し、青ざめた様子でひそひそと話し始めた。
「えっと…その、一輝君は今日飛び立つって言ってたよね?」
私に確認するかのように言ってくる彼女達は、それがまるで当たり前かのように話す。
「な、んで…」
転勤族。彼はそこに部類される存在だった。最初の自己紹介の時に数ヶ月の間しか居られない、と話していたらしい。私は何も知らない。けれど、周りの様子を伺うとどうやら私だけが知らなかったようだ。私は踵を返して走り出す。
私はやっと理解した。彼が私の友達になろうとしなかった理由を。あの時、躊躇した理由を。先生の怒号も、周りから注がれる大量の視線も、風を切る音も、何も感じなかった。
空港に着くと直ぐ様周りを見回しながら走り、会わなければならない人を探す。ふと視界に入る見馴れた人物。大きな荷物を床に置き、小さな荷物を握りしめている彼を見つけると間髪いれず声をかけた。
「一輝!」
彼を見て私は驚愕する。いつも笑顔を絶やさなかった。そんな彼の瞳が満ち溢れる。私は彼に近付き、強く抱き締める。この瞳を見るのは初めてじゃない。ただ前は木に留めもしなかっただけだ。けれど今は違った。
「さよならするとしても…そんな顔すんな、見せんな」
そう言って下手くそな笑顔をぶつければ君の顔が綻ぶ。
「そうだな、笑顔のほうが良いもんな」
その後、二人は今までの言葉にしなかった想いをぽつりぽつりと出しあった。時々、泣きそうで声が震えた時もあった。それでもしっかり伝えて聞いて時間は刻一刻と過ぎていった。
「そろそろ…時間、だよ」
彼との距離を少し離す。近くに居れば居るほど辛くなりそうで怖かったからだ。
「…おう。じゃあな」
私も彼も震えた手を振り上げる。一輝は振り上げたその手で荷物を持ち、空港ゲートの方へゆっくり歩み始める。
ーこのままお別れだ。
それでいい。それでいいはずなのに、私の心が納得してくれない。気付いたら抑えきれなかった言葉が勝手に口から放っていた。
「っ、一輝!また…またね!」
私の声に振り向くいつもの顔。嬉しそうに笑った顔。先程よりも大きく手を振るいつもの君。
「またな!」
いつもよりも大きな声。そして止まることのない足。私の心は全て満たされた。君から貰った今までの優しさで埋め尽くされていた。
「ありがとう、好きだった」
これでまた、新たな一歩を踏み出せるよ。私の足は一輝と反対の方向へと向かう。扉の先の空はとても蒼かった。
空に発った飛行機は雲を掻き分けるように進む。目には今まで感じたことのない温かな涙が零れていた。ふと空を仰ぐ。今の私の心と同じぐらい澄み渡った空がどこまでも広がっている。
遠くに行ってから気付いた。君の存在がどれほど私に影響をもたらしていたかを。
「ー詩音ー」
ほら、君の声が近くに感じるー。
end…
たとえ転校生が来てもー。
「一輝って呼んでくれ」爽やかな声がクラス中に響き渡る。周りが騒ぐ中、私だけは本に視線を落とす。ほら、これでいつも通りだ。例え世界がひっくり返ろうが私は変わらない。そんな人生が続いて適当に終わればいい。周りに惑わされる人生なんてまっぴらごめんだ。その時、不意に訪れた低音の声に肩がピクリと反応する。
「ねぇ、君」
自分のことだと気付くと、声のしら方へ顔を向ける。金髪で制服を崩した男が隣に立っている。見たことのない顔。
「誰だ…?」
小さく呟いたつもりだったが、隣にいる彼には十分届いていたようだ。
「え?あぁ、俺一輝っていうんだ。今日転校してきた」
彼は驚きながらも柔らかな笑顔で粗略な説明をする。ふぅん、と小さく返事をし、もう一度本に視線を戻す。それで今日の会話は終了した。
これが私達のファーストコンタクトだった。
その日からほんの少しずつ世界が変わった。一輝という奴は毎日のように隣に座る一人の私に、話し掛けてくるようになった。
正直、鬱陶しい。教室では集中できなくなり、図書室や屋上、中庭などに本を読みに行くが必ず彼がやってくる。
「なぁ、何を呼んでるの?」
聞こえないフリをして彼から遠ざかろうと足を動かそうとした時、学校全体にチャイムが鳴り響いた。彼はあっ、と声を漏らし教室の方へ向かった。人気が感じられない廊下に一人残った私は言葉を溢す。
「あぁ、今日も読めなかった」
三週間ほど過ぎたある日、私はとうとう彼に問いだした。
「なぜ私につきまとう⁉︎しつこいぞ!」
私は柄にもなく声を荒げる。こんなにも誰かに苛立ったのは久しぶりだ。荒い息を整えながら彼をじっと睨む。彼も困り果てた顔をする。こんな時に不覚にも彼の少し幼さを残した顔は可愛らしいと思った。そんな彼の唇がゆっくりと開く。
「い、言わなきゃ駄目か?」
「当たり前だ、こっちは迷惑と言っているんだぞ」
先程よりも冷静さは取り戻せたが、苛立ちは収まらない。すると、彼は観念したかのように話し出す。
「君が…好きだからだよ」
いきなりの告白に、私は罵倒してやろうと思って準備していた言葉を飲み込んだ。
「でも、君はいつも一人なんだ」
そりゃそうだ。私は人との馴れ合いが一番苦手なのだ。いや、正確には苦手になったのだ。親という存在のせいで私の人生は狂ってしまっている。まぁ、そんな親の鎖から逃げられないのは私の弱さが原因なんだが。
「俺は君の心の拠り所を作りたいんだ!」
長々と話していた内容のほとんどを聞き流したが、急に声の音量が上がったため嫌でも耳に残ってしまった。
「心の拠り所…?」
彼とは目を合わせず、まるで独り言のように問い掛ける。
「あぁ、人の大切な場所だ」
そう言って彼は右手で拳を作り左胸を叩く。その瞬間、何かが胸に引っ掛かったような感覚に惑う。だが直ぐ様気のせいだ、と首を振る。
「…無意味なものだな」
私は彼にそう吐き捨てて背を向け歩きだした。解り合って分かち合ってなんて要らない。彼の瞳が悲哀に満ち溢れていたことなど気にもしていなかった。まだ、この時はー。
枯れ葉が道端に落ち始めた季節のとある教室の一室では、他愛もない話がされていた。
「暑いよなー、最近」
あれから二週間。こんなひねくれた性格の私に話し掛けてくる人なんて一人しかいない。
「うるさい、黙れ一輝」
あんなにも酷い言い方をしたのに一輝はそれでもしつこく私の元へやって来る。
「おっ、名前で呼んでくれたな!これって前よりも距離縮んでる証拠だよな!」
彼は私の嫌味も何もかもを良い意味で捉えてしまう。十月といえど暑い日が続き汗が流れ落ちる。彼の相手をするのも億劫だ。
「暑い、図書館に行くぞ。あそこはクーラーがよく効いている」
私がそう言えば、彼は決まって首が落ちるのではと思われるほど首を縦に振る。自分自身、驚いていた。鬱陶しいと思いながらもこの距離は私にとっては案外気に入っていた。
「お前が来てから一ヶ月が経ったな」
ふと思い浮かんだこと。彼はあの時と同じ笑顔でこちらに振り向く。
「そうだなぁ」
彼はこちらに来てからというものの、私と居る時間が一番多いのにも関わらず友達が多い。
「一輝は友達が多いな」
「詩音にもできるって」
「…そんなの、いらない」
彼は決して自分が友達だとは言わない。何を考えているのかは知らないが私のことを好きと言ったのは何かの間違いではないかと疑ってしまう。いや、正確には一度疑って本人に聞いたことがある。その答えは本気で好き、と言われた。私の悩みはどんどん大きくなる。
「なら…私の初めての友達になってよ」
その言葉は同時に鳴った授業が始まる合図に掻き消されてしまった。
この三週間、悩みがずっと頭の中を駆け巡っていた。彼と居ると前のように物事をはっきりと言えなくなってしまった。今までにはない気持ちが私を締め付ける。
「なんで…なんでなんだ…っ!」
がさっと物音が聞こえ、反射的に身を隠す。音の聞こえた方を見ると見覚えのある顔が沢山あった。そこには同じクラスの女子三人と一輝だった。楽しげに話しているのを見ると胸が痛くなる。あれが本来、友達というものだ。私にはあのように楽しげに話せる人はいない。一輝でさえもただそばにいるだけ。そこに感情など、何一つないのだ。そのことが悲しいと気付いた私は声に出さずにはいられなかった。
「あぁ、私は友達など作るべきではないのだな」
自分で放った言葉が自分自身の心に深く突き刺さった。
次の日、一輝と顔を合わせるのが辛くて、できるだけ本に全神経を集中させていた。けれど隣に彼がいるだけで緊張してしまい、本の内容は頭に入らなかった。
昼休みになると私はすぐに席を立ち上がって一人になれる所を探した。気温が少し低いが人一人もいない中庭の端に座りお弁当を広げる。やはり一人は落ち着く。そう思っていると、少し離れたところから楽しそうに騒ぐ人達が来た。仲良く皆で輪になり、お弁当を食べている。箸を動かすのを止め、じっと見つめる。
「…楽しそう」
不意に出た言葉は今までの私からは考えられない言葉だった。私は自分でも可笑しいと思い、誤魔化すように箸を再び動かした。
「楽しそうだろ?」
「…っわ、驚いた。いつからいたの?」
一輝は私の質問には答えず、先ほどの人達を見ながら微笑んでいるだけだった。少し間が空いてから一輝は顔だけをこちらに向けた。
「なぁ、本当に友達欲しいって思ってないわけ?」
その眼差しは真っ直ぐで私の心をさらに掻き乱す。私はぐちゃぐちゃの心でなんとか言葉を絞り出す。
「私は友達なんて作らないほうがいい。上手く笑えないし…それに性格悪いから」
語尾の方になるにつれて声が小さくなり俯く。
「それでもお前と友達になりたいって奴がいたらどうする?」
一輝は腰を落とす。冷たい風が吹き、周りの枯れ葉と同じように私と彼の髪を揺らす。
「…寒いから教室に戻ろ」
そう言って私は食べかけのお弁当をしまい、逃げるかのようにその場を去った。
「例えいたとしても…最初の友達は君がいい」
ゆっくり後ろを振り向くが、そこに彼の姿はなかった。私は風で乱れた髪を整え、前を向き何事もないように歩き始めた。
ある日、突然大きな変化が訪れた。
「ねぇ」
女子特有の甘ったるい声が聞こえて、振り向くとメイクなどを施した可愛らしい女の子達がいた。
「詩音ちゃん、話すの始めてだよね?今日、お昼一緒に食べない?」
接点のないクラスメイトからの想定外の誘いに言葉が出なかった。慌てているとふと目に入ったのは、女の子達の後ろに座っていた一輝の姿。丁度、あちらもこっちに気付いたのか目が合う。すると彼は笑って口を動かす。声には出ていなかったが何を伝えたいのかはよく解った。
“ が ん ば れ ”
その時、私は何も考えず女の子達にうん、と返事をした。女の子達はよろしくと言って各自、自分の席に戻っていった。
「私が…誰かとお昼を一緒にするなんて…」
「良かったな」
一人で呟いていたら隣から話しかけられる。はっとなって隣を見れば自分のことのように嬉しそうに笑う一輝がいた。
「さっき…がんばれって言ってくれたから…勇気だして友達、作ろうと思った」
頬を赤く染めてそっぽを向く。本当は純粋に嬉しいと思ったからなんて口が裂けても言いたくなかった。
授業の終了を告げるチャイムが鳴る。私は初めて授業に集中できていなかった。先生の丁寧な教えもふざけた男子の会話も何も聞こえなかった。
ただひたすら自分の心臓の音だけが鼓膜に響いているようだった。今までに感じたことのない高揚感が私の体を支配する。
「もう、お昼休みだ…」
鞄からお弁当箱を取り出し、朝の女の子達の元へ向かう。彼女達は私の分の机を用意して待っていてくれた。
「お、遅くなってしまって申し訳ございません…。その…今日はよろしくお願いします」
私が小さくお辞儀をすると、彼女達は顔を見合わせ笑い出す。
「そんな畏まらなくてもいいよ!よろしくね!」
一人がよろしくと言うと他の二人もつられるようによろしくとお辞儀する。心が温かくなるのを実感した。そこからは他愛もない話ばかりした。お弁当を食べる暇がないほどたくさん話した。こんなに疲れるほど話した経験は一度もないが、あまりにも楽しく会話が途切れるのが惜しいとさえ思えた。
次の授業まであと五分となったところでお弁当を片付け始め、私は三人の方を向く。
「友達みたいで…すごく楽しかったです。ありがとう…」
ちゃんと笑えてるかな。そんな不安が頭の中を過ぎる。けれどそんな心配は皆無だったようで、彼女達はとびっきりの笑顔で私の手を握る。
「友達なんだからこんなことでわざわざお礼なんて言わなくていいよ!」
友達。その言葉がこれ程心を踊らせる嬉しい言葉だとは思わなかった。
その時、一輝の事を思い出した。友達をくれた、友達の大切さを教えてくれた彼に多大な感謝と罪悪感が募る。
「あのね、私最初の友達は…一番感謝してる人が良いんだ。だから友達になるのはもう少し待ってて欲しい…」
遠慮がちに言うと、彼女達は私の言葉の意図を読み取ったのか優しく頷いてくれた。
ーーありがとう。孤独に埋もれていた心に小さな友情が芽生えた時だった。
放課後、帰り仕度をしている一輝に私は珍しく自分から声をかける。
「一輝、一緒に帰ろう?」
こんなことを言わなくても私達はいつも一緒に帰っていた。正確にはただ一輝が私の後を勝手に追いかけていただけで、会話もなに一つなかった。でも今回は違う。話したいことがあった。とても大切なことなのにずっと意地を張っていて言えなかったことが。
一輝は目を二、三回瞬きをして驚きながらもすぐに優しく笑う。
「おう、帰ろうぜ」
そう言って二人は鞄をしっかり手に持ち、夕日で赤く照らされた教室を後にする。
夕暮れの畦道を二人並んで歩く。なんの生き物かわからないほど沢山の鳴き声が小さく響く。言葉が喉に突っかかり何も言えずにいた。ずっと孤高だったせいでくだらないプライドが今の大切な瞬間を逃している。
「あの、さ、今日の女子達は一輝がーーお願いしたんでしょ?」
私は答えなんて聞かなくても解っていることをわざわざ聞く。それは素直にお礼を言えなくてつい遠回しにしてしまう私の悪い癖だ。
「あぁー…バレた?でもさ、ちゃんと友達になれたんだし結果オーライじゃね?」
彼は赤らめた頬を人差し指で小さく掻き、目を細める。正直、なぜそんなにも私の為に動いてくれるのかは解らない。やっと友情を知った私には恋愛感情には到底理解し難いことばかりで彼の行動もその一つだ。
「ほんと、理解できない」
「えっ?」
彼の聞き逃しに聞こえぬフリをしてしっかりと前を見据える。
「言っておくけど彼女達とはまだ友達になってないよ」
先程と同じ言葉を彼は繰り出すが今度の意味は違い、優しく聞き返す言い方ではなく怪訝そうに聞き返してきた。
「私の最初の友達は一輝以外ありえない」
彼は目を丸くして気の抜けた声を出す。
「ぁ、俺は…そうだな」
何か言いかけた彼はその言葉を呑み込み、代わりに私が一番欲しかった言葉を吐き出す。
「友達第一号だな」
屈託のない笑顔を惜しみなく振り回す。
私はやっとの思いで安堵の息を漏らす。やっぱり眩しいよ、君は。
翌日、教室の扉を開けた途端に耳にする、今では愛しいとも思える喧騒な声が、何故か今日は聞こえなかった。
「一輝…?」
辺りを見回してもあの目立つ金髪が目に入らない。私が挙動不審でいたせいか、柔らかな笑顔を向けた女子達が心配してきた。
「一輝…は、どこ?」
質問が悪いのかは知らないが彼女達は驚愕し、青ざめた様子でひそひそと話し始めた。
「えっと…その、一輝君は今日飛び立つって言ってたよね?」
私に確認するかのように言ってくる彼女達は、それがまるで当たり前かのように話す。
「な、んで…」
転勤族。彼はそこに部類される存在だった。最初の自己紹介の時に数ヶ月の間しか居られない、と話していたらしい。私は何も知らない。けれど、周りの様子を伺うとどうやら私だけが知らなかったようだ。私は踵を返して走り出す。
私はやっと理解した。彼が私の友達になろうとしなかった理由を。あの時、躊躇した理由を。先生の怒号も、周りから注がれる大量の視線も、風を切る音も、何も感じなかった。
空港に着くと直ぐ様周りを見回しながら走り、会わなければならない人を探す。ふと視界に入る見馴れた人物。大きな荷物を床に置き、小さな荷物を握りしめている彼を見つけると間髪いれず声をかけた。
「一輝!」
彼を見て私は驚愕する。いつも笑顔を絶やさなかった。そんな彼の瞳が満ち溢れる。私は彼に近付き、強く抱き締める。この瞳を見るのは初めてじゃない。ただ前は木に留めもしなかっただけだ。けれど今は違った。
「さよならするとしても…そんな顔すんな、見せんな」
そう言って下手くそな笑顔をぶつければ君の顔が綻ぶ。
「そうだな、笑顔のほうが良いもんな」
その後、二人は今までの言葉にしなかった想いをぽつりぽつりと出しあった。時々、泣きそうで声が震えた時もあった。それでもしっかり伝えて聞いて時間は刻一刻と過ぎていった。
「そろそろ…時間、だよ」
彼との距離を少し離す。近くに居れば居るほど辛くなりそうで怖かったからだ。
「…おう。じゃあな」
私も彼も震えた手を振り上げる。一輝は振り上げたその手で荷物を持ち、空港ゲートの方へゆっくり歩み始める。
ーこのままお別れだ。
それでいい。それでいいはずなのに、私の心が納得してくれない。気付いたら抑えきれなかった言葉が勝手に口から放っていた。
「っ、一輝!また…またね!」
私の声に振り向くいつもの顔。嬉しそうに笑った顔。先程よりも大きく手を振るいつもの君。
「またな!」
いつもよりも大きな声。そして止まることのない足。私の心は全て満たされた。君から貰った今までの優しさで埋め尽くされていた。
「ありがとう、好きだった」
これでまた、新たな一歩を踏み出せるよ。私の足は一輝と反対の方向へと向かう。扉の先の空はとても蒼かった。
空に発った飛行機は雲を掻き分けるように進む。目には今まで感じたことのない温かな涙が零れていた。ふと空を仰ぐ。今の私の心と同じぐらい澄み渡った空がどこまでも広がっている。
遠くに行ってから気付いた。君の存在がどれほど私に影響をもたらしていたかを。
「ー詩音ー」
ほら、君の声が近くに感じるー。
end…
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やはり表現の仕方がとても良いと思いました!d(^_^o)
出会い方や日常、描写が変わっていく様がとても分かりやすくて面白かったです‼︎(*´ω`*)
恋愛ものも書いてみようかなと思える様な作品でした!
ありがとうございます。まぁこれ恋愛物じゃないんですけどね笑